『弁』 第二話
北方の大国・燕。
東に遼東・朝鮮、渤海を囲んで南は易水へ至る。
しかし国土の南方には秦に次ぐ強国・斉が鎮座し、虎視眈々とその領地を狙い奪っては抗争が絶えない。
ましてや西には三晋(※韓、魏、趙の三国)を敵に回し、その先に強豪国・秦の脅威が差し迫る。
燕の国主・文公は、この逼迫した状況に悩んでいた。
蘇秦は、そこに付け込んだ。
「お願いします、どうかお願い致します」
賄賂を渡して周到に高官に取り入り、ついには、朝議の場で文公に謁見する栄誉を授かる。
口先の魔術師。
その場しのぎの、天才。
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恭しく拱手し、遜(へりくだ)り立派な口上を述べる蘇秦。
国土統治の徳を褒め讃え、文公の御機嫌を取った。
「過分な賛辞、恐れ入る。
しかしこうも見事に言葉巧みに褒められては、面映ゆいものよ」
文公は意気揚々だ。
「では先生、本題を。
我が国が取るべき施策を、御教授願いたい」
機を得たり。
すると一転、蘇秦は、けたたましく畳み掛けるよう声を高くした。
燕国の窮状を鋭く指摘し、満場への危機感を喚起せしむ。
深刻である。
それでいて嫌味は無い。
親身になって国難を嘆いた。
朝議の場は、完全に蘇秦の弁に呑まれている。
「秦の脅威は四海に轟き、今や天下はその暴勢にひれ伏さんという時!
だのに六雄は各々微々たる領地を奪い合い、いたずらに国力を疲弊させています。
これ六国に益なく、ただ秦に利、あり!」
尤(もっと)もである。
居並ぶ文武百官には大きく頷く者もある。
蘇秦はそれを横目に、さらに激しく畳み掛ける。
「文公の仁徳は燕国に厚く広がり、国土の団結は一致、軍はお強い!
座して蛮夷の国をのさばらせるが覇者の王道か、否!
自ずから天下に秩序を布くべきではござらぬか!」
悔しくも国を取り巻く窮状に、ただ押し黙るしかなかった諸官諸将の心底を、よくぞ高々と代弁してみせた。
満場が蘇秦に賛同した。
その熱烈な弁に心打たれた。
「だが御安心召されよ!
救国の秘策を、公にお授け致す」
蘇秦は、ここに一世一代の奇策を披露する。
「燕が要となり、斉・韓・魏・趙・楚との大同盟を築くのです。
六国の全軍を一つに統べ、秦の脅威に対抗する。
称して、大合従軍!」
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荒唐無稽である。
五百年の戦乱が打ち続き、複雑な利害関係を有する六大国をまとめ上げるなどとても現実的ではない。
本来ならば、そうである。
しかし朝議の場は圧巻に呑まれた。
蘇秦の卓越した弁説が、この無謀な絵空事をあたかも秘儀・救国の大謀略だと諸人に思わせた。
「なんと大胆なる構想か!驚いたぞ」
文武百官は息を呑む。
議場に疑問の余地を挟ませず、蘇秦はまくし立てた。
「六国の利害は一致しています。
燕国が要として同盟を提唱すれば、諸国は機を待っていたとばかりに食らい付きましょう」
だが、本当に可能か。
諸官にはまだ不安がある。
「手始めに、長年の敵国・趙に赴き、私が盟約の証を取り付けて参ります」
蘇秦は文公に跪(ひざまず)き、絶対の自信を伺わせた。
「しかし」
憂国のあまり老臣が口を挟む。
蘇秦は、大喝した。
「むしろ鶏口となろうと、牛後となる無かれッ!!※1」
(※1.例え小さな鶏といえ、その先駆となる事に価値がある。例え大きな牛といえ、その末尾に付くのでは価値が無い。)
六ヶ国合従軍の総帥となるか。
それとも蛮国・秦の配下に成り下がり、亡国を甘んじて受けるのか。
こういう意味である。
文公を始め、燕国の諸官諸将は悉(ことごと)く、蘇秦の弁舌に敬服した。
「しからば、頼む」
斯くして蘇秦は燕国の主・文公の信任を得、六ヶ国合従軍の提携という大役を仰せつかった。
恭しく拱手し、蘇秦は成功を確約して座を辞した。
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「はっ!はははっははっ!
やった!やったぞ」
街へ出て、蘇秦は躍った。
「ははは、は、偉いことだ。
偉いことになった・・・!」
齢三十何年、一代にして未曾有の好機を掴み取った。
舌先三寸の魔術である。
「落ち着け、落ち着くのだ。
斯くなる上はやるのみ、やるのみぞ」
蘇秦は大きく息を吸い込み、吐き、興奮に躍る頭の中を整理した。
「勝算はある。
趙国は、趙に関しては確実に、燕との同盟を欲しておる。
まずは、まずはここから」
実の如く虚を語り、而して、虚を実と成す。
己が口先を頼みに乱世を駆ける、縦横家・蘇秦の大志はここから始まる。
続く