三國無双未参戦武将大全①(魏呉編)

 

三國無双に未参戦でPC化し得るのではないだろうかと思われる武将をまとめたメモ

※人選、順序、所属勢力は個人の考えです。

 

 

 

【所感】

近年の追加武将では特に軍師の充実にすごく勢いがある。また于禁楽進、李典といった手堅いメンバーも順当にPC化しており、シナリオに一層の厚みを増してくれている。一方で後期の武将が晋に流れるため、物語を拡大するようなキャラの参戦は薄い。

今後の方針として、晋に対立する曹爽など後期の魏将を参戦させるか、または曹操時代の未参戦武将をさらに充足させていくか。物語前半は特に他の勢力に比べて層に厚みがすごくあるため、バランスを鑑みても、どちらに舵を切るかは課題と思われる。また曹操の家族が曹丕しかいないので、曹植や卞皇后あたり皇族の拡充も考えられる。

 

 

 

曹洪

字は子廉。曹操の従弟。曹魏三代に仕えた歴戦の名将。お金大好き

◎最初期から付き従う古参の将で、出番が非常に多い。最有力候補か。無双8ではモブ武将ながらあらゆる場面に登場し、活躍を見せた。お金大好きをどうキャラ付けするのか楽しみ

 

文聘(ぶんぺい)

字は仲業。元荊州劉表軍の名将。亡主への忠義を曹操に讃えられた。対呉戦線で活躍

◎手堅い名将タイプ。よく名前見る

 

臧覇(ぞうは)

字は宣高。元呂布軍の降将。曹魏三代に仕え、仁義を通して歴戦で武功を挙げる

◎無双ブラストでのビジュアルが人気。呂布軍の拡充にも繋がる

 

朱霊

字は文博。元袁紹軍の降将。曹魏三代に仕えて戦い抜いた名将。その功績は徐晃に次ぐ

袁紹軍の拡充にも繋がる。曹操から気に入られてない不憫な感じをどう表現するか

 

程昱(ていいく)

字は仲徳。魏軍師。おじいちゃん。身長191cm、策略が得意

◎イケメン揃いの魏軍師チームにおじいちゃんを投入したらどんな化学反応が起きるのだろう

 

 

 

曹植

字は子建。曹操の子、曹丕の弟。詩歌芸術に秀でた天才肌。後継者争いで曹丕と揉める

◎皇族の中では最有力か。

 

卞氏(べんし)

曹操の妻。曹丕曹植らの母。思慮深く節度を重んじた良妻賢母

 

曹彰

字は子文。曹操の子、曹丕の弟で曹植の兄。ゴリゴリマッチョタイプ、武勇に優れた猛将

 

曹昴(そうこう)

字は子脩。曹操の長子であったが、宛城の戦いで戦死する

 

曹安民

曹操の甥。宛城の戦いで、曹昂典韋と共に戦死する

 

曹節

曹操の娘、曹丕の妹。後漢献帝に嫁いだ。兄・曹丕に玉璽を投げつけた豪腕

 

 

鍾繇(しょうよう)

字は元常。曹操の下で関中統治に功があり、魏の重臣となる。書家として名高く「鍾繇体」という字体を残した。英才の誉れ高き鍾会の父

 

李通

字は文達。曹操に忠節を尽くした侠将。赤壁大戦後、江陵で苦境に陥る曹仁を助けた。

 

呂虔(りょけん)

字は子恪。曹魏三代に仕え、長年に渡り善政を布いて徐州を良く治めた。

 

曹真

字は子丹。曹操の甥、曹爽の父。曹魏三代に仕え、諸葛亮の北伐を幾度にも渡って良く防いだ。演義では司馬懿に武功を奪われがち

 

 

曹叡

字は元仲。曹丕甄姫の長子、魏の二代皇帝・明帝。治世下で司馬懿が権勢を強める中、若くして崩御する

 

曹爽

字は昭伯。曹真の子。魏の大将軍まで昇るが司馬懿と対立し、高平陵の変(正始政変)で失脚

 

文欽

字は仲若。文鴦と文虎の父。曹爽と近しく、魏将として台頭する。司馬師に背いて毌丘倹と共に乱を起こすが敗れ、呉に亡命。諸葛誕とも仲が悪い

 

毌丘倹(かんきゅうけん)

字は仲恭。魏帝曹叡の代から活躍した。公孫淵討伐や呉討伐を指揮するが、戦果は芳しくない。司馬一族と対立し、文欽と共に叛乱を起こす

 

王凌

字は彦雲。優れた領国統治の才を持つ魏臣。満寵と仲が悪い。司馬一族と対立する。妹は郭淮の妻

 

何晏(かあん)

字は平叔。何進の孫で、曹操の養子として育った。文芸学問に多大な功績を残すが、曹爽と近しく司馬懿と対立する。とてもナルシスト

 

夏侯玄

字は泰初。夏侯尚の子。曹爽の親類で、何晏と並ぶ側近。一方で司馬師とも親交がある

 

曹髦(そうぼう)

字は彦士。曹丕の孫、魏の四代皇帝。鍾会に「武勇は曹操の再来」と評される。司馬昭の専横に危機感を募らせて対立する

 

 

王朗

字は景興。元会稽太守だが孫策に敗れ、後に曹魏に仕えて内政に尽力した。孫は王元姫

 

劉曄(りゅうよう)

字は子陽。曹魏三代に仕える参謀として、数々の献策を行った。攻城兵器の設計が得意

 

賈逵(かき)

字は梁道。賈充の父。曹操に才を見出され、魏の臣として活躍した。石亭では曹休の窮地を救う

 

田豫(でんよ)

字は国譲。公孫讃に仕えていたが、のち曹魏に帰服する。特に異民族討伐と統治に抜群の功があった。

 

郝昭(かくしょう)

字は伯道。曹魏三代に仕えた名将。陳倉城の戦いでは寡兵ながら専守防衛に徹し、諸葛亮を撃退した。

 

 

