飲んだことある日本酒の銘柄とその由来について①

 

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上善如水(じょうぜんみずのごとし)

新潟県南魚沼郡湯沢町、白瀧酒造。

出典は中国春秋時代思想書老子』の一節、「上善は水の如し。水はよく万物を利して争わず、衆人の恵む所に処る」。

人間の理想的な生き方は、水のように様々な形に変化する柔軟性を持ち、他と争わず、自然に流れるように生きること。

道家老荘思想の根本的な教義である。

その名を冠するにふさわしく、水のようにすっきりとした口当たりで、酒に慣れない人でも間違いなく飲みやすい。

それでいて純米酒(米、米麴、水のみで醸造された酒)の香り高い風味が、洗練された繊細さで透き通るように感じられる。

万人にお勧め出来る至高の一献。

 

 

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獺祭 (だっさい)

山口県岩国市、旭酒造。

獺はカワウソ。

江戸時代の妖怪絵師・鳥山石燕の『画図百鬼夜行』にも描かれるように、獺は古来より狐や狸と同様に人を化かすと考えられていた。

蔵元である旭酒造の地名・獺越(おそごえ)は、古い獺が人を化かして越して来たという伝承を由来とする。

また儒学の経典『礼記』を出典とする「獺祭魚」という言葉は、捕らえた魚を川岸に並べるという獺の習性から、これを先祖へ供物を捧げる祭儀と見なした事を言う。

転じて、詩や文を作る時に多くの書物を広げて調べる様子を指す。

(明治時代の俳人正岡子規は自らを「獺祭書屋主人」と号している。)

旭酒造は、従来の日本酒醸造に欠かせない杜氏(とうじ、職人集団)を廃し、経験と勘に依っていた醸造工程を徹底的に分析して厳密な数値化とデータ管理を実施。

酒蔵での最新空調設備による温度湿度の調整、発酵状態の計測と適正な品質管理で季節を問わず一年中、高品質な日本酒の安定生産を可能として業界に革新をもたらした。

獺祭は、日本酒分類上の最高峰とも言える純米大吟醸酒(米と米麴と水のみで作る純米酒、かつ米を精米歩合50%以下まで磨き上げた大吟醸酒)のみを醸造するというこだわりで生産され、芳醇な風味と甘露な飲み口、爽やかな香りで非常にわかりやすく最高に美味い。

幻の酒造りでなく、機械化による徹底的な品質管理と安定生産。

その絶大な人気から、ともすれば価格も高騰しがちな局面において「お願いです。高く買わないで下さい」との意見広告を出すなど、多くの人々に美味しい酒と楽しい時を届けようという蔵元の信念は一貫している。

 

 

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鍋島(なべしま)

佐賀県鹿島市、富久千代酒造。

大正時代の創業で年間四百石程度の小規模な蔵元だが、地元佐賀の良質な水と米を活かした丁寧な酒造り、たゆまぬ努力による商品開発で非常に完成度の高い日本酒を醸造している。

2011年、世界的酒類品評会IWC(インターナショナルワインチャレンジ)日本酒部門において最優秀賞を受賞し一世を風靡した。

名前の由来は肥前国佐賀藩主、鍋島一族より。

藩祖は戦国武将、鍋島加賀守直茂で、"肥前の熊"と呼ばれた大名・龍造寺山城守隆信の参謀として頭角を現した。

主・隆信が豪胆で決断力に優れた武勇の人であれば、直茂は知略と判断力に長けた才智の人である。

沖田畷の戦いで"鬼島津"中務少輔家久により隆信が討ち取られると、その遺児を奉じて御家再興のため尽力。

太閤豊臣秀吉と通じて九州征伐を誘致し、大友家・立花飛騨守宗茂らと共についに仇敵島津家を打倒した。

才気煥発に過ぎた直茂は秀吉の厚い信任を得て、主である龍造寺家の実権を手中に収め半ば独立大名の様相を呈した(直茂自身はあくまで龍造寺家臣下の忠義を全うするが、御家は実質大名化した)。

