弁
姓は蘇、名は秦。
洛陽の人。
幼い頃より弁が立ち、年長の大人すら理路整然と論破する程であった。
「俺は口先の魔術師。その場しのぎの天才だ」
斯く自負する通り、弁舌に天賦の才があった。
しかし舌先三寸、その時々に都合良く如何にも尤(もっと)もである風に聞こえる言説は、後々になるといや待てよ、おかしいだろうと気付かれてしまい、それ故に大抵は長続きしなかった。
仕官もままならず定職に就かず、論説を奮って方々を練り歩き一様に初めこそ讃えられるが、所詮はその場しのぎ、結局は土地土地を追われて根付かない。
地元に帰ると、父母には呆れられ、兄嫁は煙たがり、妻は目も合わせない。
「このままでは行かぬ。俺は弁の才こそあるが、活かす術を知らぬ」
一念発起した蘇秦は、当時世間から隔絶して独自の弁論術『縦横(しょうおう)道』を追い求めていた仙人・鬼谷(きこく)先生の元を遥々訪ね、その門下に弟子入りをした。
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激動の戦国時代。
諸子百家と称される学問の多様な振興は、数多くの傑物を世に生み出した。
大家は弟子数千人をも擁し、諸国の政治に多大な影響力を持ち時代を動かす。
そんな中で、縦横家・鬼谷の教えはあまりに邪道だった。
仁義礼節を探求する儒家、神仙の修行を究める道家、厳正な法治主義を進める法家。
それぞれの思想における究極の理想を目指し、その手段として世に働きかける事はある。
けだし縦横家に、思想はない。
ただ己が弁舌の術のみを極めて乱世を手玉に取る、口先の道である。
蘇秦には天稟(てんぴん)の道であった。
「我が師・鬼谷先生こそ弁の魔神。
俺は師に学び必ずや縦横の道を究め、乱世に己が才覚を誇示して見せよう」
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熱心に励み、寝る間も惜しんだ。
蘇秦は眠気に襲われると、きっ、と意を決して鋭い錐(きり)を腿に刺す。
「痛ッ!!・・・が、起きたぞ」
血が滴(したた)り、踵(かかと)まで流れる。
そこまでさせる蘇秦の根には、若き日より挫折を重ねて世に蔑まれ、ゆえに大成を渇望する強靭なバネがあった。
全霊を賭して縦横の術を習得し、弁を磨いて道を極める。
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仙人・鬼谷に師事する風変りな若者はそう居ない。
門下の塾生はせいぜい指で数える程しか集まらず、それも途中で去る者が多くいた。
中で、蘇秦と、そして張儀という若者は並みならぬ熱烈を以って修練に励み、門下筆頭の双璧となった。
「張儀よ、貴公こそ天賦の弁才である。
良き強敵(とも)に恵まれて、果報であったぞ」
蘇秦は手を差し出した。
これを固く握り、張儀も返す。
「蘇秦、おぬし程凄絶なる弁舌の鬼を他に知らぬ。
得難き経験を積ませてもらった。
これよりは互いに乱世を駆け、敵する事もあろうが・・・」
縦横の道は、これより修羅に入る。
二人は背を向け合い、それぞれ大業を果たすべく山を降りた。
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世俗に戻った蘇秦は初め、周の顕王に見(まみ)えんと試みた。
もはや周室の権威は地に堕ち、一小国に過ぎぬ、しかし何といっても歴史ある周室である。
「王政復古の大令を成すは今!
野蛮なる諸侯に好き勝手、王を称され中華を荒らされ、周室の誇りは、憤怒はござらぬか!」
各所で雄弁を奮い、民の心を掴んだ。
皆が思っても言えない事を高々と叫んだ蘇秦の弁は痛快であった。
しかし由緒正しき周室の、古風な官僚どもは蘇秦の経歴を調べるとこれを怪しんで、王に近づけようとしなかった。
(・・・見込みは無い。
やはり名ばかり古く、格や形式に捉われて新しきを受け入れぬ国では未来がない。)
蘇秦は周を去った。
一路、目指すは西の方、強国・秦である。
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法家思想を奉じて新たな国家体制を築き、富国強兵を進める秦の威勢は甚だしい。
蘇秦もこれには見込みがあった。
「秦国は新たな思想・人材を広く天下から集め、もはや並びなき権勢を誇る。
我が縦横の術をもって天下の趨勢を説かば、容易に受け入れられようぞ」
果たして秦王・嬴駟(えいし)への謁見はすんなり実現し、蘇秦は堂々弁舌を奮って天下に覇を唱えるべしと説いた。
「それは、そうである」
だが王の反応は鈍い。
取り巻く側近どもも、不審の目で蘇秦を見やる様がまじまじとわかった。
(・・・何かおかしい。)
蘇秦は一先ずその場を辞して、しかるのち調べるに、先般秦国は新米の法官・商鞅の舌先三寸に国政を一新され、太子時代の嬴駟は特にそのため痛い目を見て、以来弁説の徒を警戒していると言う。
「・・・馬鹿なっ。
その商鞅が成した改革で、今日の強勢があろうものを」
失望は大きい。
今の権勢に甘んじて進歩を求めぬ驕慢たるや、 己が身命を賭すに値せず。
だが蘇秦は得るものがあった。
西方の蛮国と侮るなかれ、秦国の隅々へ行き届いた法の魔力と軍事大国たる威勢を間近に見て、なるほどこれは六国のいずれも及ばぬ脅威である。
「説くべきは秦でなく、秦に脅される諸侯であったか」
蘇秦は意を決し、遠路遥かなる北東・燕へ向かう。
続く