崔氏

曹植の妻。曹操に仕えた崔琰の姪。崔琰は姪の崔氏が曹植に嫁いだにもかかわらず、私情を捨てて曹操の後継には年長の曹丕を立てるべしと推した

 

王経

字は彦緯。農民の出身だが、才能を見出され大臣となった。司馬昭の専横に堪えかねた四代皇帝・曹髦がクーデターを画策した際、その無謀を諫める

 

馬遵(ばじゅん)

天水太守。姜維の元上司。諸葛亮の北伐を受けて、郭淮に従い抗戦した

 

 

丁夫人(ていふじん)

曹操の妻。子宝に恵まれず、実子でないものの曹昂を溺愛して育て親となる。しかし宛城で曹昂が戦死し、悲嘆に暮れる

 

曹純

字は子和。曹仁の弟。曹操の精鋭騎兵隊「虎豹騎」の指揮官に抜擢された勇将 

 

夏侯恩

字は子雲。夏侯一族の将。曹操から青釭の宝剣を預かる。長坂の戦いで趙雲に討たれた。演義に登場する架空の人物 

 

陳羣(ちんぐん)

字は長文。魏国の法整備に多大な功績を残した文官。九品官人法の制定で知られる

 

楊脩

字は徳祖。楊彪の子。才智に優れ、内政に従事した。曹植と仲良し。曹操の「鶏肋」という言葉を解して勝手に撤退の準備をする

 

華歆(かきん)

字は子魚。はじめ孫策孫権に仕え、後に曹操に帰順し魏の重臣となった。清廉高潔で徳のある宰相。

 

辛毗(しんぴ)

字は佐治。辛憲英、辛敞の父。はじめ袁紹に仕え、のち曹操に帰順する。魏将として歴戦に従軍した。五丈原では諸葛亮の挑発に逸る諸将を押し留め、威厳を見せる

 

 

馬鈞(ばきん)

字は徳衡。稀代の発明家。水車や投石機の改良から機械人形の製作まで、高い技術力を誇る

 

 

 

 

【所感】

程普、韓当朱然など手堅い武将が近年やっとPC化してきた。まだまだ順当に参戦できる将は多いように思われる。また丁奉、徐盛といった後期に活躍した武将も少しずつ参戦している事から、呉シナリオにも後期を描く準備が整いつつある。その要として、陸抗の参戦が待望される。

無双8でもクライマックスは司馬昭蜀漢征討にあることから、終盤の呉はフェードアウトしてしまっている。その時代の呉シナリオも描く構想があるならば、晋勢力の新武将参戦とも足並みを揃えて拡充していく必要があるが、大きな革新となるだろうからまだまだ時間は掛かりそう。

 

 

 

蒋欽(しょうきん)

字は公奕。元水賊。その武勇で長年に渡り孫呉を支えた。人望も厚い名将

 

諸葛瑾(しょかつきん)

字は子瑜。諸葛亮の兄。智略と人徳に優れ、孫呉重臣として活躍した

 

陸抗

字は幼節。陸遜の子。父に劣らぬ稀代の将帥で、晩期孫呉の支柱として歴戦を指揮した。晋の羊祜とは友達

 

朱桓

字は休穆。武勇に優れた孫呉の名将。孫権の信任も部下からの信望も厚いが、ブチギレると怖い

 

凌操

凌統の父。孫策孫権に仕える剛毅な武将であったが、黄祖との戦いで甘寧に討たれる

 

 

張昭

字は子布。智謀に長けた名参謀として孫策孫権に仕えた。孫策をして「内政は張昭、外交は周瑜に」と遺言せしめた。赤壁の戦いで降伏を勧めたおじいちゃん

 

張紘(ちょうこう)

字は子綱。張昭と共に「江東の二張」と称された賢人。おじいちゃん

 

 

呉夫人

孫堅の妻。孫策孫権の母。袁術に誘拐されたり大変な思いをしたが、子らを立派に育てた。孫権に「周瑜を兄と思うように」と遺言して赤壁の戦いを前に死去

 

呉国太(ごこくたい)

三国志演義に登場する架空の人物。呉夫人の妹で、孫堅の第二夫人。孫尚香の母。劉備の仁徳を見極め、娘との婚礼を許した

 

孫翊(そんよく)

字は叔弼。孫堅の三男で、孫策孫権の弟。兄の孫策に似て武勇に優れた。酒癖の悪さは孫権

 

徐氏

孫翊の妻。才色兼備で卜占に通じる烈女。暗殺された夫の仇討ちを心に誓う。(孫権の妻にも徐氏がいるが、別人)

 

 

孫魯班

字は大虎。孫権の娘。父の後継を巡って陰謀を画策し、讒言や暗殺を繰り返して泥沼の皇位継承争い「二宮の変」を招き、孫呉衰退の一因を生じさせたワガママお嬢様系

 

孫魯育

字は小虎。孫権の娘、孫魯班の妹。姉の陰謀により無実の罪で誅殺された。悲劇のヒロイン

 

孫皓(そんこう)

字は元宗。孫権の孫。呉の四代皇帝。粗暴で驕慢、酒色に溺れて暴政を行ったため国力は衰退し、晋の司馬炎により滅ぼされた。

 

 

虞翻(ぐほん)

字は仲翔。孫策孫権に仕えた賢人。聡明な才で、敵将を説得し度々降伏させた。ただし正論をストレートに言い過ぎるため協調性に欠け、「狂直」の異名を取る

  

朱治

字は君理。孫家三代に仕えた古参の名将。姉の子・朱然を養子に引き取り育てる。

 

呂範

字は子衡。元袁術軍の将。孫策孫権に仕え、長年に渡り武功を以って孫呉を支えた。容貌魁偉、豪胆な熱血漢

 

劉氏

呂範の妻。郷里の豪族の娘で、若く貧しい頃の呂範と婚姻を結ぶ。劉氏の父は呂範の人相を見て、これは只者でないと見抜いていた

 

潘璋(はんしょう)

字は文珪。孫権に仕えた将。関羽討伐や夷陵戦役において武功を挙げ、陸遜朱然と共に活躍した。お酒大好き

 