その後は文禄・慶長の役で活躍、関ケ原では当初西国に属するも東軍の勝利を予見し、見事な立ち回りで徳川内府家康の信任を得ておよそ三十六万石の本領を安堵されている。

直茂は主家龍造寺氏を立てて自らが藩主となる事は無かったが、子孫は主家から禅譲を受け肥前佐賀藩を引き継いだ(この時の龍造寺家・鍋島家の確執は御家騒動へ発展し、妖怪・化け猫の伝承と結び付いて後世の創作「鍋島化け猫騒動」が生まれた)。

以後、およそ三百年に渡って鍋島家は佐賀の地を治め、善政を布いて産業を発展させ、特に幕末維新期には日本有数の技術大藩となっている(明治維新を主導した藩はいわゆる薩長土肥と呼ばれ、薩摩藩長州藩土佐藩、そして肥前国佐賀藩である)。

 

 

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七本鎗(しちほんやり)

滋賀県長浜市、冨田酒造。

琵琶湖最北端、賤ヶ岳にほど近い旧北国街道沿いの土地にある創業四百七十年の歴史を持つ酒蔵。

名前の由来は「賤ヶ岳の七本槍」より。

本能寺の変後の織田家中における覇権を賭けて柴田修理亮勝家と羽柴筑前守秀吉が争った賤ヶ岳の戦いで、特に勇猛果敢な活躍をした七人の若武者を称してこのように呼び讃える。

・加藤主計頭清正(肥後熊本藩初代藩主)

・福島左衛門大夫正則(安芸広島藩初代藩主)

・片桐東市正且元(大和竜田藩初代藩主)

・加藤左馬助嘉明(伊予松山藩初代藩主)

・脇坂中務少輔安治(伊予大洲藩初代藩主)

・平野遠江守長泰(江戸幕府旗本)

・糟屋内膳正武則(播磨加古川城主)

以上の七名であり、いずれも秀吉の子飼い・直参衆から武働きで出世し、豊臣政権を支えて大名化した。

 

 

 

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No.6(ナンバーシックス)

秋田県秋田市、新政酒造。

日本酒の醸造には、原料の米に含まれる糖分を分解しアルコールを生成する微生物・酵母菌の働きが欠かせない。

酵母の種類と質で日本酒の風味や香りは大きく異なる。

1906年、明治政府はより良質で近代的な醸造技術の進歩発展のため日本醸造協会を設立。

協会は全国各地から有用な酵母菌を収集し、研究所での分析と全国新酒鑑評会における評価など多角的な視野から最も優れた酵母菌を採取して純粋培養し、これを協会◯号酵母として全国の酒蔵に頒布提供した。

1〜5号酵母の頒布後、従来型の短期高温粗白米の醸造技法に変わって長期低温高精白米による新技法の時代が到来し、これに最適と判明した新型酵母が頒布された。

協会6号酵母である。

その確固たる優秀さから協会は全国の酒蔵への採用を指導、長期低温発酵による吟醸酒造りの原型を形成し、近代醸造史に刻む功績となった。

この6号酵母が発見された蔵こそ、秋田県秋田市の新政酒造である。

協会酵母はその後も代を重ねて研究が続くが、6号酵母は安定して優秀な性質を保ち、現代でも用いられる最古の酵母菌の一つ。

No.6は、新政酒造が6号酵母の歴史と伝統を重んじその特色を最大限に活かす酒造りで、高級感溢れる微発泡感、米の洗練された香りと、苺か桃にも似たフルーティな風味を有する高品質な生酒の味わいを今日に伝えている。

 

 

②へ続く

 

 

 

【参考URL】

上善如水|白瀧酒造 株式会社

獺祭の蔵元|旭酒造株式会社 / Dassai Official Web Site.Asahishuzo CO.,LTD.

