徐晃伝 六『決意』

 

夜半、徐晃の軍営に突如一人の男が訪れた。

 

「やあ、久しぶりだね。徐晃殿」

大胆にも単身、丸腰で敵陣に乗り込んできたその顔、徐晃には見覚えがあった。

 

「・・・満寵殿?あの満寵殿か?

おお、なんと懐かしい!」

 

今は敵味方といえ旧知の仲、徐晃は礼を尽くして満寵を歓待した。

二人は何年ぶりの再会であろう、その旧交はいささかも曇らず大いに語り合った。

 

 

 

しかしやがて、満寵はかつてなく真剣な面持ちで用件を切り出す。

 

「単刀直入に言おう。

徐晃殿、いつまでこんなところで燻(くすぶ)っているつもりだい?」

 

徐晃の表情は暗い。

 

「君は、武の高みを目指しているはずだ。

良禽は木を選ぶ(※賢い臣下は良い主君を選ぶ)という。

楊奉のような小人物の下にいて、君は武の頂きとやらに辿り着けるのかい?」

 

「満寵殿、拙者にもわかっているのだ。

・・・しかし楊奉殿には命を救われ、世話になった御恩がござる」

徐晃は表情を曇らせた。

 

満寵は、真剣な眼差しを徐晃を向ける。

「今の君は、楊奉殿への恩に胡座(あぐら)を掻いて、もっと大事なことから目を背けているに過ぎない。

己の人生の責任を他人に委ねてしまって、君は本当にそれでいいのかい?

君の生き様、行くべき道を楊奉殿に託して、それで本当に迷いも悔いもないと言えるのかい?」

 

平素の満寵では考えられぬほど、熱く、誠を尽くして徐晃を説得する。

「私は、自分が望む道を選んで生きたいと思っている。

この乱世を終わらせる大望曹操殿はそれを実現すべく邁進するだろう。

その先には厳しい戦いが待っている。

私は、私のこの才を、曹操殿の大望のために使いたい。

これは、私が自分で選んだ道なんだ。」

 

「せ、拙者は・・・」

 

楊奉に仕えている事に、これだけの覚悟と決意は無い。

 

徐晃殿、君は傑出した武と志を抱きながら、その高みへの道を自ら閉ざしている。

私には、それがとても惜しまれる」

 

 

その熱烈な弁に胸を打たれた。

目の前の靄(もや)が晴れる思いだった。

 

徐晃の眼には、涙すら浮かんだ。

 

「おお・・・満寵殿・・・!

拙者の心は思い悩むあまりに曇っていた・・・

貴公のおかげで、迷いが晴れ申した!」

 

徐晃は満寵の手を握る。

 

「ははっ、そうこなくてはね。徐晃殿!」

 満寵は、屈託のない表情で友に笑いかけた。

 

 

 

  ~~~~~~~~~~~~

 

楊奉殿。長い間、世話になり申した」

 

徐晃は深々と頭を下げる。

 

 幕舎には誰もいない。

「命を救われ、取り立てて頂いた御恩には、我が武を尽くして報い申した。

・・・これからは、拙者の行くべき道を邁進いたす」

 

徐晃は、かつて楊奉から賜わった虎顎(こがく)を兵舎に立て掛け、一人静かに語った。

「この虎顎(こがく)は、お返し致す。

拙者には、いささか軽きに過ぎ申した」

 

徐晃は、楊奉の陣に背を向けた。

 

 

 

 ~~~~~~~~~~~~

 

「おのれ楊奉、裏切ったか!」

曹操の陣営は、突如叛旗を翻した楊奉への備えに追われていた。

 

しかしさすが想定外の展開にも素早く対応し、戦端を開くと精強を以って謳われる楊奉軍に堂々と渡り合う。

 

一進一退の攻防を続ける中、曹操軍の側に突如一隊の精鋭が現れた。

これは徐晃と、彼の武と人柄を慕う白波兵の一部が楊奉軍を離脱し、参陣したものである。

 

 

長駆直入、徐晃は騎馬を翻し高々と名乗りを上げた。

 

「徐公明、推参!

これよりは、曹操殿に助太刀いたす!」

 

 

徐晃は今、己の道を歩み始めた。 

 

 

 

 

 徐晃伝 六 終わり

 

徐晃伝 五『曹操』

 

 

事態は風雲急を告げる。

李傕と郭汜が起こした内紛に乗じて、董承ら謀臣は献帝を伴い洛陽へ逃れた。

 

楊奉はかねての計画通り、李傕を裏切って董承に付いた。

徐晃は、その楊奉の下にあって献帝を護衛し洛陽にいる。

 

ところが帝を奪われた事の重大さに気付いた李傕と郭汜は一転、和解し、帝を取り戻そうと大軍を擁して洛陽へ攻め込むという局面であった。

 

「まさか奴らが結託するとは!

さすがに分が悪いぜ、俺たちの兵力では太刀打ち出来ぬ!」

 

焦る楊奉に、徐晃は進言する。

楊奉殿、今こそ許昌曹操殿を頼られては如何(いかが)か。

聞くところ曹操殿は天下に広く賢人を求め、先だっては青州を治めて兵力は精強、これをよく律し民を鎮撫していると評判でござる。」

 

楊奉は、この提案を受け入れた。

 

董承を通じて曹操に庇護を要請し、果たして曹操も快諾し援軍を送る運びとなった。

 

 

夏侯惇夏侯淵于禁楽進、李典ら武勇に優れる猛将が神速の行軍で洛陽に達し、楊奉らと合流して洛陽郊外に李傕・郭汜連合軍を迎え撃つ。

 

 

「さすが音に聞く曹操殿の精兵、お見事な武でござる!」

 

曹操軍は強かった。

将兵の志は高く、整然と軍列を成し堂々奮戦するその勇姿に、徐晃は圧倒され、万感胸に迫った。

 

長安で遊興と酒色に堕落していた李傕軍では相手にならない。

 

刺激を受けて徐晃は、持てる武の限りを尽くして戦い、敵を大いに討ち破った。

 

やがて本隊を率いて到来した曹操は、戦況を眺め、楊奉軍の中に抜きん出て奮戦する徐晃の姿を見る。

「かくも見事なる武勇・・・あの猛将が、あれが徐晃か。

まさに満寵から聞いていた通り・・・いや、それ以上よ!」

 