呂岱

字は定公。孫権の代より呉に仕え、歴戦を指揮した。九十六歳まで生きた長寿将軍

 

孫韶(そんしょう)

字は公礼。呉の皇族出身の将。徐盛、丁奉らと共に対魏戦線で活躍した。

 

 

顧雍(こよう)

字は元歎。孫呉の丞相。聡明で才智に優れ、人徳もあって皆に慕われた。お酒は一滴も飲まない

 

朱異

字は季文。朱桓の子。陸抗丁奉らと共に対魏戦線で活躍。孫権に「肝が据わった男」と評された

 

歩闡(ほせん)

字は仲思。呉将・歩隲の子。父祖伝来の領地を突如、呉帝・孫晧に召し上げられる。讒禍を恐れて反旗を翻し、晋への投降を選ぶ

 

賀斉(がせい)

字は公苗。孫策孫権に仕えた猛将。とても派手好きで、豪華絢爛な装飾を施した武具軍装を纏い敵の度肝を抜いた

 

袁姫

袁術の娘。父の没落後、孫策に保護される。品行方正で誠実な人柄だったため、孫呉の人々に受け入れられた

 

諸葛恪

字は元遜。諸葛瑾の子。諸葛亮の甥。幼少の頃より才智に優れたが、傲岸不遜な性格に難があった

 

 

陳武

字は子烈。武勇に優れる将として孫策孫権に仕えた。率いる部隊は精兵揃い。周瑜とは旧知の仲

 

留賛

字は正明。足が不自由だったが兵法を学び、凌統の推挙で孫権軍の将となる。戦う前に髪を振り乱し、大声で歌う

 

歩騭(ほしつ)

字は子山。歩闡の父。練師の親戚。度量が大きく、博学多才な将として歴戦に従軍する

 

闞沢(かんたく)

字は徳潤。聡明な博学の士。その英知で孫権の信頼も厚く、策謀と弁舌で活躍する

 

董襲

字は元代。身の丈八尺の猛将。孫策孫権に仕え、水軍を指揮して活躍した。虞翻とは親友の仲

 

全琮(ぜんそう)

字は子璜。孫魯班の夫。孫呉重臣として歴戦に従軍する。温厚恭順で謙虚な性格

 

呂拠

字は世議。呂範の子。優れた軍事的才能を持つ指揮官。丁奉らと共に対魏戦線で活躍

 

吾彦(ごげん)

字は士則。猛獣を素手で仕留めた勇猛な将。才智にも優れ、陸抗に抜擢される。孫呉滅亡の折も孤軍奮闘した

 

張悌(ちょうてい)

字は巨先。才智に長けた孫晧の軍師。晋の侵攻にも堂々と対し、孫呉への忠義を全うした

 

 

 

 

 

※個人の考えです。

誤り、抜け漏れなど御座いましたら申し訳ありません。

こんな人もいるよ!とコメントを頂けましたら、恐れながら追記などもさせて頂きたいと考えています。

 

 ②(蜀晋編)へ続く

 

【更新履歴】

・文欽、毌丘倹、王凌、何晏、夏侯玄を晋から魏に移動(2019.2/12)

・勢力毎の所感を追加(2019.2/12)

・魏に曹髦、崔氏、王経、馬遵を追加(2019.2/12)

・各武将毎の所感を一部追加(2019.2/12) 

・呉に顧雍、徐氏、孫翊、劉氏、朱異、歩闡、賀斉、袁姫、諸葛恪を追加(2019.2/13) 

・魏に曹純、夏侯恩、陳羣、楊脩、丁夫人、辛毗、華歆を追加(2019.2/15)

・呉に陳武、留賛、歩騭、闞沢、董襲、全琮、呂拠、吾彦、張悌を追加(2019.2/15) 

・魏に馬鈞を追加(2019.2/18)

三好三大天 第五話『蒼天已死』


摂津国武庫之荘(むこのしょう)。

一面の湿地帯が広がる。


戦場である。

 

 


朝靄の霧が晴れ、彼方には一向衆の旗印が翻った。


「すわ掛かれィ!」

わーっと喚声を上げ、槍を向け突撃して来たる一向門徒


三好の長兄、仁の人・長逸(ながやす)は阿波の精兵を率いてこれを迎え撃つ。


「・・・まだ、十分に引き付けよ」

木の盾を立ち並べ、三好軍は息を呑む。


「生きるは無間地獄、死ねば往生極楽」をのたまう一向衆の決死戦法は、侮れぬ。

官軍も寺軍もこれに当たって甚大な被害を出す様をよくよく見て来た。


「まともに当たるな。瀬戸際まで引き寄せ、一網打尽と致す!」


作戦参謀は三好の三弟・友通(ともみち)の策。

長逸がこれを用い、よく兵を束ねた。

 

地が震える。


目前まで迫る狂信門徒の兵らは、しかし三好軍の喉元に入るや泥濘(ぬかるみ)に足を取られ、勢いが死んだ。


「いざや、放てィ!」

一斉に三好方は盾より身を立ち上げ、弓矢、投石の限りを尽くして一向門徒に攻め掛かる。


泥と血の飛沫が舞った。

 


南無阿弥陀仏ッッ!!!」

倒れども倒れども次々と押し寄せる亡者の群れは、哀しいかな乱世の生み出した犠牲者に過ぎぬ。

これを討たねば地は治まらぬ。

されど彼らを生んだ世の悪しき乱れこそ、長逸は憎んだ。

 

 