佐賀の酒 鍋島|富久千代酒造

七本鎗の酒造り|冨田酒造有限会社

No.6 ナンバーシックス|新政酒造株式会社オフィシャルサイト

 

 

無双OROCHIシリーズに登場する妖魔軍武将の出典まとめ⑤

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※前回の④で妖魔軍武将全60体記載済みと致しましたが、OROCHI3で何気に増えてたので追加しました。今回の記事含め、全72体となります。失礼致しました。


温羅(うら)

古代日本で吉備国岡山県南部)を支配したと伝わる鬼。

「吉備冠者(きびのかじゃ)」「鬼神」または温羅(おんら)とも。

吉備国外から渡来して製鉄技術をもたらし、鬼ノ城(きのじょう)を拠点に一円を支配した。

身長は四メートルを超え怪力無双で、両眼は虎狼、赤い髪と髭が炎のように伸びた恐ろしい異貌と伝わる。

日本書紀』に引く崇神天皇四道将軍の一人・吉備津彦命(きびつひこのみこと)が派遣され、温羅を討伐して吉備を平定したという。

温羅の伝承は吉備津神社吉備津彦神社の縁起などに散見され、天正年間の『備中吉備津宮勧進帳』、江戸時代に賀陽為徳が著した『備中国大吉備津宮略記』に記述が見られる。

吉備津彦命による温羅討伐は、桃太郎の鬼退治伝説のモチーフになったとも言われている。

 

 

怪火(かいか)

原因不明の火球が現れる怪奇現象の総称。

日本では、江戸時代の『和漢三才図会』に引く青白い火の玉が空中に浮かぶとされる鬼火、鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』に描かれる不知火(しらぬい)や人魂、狐火など数多くの伝承がある。

現世を彷徨う死者の霊や妖怪の仕業とされ、また世界各地に類似の事例が存在する(欧州のウィルオウィスプやジャックオーランタンなど)。

青森県津軽地方に伝わる死者の霊魂「亡者火(もじゃび)」も怪火現象の一種である。

 

 

手洗鬼(てあらいおに)

江戸時代の奇談集『絵本百物語』に登場する巨人。

曰く三里(約12km)もの距離の山々を一股に跨いで、巨大な上半身を倒した態勢になって海で手を洗う。

ダイダラボッチ(日本各地に伝わる巨人信仰)の一種とされる。

妖怪研究家・村上健司の調査によると、手洗鬼の伝承は『絵本百物語』以外の文献では確認されていない。

しかし讃岐国香川県)において巨人が飯野山と青野山を跨いで瀬戸内海の水を飲んだという伝説が存在し、それが元となって手洗鬼に変じたという解釈が出来る。

 

 

塗壁(ぬりかべ)

日本の妖怪。

本来は九州北部の伝承で、夜道を人が歩いていると突然見えない壁のようなものに阻まれて進む事が出来なくなる、という現象を示した。

昭和初期に民俗学者柳田國男が民間伝承を蒐集したが、一部地域に限定されるもので比較的知名度は高くなかった。

しかし1960年代、妖怪漫画家の水木しげるが『ゲゲゲの鬼太郎』において主人公の仲間として「ぬりかべ」を描いた事から広く一般に周知される(大きな壁に目と手足が付いたキャラクター像は水木しげるの創作)。

また民俗学者湯本豪一によると、江戸時代の妖怪絵巻『化け物尽くし絵巻』に描かれる三つ目の巨大獅子について、アメリカ・ブリガムヤング大学図書館所蔵の妖怪画『化物之繪』との照合の結果これが「ぬりかべ」という名である事が判明した(一方で京極夏彦、多田克己、村上健司ら妖怪研究者達はこの三つ目の「ぬりかべ」と伝承上の塗壁とが同一であるかについては不明と評している)。

 

 

風狸(ふうり)

中国の妖怪。

風生獣(ふうせいじゅう)、風母(ふうぼ)、平猴(へいこう)とも。

明代の類書『本草綱目』に曰く、たぬきやカワウソのような大きさの赤目・黒模様・青毛を有する獣で、夜になると木々や岩の合間を鳥のように滑空する。

その身体には刃が通らず火でも焼けず、一度死んでも風を受ければ生き返るという。

日本では江戸時代の『和漢三才図会』や鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』、葛飾北斎の画集などに広く記述が見られる。