 

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姓は曹、名は操。字は孟徳。

 

混迷の乱世に現れた稀代の英傑である。

何よりも人の才覚と能力を尊び、地位や出自といった既存の固定観念に捕らわれず、常に新しい価値観を以って人々を導き時代を切り拓く、革新者であった。

 

今、荀彧・郭嘉といった賢人たちの進言を用いて、各地の諸侯に先んじて洛陽の献帝を庇護すべく兵を挙げる。

 

李傕・郭汜、楊奉や董承が献帝を欲したのは、その権威を笠に私利私欲を満たす為である。

しかし曹操が帝を奉じた理由は目先の利権にはなく、その遥か向こう、この乱世の行く先を見据えての事だった。

 

漢室の威光を復権し、以って群雄割拠の天下を平定し、乱世を終える。

それが曹操の野望であった。

 

 

数多の優秀な人材を登用した曹操だが、その綺羅星の如き能臣たちの中に満寵もいた。

幼少の頃、徐晃と交誼を結んだあの一風変わった罠好きの少年は、今や立派な若者に成長し、その英明な才知を活かして曹操の軍師となり能力を発揮していた。

 

 「楊奉殿の軍には、私の古い友人がいます。

己の研鑽に目がない変わった御仁ですが・・・信頼には足りますよ。

そこは私が保証します」

 

満寵の言を採って、曹操楊奉の軍を助け、そこに徐晃の勇姿を見て、そして李傕・郭汜連合軍を討ち破った。

 

 

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これでとにかく危地を脱した楊奉だが、事態は、彼の望まぬ方向に動き出す。

 

帝に拝謁を賜わった曹操は、 

「荒れ果てた洛陽では、天下を治める事は出来ませぬ。

帝におかれましては、恐れながらどうか我が本拠・許昌へお越し下さいますよう」

と奏上した。 

 

曹操の言い分には相応の道理がある。

 

だが楊奉にとって、これはとても受け入れられる事ではなかった。

 

「精強な将兵を擁する曹操がその本拠に帝を迎えたら、もはや俺の出る幕は無くなる・・・!」

 

邪(よこしま)な野心と焦燥に苛(さいな)まれた楊奉は、あるまじき決断を下してしまう。

 

「帝が我が手の内にある今こそ最大の好機ではないか?

この機を逃してはならぬ!

このまま帝を奉じて、俺が曹操に取って代わってやる!」

 

 こうして楊奉は、反曹操の兵を挙げた。

 

楊奉殿!?なぜ曹操殿を裏切るような暴挙を・・・!」

 

徐晃!我らが栄達のため、今を置いて他に機はないのだ!

曹操を討ち、献帝を擁すのは俺たちだ!!」

 

 

徐晃は唇をきつく噛み締める。

このように無為な騒乱を繰り返して、一体何になるというのか。

このように志のない暴を振り回して、崇高なる武の頂きに達せられるものか?

 

懸命に説得するが、楊奉聞く耳を持たない。

 

それでも、徐晃楊奉に従う他なかった。

・・・楊奉には命を救われ、取り立ててもらった大恩がある。

 

 

・・・やむを得ぬ。

 

「・・・承知致した。

しからば己が武の限りを尽くすのみ。

徐公明、参る!」

  

 

 

こうして徐晃は、曹操軍の敵となる。

 

 

 

徐晃伝 五 終わり

 

徐晃伝 四『無明』

 

 

西涼の豪族・馬騰は、長安奪取を目論み兵を挙げた。

「漢室の威光を盾に暴政を奮う不義の輩、李傕を討つ!

我が正義の刃、受けてみよッ」

 

長安近郊の平野で、馬騰軍と李傕軍は激突した。

 

徐晃はこの時、李傕軍・楊奉麾下の一隊を率いて参陣し、ここで正規軍同士の実戦というものを経験した。

 

「さすがに精兵、賊とは違い申す。

ただの力押しで破れるものではござらん・・・!」

 

徐晃はよく兵を率いて、緩急を用い、敵軍の強きところは受け流し、敵軍の弱点を見るや一気に攻め立てた。

その用兵の術たるや、浅い経験に見合わず群を抜いて上手かった。

 

また指揮を務めながら自らも、楊奉から賜わった虎顎(こがく・槍や戟の類い)を振るい、精強を以って謳われる涼州兵を次々倒し、将を討ち取った。

 

 

大陸の黄砂が戦場を覆う。

 

徐晃は、戦乱の時代を生きている。

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

世はまさに、混迷の時代を迎えていた。

 

馬騰を破った李傕は、同志・郭汜と共に長安を支配し、献帝の威光を利用して権勢の全てを欲しいままにした。

重税と飢饉にあえぐ民をよそに、李傕らは豪遊の限りを尽くし、逆らう者は皆殺し、いよいよ都は荒れ果て民は飢え死に、その阿鼻叫喚たるや董卓の御世より過酷な有り様であった。

 

 この状況に各地の諸侯は危機感を抱くが、既に群雄割拠し各地で戦乱が絶えず、利害関係が絡んで足並みは揃わず、反李傕の大同盟などまとめ上げられる状況になかった。

 

いよいよ乱世は、ここに極まる。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

依然、徐晃楊奉の下にあって賊討伐の任に当たるが、今や賊より李傕の兵こそ民の害である。

だが同じ官軍である以上、これとの交戦は禁じられた。

 

もはや我慢ならず、義憤に駆られた徐晃楊奉への直談判に走る。

 

楊奉殿!李傕兵の横暴、もはや見過ごす訳には参り申さぬ!」

徐晃は実直だが、猪武者ではない。

今すぐ大司馬・李傕に反旗を翻せなど無謀は言わなかった。

父がそうであったように、徐晃はよく情報を集めて大局を俯瞰し、世の情勢をわきまえている。

 

華北には袁紹殿、曹操殿といった李傕に対抗する勢力があり申す。

彼らと呼応し、兵数を頼みに勝機を以って、李傕らを追放し民に安寧をもたらすべきではござらぬか」

 

徐晃よ、お前の言う事はわかるぞ。

これから話す事は他言無用だが・・・」

 

楊奉徐晃の側に近寄り、神妙にこう語った。

 

