徐晃伝 十『乱世の奸雄』

 

 

 

歴史ある漢王朝の帝を戴いた曹操は、大義を得る。

付近の群雄たちは続々と曹操のもとに降り、勢力は一気に栄えた。

先だって降伏した張繍(ちょうしゅう)も彼ら群雄のうちの一人である。

 

「我が宛城にて、曹操殿を歓待致したく、お招きさせて頂きます。」

曹操は数人の親類縁者と、護衛の猛将・典韋を連れて、張繍の待つ宛城へ向かった。

 

・・・これを危険視する声はあったが、乱世の統一を急ぐ曹操は、赴いてしまう。

 

 

「これは・・・!」

夜半、軍机に地図を広げていた満寵は、驚きと焦燥を露(あらわ)にした。

「宛城の備えは一見無防備だが、一度内に入れば抜け出す事が困難な布陣に仕組まれている。

もし張繍殿に謀(はかりごと)があれば、曹操殿が危うい」

 

徐晃は布陣図に記された『賈詡(かく)』という名に見覚えがあった。

賈詡殿・・・この御仁は、かつて拙者が楊奉殿の下にいた折、李傕殿の軍師として仕えており申した。

相当な切れ者で、良く謀略を得意とする将と記憶している」

 

徐晃と満寵は顔を見合わせた。

 

曹操殿が危うい! 

 

 

 

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賈詡の謀略により、宛城では張繍の叛乱が起きる。

曹操はその生涯最大の危難の一つに見舞われるが辛くも生き延び、帰還した。

 

しかし将来を嘱望(しょくぼう)された曹操の長男・曹昂は、死んだ。

よく一族に尽くした快男児・曹安民も、豪傑・典韋もこの戦いで命を落とした。

 

曹操の悲嘆は並大抵のものでなかった。

 

 

 

乱世である。

 

 

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後に体制を整えた曹操は、再び張繍を降伏に追い込む。

 

ここで曹操は私怨に囚われず、自分を追い詰め肉親を殺した賈詡という男の、その智謀を高く評価して先の一件を不問に付し、自らの軍師として迎え入れた。

 

徐晃にとって、他人事とは思えなかった。

 

賈詡殿は、主君の敵である曹操殿を討つべく智略の限りを尽くして戦った。

・・・拙者もかつて楊奉殿の下で、同じように曹操殿に刃を向け申した」

 

かつての敵であっても私情を挟まず、能力を見出せば登用する。

曹操の姿勢は一貫している。

 

 

全ては、乱世を終えるため。

 

 

曹操殿とて人の親、如何(いか)ばかりの悲しみか・・・

それでも賈詡殿を用い、拙者も用いられた。

我らの智や武を活かし、乱世を終える大望のために」

 

徐晃は拳(こぶし)を握りしめる。

 

「厚く遇してくれる曹操殿の御恩に、胡座(あぐら)を掻いているわけには参らぬ。

拙者はひたすら鍛錬に励み、一刻も早く武の頂きへと至らねば!」

 

徐晃は今、その武を以って曹操の覇道を支えてゆく決意を新たにした。

 

 

 

 

徐晃伝 十 終わり

 

 

徐晃伝 九『徐蓋』

 

 

徐晃は、許昌で妻を娶(めと)った。

 

これには徐晃が朴念仁で、なかなか縁談が進まなかったが、仲人の曹洪は随分と手を焼いてくれた。

 

 

徐晃の朴念仁ぶりを表す挿話として、少年時代にこんな事があった。

 

徐晃と満寵がとても仲が良い様を見ていた晃の妹は、純真な想いで兄にこう聞いた。

「あの素敵な殿方、満寵様は、どんな女性が好みなのかしら?」

「いや満寵殿の頭の中は、罠や仕掛けの事ばかり。

女性に興味など無いのではなかろうか」

 

無神経な徐晃の一言が妹を傷つけた。

しかし徐晃には妹がなぜ泣いているのか、わからなかった。

 

以来、ずっとそんな調子である。

徐晃の方こそ女心はどこ吹く風、己の研鑽と武の頂きにしか興味がなかったであろう。

 

それでも清廉な人柄と実直さに、好感を抱くのは頷ける。

相手は良家の娘であったが、そんな徐晃をよく理解し、内助の功を以ってその廉直なる武の求道を支えていった。

徐晃も誠実に妻を重んじ、仲睦まじい家庭を築いた。

 