 

 

網剪(あみきり)

鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に登場する妖怪。

網切とも。

エビのような長い身体に蟹やサソリのようなハサミを持つ。

解説文が無く、石燕の創作妖怪とも言われるが詳細は定かでない。

江戸時代・寛保年間の説話集『諸国里人談』などに登場する人間の髪を切る妖怪・髪切りとの関連も想起される。

妖怪研究家の多田克己によれば、網(あみ)と小型甲殻類のアミ(糠蝦)をかけた言葉遊びにより造られたものとする解釈もある。

 

 

一目連(いちもくれん)

暴風を司るという日本の妖怪・神。

日本書紀』『播磨国風土記』に見られる天目一箇神(あめのまひとつのかみ)と同一視され、『古事記』においては天津麻羅(あまつまら)と呼ばれる鍛冶の神である。

名は一つ目の意味であり、隻眼の製鉄神として信仰を集めた(ギリシャ神話における一つ目の巨人サイクロプスも鍛冶の神という共通点がある)。

民俗学者柳田國男によると、江戸時代に伊勢湾を航行する船乗りが湾から見える多度山の様子で天候を判断した事から、多度大社(一目連神社)の祭神・天目一箇神に海難防止の御利益・信仰が生じたと考察している。

『和漢三才図会』には一目連が神社を出て暴れると暴風が起こるとする記述が見られる。

 

 

後眼(うしろめ)

後頭部に眼が一つだけあり、一本指の鋭い爪を持つ異形の妖怪。

江戸時代の尾田郷澄による妖怪絵巻『百鬼夜行絵巻』に描かれている。

また同時代の絵巻物『百物語化絵絵巻』にも同じ特徴で「親にらみ」という名の妖怪が登場する。

出典は『和漢三才図会』や『異国物語』に記述されるよう、中国の伝説上の異人種で後眼(こうがん)国に棲むとされる後眼人である。

葛飾北斎の画に後眼(こうがん)と説明される中国異民族風の、後頭部に一つ目がある弓手が描かれている。

 

 

髪鬼(かみおに)

鳥山石燕の妖怪画集『百器徒然袋』に登場する妖怪。

鬼髪(きはつ)とも。

人間の女性の怨みや嫉妬の念が頭髪に憑き、妖怪と化したもの。

髪がどんどん長く伸びて鬼の角のように逆立つ。

長く伸びた髪をいくら切り落とそうと際限なく伸び続けてしまうという。

妖怪研究家の村上健司によると、古来より人間の頭髪には不思議な力があると信じられ、その伝承を元に石燕が創作した妖怪ではないかと解釈される。

 

 

縊鬼(くびれおに)

中国と日本に伝わる妖怪。

人に取り憑いて首吊り自殺をさせようとする。

中国では縊鬼(いき)と呼ばれ、宋代の類書『太平御覧』や清代の小説集『聊斎志異』に記述がある。

伝承によると冥界の亡者は、魂が転生するために生者を自分と同じ死に方で冥界へ迎えねばならず、そのため縊死した死者が生者に取り憑いて首吊りをさせようとするものが縊鬼である。

日本では江戸時代の奇談集『絵本百物語』に「死神」として同様の特徴が記述され、やがて水死者の霊であり生者を川へ引き込むという怪へと変遷していった。

 

 

白蔵主(はくぞうす)

日本の妖狐、稲荷神。

南北朝時代和泉国少林寺に白蔵主という名の僧がいて、稲荷大明神を厚く信仰していた。

ある時、竹林で三本足の白狐と出会い、これを連れ帰って可愛がった。

白狐には霊性があり、吉凶を告げたり泥棒を防いだりしたという。

白狐は人間である白蔵主にも化ける事が出来た(これを由来に、妖狐が法師に化ける事を白蔵主と呼ぶ)。

狂言の題目『釣狐』の元になり、また江戸時代の奇談集『絵本百物語』にも登場している。

京都大徳寺の龍源院には、日本画家・鈴木松年による『白蔵主と月にむら雲』と題する屏風が収められ、一般公開されている。

 