「俺とてこの状況を看過する気はねえ。

最近李傕の野郎は、本当にどうでもいい事で郭汜と仲違いして関係が悪い。

このまま収まりが付かなければ、いずれ内紛にまで発展するだろう。

・・・収まりが付かねえよう、董承殿らが裏で手を回している」

 

楊奉、宋果、楊彪(ようひょう)そして董承ら一部の文武官は、李傕・郭汜の対立を利用して自らの勢力伸張を企図し、秘密裏に計画を進めていた。

 

大義が要る。

そこで内紛に乗じて李傕の手から献帝を奪って庇護し奉り、大義名分を得るという算段だ。」

さすがに董卓や李傕の下で勢力を伸ばしてきた董承ら悪党どもは、小賢しい。

楊奉がこの計画に加担できたのはその野心を利用され、率いる兵力を頼みとされたからであろう。

 

徐晃は問う。

「・・・帝を庇護し奉り、李傕らを排して、その後はどうなさるおつもりか?」

 

「その後?後の事は考えちゃいねえ。

その時々に応じて動くだけよ。

とにかく、今は李傕の専横を野放しに出来ぬ。そうだろう?」

 

 

徐晃は、憤懣(ふんまん)やる方ない。

それでも今は、この状況の推移を楊奉の下で見守る他なかった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

兵舎をあとにして、降りしきる雨のなか徐晃は一人、虎顎(こがく)を振るい鍛錬に勤しんだ。

「・・・拙者にもっと、もっと高みを臨む武がござれば・・・」

 

 

この泥沼の乱世に、志を持てず悶々と過ごす歯痒さを、その悔しさを徐晃はひたすら鍛錬にぶつけた。

 

「ソイヤッ!!」

 

鋭いひと薙ぎの切っ先が音を立て、雨粒を弾く。

 

 

「武の頂は、何処(いずこ)にござるか・・・」

 

 

雨に濡れた顔を上げ、徐晃は灰色の空を眺めた。

 

 

 

徐晃伝 四 終わり

 

 

徐晃伝 三『葛藤』

 

楊奉の配下となった徐晃は、各地で賊徒鎮圧にあたり、ここで実戦と用兵の法を学んだ。

 

白波(はくは)賊上がりの兵の中にあっても、徐晃はその高潔で清廉な在り方を決して崩さなかった。

賊から巻き上げた財で酒色に溺れる彼らを、しかし一方でその精強な武勇、学べるところからは学び、また行き過ぎた略奪があれば徐晃は身を挺して民を守った。

 

白波兵は徐晃を疎んじて、一触即発の仲間割れに至ろうとする事も何度かあったが、そのたびに楊奉徐晃を庇い、兵が罰せられた。

 

楊奉からすれば、徐晃の傑出した武を惜しんでの事であって、決してその清廉な性格を理解してではない。

それでも徐晃は、このような事があるたび楊奉にますます恩を感じた。

 

 

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黄巾賊残党のうち、河東郡・白波谷に依った勢力をいわゆる白波衆と呼ぶ。

この中に数人いた頭領の一人が、楊奉という男の出自である。

 

賊の暮らしに満足できず、他の頭領と仲違いして自身の部下を連れ白波谷を脱した楊奉は、荒れ果てた都周辺で官軍募集の高札を見た。

 

札を出した者の名は、李傕(りかく)。

 

董卓配下の将である。

 

天下の権勢を欲しいままにした董卓は、しかし最期は呂布の裏切りに倒れた。

がこの謀反は、その後の政権奪取など考慮しない半ば無計画な叛乱であったため、都・長安は未曾有の混乱に陥った。

 

この状況を好機と見て、己が野心のために利用したのが李傕である。

とにかく、兵を欲していた。

 

「敵は寡兵といえど、無双の豪傑・呂布が相手だ。

兵は多ければ多い方が良い。」

 

そこで楊奉のような元盗賊の連中でさえ、官軍として採用してしまった。

 

 

董卓配下の軍、都周辺の賊や傭兵、西涼はじめ地方豪族の勢力を集めに集めて、李傕は総勢十万の兵力をまとめ上げた。

 

「ふざけるなッ!

なぜこの俺が都を追われねばならん!?」

さすがの呂布も兵という兵を持たずにこれと対する事は能わず、左右の者に説得されて都・長安を後にした。

董卓暗殺の首謀者・王允らを処断し、長安を占拠して漢の献帝に拝謁奉り、李傕は車騎将軍(大将軍に次ぎ、左右将軍に並ぶ将号)の官を得て、事実上天下の中枢を制した。

 

