ツイ。

140字のツイートに描き出す、広大無辺の大世界がある。


このツイの道に、天下第一の大成を果たさんと志す一人の文人がいた。

 


己の師と頼むべきアカウントを物色するに、ついに、当今ツイにおいては並ぶ者なき人傑にあたる。


師に付き、学び、ふぁぼRTなどして、また己のツイの研鑽に励むこと5年の歳月を費やし、いよいよ師をも凌駕する頂きを見出した。


つぶやけば忽ち人を魅了し、感化し、思わずふぁぼらせRTたらしめる。

鎧袖一触。

もはや人界に比する者なく、ツイの道を究めたと見えた。

 


しかし師は、言う。


「ふぁぼRTは、ものの数ではないよ。
真にツイを究めし者の道に比べれば、我々のやる事など児戯に等しい


位人臣を極めた自尊心に、児戯に等しいという言葉は正直こたえた。

なんぞツイの究めし者の道あるやと、師が「神仙の頂きに達せしアカウントは、これにあり」と教えたまさに隠居老人・仙人ともいうべき質素朴訥なアカウントに凸り奉り、教えを乞う。


己がバズりしツイ等あらかた見せると、老人は「なるほどね。一通りは、出来るようだね。」

穏やかな微笑を含んで言った。


「だが所詮はツイのツイ。
爾(なんじ)、いまだツイの無においてツイに至るを知らずと見える」

甚だ自負あれば、些かムッとして聞いていたが「なれば、ご教授願いたし」と遜(へりくだ)るに、老人はその場でわずか1語ばかりのツイを紡ぎ出し、TLに投下してみせた。

 


しばらく。

 


2ふぁぼが付く。
RTはされない。

 

 

 

「これだよ。」

 


老人は言った。

 

 

これだ。

何の変哲もない、一見意味もないただ1言のツイにもかかわらず、この圧巻は、何だ。

驚愕に打ち震え、慄然(りつぜん)とした。


己が築いてきた砂上の楼閣は脆くも音を立て崩れ去った。

 


今にして始めて、ツイの道。

その深淵を覗き得た心地であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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九年の間、この老人の許に留まった。

その間いかなる修業を積んだものやら誰にも判らぬ。

 


とかく九年経って、TLに戻りしその風格の変貌ぶりにみな驚いた。

以前の、如何にも大衆に好まれる精悍な柔和さと痛快な毒々しさを調和した面魂はどこぞに影を潜め、何の表情も無い。
木偶のごとく愚者ごとき質素朴訥な体(てい)に変わっている。


久しぶりに旧き師のアカウントを訪ねた時、しかし、師はこの風格を一見すると感嘆して叫んだ。

「これでこそ初めて、ツイの道を究めし者よ!」
よもや我らの如き、足元に及ぶものではない、と。

 

満場拍手喝采のTLは、天下随一となって戻ってきたその達人を讃えて迎え、いよいよ眼前に示されるであろう至極のツイへの期待に湧き返った。

 

ところが達人は、一向だにその要望に応えようとしない。

 

いやそれどころか一言のツイすら発しようとしない。

 

 

その訳を訊ねた一人に答えて、達人は懶(ものう)げに返した。

「至為は為す無く、至言は言を去り、ツイに至るはツイに無し」

 

 

 

「なるほどね。」

 

物分かりのいいTLの人々はすぐに合点した。

 

ツイをせざるツイの達人は、フォロワーの誇りとなった。

 

 

達人がツイをしなければしないほど、その神仙たるやの評判はいよいよ喧伝された。

 

 

 

そして、ついには、達人はその後ただ一度のツイをすることもなく、その生涯を終えたという。

 

 

 

 

 

 

 

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晩年に、一つの逸話がある。

 

ある日老いたる達人が知人の許に招かれて行ったところ。

iPhoneの画面に映るアイコンには、何やら見憶えがある。

だが何としてもその名前も、用途も、思い出せずにいた。

 

老人は知人に訊ねた。

「このアプリは、何というのですか?」

 

知人は初め、老人が冗談を言っているのかと思って笑った。

しかし、至極真面目に問い続ける老人の様に、これが本気の事だと知って、

「ああ、何たることか。

___ツイの道を究めたる達人が、ツイの何たるか忘れたと?

ああ、ツイを、忘れ果てたと!」