 

異獣(いじゅう)

江戸時代の書物『北越雪譜』に登場する謎の獣。

同書は商人・鈴木牧之による越後国新潟県)魚沼での雪国生活を活き活きと描写した書物である。

曰く、大きな荷物を背負った商人が峠で休んでいると、毛むくじゃらの猿にも似た奇妙な生き物が現れた。

物欲しそうにするのでお弁当を分けてあげると、喜んで食べ始め、その後出発しようとすると獣は荷物を担いで道を先導してくれた。

おかげで商人は、雪山の難路を苦も無く踏破する事が出来たという。

 

 

遺念火(いねんび)

沖縄に伝わる火の妖怪。

因縁火(いんねんび)とも。

遺念とは亡霊を指す沖縄の言葉で、伝承によると非業の最期を遂げた男女・心中した夫婦などの無念が火となって現れるという(柳田國男『妖怪名彙』より)。

 

 

鬼熊(おにくま)

日本の妖怪。

木曽谷(長野県)に伝わる巨大な熊。

江戸時代の奇談集『絵本百物語』に描かれ、大きなツキノワグマに似た姿をしている。

夜更けに里に下りて牛馬を引きずり出して喰らう。

非常な怪力で、十人掛かりでも動かない大岩を軽々と動かし、掌で押しただけで獲物は死ぬ。

享保年間に猟師たちが大罠を用いて仕留め、その毛皮を拡げたところ畳六畳分にもなったという(伝承を見る限りは妖怪というより、熊そのものにも思える。北海道では巨大なヒグマを鬼熊と呼んで恐れたと言われる。昔の人にとって熊は、妖怪や化け物のようにとんでもなく恐ろしい存在であったという事か(もちろん現代人にとっても依然恐ろしい)。ヒグマの脅威については大正年間の三毛別羆事件を描いた吉村昭羆嵐』に詳しく描かれている)。

 

 

影鰐(かげわに)

出雲国島根県)の海に棲むと伝わる怪魚。

鰐(わに)は爬虫類のワニでなく、鮫(さめ)を指す。

水面に映った船乗りの影を飲み、影を奪われた者は必ず死ぬという。

江戸時代の奇談集『絵本百物語』には、肥前国佐賀県)の近海に出没し棘だらけの尾で船を転覆させ、海に落ちた者を喰い殺す「磯撫で(いそなで)」という怪魚が描かれ、影鰐はこれと同種であると言われる。

妖怪研究家・多田克己によると、これらは想像上の怪物でなく、実在のシャチの事ではないかという解釈もある。

江戸時代の歌川国芳の浮世絵に見られる鰐鮫は、吉備国岡山県)の「悪樓(あくる)」と似た姿で描かれている。

 

 

塗仏(ぬりぼとけ)

日本の妖怪。

真っ黒な身体の坊主姿で、目玉が飛び出している。

江戸時代の画家・佐脇嵩之の『百怪図巻』、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』など多くの妖怪絵巻に描かれる。

図画に解説が無く詳細は不明だが、石燕の絵では仏壇の中から現れている描写がある。

この事から民俗学者・藤沢衛彦の『妖怪画談全集』では「器物精霊としての塗仏の怪」と解釈され、仏壇を綺麗にしていない家の人々を驚かせる妖怪として表現されている。 

 

 

野衾(のぶすま)

日本の妖怪。

イタチのような姿で、左右に「羽のようで羽でない」特徴を持ち、空を飛ぶ。

江戸時代の奇談集『絵本百物語』によれば、長い年月を経たコウモリが妖怪化したものとされ、またの名を飛倉(とびくら)とも呼ばれる。

鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』には「野衾は鼯(むささび)の事なり」と記され、妖怪研究家の多田克己曰く実在のムササビやモモンガそのものが珍しさ故に妖怪視されたとする解釈を挙げている。

 

 

狒々(ひひ)