 

 ~~~~~~~~~~~~

 

「天下は李傕将軍の時代よ!

あの御方に付いてゆけば、我らの立身栄達も間違いない!」

 

軍営で酒宴を賑やかす兵達に向かって、楊奉は気勢を上げた。

杯を交わし、騒ぎ狂乱の有り様である。

 

場に馴染めず、徐晃は折を見て楊奉のもとへ参り、言った。

 

楊奉殿、こう申し上げては気を悪くされるやもしれぬ。

が、正直に申せば李傕殿のやり方には、いい噂を聞きませぬ。

いずれ董卓の二の轍を踏み、民を苦しめる事にはなり申さぬか」

 

酒に酔った楊奉は、しかしあまり気を悪くはせずに言った。

徐晃、お前の言う事はわかるぞ。

皆の手前ああは言ったが、俺もこのまま李傕なんぞに仕えて終わる気はねえ。

が、戦には勢いというのが大事だ。

今時代は明らかに李傕に勢いがある、一旦これに付いておけば良い。

いずれ機を得て、俺が奴に取って代わるつもりだ!」

 

徐晃の表情は晴れない。

 

楊奉殿、拙者が申し上げたき事はそのような話ではなく・・・」

 

徐晃め、堅苦しいやつ!

とにかく今宵は宴なのだ、お前も飲め」

 

 

 

楊奉は、徐晃の武を買ってくれている。

 

だがその志に理解を示す事は決して無いと、徐晃は薄々感じ取っていた。

 

それでも楊奉には命を救われ、取り立ててもらった恩がある。

曲がりなりにも官軍として、民を虐げる賊を討つ任はしている。

しかし・・・

 

 

 

徐晃は、己の在るべき場所、進むべき道をまだ知らない。

 

 

 

徐晃伝 三 終わり

 

 

徐晃伝 二『恩人』

 
 
 
精悍な若者に成長した徐晃は、はじめ父と同じ県の役人として禄を食んだ。

真面目に、実直に職務を果たす傍ら、兵書を学び鍛錬に励んだ。

 

その頃、世を覆った黄巾賊も主な首領は官軍に討たれ、乱は一応の終息を見る。

だが依然各地には賊の残党が跋扈(ばっこ)して、民に安息は訪れていない。

 

ましてや朝廷は権力を巡る宦官・外戚の内部抗争に荒れ果てて、地方の役所も不正と汚職が横行した。

 

徐晃の父は清廉で、またその父に育てられた晃も誠実で善く民に尽くした。

上官に媚びず賄賂をしなかった為、冷遇され 、苦しい生活を余儀なくされた。

 

それでも清貧を良しとする父を家族も良く理解して、厳しい時代にも徐晃は日々、家族と穏やかに暮らしていた。

歳月は流れた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~
 

 

ある夜、街中から喧騒と悲鳴が響いて徐晃は目を覚ました。

黄巾賊の残党が街を襲撃したのだ。

 

あちこちで火の手が上がり、賊の掠奪に晒される。
 

徐晃は飛び起きて槍を持ち出すが、賊徒はあっという間に家の戸を蹴破り押し寄せた。

「女は生け捕りだ!」

母と妹が捕らえられ、外に引きずり出されてしまう。
 

徐晃は家族を救うため、無我夢中で賊を斬った。
 
「ソイヤッ!!」

 

常日頃の修練で磨いた徐晃の武は、弱者を虐げて回る賊徒の輩とは比ぶべくもない。

 

しかし、

 

 

(・・・は、初めて人を殺し申した・・・)

 

動揺した。

 

一瞬の隙を突かれ、賊の白刃が光り徐晃の眼前に瞬く。

 

「・・・!」
 

その時、鋭い矢の羽根が空気を劈(つんざ)き、賊の頭を射ち抜いた。
 

 


官軍である。
 
漢の旗を掲げた官軍が押し寄せ、次々と賊徒を討ち取った。
 
 
 

 

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助かったと思うも束の間、この者ら正規軍にしては、兵のガラが悪い。
 


「へへっ、若い娘じゃねえか。こいつは戦利品として頂いていくぜ!」

 

嫌な予感は的中し、ゴロツキのような兵は徐晃の妹に乱暴狼藉を働こうとした。
 

 


「やめられよっ!」

 

咄嗟に徐晃は、妹を守ろうと槍を向ける。
 


「貴様、官軍に逆らうつもりか!?」

 

粗暴な兵が怒鳴り、徐晃に斬りかかる。

 

これを躱(かわ)して槍の柄(え)で兵の手を打ち叩き、剣を落とさせた。
 


「こいつ、やりやがったな!」

 

周りの兵どもが襲い来る。

 

 

今度は意を決し、槍捌き巧みに柄をみねうちに用いて、多勢の兵をただ一人にして圧倒した。
 
 「動くな!女がどうなってもいいのか!」

妹を人質に取られてしまう。

 

 

そこへ、容貌魁偉(かいい)な騎馬の将が現れて兵を叱責した。

 

「よせ!民に手を出してどうする」

 

 

威厳がある。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

兵達は将を畏(おそ)れて静まり、彼は馬上から徐晃を見下ろして言った。

 

「うちの兵どもは荒らくれ揃い、素行が悪くて困るわ。すまなかったな」 

 

将は馬を降りて、徐晃の佇まいを見る。

「だがその分、みな精強で腕は立つ。

それを一人でああも捌くとは・・・お前、いい武を持っている」

 

まずは話のわかる男と見て、徐晃は槍を収め、将に頭を下げた。

「・・・拙者は徐公明。賊や兵から家族を守って頂いた事には、御礼申し上げる」

 

将は頷き、兵の暴挙をよく詫びこれを罰して、そして徐晃の眼をしかと見て言った。

 

「俺の名は楊奉(ようほう)。

白波(はくは)の義侠上がりだが、今はこうして民を守って賊を討つ、官軍の任を仰せつかっている。

徐公明!こんな小さな街で燻(くすぶ)らせておくには惜しい腕よ。

我が元で、その武を奮ってはくれぬか」

 

思わぬ申し出に徐晃は戸惑った。

 

即断できず、家族とよく話し、一夜明かして考えた。

この乱世に官軍として民を守り、拙者の武を活かす道があるのなら・・・

そして楊奉には、命を救われた恩がある。

 

翌朝徐晃楊奉の元を訪れた。

 

「この乱世に、拙者の武を活かす道があるのなら」

 

こうして徐晃は、楊奉の配下となった。
 

 

 

徐晃伝 二 終わり

 

徐晃伝 一『友』


※この物語はフィクションです。

 

姓は徐、名は晃。字(あざな)は公明。

司隷河東郡楊県の人。

 

父は真面目で廉直な地方役人、母はおおらかで優しく、妹もいた。

晃はこの家庭に生まれ幼少期を育った。

 

晃は近所の悪童どもを率いて、喧嘩して街中を駆け回った。

妹を守る優しさもあり、悪童ながらに慕われた。

 

だが一本気向う見ずな所があって生傷が絶えず、よく勝ち目のない年長の子に挑んでは負けて、外では泣かず、ぐっと堪えた分家では泣き、母に慰められることが多々あった。

 

見かねた父は、晃が字を読み書きできる歳になって、書を与えた。

「公明。お前は戦というものを知らぬ。

ただ闇雲に攻めるだけでなく、迂直之計がある事を知れ」

 

父は官位こそ低かったが高潔な志があり、

また軍馬の素養を学問に磨いていた。

 

晃は書を読み、兵法を学んだ。

この頃兵法書といえば、孫呉の武である。

(※孫呉の武=古の兵家、孫子呉子。)

 

・・・まだよくわからなかった。

 「父上。武を極めた孫呉ですら、
どうしてウ直の計を用いるのですか?」


父は聡明で、

「公明、戦わずして勝つのが最も善い。

善く待ち、武を磨き、機を得て勝つのが真の戦上手よ」

と教えた。

 

「・・・父上、拙者にはよくわかりませぬ」

「いずれ、わかる」

 

しかしそれから、徐晃の喧嘩の仕方は少し変わった。

 

 