やがて二人には男児が生まれる。

 

後に名を、徐蓋という。

 

 

 

 

徐晃伝 九 終わり

徐晃伝 八『牙断』

 

 

曹操軍の陣営には、綺羅星の如き数多の名将がいた。

 

中でも最古参の猛将・夏候惇は、特筆すべき存在感で曹操軍を率いた。

 

徐晃もこの夏候惇によく用兵と戦術の法を学んだ。

 

 

ある日、夏候惇が言った。

徐晃よ、許昌の鍛冶屋には腕利きが揃っている。

お前の戦に合った武具を好きに作らせるがよかろう」

 

徐晃がまだしっくりと来る武器を見つけていないのを見抜いたのである。

「夏候惇殿、かたじけのうござる。

しかし拙者は身一つで飛び出して参ったゆえ、財を持ちませぬ。」

 

「そうか・・・言っておいて難だが、俺も余財はすべて部下に分け与えて何もない。

・・・こういう時は、奴が適任だろう」

 

夏候惇が紹介した人物は、曹洪だった。

 

曹操の縁戚で旗上げから伴う忠節の将である。

 

曹洪は言った。

「・・・そういう話か。

ならば徐晃殿、我が財で好きなだけ、必要な武具を調達されよ」

 

徐晃は恐縮したが、曹洪は遠慮は無用と言う。

 

夏候惇が訝(いぶか)しんで尋ねた。

「お前の事だ、もっと渋ると思ったが・・・

なぜこうもすんなり徐晃に財を与える?」

 

曹洪は応えた。

徐晃殿の噂は孟徳から聞いておる。

謙虚で驕らず、恩を重んじる御仁という。

これは間違いなく大将に出世する器だ。

・・・今回の武具代は貸しとさせて頂くぞ。

いずれ徐晃殿が多くの禄を得られるようになった時、利子を付けて返してくれれば良い。

いわば、投資だな」

 

夏候惇は感心を通り越して少しあきれた顔だが、徐晃は深く感謝を述べた。

「拙者には出世など望むべくもないが・・・

曹洪殿、御厚意心より御礼申し上げる。

財は、必ずお返しいたす」

 

 

  

徐晃は、斧を所望した。

 

槍や戟では徐晃には軽すぎた。

もっと大きな、より重厚な一打を見舞える巨大な刃と、それを支える強堅な支柱を求めた。

 

鍛冶職人とは何度も話し合って、こんな巨大な斧を作った事はないと驚かれるが、徐晃の誠実で熱心な要望に応えてついに未曾有の大斧は完成した。

「牙断(がだん)」と号した。

 

重い。

 

常人には持ち上げる事すら困難な重量だが、徐晃はこれをずしりと握ってブォン!と振り回し、神妙に目を瞑った。

 

「これでござる!

この重みこそ武の極み・・・

この牙断を存分に振るう事が出来れば、拙者の武もより高みへと近づけるはず」

 

 

 徐晃は、ひたすら鍛錬に励む。

 

 

 

 

徐晃伝 八 終わり

 

徐晃伝 七『新たなる道』

 

 

徐晃は迷いを断ち、武人として覚醒した。

武の頂きへ駆け昇るべく己が信ずる道を邁進せん。

 

戦場を駆ける徐晃の眼には、長き雌伏の時を経て晴れ晴れと道が開き、新たなる景色が見えた。

「おお・・・武の頂きが見える!」

 

目覚ましい徐晃の奮戦、そして夏候惇、楽進于禁曹操軍の勇将の活躍により、楊奉軍は壊走した。

 

敗れた楊奉はせめて献帝を奪取して逃げようと目論むが、掌(てのひら)を返した董承は、楊奉を切り捨て、曹操に取り入るべく帝を楊奉に渡さなかった。

 

その後、楊奉は寿春の袁術を頼って落ち延びるが、やがて袁術の滅亡と共に最期を迎えることになる。 

 

 

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曹操は最大級の礼を尽くして、徐晃を将として迎え入れた。

 

曹操殿。一度は御身に刃を向けた拙者に対し、かような処遇を賜わった事、心より感謝いたす」

徐晃は深々と礼を述べた。

「これよりは、曹操殿の麾下の将として、この武を奮う所存にござる!」

 

 

威厳に満ちた曹操の声色は、一方で喜びを隠さず溌剌(はつらつ)とこう語った。

徐晃よ、お主の参陣を嬉しく思う。

その比類なき武勇、清廉な人品、まさに得難き逸材よ!