 

 ~~~~~~~~~~~~

 

「東の陣が破られる!」

 

死兵と化したる一向衆の突撃には、侮れぬ。

 

いよいよ一端が崩れれば戦局は危うい。

そこへ三好軍の内から身の丈八尺の大丈夫が、大棍棒を担いで堂々名乗り出た。

 

三好の次兄・政勝である。

「有象無象の何するものぞ!はーーっい」

 

大音声と共に葦の如くに、敵を一擲に薙ぎ払う。

 

味方は奮い立ち、敵は恐れおののいた。

 

「持ち直したり。」

 

三弟・友通(ともみち)はよく戦況を俯瞰し、長兄・長逸(ながやす)に的確な助言を加える。

 

「さて、一向門徒は数に頼めど、ここいらが勢いの死に時でしょう」

 

武者具足に身を包む頼もしき将・長逸が傅(かしず)く先に座すのは、いまだ若干十三歳の仙熊丸、改め三好伊賀守利長。

総大将である。

 

狂気渦巻く戦場にこの少年大名はよく冷静に、沈着に座している。

 

長逸が軍配を差し出した。 

 これを手に、

「賊徒、討滅すべしっ」

利長は総攻めの下知をくだす。

 

はるばる阿波徳島より海を越え、長逸の仁の旗のもと畿内へ上陸した三好軍は甚だ精強。

総崩れとなった一向衆を散々に蹴散らし、ついには摂津武庫の地の重要拠点・越水城の奪還に成功した。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 「奮戦、大儀である」

 

幼少の利長は傀儡ではない。

長逸は、まことの忠臣として三好家の再興に努めている。

 

「快勝。だがそも先だって和議が成ったのでないか。

兄者、どうなってやがるんでぇ」

 

武功随一番の活躍を見せた次兄・政勝は、汗と泥と返り血とを拭きながら問う。

 

「和睦した細川管領家も、石山本願寺も、もはや各地の一向一揆を抑える事が能わぬのよ。

哀しいかな、戦乱の世を終わらせるため三好の武威を以って平らげる他なし」

 

智略鋭敏、三弟・友通の戦況分析はいつだって的確である。

 

 

「蒼天已に死す、か・・・」

 

長逸は、越水城の暗い空を眺め嘆じた。

 

仁の世はまだ遠い。

 

 

 

 

三好三大天 第五話 終わり

 

 

システムアーキテクト合格体験記

 

このたび、受験しました。

以下に詳細を記します。

 

◎試験概要・出題形式

システムアーキテクト試験は、IPA情報処理推進機構)が実施する情報処理技術者試験のうちスキルレベル4に相当する、高度情報処理技術者試験の一つです。

システム開発における要件定義や仕様設計など、いわゆる上流工程に関わる知識・能力を扱う問題が出題されます。

合格率は12.6%(H30実績)。

出題形式は以下の通り。

・午前1 四肢択一式、全30問、試験時間50分。

・午前2 四肢択一式、全25問、試験時間40分。

・午後1 記述式、全4題中2題選択、試験時間90分。

・午後2 論述式(~約3,000字)、全3題中1題選択、試験時間120分。

 

 

◎受験動機

2年前、情報セキュリティスペシャリスト試験に合格した後、次はデータベースかネットワークか、あるいはプロジェクトマネージャどれか取りたいな~~くらいに漠然と思って過ごしていたら、気付いたら今回10月で午前1試験免除特権の失効危機に瀕してしまいました。

座して失効を待つわけにも行かず、追い込まれてやっと「何か受けよう」と思ったものの時は秋試験を目前とした8月。

想定していた試験区分において、秋試験の対象はネットワークスペシャリストだけでした。

 

しかし業務でもあまり縁のないネットワーク関連の出題範囲は広く深く、必要な知識量も非常に多い。

多大な労力、大変な困難を伴う上に合格する確証が全くありません。

やばい。

 

そこで白羽の矢が立ったのが、システムアーキテクト試験でした。

 

システム開発の上流工程に関わる出題内容は、調査したところ知識量を問われるというよりも文章を読解して求められる日本語を記述・論述する、いわば文系学問的な国語力が大いに役立つ方向性である事がわかりました。

文章を書くのは得意です。

 

これぞ天啓と思い、斯くして全くノーマークだったシステムアーキテクトを受験する次第となりました。

 

 

◎試験対策

 ・午前1

免除

 

・午前2

過去問4年分、全100問を覚えました。

合計3時間くらい。

不十分だったと思います。あまりやる気が起こりませんでした。

本来ならば過去9年分全て確実に覚え、手堅くしておくべきです。

(おかげであと3問落としたら不合格という瀬戸際の点数でした)

 

 

 ・午後1

過去問を2題解きました。

合計3時間くらい。

不十分です。本当にやる気が起きず、2題解いてこんな感じなのねと感覚を掴んだだけでそれ以上勉強しませんでした。

 

この午後1こそ国語力的な文章題の最たる例で、本当に、ただ問題に書かれている内容を読解して求められる答えを書くだけです。

試験を受けようと思う程度の最低限のシステム開発に関する知識があれば文章は理解できますし、それをしっかりと読み取って出題の意図さえ掴めれば、答えは当然のように導き出されてくるものだと感じました。

抽象的ですいません。

その訓練という意味で、過去問を解きまくって感覚を掴むのは大切だよねと後から思いました。

 

 

・午後2

問題を3題ほど読みました。

実際の論文は一度も書いていません。

休みの日に120分もの時間を集中して費やす程のやる気はありませんでした。

ただし問題をよく読んで、実際の試験で何をどう書いたら良いのかという想定だけは考えておきました。

プロットをまとめたりして。

合計でもせいぜい2時間程度。

 

 

 ◎試験本番

・午前1

免除

 

・午前2

ギリギリ5分前に着いてしまう。

しかも教室を間違える。

ご迷惑をお掛けし申し訳ありませんでした。

 

本年の問題は物珍しい様相を呈していたようで、確かに解きながら「見たことない問題多いな」と思いながらやってました。

危ないところでしたが、まぁ6割はギリギリ行けてたかなという感触(本当にギリギリだった)。

 

 

・午後1

何の障壁もなく、ごく自然に解けたと思います。

問題をよく読んで求められる答えを書くだけの簡単なお仕事。

 

 

・午後2

初めての論述がいきなり本番でした。

皆さんおっしゃる通り120分集中して約3,000字の論述に肩はバキバキ、指は吊りそうな有り様です。

 

今回、とても良問でした。

「パッケージ導入」に関する題があって、自身の経験上ドンピシャの業務だったので迷わず選択。

 

あとは求められる内容、すなわち①②③各問題文の要旨に沿って、考えられる答えをいかにもそれっぽく具体的に書き連ねていきました。

具体的に自身が経験した業務を素直に書く事を意識しました。

論述の具体性が採点基準に含まれるためです。

 

結果として、SEとして3年程度の大した事は全然していない経験に見合った、内容としては実に大した事していない(テーブル定義を変更したとか列名を変更したとか、本当にそれでいいの!?というくらい些末な)内容となりましたが、それでも論旨が問題に合っていればチャンスがあるはずと頑張って書きました。