~~~~~~~~~~~~


腕っぷし逞(たくま)しい少年に育って、徐晃は学問も塾に学んだ。

しかし何より身体を動かし木を振り回して、鍛錬に励むのが好きだった。


「お師さま。学問に極みを目指すように、拙者は武門に頂きを見出しとうござる」

 

師は教えた。

「公明よ、お前は賢い。

学も武も、よく人に学び、頂を目指し修練に励むが良い。」

徐晃は伸び伸びと学び、廉直に武を磨いた。

 

しかし同年代の子供たちには、幼くして備わる徐晃の崇高な志はわからなかった。

よって彼は人に話さず己に内省し、ひたすら一人鍛錬に励んだ。

徐晃の、孤高にしてひたすら己の研鑽に励む在り方は、この時から培われたであろう。

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

姓は満、名は寵。字は伯寧。

徐晃とは、同い年である。

 

変わった子供で、親の都合で街に引っ越してきたが、

他の子とはつるまず、家の庭先で何やらおかしな仕掛けを作って一人遊んでいた。

 

奇妙なよそ者と街の少年らがからかいに来るが、満寵が子供ながらに仕掛けた上手な罠に掛かって、喧嘩という喧嘩にはさせてくれない。

「卑怯だぞ!」「臆病者!」

泥水を被った小僧どもは口々に満寵を罵った。

 

しかし、徐晃だけは違った。

「このような罠に掛かったは拙者の未熟。
・・・まだまだ修行が足りぬという事か」

 

後日、徐晃は一人で満寵を訪ねた。

己にはない才覚を、彼に見出したからである。

 

声を上げ庭先に入ろうとすると、足元に縄が張ってある。

近所の悪童共もそこかしこに張られた罠に痛い目を見て、近寄らなくなったのは頷ける。

 

しかし同じような手を二度は食わぬと、徐晃は縄を跨いで門をくぐるが足元に気を取られたため、頭上の仕掛けに気付かなかった。

コツンと紐が放たれ、バシャッと桶の水が頭から掛かる。

 

こっそりと覗き込む満寵の姿に、頭からびしょ濡れの徐晃が叫ぶ。

 

「満寵殿!貴公の策は見事でござる。

その武略、どうか拙者に御教授願いたい!」

 

思わぬ言葉に満寵は目を丸くして驚いたが、やがて、ははっ、と笑い警戒を解いた。

「・・・変わった御仁だ。」

 

二人は語り合い、交誼を結んだ。

満寵は自分の発想で仕掛けを作り出し、それに驚く人の顔を見るのが楽しいと。

徐晃は己の武を磨き上げ、いずれ至るべき頂を見たいと。


やがてすっかり意気投合した二人に、周りの子供らは不思議がった。

誰もが一目置く実直な徐晃と、奇妙な仕掛けを作って楽しむ満寵とが、すっかり仲良くなってしまったからである。

 

 

~~~~~~~~~~~~


悠久の中国大陸。

広い草原に夕陽が落ちて、徐晃と満寵は街外れの石垣に腰掛け、語り合った。


やがて徐晃は、親しみを込めてこう言った。

「満寵殿。拙者と貴公とは、物の考えも己の在り方もまるで違うが、

しかし拙者は最も己を知る者を得た気がいたす。」

 

満寵は応えた。

「ははっ、私の方こそ、これほど自分の事を誰かに話して、
分かってもらえたのは初めてだよ、徐晃殿。

・・・私達は、善き友になれたという事かな」

 

「・・・友?

そうでござるか。これが、友」


 
しかし時は、後漢末期。


乱世である。

 


折しも太平道の教祖・張角冀州に立ち、賊徒蜂起は各地に広まった。

満寵は家族に連れられ、徐晃の街を去った。

 

 

後に二人は再会する事になるが、それはまたずっと先の話である。

 

 

 徐晃伝 一 終わり

 

『源太左衛門~真田六文戦記~』第五文銭:暗雲高天神

 

 


―巨星、墜つ。

 

武田法性院信玄、逝去。(享年五十二)

 

 


一月末、行軍中に体調を崩した武田信玄は病床に倒れ、そのまま、帰らぬ人となった。

 

 


元亀四年春、先の三方ヶ原合戦からわずか四ヶ月後の事である。

 

 


「・・・御屋形様っ!」
うぐぅ・・・おぉ・・・御屋形様ァァーーッ!!」


陣幕に臥せる亡骸を囲み、諸将は、号泣せしむ。


「・・・信じられぬ、何故こんな事に・・・」
「御屋形様、目をお開けくだされ~~!」
「うぅ・・ぉお御屋形様ァァーーッ!!」
「・・・・・・・・・・」

ザーーーッと、雨が叩き降る。
薄暗い陣屋には、すすり泣き叫ぶ諸将らの悲嘆が虚しく響いていた。

 


将・山県は、拳をわなわなと震わせる。
「・・・御屋形様の遺志を遂げむ!斯くなる上は、直ちに進撃を」


信玄の遺言である。
臨終間際、傍らに侍る将・山県の手を握り、信玄は言った。
「・・・京に、武田の旗を立てよ・・・」


最期まで、天下獲りへの野望を夢見、逝った。

 

老将・馬場美濃守は茫然自失と虚空を眺め座しておったが、はっと、立ち上がる山県を引き止める。
「・・・源四郎、落ち着けィ。もはや、此れまで」


高坂、内藤、秋山、小山田、各虎将。
オンオンと涙し、あるいは陰鬱なる面を伏せ、ただ黙している。

 

「放せィ、爺ぃーっ!!御屋形様はァーーッ!!」

山県は涙を散らし、泣き叫んだ。


「・・・もう、おらぬのだ」

馬場美濃の横顔は、悲愴であった。

 

 

 

 

源太左衛門。

諸将に並んで信玄公の骸前に座し、暗く俯いている。

心は、虚ろ。

(天下を治める英傑たるは、御屋形様と信じておった・・・)

 

志半ばで果てるとは、自身も、さぞや無念の事であろう。


荘厳にして慈悲深く、民草を安んじ国を守護せし、その雄姿は武士団の羨望、畏怖、まこと精神的支柱であった。


(・・・優しい御方であった)


源太の目に、自然、涙が溢れた。

 


隣では、次弟・兵部がオンオンと男泣きに泣いておる。

三弟・喜兵衛は眉間に皺深く面を伏せ、一言も口をきかぬ。
ツーっと、目から涙が一筋、伝う。

 

雨音と悲号が虚しく響き、暗い陣幕は誰もが悲嘆に暮れていた。

 


馬場美濃守は、無気力にだれる。

「・・・御屋形様亡き今、上洛は果たし得ぬ。・・・此れまでじゃ」


武田家は、あまりにも偉大過ぎる棟梁を喪った。

 

 

 

四月末。
武田軍は京への進軍をあきらめ、本国・甲斐へ撤退した。

 

 

 

 

 

 