今後はこの曹孟徳の将として、勇戦してもらうぞ」

 

 

 

 

曹操が去った後、徐晃は満寵にも深く謝意を表した。 

「満寵殿、こたびの曹操殿への御口添え、まことにかたじけない。」

 

満寵は飄々と答える。

「おっと、礼を言われるよう事はしていない。

曹操殿の器量を考えれば、君が熱烈に歓迎されるのは自明のことだよ」

  

徐晃は、真の友を得たり。

 

曹操殿は、新しい時代を築く御方だ。

その分、進む道には厳しい戦いが待っているだろう」

満寵は険しい表情を浮かべる。

 

「承知した。

それでこそ、拙者も武の振るい甲斐があるというもの」

 

徐晃は決起し、拳(こぶし)を掲げて轟き叫ぶ。

「徐公明!

曹操殿の大志のため、この武を奮わん!

しかして、武の頂きへと至らん事を望む!」

 

満寵はいつもの屈託のない笑顔を見せた。

「ははっ、期待通りの反応をありがとう、徐晃殿。

これからは共に戦う仲間として、よろしく頼むよ」

 

 二人は今、志を同じくする。

 

 

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許昌に居を構えた徐晃は、やがて故郷の家族を呼び寄せた。


初老の父母、地元の士に嫁いだ妹もその一族と共に許昌に越した。

「父上、母上・・・長らくまみえる事無く、不孝を致し申した。
これよりは許昌にて、安穏と暮らして頂けますよう」

 


また徐晃を慕って付いてきた白波の兵達も、許昌近郊で新しい暮らしを始めた。

 

屯田制である。

 

曹操は献策に従い、広く農地を兵に与えて開墾させ、食糧自給による安定した生活を彼らに保証した。

と同時に堅実な税収を確立し、富国強兵に充てたのである。

 

「これで兵達もまともに畑を耕し、賊に落ちぶれる事もない。

曹操殿は武略のみならず、政略にも優れておられる。

まこと乱世を統べて新しい時代を拓く御方よ」

 


真に仕えるべき主君を見つけたと感じる。

 

この新天地で、遥か高みに見える武の頂きへ。

  

徐晃曹操のもとで新しい人生を歩み始めた。

 

 

 

 

徐晃伝 七 終わり

徐晃伝 六『決意』

 

夜半、徐晃の軍営に突如一人の男が訪れた。

 

「やあ、久しぶりだね。徐晃殿」

大胆にも単身、丸腰で敵陣に乗り込んできたその顔、徐晃には見覚えがあった。

 

「・・・満寵殿?あの満寵殿か?

おお、なんと懐かしい!」

 

今は敵味方といえ旧知の仲、徐晃は礼を尽くして満寵を歓待した。

二人は何年ぶりの再会であろう、その旧交はいささかも曇らず大いに語り合った。

 

 

 

しかしやがて、満寵はかつてなく真剣な面持ちで用件を切り出す。

 

「単刀直入に言おう。

徐晃殿、いつまでこんなところで燻(くすぶ)っているつもりだい?」

 

徐晃の表情は暗い。

 

「君は、武の高みを目指しているはずだ。

良禽は木を選ぶ(※賢い臣下は良い主君を選ぶ)という。

楊奉のような小人物の下にいて、君は武の頂きとやらに辿り着けるのかい?」

 

「満寵殿、拙者にもわかっているのだ。

・・・しかし楊奉殿には命を救われ、世話になった御恩がござる」

徐晃は表情を曇らせた。

 

満寵は、真剣な眼差しを徐晃を向ける。

「今の君は、楊奉殿への恩に胡座(あぐら)を掻いて、もっと大事なことから目を背けているに過ぎない。

己の人生の責任を他人に委ねてしまって、君は本当にそれでいいのかい?