日本の妖怪。

猿を大型化したような姿で、年老いた猿が変化したものとも。

鳥山石燕『今昔画図続百鬼』等に描かれ、民俗学者柳田國男が『妖怪談義』にてその特徴を論じている。

出典は中国の妖怪で、類書『爾雅(じが)』や地理書『山海経(せんがいきょう)』に狒狒(ひひ)の記述がある。

明代の類書『本草綱目』にも記述が見られ、身長は一丈(約3m)、身体は黒い毛で覆われ、人を襲って喰らうとある。

サル目オナガザル科ヒヒ属の哺乳類の和名「ヒヒ」は、この妖怪を由来としている。

 

 

 

 

終わり

 

 

【参考文献】

・『決定版 日本妖怪大全』水木しげる講談社

・ 『妖怪事典』村上健司、 毎日新聞社

・『中国妖怪人物事典』実吉達郎講談社

・『十二支考』南方熊楠岩波文庫

・『江戸の妖怪絵巻』湯本豪一、光文社

・『図説 地図とあらすじで読む 日本の妖怪伝説』志村有弘青春出版社

・『幻想世界の住人たち』多田克己、新紀元社

 ・『山海経 中国古代の神話世界』高馬三良平凡社

・『鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集』鳥山石燕角川書店

 

無双OROCHIシリーズに登場する妖魔軍武将の出典まとめ④

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図1.巨大化した牛鬼。

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図2.蛟の無双奥義。

「お、遠呂智様ッ…!?あぎゃっ」

 

 

猿猴(えんこう)

日本の中国四国地方に伝わる妖怪。

河童の一種で、身体は毛むくじゃら、川から長い手を伸ばして人間の尻子玉(肛門から生き胆)を抜く様子が江戸時代の妖怪絵巻『絵本集艸(えほんあつめくさ)』に描かれている。

土佐国高知県)の猿猴伝説は特に有名で、『土佐近世妖怪資料』には江戸時代後期に生け捕りにされた記録がある。

また広島市を流れる「猿猴川」は猿猴が棲むという伝承から命名されており、毎年9月に猿猴川河童祭りが開催されている。

元々猿猴とはサル類の総称で、古くはテナガザルを指した(妖怪である猿猴も手が長いという特徴が共通している)。

水木しげる『日本妖怪大全』には「川猿」という妖怪が挙げられるが、このようにサルと河童を関連付ける伝承の一つとして猿猴伝説が語り継がれている。

 

 

化蛇(かだ)

中国の妖怪。

水中に棲む蛇の怪物。

地理書『山海経(せんがいきょう)』中山経によると、顔は人面で胴体は山犬、鳥の翼が生え長い蛇の身体と尾を持つ。

川を泳いだり空を飛んで姿を見せるが、化蛇が見られた土地では洪水が起きると伝わる。

 

 

刑天(けいてん)

古代中国神話の英雄。

山海経』中山経によれば、伝説上の五帝の一人・黄帝と常羊山で戦い、神(天帝)の座を争った。

敗れて首を断たれるが、なおも胴体だけで斧と盾を振るい戦おうとしたという。

三皇の一人・炎帝神農氏の臣下であったとする説もある(宋代の羅泌『路史』や清代の馬国翰『玉函山房輯佚(しゅういつ)書』等より)。

詩人・陶淵明が『読山海経』でこの故事を題材に「刑天舞干戚 猛志固常在(刑天は干戚(かんい、盾と斧)を舞わし、猛き志は固より常に在り)」との句を詠み、敗れてもなお屈さない強靭な精神の象徴として讃えた(刑天の舞)。

 

 

朱厭(しゅえん)

中国の伝承上の怪物。

山海経』西山経によると山間に棲息し姿は猿に似て、首は白くて脚は赤い。

東晋の郭璞(かくはく)の注に曰く、朱厭が現れるのは大きな戦争が起こる前兆だという。

 

 

畢方(ひっぽう)