最後までしっかりと書き終える事が大切です。

 

妄想を膨らませて有りもしない経験を壮大にでっち上げる手法もあるかと存じますが、いかにしょぼい中身でも実際に経験した、地に足ついた内容に徹した事が今回功を奏したのでないかと思います。

 

 

◎まとめ

総じて事前にやる気が無かったので、合計勉強時間は多く見ても8時間程度です。

それでも一発合格する事が出来ました。

ネットワークスペシャリストでは絶対に不可能な勉強時間だったと思います。

システムアーキテクトには、夢がある。

あまり参考になる記事では無かったと思いますが、このように杜撰な対策でも合格する事があるのだなぁという一例に思って頂けたらと思います。

 大丈夫!

 

 

『弁』 第二話

 

 

北方の大国・燕。

 

東に遼東・朝鮮、渤海を囲んで南は易水へ至る。

しかし国土の南方には秦に次ぐ強国・斉が鎮座し、虎視眈々とその領地を狙い奪っては抗争が絶えない。

ましてや西には三晋(※韓、魏、趙の三国)を敵に回し、その先に強豪国・秦の脅威が差し迫る。

 

燕の国主・文公は、この逼迫した状況に悩んでいた。

 

 

蘇秦は、そこに付け込んだ。

 

「お願いします、どうかお願い致します」

 

賄賂を渡して周到に高官に取り入り、ついには、朝議の場で文公に謁見する栄誉を授かる。

 

口先の魔術師。

その場しのぎの、天才。

 

縦横家蘇秦の本領が発揮されようとしていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

恭しく拱手し、遜(へりくだ)り立派な口上を述べる蘇秦

国土統治の徳を褒め讃え、文公の御機嫌を取った。

 

「過分な賛辞、恐れ入る。

しかしこうも見事に言葉巧みに褒められては、面映ゆいものよ」

 

文公は意気揚々だ。

 

 

「では先生、本題を。

我が国が取るべき施策を、御教授願いたい」

 

機を得たり。

 

すると一転、蘇秦は、けたたましく畳み掛けるよう声を高くした。

燕国の窮状を鋭く指摘し、満場への危機感を喚起せしむ。

 

深刻である。

 

それでいて嫌味は無い。

親身になって国難を嘆いた。

 

 

朝議の場は、完全に蘇秦の弁に呑まれている。

 

 

「秦の脅威は四海に轟き、今や天下はその暴勢にひれ伏さんという時!

だのに六雄は各々微々たる領地を奪い合い、いたずらに国力を疲弊させています。

これ六国に益なく、ただ秦に利、あり!」

 

尤(もっと)もである。

 

居並ぶ文武百官には大きく頷く者もある。

蘇秦はそれを横目に、さらに激しく畳み掛ける。

 

「文公の仁徳は燕国に厚く広がり、国土の団結は一致、軍はお強い!

座して蛮夷の国をのさばらせるが覇者の王道か、否!

自ずから天下に秩序を布くべきではござらぬか!」

 

悔しくも国を取り巻く窮状に、ただ押し黙るしかなかった諸官諸将の心底を、よくぞ高々と代弁してみせた。

 

満場が蘇秦に賛同した。

その熱烈な弁に心打たれた。

 

「だが御安心召されよ!

救国の秘策を、公にお授け致す」

 

 蘇秦は、ここに一世一代の奇策を披露する。

 

 

「燕が要となり、斉・韓・魏・趙・楚との大同盟を築くのです。

 

六国の全軍を一つに統べ、秦の脅威に対抗する。

称して、大合従軍!」

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 


荒唐無稽である。

 

五百年の戦乱が打ち続き、複雑な利害関係を有する六大国をまとめ上げるなどとても現実的ではない。

 

本来ならば、そうである。

 

しかし朝議の場は圧巻に呑まれた。

 

 

蘇秦の卓越した弁説が、この無謀な絵空事をあたかも秘儀・救国の大謀略だと諸人に思わせた。

 

 

 「なんと大胆なる構想か!驚いたぞ」

 

文武百官は息を呑む。

議場に疑問の余地を挟ませず、蘇秦はまくし立てた。

「六国の利害は一致しています。

燕国が要として同盟を提唱すれば、諸国は機を待っていたとばかりに食らい付きましょう」

 

だが、本当に可能か。

諸官にはまだ不安がある。

 

「手始めに、長年の敵国・趙に赴き、私が盟約の証を取り付けて参ります」

 

蘇秦は文公に跪(ひざまず)き、絶対の自信を伺わせた。

 

「しかし」

 

憂国のあまり老臣が口を挟む。

 

蘇秦は、大喝した。

 

「むしろ鶏口となろうと、牛後となる無かれッ!!※1」

(※1.例え小さな鶏といえ、その先駆となる事に価値がある。例え大きな牛といえ、その末尾に付くのでは価値が無い。)

 

六ヶ国合従軍の総帥となるか。

それとも蛮国・秦の配下に成り下がり、亡国を甘んじて受けるのか。

 

こういう意味である。

 

 

文公を始め、燕国の諸官諸将は悉(ことごと)く、蘇秦の弁舌に敬服した。

 

「しからば、頼む」

 

斯くして蘇秦は燕国の主・文公の信任を得、六ヶ国合従軍の提携という大役を仰せつかった。

 

恭しく拱手し、蘇秦は成功を確約して座を辞した。

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

「はっ!はははっははっ!

やった!やったぞ」

 

街へ出て、蘇秦は躍った。 

 

「ははは、は、偉いことだ。

偉いことになった・・・!」

 

齢三十何年、一代にして未曾有の好機を掴み取った。

 

舌先三寸の魔術である。

 

 

「落ち着け、落ち着くのだ。

斯くなる上はやるのみ、やるのみぞ」

 

蘇秦は大きく息を吸い込み、吐き、興奮に躍る頭の中を整理した。

 

「勝算はある。

趙国は、趙に関しては確実に、燕との同盟を欲しておる。

まずは、まずはここから」

 

 

実の如く虚を語り、而して、虚を実と成す。

 

己が口先を頼みに乱世を駆ける、縦横家蘇秦の大志はここから始まる。

 

 

 

 

 

続く

 

 

 

 


姓は蘇、名は秦。
洛陽の人。


幼い頃より弁が立ち、年長の大人すら理路整然と論破する程であった。

 

「俺は口先の魔術師。その場しのぎの天才だ」

 

斯く自負する通り、弁舌に天賦の才があった。

 

しかし舌先三寸、その時々に都合良く如何にも尤(もっと)もである風に聞こえる言説は、後々になるといや待てよ、おかしいだろうと気付かれてしまい、それ故に大抵は長続きしなかった。

 

仕官もままならず定職に就かず、論説を奮って方々を練り歩き一様に初めこそ讃えられるが、所詮はその場しのぎ、結局は土地土地を追われて根付かない。

 

地元に帰ると、父母には呆れられ、兄嫁は煙たがり、妻は目も合わせない。


「このままでは行かぬ。俺は弁の才こそあるが、活かす術を知らぬ」

 

 

一念発起した蘇秦は、当時世間から隔絶して独自の弁論術『縦横(しょうおう)道』を追い求めていた仙人・鬼谷(きこく)先生の元を遥々訪ね、その門下に弟子入りをした。

 

 