君の生き様、行くべき道を楊奉殿に託して、それで本当に迷いも悔いもないと言えるのかい?」

 

平素の満寵では考えられぬほど、熱く、誠を尽くして徐晃を説得する。

「私は、自分が望む道を選んで生きたいと思っている。

この乱世を終わらせる大望曹操殿はそれを実現すべく邁進するだろう。

その先には厳しい戦いが待っている。

私は、私のこの才を、曹操殿の大望のために使いたい。

これは、私が自分で選んだ道なんだ。」

 

「せ、拙者は・・・」

 

楊奉に仕えている事に、これだけの覚悟と決意は無い。

 

徐晃殿、君は傑出した武と志を抱きながら、その高みへの道を自ら閉ざしている。

私には、それがとても惜しまれる」

 

 

その熱烈な弁に胸を打たれた。

目の前の靄(もや)が晴れる思いだった。

 

徐晃の眼には、涙すら浮かんだ。

 

「おお・・・満寵殿・・・!

拙者の心は思い悩むあまりに曇っていた・・・

貴公のおかげで、迷いが晴れ申した!」

 

徐晃は満寵の手を握る。

 

「ははっ、そうこなくてはね。徐晃殿!」

 満寵は、屈託のない表情で友に笑いかけた。

 

 

 

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楊奉殿。長い間、世話になり申した」

 

徐晃は深々と頭を下げる。

 

 幕舎には誰もいない。

「命を救われ、取り立てて頂いた御恩には、我が武を尽くして報い申した。

・・・これからは、拙者の行くべき道を邁進いたす」

 

徐晃は、かつて楊奉から賜わった虎顎(こがく)を兵舎に立て掛け、一人静かに語った。

「この虎顎(こがく)は、お返し致す。

拙者には、いささか軽きに過ぎ申した」

 

徐晃は、楊奉の陣に背を向けた。

 

 

 

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「おのれ楊奉、裏切ったか!」

曹操の陣営は、突如叛旗を翻した楊奉への備えに追われていた。

 

しかしさすが想定外の展開にも素早く対応し、戦端を開くと精強を以って謳われる楊奉軍に堂々と渡り合う。

 

一進一退の攻防を続ける中、曹操軍の側に突如一隊の精鋭が現れた。

これは徐晃と、彼の武と人柄を慕う白波兵の一部が楊奉軍を離脱し、参陣したものである。

 

 

長駆直入、徐晃は騎馬を翻し高々と名乗りを上げた。

 

「徐公明、推参!

これよりは、曹操殿に助太刀いたす!」

 

 

徐晃は今、己の道を歩み始めた。 

 

 

 

 

 徐晃伝 六 終わり

 

徐晃伝 五『曹操』

 

 

事態は風雲急を告げる。

李傕と郭汜が起こした内紛に乗じて、董承ら謀臣は献帝を伴い洛陽へ逃れた。

 

楊奉はかねての計画通り、李傕を裏切って董承に付いた。

徐晃は、その楊奉の下にあって献帝を護衛し洛陽にいる。

 

ところが帝を奪われた事の重大さに気付いた李傕と郭汜は一転、和解し、帝を取り戻そうと大軍を擁して洛陽へ攻め込むという局面であった。

 

「まさか奴らが結託するとは!

さすがに分が悪いぜ、俺たちの兵力では太刀打ち出来ぬ!」

 

焦る楊奉に、徐晃は進言する。

楊奉殿、今こそ許昌曹操殿を頼られては如何(いかが)か。

聞くところ曹操殿は天下に広く賢人を求め、先だっては青州を治めて兵力は精強、これをよく律し民を鎮撫していると評判でござる。」

 

楊奉は、この提案を受け入れた。

 

董承を通じて曹操に庇護を要請し、果たして曹操も快諾し援軍を送る運びとなった。

 

 

夏侯惇夏侯淵于禁楽進、李典ら武勇に優れる猛将が神速の行軍で洛陽に達し、楊奉らと合流して洛陽郊外に李傕・郭汜連合軍を迎え撃つ。

 

 

「さすが音に聞く曹操殿の精兵、お見事な武でござる!」

 

曹操軍は強かった。

将兵の志は高く、整然と軍列を成し堂々奮戦するその勇姿に、徐晃は圧倒され、万感胸に迫った。

 

長安で遊興と酒色に堕落していた李傕軍では相手にならない。

 

刺激を受けて徐晃は、持てる武の限りを尽くして戦い、敵を大いに討ち破った。

 