~~~~~~~~~~~~

 


六月。

源太左衛門は甲斐、躑躅ヶ崎(つつじがさき)館へ参内す。

大広間には武田家一族家臣ら御一同、ずらりと勢揃い。

 

ざわざわがやがやと賑わすが、皆、表情は明るくない。

 

真田源太は満場の中段にて座し、弟二人と共に陣取る。


ふと向かい側、正面に座すは、小山田兵衛(ひょうえ)尉。
平素無愛想なツラ構えだがこれは、いよいよ、死人の如く無気力である。

陰気なツラで気が滅入るが、しかし、御屋形様を喪い心より落ち込む様、人情を感ず。不快ではない。同志なのだ。

 

 

 

さて、大広間奥中央の上座には、いつも信玄公が堂々鎮座したものだが、今はもう居ない。

代わりに齢二十代後半、精悍な若者が姿勢正しく居座り、一同を臨んでいた。


諏訪四郎勝頼である。

 

 

 

 


嫡流、という概念がある。


武家の棟梁はその正妻の長男、すなわち嫡男(ちゃくなん)こそ代々正統なる継承者。
たとい棟梁の実子だろうと、次男や三男、側室の子らは庶流である。

 

 


この四郎勝頼なる若者、武田信玄の実の息子だが、四男坊で、母は側室だった。


当然武田総本家は継ぐべくもない。
よって幼少期に武田家を出され、臣下・諏訪家に降籍し其の名跡を継いだ。

 

やがて成長せし諏訪勝頼は、容貌精悍にして武勇豪胆。

若くして歴々の合戦に活躍し誉れ高く、優秀な家臣の一員として、諸将と共に武田軍団を支えゆく生涯を歩むはずだった。

 


・・・が、奇妙なる宿縁、運命の歯車は狂う。

 


あまりに突然の信玄の死。そして武田総本家の、お家事情である。

(信玄の嫡男・太郎義信は先年、謀反の罪を問われ自殺。次男・二郎信親は、盲目のために出家し僧となっていた。三男・三郎信之は生来病弱。幼年にして早逝している。)


・・・後継者がいなかった。

 

斯くして継承権一位に躍り出たるが、この四郎勝頼である。
此の度、外戚・諏訪家から急遽呼び戻され、非常時例外的手続きを経て、武田総本家の棟梁を継ぐ。

 

武田大膳大夫勝頼と号す。

 

 

 

(・・・勝頼様、御立派に成られたものだ)


幼少の時風より見知ったる源太は、若殿の威風堂々を感慨深く思う。

 

・・・が、これはかなり好意的な心象だ。

 

 

此度の家督継承は、至極、多難であった。

 


やむを得ぬといえ嫡流より逸脱する特例の継承。
一族の年配者、叔父御親族一門衆のオヤジどもババアども、おいそれと素直に受け容れてはくれぬ。


(四郎の青二才が、御屋形とはなァ・・・)

(・・・卑しき妾腹の子なぞが、あゝ嘆かわしや)

(諏訪の外戚に当主が務まるものかよ・・・)


卑屈である。

 

 

 

また譜代重臣ら家臣団御一同も、これは並々ならぬ。


武田二十四将とも称されし綺羅星の如き歴々の豪傑策士将帥ども、これを一統まとめ上げるなど、まことに難儀を極まれり。

(もともと武田軍団は単純な殿様と家来の主従関係にあらず、独立性高き地方領主達が武田総本家を中核に結託する諸国連合体の性格が強い。各武将らは厳密には家来でなく、同盟者と言えよう。)

 

この事情複雑たる武田家中を強烈に統率し、戦国最強軍団たらしめたカリスマ性とは、武田信玄なる稀代の英傑なればこそ。

 

(・・・父上には遠く及ばぬ、私には甚だ力量不足。わかっておる。
わかっておるが・・・それでもッ)

 

それでも勝頼は、この大役、務め上げむと決意する。

生来実直、生真面目の御仁である。

 

信玄公を喪った武田家は今、まさに家中存亡の危機。
数奇な命運にて新当主と成るからには、必ずや偉父の遺した家を立て直し、次代へ継ぎ奉らむと決起する。

いかなる不満や誹謗をも呑み、いかなる障壁、困難も果敢に挑むは決死!不退転の覚悟である。


(御旗、楯無も照覧あれッ!)

 

 


「・・・御一同ッ!!」

 

凛々しい雄叫び。

咄嗟に一座、静粛にひれ伏す。

 

 

 

「若輩なれど、誠意、務めむ。

・・・何卒宜しゅう、お頼み申す」

 

誠実謙虚、深々と頭を下げた。

 

 

「「ははーーーっ!!」」


一同揃って、平伏す。

 

 

 

 

武田勝頼という御屋形、決して無能ではない。
むしろ其の将器、甚だ有望である。


・・・唯一つの弱み、それは、父が偉大過ぎた。

 

 

 

(この御仁に身命捧げむ!新生武田家は、これからじゃ)


(弱輩者、なれど心意気や良し!我ら宿老、生涯賭して、立派な御屋形に育て上げむ)


(情けなしッ・・・!家臣に頭を垂れねばならんか、武田の御屋形が)


(・・・信玄公を継ぐ器に非らず。我ら一族、身の振り方を考えておかねば)

 


一門、諸将、多々様々なる思惑が相居並ぶ。

 

 


信玄公のもと家中団結の一束と成りて駆け抜けた、


かつての武田軍団はもはや無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 


源太は里帰りした。

久々の休暇である。

 

甲斐より遥々信濃へ下り、地元の真田郷へと一時、足を運んだ。

 