中国の怪鳥。

山海経』海外南経に曰く、見た目は鶴に似て嘴(くちばし)が白く、身体は藍色で赤い紋様があり、脚は一本しかない。

出現すると原因不明の大火事が起きると伝わる。

古くは五帝の一人・黄帝が泰山にて鬼神を集めた際、火の神の使いとして現れたという。

蛟龍(こうりゅう)が引く黄帝の戦車の傍らに侍っため火神の侍寵、火鴉とも称される。 

 

 

彭侯(ほうこう)

中国に伝わる木の精霊。

東晋の奇譚『捜神記(そうじんき)』によると、樹齢千年を超えた木に憑り付くとされ、三国・呉の時代に敬叔という人物がクスノキを伐り倒した時に顔は人面、身体は犬のような彭侯が現れたという。

明代の『本草綱目』にも記述がある。

日本では江戸時代の類書『和漢三才図会』に木霊(こだま)の一種として紹介され、鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にも「状、黒狗の如し。尾なし。面、人に似たり」という姿で描かれている。 

 

 

九嬰(きゅうえい)

中国の伝説上の怪物。

古書『淮南子(えなんじ)』本経訓に記述がある。

九つの頭を持つ蛇の怪物で、鳴き声は嬰児のよう。

凶水という川に棲み、水を噴いて洪水を起こし、火を吐いて大火事を招き人々を苦しめた。

古代五帝の堯の時代、弓の名手・羿(げい)により討伐された。

 

 

鑿歯(さくし)

中国の伝説上の怪物。

山海経』海外南経によると、古代中国南方の湿原地帯・寿華に棲んでいた獣人で、長さ五,六尺の鑿(さく・のみ)のような大きく長い牙を有していた。

人を襲って害を成していたが、五帝の時代に堯の命を受けた羿(げい)によって討伐されたという。

また東晋の郭璞による『山海経』の注には、鑿歯人と呼ばれる伝説上の人種が存在し、歯が鑿のように長かったと述べられている。

古書『淮南子』における異国人種・海外三十六国にも鑿歯の記述がある。

 

 

蒲牢(ほろう)

中国の伝説上の怪物。

姿は龍に似て、吼える事を好む。

クジラを襲う時あるいは襲われる時に大きく吼えるとされ、そのため中国の伝統的建築における梵鐘や釣鐘には、クジラに見立てた撞木と共に蒲牢の首を象った装飾が用いられる(鐘が大きく鳴り響くのを手伝うとされる)。

明代の楊慎の『升庵外集』によると、龍が生み出したとされる九匹の幻獣「竜生九子」の一つ。 

 

 

疫鬼(えきき)

中国に伝わる疫病を引き起こすとされる鬼神。

行疫神(ぎょうえきしん)、疫病神とも。

『捜神記』によると、古代中国の五帝の一人・顓頊(せんぎょく)の子供の三人が疫鬼に変じたとされる。

史書後漢書』礼儀志には疫鬼を祓う儀式が執り行われたという記録がある。

日本では神道祝詞(のりと)である『儺祭詞(なのまつりのことば)』で「穢悪伎疫鬼」と訓まれ、平安・鎌倉期の『春日権現験記絵巻』や『融通念仏縁起絵巻』といった書物にその姿が描かれている。

妖怪研究家の村上健司によると、医療の普及していなかった古代において、疫病は目に見えない悪鬼怨霊の類によってもたらされると信じられていた。

平安時代に中国から疫鬼の概念が伝わると、一般における病魔への畏怖と結び付いて、疫病神という民間信仰が定着したと考えられている。

 

 

相柳(そうりゅう)

中国神話における怪物。

九つの人間の頭を持つ大蛇の姿で描かれる。

三皇五帝としばしば争った悪神・共行の臣下として登場する。

山界の事物を喰らい尽くし、身体から毒を出して大地を汚染し、通った跡は谷や川に変貌してしまったという。

山海経』海外北経によると、夏王朝創始者である英雄・禹(う)に討伐された。

日本では江戸時代の作と推測される(著者不明の)妖怪絵巻『怪奇鳥獣図巻』に描かれている(名を「そうよく」と誤読されている)。

 