やがて本隊を率いて到来した曹操は、戦況を眺め、楊奉軍の中に抜きん出て奮戦する徐晃の姿を見る。

「かくも見事なる武勇・・・あの猛将が、あれが徐晃か。

まさに満寵から聞いていた通り・・・いや、それ以上よ!」

 

 

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姓は曹、名は操。字は孟徳。

 

混迷の乱世に現れた稀代の英傑である。

何よりも人の才覚と能力を尊び、地位や出自といった既存の固定観念に捕らわれず、常に新しい価値観を以って人々を導き時代を切り拓く、革新者であった。

 

今、荀彧・郭嘉といった賢人たちの進言を用いて、各地の諸侯に先んじて洛陽の献帝を庇護すべく兵を挙げる。

 

李傕・郭汜、楊奉や董承が献帝を欲したのは、その権威を笠に私利私欲を満たす為である。

しかし曹操が帝を奉じた理由は目先の利権にはなく、その遥か向こう、この乱世の行く先を見据えての事だった。

 

漢室の威光を復権し、以って群雄割拠の天下を平定し、乱世を終える。

それが曹操の野望であった。

 

 

数多の優秀な人材を登用した曹操だが、その綺羅星の如き能臣たちの中に満寵もいた。

幼少の頃、徐晃と交誼を結んだあの一風変わった罠好きの少年は、今や立派な若者に成長し、その英明な才知を活かして曹操の軍師となり能力を発揮していた。

 

 「楊奉殿の軍には、私の古い友人がいます。

己の研鑽に目がない変わった御仁ですが・・・信頼には足りますよ。

そこは私が保証します」

 

満寵の言を採って、曹操楊奉の軍を助け、そこに徐晃の勇姿を見て、そして李傕・郭汜連合軍を討ち破った。

 

 

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これでとにかく危地を脱した楊奉だが、事態は、彼の望まぬ方向に動き出す。

 

帝に拝謁を賜わった曹操は、 

「荒れ果てた洛陽では、天下を治める事は出来ませぬ。

帝におかれましては、恐れながらどうか我が本拠・許昌へお越し下さいますよう」

と奏上した。 

 

曹操の言い分には相応の道理がある。

 

だが楊奉にとって、これはとても受け入れられる事ではなかった。

 

「精強な将兵を擁する曹操がその本拠に帝を迎えたら、もはや俺の出る幕は無くなる・・・!」

 

邪(よこしま)な野心と焦燥に苛(さいな)まれた楊奉は、あるまじき決断を下してしまう。

 

「帝が我が手の内にある今こそ最大の好機ではないか?

この機を逃してはならぬ!

このまま帝を奉じて、俺が曹操に取って代わってやる!」

 

 こうして楊奉は、反曹操の兵を挙げた。

 

楊奉殿!?なぜ曹操殿を裏切るような暴挙を・・・!」

 

徐晃!我らが栄達のため、今を置いて他に機はないのだ!

曹操を討ち、献帝を擁すのは俺たちだ!!」

 

 

徐晃は唇をきつく噛み締める。

このように無為な騒乱を繰り返して、一体何になるというのか。

このように志のない暴を振り回して、崇高なる武の頂きに達せられるものか?

 

懸命に説得するが、楊奉聞く耳を持たない。

 

それでも、徐晃楊奉に従う他なかった。

・・・楊奉には命を救われ、取り立ててもらった大恩がある。

 

 

・・・やむを得ぬ。

 

「・・・承知致した。

しからば己が武の限りを尽くすのみ。

徐公明、参る!」

  

 

 

こうして徐晃は、曹操軍の敵となる。

 

 

 

徐晃伝 五 終わり

 

徐晃伝 四『無明』

 

 

西涼の豪族・馬騰は、長安奪取を目論み兵を挙げた。

「漢室の威光を盾に暴政を奮う不義の輩、李傕を討つ!