「「父上~~!!」」

邸宅の門をくぐるとドタドタと、子供たちが出迎えた。


「よぅしよぅし、ヨゥエモン、ヨザエモン、息災であったか」

男児双子の幼兄弟、与右衛門と与左衛門は、源太の愛しき息子らである。


ヒョイと抱き上げ、ワシャワシャと頬擦りする。
嬉しそうに、はしゃいでおるわ。

 

「これこれ、騒ぐとまたお咳が出ますよ」

妻・於北(おきた)が顔を出す。


「御前様、お帰りなさいませ」
玄関にて礼儀正しく膝を折り、亭主の帰りを出迎えた。

「うむ。ただいま、帰ったゾイ」

 


「「ジィジさま!御父上が~~!!」」

嬉しそうにドタドタとはしゃぐ幼兄弟は、屋敷の縁側に寝そべる爺ィをユサユサ起こす。

「・・・ん・・ぅぐう、源太か」


源太の父・一徳斎幸隆は智略鋭敏、稀代の策士として恐れられ、かつて信玄公の軍師として歴戦を駆け巡ったものだが、引退して、もはや隠居も数年。
今やすっかり孫たちに甘い、好々爺である。


「・・・まぁ諸々、あるだろうがな、源太。今は、ゆるりとしていけ」

「・・・父上、御屋形様が」

「聞いておる。・・・時代は、変わってゆく」

 

遠い眼で、空を眺めた。

亡き御屋形様と共に駆けた若き日々、思い返してでもいるのだろうか。

 

「「ジィジさま~!!」」

「はっはっは、これこれ!」

キャッキャッとはしゃぐ孫たちに懐かれ、優しい爺ィの顔に戻った。


(・・・一徳斎は翌年、信玄の後を追うように、静かに息を引き取る。
家族に看取られ、穏やかな最期だった。)

 

 


「・・・さても、於幸(おこう)は息災か」

源太は妻・於北に尋ねる。

「ええ、またも病に臥せがちでしたが、今では少しマシに・・・」


源太と於北夫婦の子らは、二男一女。
末娘の於幸はまだ幼いが、どうも病気がちで、臥せってばかり。


「ケホッケホォ!」

「これこれ、そんなにはしゃぐから、この子らは、もう・・・」


与右衛門、与左衛門の幼兄弟も少し騒げば、こうして咳き込む所があり、身体が丈夫ではない。

 


子らの健康、源太には何よりも気掛かりであった。


(・・・信濃の田舎で、豊かな自然で、すくすく育ってくれればそれで十分というに)

 

 

「源太、帰ったのかえ」

「・・・これは御母上」


源太の母・おとりは、此れは大層パワフルな、ばば様であった。
夫・一徳斎の間が抜けているから、もはや真田一族の長老といえばこのばば様という程のカリスマである。


「徳次郎と源五郎も、帰っております。」
(註:源太の次弟・兵部、三弟・喜兵衛の共に幼名。)

「そうかいそうかい、これは久々に大層賑やかことで。
今宵は、奮発せねばなりませんね」

 


―わっはっはっはははっは!!

 

夕飯は家族団欒、平和なひと時であった。

 


・・・源太左衛門は、一族の家長。
この真田の郷を守らねばならぬ、使命があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 


「武田は、これから厳しいでしょうな」


夜、自室で酒を酌み交わしながら、三弟・喜兵衛が切り出した。

(次弟・兵部は大酒に呑まれて、畳でガーガー寝ている)

 


「・・・家中は一枚岩では御座らぬ。兄上も気付いたでしょう」

 

喜兵衛の言う事はよくわかる。

 


「憂慮してきた事が、現実となった」

 

かつて潮風吹かれし薩埵(さった)峠で、今川家臣どもは保身に走り、主家を見捨てて裏切った。

しかし彼奴らとて、守るべき郷があっただろう。
喜々として裏切りをするものかい。
家族と主家とを天秤に賭け、苦渋の、決断だろうよ。


「・・・あの時思った。信玄公亡き後、武田は・・・そして、真田は」

 

しかし、見た。


寒風吹き荒ぶ三方ヶ原で、徳川家臣ども己が命を省みず、ただ主君を守るため凄絶に、忠義に殉じ散ってゆく様。


「心、揺れ動かされたであろう」

 

「・・・忠節の烈士、あれぞ武門の鑑かと」

冷徹能面の如き喜兵衛も、胸の内熱き滾りを感じた。

 


「主君の為、家族の為、誰かの為に懸命に生き、その生涯を捧げたる時。
人の一生は輝くのだ」

 


先代・信玄公を喪った武田家は、これからどうなる?
そして我ら真田一族は、如何に生きるのだ?

 

 

源太は、大酒をぐいと飲み干した。


「ワシは、どちらもやるゾイッ!!」

 


喜兵衛は刮目する。


「・・・我が生涯は武士として、主家に忠義を貫かむ」

源太は誓い、もう一杯飲み干す。


「我らが勝頼様を盛り立て、武田家の栄光を再び世に現出するのだ」

(信玄公への、御恩返しよ・・・)

 


いつの間にやら兵部も、起きて、清聴する。


「そして同時に家長として、この乱世、必ずや真田一族の存続を果たし、次代の子らへと繋いでみせるわ!」

 

なみなみと注ぎ、杯を掲げるは、源太左衛門。

 


もはや迷いなし。

武田を支え、真田を守る。これが源太の生き様である。

 

(頼もしきよ兄者、これぞ真田の棟梁じゃ)

 

「その為に兵部の武、喜兵衛の智、ワシにはどちらも欠かせぬッ!
・・・弟ら。我が半身と成りて、共に真田を守ってくれるか」

 

「応ともッ!」

兵部は豪勢と、杯を掲げる。


「無論でござる」

喜兵衛も静かに、杯を掲げた。

 

 


三つの杯は重なり、各々、ぐいと飲み干した。

 

 

 

 

 

 