~~~~~~~~~~~~

 

激動の戦国時代。

 

諸子百家と称される学問の多様な振興は、数多くの傑物を世に生み出した。

 

大家は弟子数千人をも擁し、諸国の政治に多大な影響力を持ち時代を動かす。

 

 

そんな中で、縦横家・鬼谷の教えはあまりに邪道だった。

 

仁義礼節を探求する儒家、神仙の修行を究める道家、厳正な法治主義を進める法家。

それぞれの思想における究極の理想を目指し、その手段として世に働きかける事はある。

 

けだし縦横家に、思想はない。

ただ己が弁舌の術のみを極めて乱世を手玉に取る、口先の道である。

 

蘇秦には天稟(てんぴん)の道であった。

 

 

「我が師・鬼谷先生こそ弁の魔神。
俺は師に学び必ずや縦横の道を究め、乱世に己が才覚を誇示して見せよう」

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

熱心に励み、寝る間も惜しんだ。

蘇秦は眠気に襲われると、きっ、と意を決して鋭い錐(きり)を腿に刺す。

 

「痛ッ!!・・・が、起きたぞ」


血が滴(したた)り、踵(かかと)まで流れる。

 

そこまでさせる蘇秦の根には、若き日より挫折を重ねて世に蔑まれ、ゆえに大成を渇望する強靭なバネがあった。

 

全霊を賭して縦横の術を習得し、弁を磨いて道を極める。

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

仙人・鬼谷に師事する風変りな若者はそう居ない。

門下の塾生はせいぜい指で数える程しか集まらず、それも途中で去る者が多くいた。

 

中で、蘇秦と、そして張儀という若者は並みならぬ熱烈を以って修練に励み、門下筆頭の双璧となった。

 

張儀よ、貴公こそ天賦の弁才である。

良き強敵(とも)に恵まれて、果報であったぞ」

 

蘇秦は手を差し出した。

これを固く握り、張儀も返す。

 

蘇秦、おぬし程凄絶なる弁舌の鬼を他に知らぬ。

 得難き経験を積ませてもらった。

これよりは互いに乱世を駆け、敵する事もあろうが・・・」

 

縦横の道は、これより修羅に入る。

 

 

二人は背を向け合い、それぞれ大業を果たすべく山を降りた。

 

 

 