我が正義の刃、受けてみよッ」

 

長安近郊の平野で、馬騰軍と李傕軍は激突した。

 

徐晃はこの時、李傕軍・楊奉麾下の一隊を率いて参陣し、ここで正規軍同士の実戦というものを経験した。

 

「さすがに精兵、賊とは違い申す。

ただの力押しで破れるものではござらん・・・!」

 

徐晃はよく兵を率いて、緩急を用い、敵軍の強きところは受け流し、敵軍の弱点を見るや一気に攻め立てた。

その用兵の術たるや、浅い経験に見合わず群を抜いて上手かった。

 

また指揮を務めながら自らも、楊奉から賜わった虎顎(こがく・槍や戟の類い)を振るい、精強を以って謳われる涼州兵を次々倒し、将を討ち取った。

 

 

大陸の黄砂が戦場を覆う。

 

徐晃は、戦乱の時代を生きている。

 

 

 

 

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世はまさに、混迷の時代を迎えていた。

 

馬騰を破った李傕は、同志・郭汜と共に長安を支配し、献帝の威光を利用して権勢の全てを欲しいままにした。

重税と飢饉にあえぐ民をよそに、李傕らは豪遊の限りを尽くし、逆らう者は皆殺し、いよいよ都は荒れ果て民は飢え死に、その阿鼻叫喚たるや董卓の御世より過酷な有り様であった。

 

 この状況に各地の諸侯は危機感を抱くが、既に群雄割拠し各地で戦乱が絶えず、利害関係が絡んで足並みは揃わず、反李傕の大同盟などまとめ上げられる状況になかった。

 

いよいよ乱世は、ここに極まる。

 

 

 

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依然、徐晃楊奉の下にあって賊討伐の任に当たるが、今や賊より李傕の兵こそ民の害である。

だが同じ官軍である以上、これとの交戦は禁じられた。

 

もはや我慢ならず、義憤に駆られた徐晃楊奉への直談判に走る。

 

楊奉殿!李傕兵の横暴、もはや見過ごす訳には参り申さぬ!」

徐晃は実直だが、猪武者ではない。

今すぐ大司馬・李傕に反旗を翻せなど無謀は言わなかった。

父がそうであったように、徐晃はよく情報を集めて大局を俯瞰し、世の情勢をわきまえている。

 

華北には袁紹殿、曹操殿といった李傕に対抗する勢力があり申す。

彼らと呼応し、兵数を頼みに勝機を以って、李傕らを追放し民に安寧をもたらすべきではござらぬか」

 

徐晃よ、お前の言う事はわかるぞ。

これから話す事は他言無用だが・・・」

 

楊奉徐晃の側に近寄り、神妙にこう語った。

 

「俺とてこの状況を看過する気はねえ。

最近李傕の野郎は、本当にどうでもいい事で郭汜と仲違いして関係が悪い。

このまま収まりが付かなければ、いずれ内紛にまで発展するだろう。

・・・収まりが付かねえよう、董承殿らが裏で手を回している」

 

楊奉、宋果、楊彪(ようひょう)そして董承ら一部の文武官は、李傕・郭汜の対立を利用して自らの勢力伸張を企図し、秘密裏に計画を進めていた。

 

大義が要る。

そこで内紛に乗じて李傕の手から献帝を奪って庇護し奉り、大義名分を得るという算段だ。」

さすがに董卓や李傕の下で勢力を伸ばしてきた董承ら悪党どもは、小賢しい。

楊奉がこの計画に加担できたのはその野心を利用され、率いる兵力を頼みとされたからであろう。

 

徐晃は問う。

「・・・帝を庇護し奉り、李傕らを排して、その後はどうなさるおつもりか?」

 

「その後?後の事は考えちゃいねえ。

その時々に応じて動くだけよ。

とにかく、今は李傕の専横を野放しに出来ぬ。そうだろう?」

 

 

徐晃は、憤懣(ふんまん)やる方ない。

それでも今は、この状況の推移を楊奉の下で見守る他なかった。

 

 

 

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兵舎をあとにして、降りしきる雨のなか徐晃は一人、虎顎(こがく)を振るい鍛錬に勤しんだ。

「・・・拙者にもっと、もっと高みを臨む武がござれば・・・」

 

 

この泥沼の乱世に、志を持てず悶々と過ごす歯痒さを、その悔しさを徐晃はひたすら鍛錬にぶつけた。

 

「ソイヤッ!!」

 

鋭いひと薙ぎの切っ先が音を立て、雨粒を弾く。

 

 

「武の頂は、何処(いずこ)にござるか・・・」

 

 

雨に濡れた顔を上げ、徐晃は灰色の空を眺めた。

 

 

 

徐晃伝 四 終わり