徐晃伝 三十二『潼関の戦い』
「一族の仇!曹操、覚悟ーーっ!」
その鬼気迫る魂魄は苛烈。
精鋭騎馬隊を率いて一気呵成に、曹操軍本隊の喉元へ攻めかかった。
曹操軍は渡河の最中である。
蒲阪津の先に橋頭保を築いた徐晃隊に呼応し、曹操軍の本隊もまた潼関の後背から攻めるべく大規模な渡河作戦を実行した。
こうなった以上、連合軍は潼関を放棄して戦線を下げるほか対抗策は無い。
しかし馬超は、復讐の鬼と化した馬超は兵法の常道に構うことなく、曹操自身の渡河こそ千載一遇の好機と見出し、その首を討つために総攻撃を仕掛けた。
「曹操っ!
殺された一族の無念、怨み!この俺が晴らしてくれようぞ!!」
騎上の豪腕から投げられた長柄の槍は鋭い弾道を描き、勢いよく曹操のすぐ足下、船の縁へ激しく突き刺さった。
水面は溺れる兵士で溢れ、船足は重く、矢の雨が襲い掛かり次々と転覆した。
「おのれ馬超!もはやこれまでか・・・!」
曹操に危機が迫る。
黄河西岸、軍営の物見から本隊急襲の報せを聞いた徐晃と朱霊は、遠く対岸の戦火を見やる。
「おお・・・なんという惨状か・・・!
我が軍の兵士が、あんなにも多く溺れている!」
朱霊はギリリと拳を握り、徐晃に向き直り言った。
「曹操殿のお命も危うい!急ぎ救援に参らねば!」
徐晃は、冷静である。
「朱霊殿、お気持ちはよくわかり申す。
されど拙者らがここを離れれば、渡河そのものが無為になりかねぬ。
・・・今は信じるのだ、曹操殿のお命は股肱の臣が守ってござる」
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曹操の座乗する舟艇、その頭上に矢の雨が降り注ぐ。
曹操は目を閉じ、最期を覚悟した。
「御大将!お下がりくだせぇ!」
先に逝った典韋の声が脳裏に響く。
(・・・悪来よ!)
その時、曹操の眼前に飛び出した者がいた。
許褚である。
許褚は、その怪力で両腕に鉄盾を掲げ、曹操を庇って矢の雨を防いだ。
「悪来・・・いや、虎痴か!」
巨体の肩に矢が突き刺さる。
「典韋ぃ、おめぇの分まで、おいら頑張るだよ!」
許褚は脚を踏ん張り、そのまま手に持つ武具を次々と放り投げ応戦した。
追撃は苛烈であったが許褚の勇戦は凄まじく、全身に傷を受けてなお奮い立ち追手の西涼軍を見事に撃退する。
「曹操・・・!今一歩と迫りながら、あの豪傑に阻まれたか!」
馬超は岸から騎馬を嘶(いなな)かせ、漕ぎ出して死地を脱した曹操の舟を遠く見やった。
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「曹操殿、御身の危地に駆け付けること能わず申し訳ござらぬ」
「大事ない、徐晃。
先に渡河して拠点を築き、敵を討ち破った大功見事よ!」
戦塵にまみれた鎧を払い、髪を掻き上げて曹操は悠然と応える。
「我が危機は、許褚が身を挺して救ってくれたわ。
許褚、おぬしはまこと我が樊噲よ」
「はんかい・・・?」
許褚は傷だらけの巨体に見合わず穏やかな表情で、疑問を浮かべる。
徐晃は自然と許褚に近寄り、口添えをした。
「許褚殿、樊噲とは古の猛将でござる。
漢の高祖・劉邦に仕え、その危地を幾度も救い申した。
曹操殿は最大級の賛辞を以って、許褚殿の勇戦を讃えておられますぞ」
「うへえ・・・おいら、そんなすごくねぇだよ・・・けど曹操様、ありがとうなぁ」
許褚は恐縮する。
照れくさそうに空を見上げると、戦場に似つかわず美しい蒼天が広がっていた。
・・・今は亡き典韋もまた、古の豪傑・悪来の名を以って曹操に讃えられていたか。
先に逝った友を思い、許褚はその遺志を継ぎ乱世を生き抜く決意を新たにした。
徐晃伝 三十二 終わり