徐晃伝 三十三『涼州戦役』

 


賈詡

謀略を得意とする智将で、降将であるが、今や曹操軍の参謀格として不動の地位を築いていた。


徐晃とも縁がある。


かつて楊奉に仕えていた徐晃は、楊奉の主・李傕の軍に属していたがその李傕の軍師として、賈詡が智謀を奮った時期があった。

 

かつて敵として曹操に対した経歴も、徐晃と同じである。

 

真っ直ぐで清廉な徐晃の人品と、権謀術数を駆使するしたたかな賈詡とでは正反対の性格だが、不思議と二人は互いの境遇や信念、その生き様に共感を抱くところがあった。


軍議の席で、賈詡が述べる。

「先般まで敵さんの士気は高く、策の講じようもない戦況だった。

それが徐晃殿!あんたの活躍で涼州連合軍は形勢の有利を失っている。

いま離間之計の一手を打てば、効果は覿面(てきめん)だろうよ」

 

連合軍の両頭・馬超韓遂は反曹操で結託したものの、元来のところ敵同士。

 

賈詡は二人の疑心に目を付け、韓遂の下へ使者を送った。

果たして馬超韓遂を疑い二人の関係に亀裂が走る。

 

曹操軍・涼州連合軍が死闘を演じた潼関を巡る一連の戦役は、後者の瓦解により決着を見ようとしていた。

 

 

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曹操軍は関中を平定する。

 

大局の趨勢を見極めた曹操は首府・鄴へ帰還し、残した十万から成る大軍勢の総大将には夏侯淵を任じた。

張郃、朱霊ら諸将を幕下に西方戦線、先には涼州そして漢中への侵攻を任に新たな戦局へと備える。

 

徐晃は、この大軍勢の中核にあった。

 

 足掛け三年。

 

西方の羌族や氐族、中華とは風俗を異とするしかし精強無比なる騎馬軍団を有す涼州軍閥との戦役は、苛烈を極めた。

 

徐晃は将としてその武の研鑽に果てなく、ひたすら道を究め続ける。

 

 「拙者が参る!

いざ、手合わせ願おう!」

 

手ずからに牙断を振るい戦場に強者を追い求め、曹操の覇道を支えて戦い続ける。

 

 

(・・・貴公との宿縁には、いずれ決着の時を得よう)

 

徐晃の脳裏には宿敵・関羽の精悍な声色がいつも響いていた。

 

来たるべき決戦の時を迎えるまで、徐晃は戦場をひた走る。

その眼の先に武の頂を見据えて。

 

 

 

徐晃伝 三十三 終わり