 

 ~~~~~~~~~~~~

 

世俗に戻った蘇秦は初め、周の顕王に見(まみ)えんと試みた。

 

もはや周室の権威は地に堕ち、一小国に過ぎぬ、しかし何といっても歴史ある周室である。

 

「王政復古の大令を成すは今!

野蛮なる諸侯に好き勝手、王を称され中華を荒らされ、周室の誇りは、憤怒はござらぬか!」

 

各所で雄弁を奮い、民の心を掴んだ。

皆が思っても言えない事を高々と叫んだ蘇秦の弁は痛快であった。

 

しかし由緒正しき周室の、古風な官僚どもは蘇秦の経歴を調べるとこれを怪しんで、王に近づけようとしなかった。

 

(・・・見込みは無い。

やはり名ばかり古く、格や形式に捉われて新しきを受け入れぬ国では未来がない。)

 

蘇秦は周を去った。

 

一路、目指すは西の方、強国・秦である。

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

法家思想を奉じて新たな国家体制を築き、富国強兵を進める秦の威勢は甚だしい。

 

蘇秦もこれには見込みがあった。

 

「秦国は新たな思想・人材を広く天下から集め、もはや並びなき権勢を誇る。

我が縦横の術をもって天下の趨勢を説かば、容易に受け入れられようぞ」

 

果たして秦王・嬴駟(えいし)への謁見はすんなり実現し、蘇秦は堂々弁舌を奮って天下に覇を唱えるべしと説いた。

 

「それは、そうである」

 

だが王の反応は鈍い。

 

取り巻く側近どもも、不審の目で蘇秦を見やる様がまじまじとわかった。

 

(・・・何かおかしい。)

 

蘇秦は一先ずその場を辞して、しかるのち調べるに、先般秦国は新米の法官・商鞅の舌先三寸に国政を一新され、太子時代の嬴駟は特にそのため痛い目を見て、以来弁説の徒を警戒していると言う。

 

「・・・馬鹿なっ。

その商鞅が成した改革で、今日の強勢があろうものを」

 

失望は大きい。

今の権勢に甘んじて進歩を求めぬ驕慢たるや、 己が身命を賭すに値せず。

 

だが蘇秦は得るものがあった。

 

西方の蛮国と侮るなかれ、秦国の隅々へ行き届いた法の魔力と軍事大国たる威勢を間近に見て、なるほどこれは六国のいずれも及ばぬ脅威である。

 

「説くべきは秦でなく、秦に脅される諸侯であったか」

 

蘇秦は意を決し、遠路遥かなる北東・燕へ向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 続く

 

三國無双8で巡る中国の世界遺産!🇨🇳🐼🎍

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1.万里の長城

国境を守る防御壁いわゆる長城は、春秋戦国時代を通して各地に築かれました。

中華統一を達成した秦の始皇帝はこれらを一つに繋ぎ合わせ「万里の長城」として再構築します。

北方遊牧民への積極攻勢に出た漢の武帝による修復延長などを経て、しかし後漢末には政情不安から放棄され、各所は荒涼としています。

 

 

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2.泰山

三皇五帝時代より歴代の帝王が封禅(天子即位)の儀を執り行ったとされる中華随一の名峰・泰山。

華北平原を見降ろす壮大な絶景は「五岳独尊」と称され、中国史上最も重要な自然遺産かつ文化遺産として無二の顕著な価値を有します。

秦の始皇帝前漢武帝後漢光武帝らもこの泰山で封禅を行いました。

 

 

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3.黟山(いざん)

険峻な黟山の峰々と雲海が織り成す独特の景観は、まさに仙境の趣き深く後世には多くの水墨画漢詩の題材となりました。

断崖絶壁の怪石、雄大な雲海、天然温泉、岩間に生える奇松は特に「四絶」と讃えられます。

伝説上の黄帝が不老不死の霊薬で神仙となった伝承から後世「黄山」と称されました。

 

 

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4.九寨溝

岷山山脈より流れ込む石灰岩成分の沈殿により、極度に透明度の高い湖水が青や黄色、緑色の貌を覗かせる九寨溝

鮮やかな紅葉が美しく映え、神秘的な景観を生み出しています。

五花海を臨むY字状の谷を中心に雄大な瀑布が形成されて、数多くの湖沼が棚田状に広く連なっています。

 

 

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5.黄龍

玉翠山の深い森に覆われた渓谷、黄龍溝。

3億年前まで海の底だった為に珊瑚の堆積で石灰岩層が形成され、長い時間をかけて雨水の浸食、石灰華の沈殿によりカルスト地形が生まれました。

エメラルドグリーンの美しい湖水と黄金色の石灰棚が織り成す幻想的光景は、伝説上の神獣・黄龍の鱗に例えられます。

 

 

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6.武陵源

高さ200mを超える巨大な岩の柱が3000本以上立ち並ぶ奇跡の絶景、武陵源

多量の二酸化珪素を含む珪岩が数億年の歳月の間に地殻変動による隆起、風雨の浸食を受けて今日の雄大で荘厳な景観を生み出しました。

漢代に設置された荊州武陵郡の山奥深くは、三国時代には今だ一般に周知されていない秘境です。

 

 

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7.廬山

司馬遷の『史記』にも讃えられた風光明媚なる廬山の景観は、「匡廬奇秀甲天下」(廬山の奇秀は天下一)と称され、古代より多くの著名文化人が題材として詩歌芸術を生み出して参りました。

東に望む鄱陽湖は中国最大の淡水湖で、魚類の宝庫。

多様な渡り鳥の生息地としても貴重な生態系を育んでいます。

 

 

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8.武夷山・九曲渓

南北約550kmに及び、中国大陸東南部の最高峰・黄崗山を主峰に戴く秀麗無比なる武夷山脈。

赤く切り立った崖や柱のような峰々が36も連なり、その山間を分ける渓谷に全長7kmの川が幾度も曲がりくねって沿う壮大な景観は、"九曲渓"の名で知られる山水の名勝です。

 

 

 

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9.青城山と都江堰

古代の灌漑施設・都江堰。

青城山から流れる川の氾濫に苦しむ民を救うため、戦国時代に秦の李冰(りひょう)が建設しました。

この恩恵で蜀の地は肥沃な大穀倉地帯へと変貌を遂げ、首府・成都の繁栄を導きます。

後世、諸葛亮も都江堰の整備を内政の重要課題と位置付け、管理政策を徹底しました。

 

 

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10.四川ジャイアントパンダ保護区群

約800万年前に登場したジャイアントパンダの祖先は、中国大陸固有の種として広く生息し独自の進化を遂げました。

古くは前漢の史家・司馬相如の『尚林賦』に竹を食べる白黒の熊として、宮廷の庭で飼われていた記述が伺えます。

豊かな竹林が広がる四川地方には、多くの野生パンダが生息していました。

 

 

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11.中国南方カルスト

雲南石林、桂林をはじめ中国南方に拡がるカルスト地形の絶景の数々。

かつて海底だった一帯に海洋生物の化石が数億年に渡って堆積し続け、石灰質の地層を形成しました。

風雨に溶解しやすい石灰岩は長い歳月をかけて浸食を受け、尖塔状の石林(タワーカルスト)と呼ばれる独特の景観を生み出しています。

 

 

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12.五台山

東西南北中央、五つの峰々から成る仏教の聖地・五台山。

中国への仏教伝来は後漢期と目され、孫策と争った群雄・笮融(さくゆう)による揚州での布教は中国仏教発展の礎を築きました。

後世、北魏の時代から栄え300以上もの寺院を擁した五台山ですが、三国時代にはまだ小さな寺が一つ佇むだけの様子です。

 

 

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13.丹霞山

赤みがかった地層が幾重にも分かれ、林立する断崖絶壁を美しく彩る丹霞山の奇景。

川の流れに運ばれた鉄分やマンガンを含む赤い礫岩が、長い歳月をかけ堆積し湿潤な多雨に削られて独特の景観を形成しました。

丹(あか)い霞のように美しいこの模様は、中国南部の亜熱帯性気候が生み出した天然の芸術です。

 

 

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14.嵩山(「天地の中央」にある登封の史跡群)

後漢の都・洛陽を見下ろす霊峰・嵩山は、古代より中華思想における天地の中心として崇拝されてきました。

秦、漢の時代に建てられた霊廟や闕(けつ)をはじめ、伝説上の周公旦が天文を測ったとされる観星台、仏教寺院や儒教道教の書院など歴史的建造物が山険の中腹・登封の地に残っています。

 

 

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15.シルクロード長安〜天山回廊の交易路網)

長安を起点として中華文明と西域諸国を繋ぎ、果ては地中海世界ローマ帝国にまで至る遠大な東西交易路・シルクロード

前漢武帝による西域進出は、天山山脈を経てトルキスタンへ通じる回廊の道を切り拓きました。

三国時代にも西域に依る羌族・氐族が中原の諸侯と交わり、影響を及ぼしています。

 

 

 

 

 

【参考文献】

・『万里の長城』長城小站編著、馮暁佳訳

・『史記司馬遷

・『尚林賦』司馬相如

・『くわしく学ぶ世界遺産300』世界遺産検定事務局著、NPO法人世界遺産アカデミー監修

・『地球の歩き方 成都 九寨溝 麗江 四川 雲南 貴州の自然と民族』地球の歩き方編集室編集

・『中国の歴史』陳舜臣 


ツイ。

140字のツイートに描き出す、広大無辺の大世界がある。


このツイの道に、天下第一の大成を果たさんと志す一人の文人がいた。

 


己の師と頼むべきアカウントを物色するに、ついに、当今ツイにおいては並ぶ者なき人傑にあたる。


師に付き、学び、ふぁぼRTなどして、また己のツイの研鑽に励むこと5年の歳月を費やし、いよいよ師をも凌駕する頂きを見出した。


つぶやけば忽ち人を魅了し、感化し、思わずふぁぼらせRTたらしめる。

鎧袖一触。

もはや人界に比する者なく、ツイの道を究めたと見えた。

 


しかし師は、言う。


「ふぁぼRTは、ものの数ではないよ。
真にツイを究めし者の道に比べれば、我々のやる事など児戯に等しい


位人臣を極めた自尊心に、児戯に等しいという言葉は正直こたえた。

なんぞツイの究めし者の道あるやと、師が「神仙の頂きに達せしアカウントは、これにあり」と教えたまさに隠居老人・仙人ともいうべき質素朴訥なアカウントに凸り奉り、教えを乞う。


己がバズりしツイ等あらかた見せると、老人は「なるほどね。一通りは、出来るようだね。」

穏やかな微笑を含んで言った。


「だが所詮はツイのツイ。
爾(なんじ)、いまだツイの無においてツイに至るを知らずと見える」

甚だ自負あれば、些かムッとして聞いていたが「なれば、ご教授願いたし」と遜(へりくだ)るに、老人はその場でわずか1語ばかりのツイを紡ぎ出し、TLに投下してみせた。

 


しばらく。

 


2ふぁぼが付く。
RTはされない。

 

 

 

「これだよ。」

 


老人は言った。

 

 

これだ。

何の変哲もない、一見意味もないただ1言のツイにもかかわらず、この圧巻は、何だ。

驚愕に打ち震え、慄然(りつぜん)とした。


己が築いてきた砂上の楼閣は脆くも音を立て崩れ去った。

 


今にして始めて、ツイの道。

その深淵を覗き得た心地であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