 


~~~~~~~~~~~~

 

織田信長、時代の風雲児である。


その強さとは徹底的合理主義思考と、それを成し遂げる豪胆不屈の行動力にある。


尾張半国の守護代又代より始め、実力を以て戦国乱世を駆け昇る。
今や畿内中枢八ヶ国を掌握する、大大名となった。

 

御旗に刻むは"天下布武"。
武力による天下統一という明確なビジョンを、これほど鮮明に掲げる大名は他にない。

 


・・・が、彼の覇業に、最大最強の敵が立ち塞がった。

 


武田信玄である。

 

 

順風なる信長の覇業は突如、四方八方を敵に囲まれる危機に転じる。
(裏から諸大名を一斉に反織田に決起せしめた黒幕は、武田信玄。)

いわゆる信長包囲網である。


さらには徳川家康が敗れ(三方ヶ原の戦い)、いよいよ武田軍全戦力が一斉に、信長にトドメを刺さんと押し寄せた。

 

この生涯最大の危機に、信長はどう対応したか。

 

 

「・・・是非も無しッ」

 


―逃げた!

 

早々に本拠・岐阜城を放棄し、決戦を避けて京都へ逃げた。

・・・一廉(ひとかど)の大名が、こうもあっさり国を捨てるとは、なかなか出来る事でない。

 


臆病風に吹かれたわけでも、自暴自棄となったのでもない。

至極、冷静である。

 


斯くも徹底した合理的思考、大胆不敵な行動力。これが信長の強さだろう。

 


逃げの一手で合戦を避け、劣勢挽回の策を昼夜徹して熟慮せむ内に何と、

 

信玄が死んだ。

 


豪運と言っていい。

斯くして織田信長は生涯最大の窮地を、戦わずして切り抜けたのだ。

 

 

武田の脅威が一時減ず、この絶好の機を逃さない。

信長は打って変わって怒涛の攻勢に転じ、次々と敵対勢力に襲い掛かる。


元亀四年七月、足利将軍家を放逐。
(ここに二百三十年続いた室町幕府は滅亡する。)

さらに八月、越前の朝倉家、九月には近江の浅井家を、相次いで攻め滅ぼした。
(いずれも一時代を築きし大名家、ひと月で滅ぼすとは尋常でない。)

信玄の遺した包囲網は一挙に崩れ、パワーバランスは立ちどころに逆転する。

 

斯くして、権威絶世!
朝廷すら掌握した信長は、織田新時代を象徴すべく世の元号を"天正"に改元せしむ。

 


畿内北陸中部東海、十数ヵ国に君臨す。

 


織田信長は今、稀代の傑物と化けた。

 

 

「我が"天下布武"、成就の為。

・・・武田、滅ぼさにゃあならん」

 

 


決戦の時は、近い。

 

 

 

 

 

 

 

 


~~~~~~~~~~~~

 


明けて、天正年間。

 

甲斐・躑躅ヶ崎館に激震が奔る。

 

 

「お、奥平貞昌殿、御謀反ッ~~!!」

 


大広間の家臣団一同、ざわざわがやがやと、動揺を隠せない。

 

 

(ついに武田家中から、謀反者が出たか・・・)

源太左衛門は歯軋りをした。

 

平氏が治める長篠城はじめ奥三河一帯は、武田-徳川最前線の要衝地帯。
ここを敵方に削り獲られるは、国防上の重大なる危機、由々しき事変である。


・・・何か恐ろしき事態の、序曲のように感じられた。

 

 

家臣団には世代交代にて、新参の顔がちらほら見える。
特に動揺が激しい。


「徳川に降るなぞ、トチ狂ったか奥平ァーーッ!!」

「待て待てィ今や織田・徳川は、かつてと比類無き程の大勢力!!」

「・・・このまま国境を放置すれば、取り返しのつかぬ事に」

 

一方で譜代重臣らの戦略眼は、遥かに広い。

小僧らの言う事など相手にしておらぬ、黙して、上座の御屋形を注視した。

 

 


勝頼公は、落ち着いている。


「・・・先手を打たれた、という事であろう」

 

 


然様、さすがに勝頼様は、武田の御屋形の器である。
しっかと戦況を理解されておる。


源太には若殿の堂々たる姿、嬉しく思えた。

 

 


この謀反、無論、織田・徳川方の調略である。


もうすでに、始まっている。

 


大国と化けた織田・徳川軍、対する新生・武田軍との、未曾有の大合戦はもうすでに始まっているのだ。

 

「・・・長篠はじめ奥三河を得た徳川の防衛網、容易には破れぬ。
ここに攻め入り、足止めをくわば、その隙を逃さず織田が来る。
挟撃されれば窮地となろう」


重臣らが奏上すまでもなく、勝頼公は、見事鮮明なる軍略を説く。


「後手に回るも我らは、敵の罠には乗らぬッ」

 

御一同、新たなる御屋形様に刮目した。

 


「次の一手は、三河にあらず!楔を打つべきは、遠州・・・」


軍配を掲げる凛々しき御姿。
源太は此れに、信玄公の面影を見た。


「・・・高天神城ッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 


~~~~~~~~~~~~

 

高天神城は、遠州の重要拠点。

難攻不落の城塞にして、かつて武田信玄が大軍で囲むも攻め落とせなかった程の徳川方の堅城である。

 

 

 

これが、瞬く間に落城する。


天正二年春、武田軍による想定外の襲撃に不意を突かれた織田・徳川は、対応が遅れた。

疾風怒涛であった。

 

「・・・勝頼様、御戦勝!祝着至極ッ」
「かつて信玄公でも落とせなかった要害ですぞ、此処は!」


武田方の大勝利である。

 

 


信玄の死から早一年。
勝頼率いる新生・武田軍団の華々しき戦果は、其の威光を天下に轟かせた。

 

(・・・父上、御照覧あれィ。四郎が必ずや、武田を継いでみせまする)

 


信玄公を喪った武田家が、立ち直りつつある。
勝頼公を盛り立てて、我らが新たな時代を築かむッ!!

そんな高揚感が滾り、家中に希望の光が差している。

 

 


源太左衛門も、昂ぶっていた。

 


・・・が、高天神城を覆うこの曇天の、陽を遮る暗い雲に感じる一抹の不安は何なのか。

 

 

 

 

 

 

 

第五文銭「暗雲高天神」、了

~続く~

 


※この物語はフィクションです。
※一部、設定が史実の通説と異なる場合があります。ご了承ください。

 


【参考文献】

甲陽軍鑑』、『真田家譜』、『仙台真田代々記』、『信綱寺殿御事蹟稿』、『高白斎記』、『甲斐国志』、『当代記』、『伊能文書』、『越後野志』、『上杉家文書』、『上越市史』、『松平記』、『三河風土記』、『北条五代記』、『信長公記