~~~~~~~~~~~~


九年の間、この老人の許に留まった。

その間いかなる修業を積んだものやら誰にも判らぬ。

 


とかく九年経って、TLに戻りしその風格の変貌ぶりにみな驚いた。

以前の、如何にも大衆に好まれる精悍な柔和さと痛快な毒々しさを調和した面魂はどこぞに影を潜め、何の表情も無い。
木偶のごとく愚者ごとき質素朴訥な体(てい)に変わっている。


久しぶりに旧き師のアカウントを訪ねた時、しかし、師はこの風格を一見すると感嘆して叫んだ。

「これでこそ初めて、ツイの道を究めし者よ!」
よもや我らの如き、足元に及ぶものではない、と。

 

満場拍手喝采のTLは、天下随一となって戻ってきたその達人を讃えて迎え、いよいよ眼前に示されるであろう至極のツイへの期待に湧き返った。

 

ところが達人は、一向だにその要望に応えようとしない。

 

いやそれどころか一言のツイすら発しようとしない。

 

 

その訳を訊ねた一人に答えて、達人は懶(ものう)げに返した。

「至為は為す無く、至言は言を去り、ツイに至るはツイに無し」

 

 

 

「なるほどね。」

 

物分かりのいいTLの人々はすぐに合点した。

 

ツイをせざるツイの達人は、フォロワーの誇りとなった。

 

 

達人がツイをしなければしないほど、その神仙たるやの評判はいよいよ喧伝された。

 

 

 

そして、ついには、達人はその後ただ一度のツイをすることもなく、その生涯を終えたという。

 

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

晩年に、一つの逸話がある。

 

ある日老いたる達人が知人の許に招かれて行ったところ。

iPhoneの画面に映るアイコンには、何やら見憶えがある。

だが何としてもその名前も、用途も、思い出せずにいた。

 

老人は知人に訊ねた。

「このアプリは、何というのですか?」

 

知人は初め、老人が冗談を言っているのかと思って笑った。

しかし、至極真面目に問い続ける老人の様に、これが本気の事だと知って、

「ああ、何たることか。

___ツイの道を究めたる達人が、ツイの何たるか忘れたと?

ああ、ツイを、忘れ果てたと!」