 

刀労鬼(とうろうき)

中国の妖怪。

刀努鬼とも呼ばれる。

東晋の奇譚『捜神記』によると、揚州臨川の山中に棲んでおり風雨がひどい時に現れる。

唸り声のような音を立てて人間に毒気を吹き掛け、それを浴びると患部が腫れ上がり苦しむ。

雌雄があり、雄の毒の方が回りが早く、手当が遅れると死に至る場合もあるという。 

 

 

雍和(ようわ)

中国の伝説上の怪物。

山海経』中山経によると、山中に棲む猿に似た姿で、黄金の体毛に赤い眼、赤い嘴(くちばし)を持つ。

凶兆とされており、雍和が現れた国は大恐慌に見舞われるという。

 

 

魔計奴鬼(まけぬき)

日本の妖怪。

出典は、幕末から明治にかけての戯作文学者・仮名垣魯文による『百鬼弥行』(2006年『和漢百魅缶』莱莉垣桜文 附註より)。

数多くの戯作や滑稽本を書いた魯文は『百鬼弥行』において、当時の世情や諷刺から言葉遊びで「○○鬼」という名の創作妖怪をいくつか生み出したとされる。

魔計奴鬼とは「負けぬ」から連想した負けず嫌いの妖怪、といった所であろうか。

 


銹著等(さびちら)

詳細不明。※調査中

 

 

鱗舐(りんしょう)

詳細不明。※調査中

 

 

蜈蚣姥(ごしょうろう)

詳細不明。

蜈蚣はムカデと読む。

姥は老女の意。

妖怪ムカデババアくらいの意味か。

 

 

蝟怪(いかい)

詳細不明。

蝟とは、ハリネズミのこと(蝟毛)。

怪には化け物というニュアンスを表す場合がある。

ハリネズミのような妖怪か。

 

 

魍魎(もうりょう)

妖怪の総称、または水に関する怪、水神。

中国においては罔両とも書き『史記』や『春秋左氏伝』によると自然界、特に水の物の怪を意味する。

明代の『本草綱目』には死体の脳や肝と喰らう化け物と記される。

ちなみに魑魅(ちみ)は山の怪であり、対を成す意味で組み合わせ「山・川のあらゆる妖怪」の総称として「魑魅魍魎」という語が用いられた(一見とても書き難い漢字熟語のように思えるが、部首は全て鬼(きにょう)であり、离未罔両と理解すれば割と書ける)。

日本では水神を意味する「みずは」と訓じられ、死体を喰らう特性から妖怪・火車とも同一視される。

鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』にも描かれ、そちらは『淮南子』に準拠して「状、三歳の幼児。色、赤黒し。目赤く、耳長し。好んで亡者の肝を喰う」と説明されている。

無双OROCHIシリーズでは当初「渾沌」という名のモブ妖魔武将が存在したが、『無双OROCHI2 Ultimate』から同名でプレイアブル・キャラクター化したため元々のポジションに位置するモブ武将には新たに「魍魎」の名が与えられた。

 

 

 



⑤へ続く

 

 

【参考文献】

・『決定版 日本妖怪大全』水木しげる講談社

・ 『妖怪事典』村上健司、 毎日新聞社

・『捜神記』竹田晃、平凡社

・『中国妖怪人物事典』実吉達郎講談社

・『山海経 中国古代の神話世界』高馬三良平凡社

・『十二支考』南方熊楠岩波文庫

・『鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集』鳥山石燕角川書店

・『中国の神話伝説』袁珂、鈴木博、青土社

・『怪奇鳥獣図巻:大陸からやってきた異形の鬼神たち』伊藤清司、磯部祥子、翻刻工作舎

・『江戸の妖怪絵巻』湯本豪一、光文社

・『図説 地図とあらすじで読む 日本の妖怪伝説』志村有弘青春出版社

・『幻想世界の住人たち』多田克己、新紀元社

・『和漢百魅缶』氷厘亭氷泉、COTTON-CANDY

・『中国の歴史』陳舜臣講談社文庫

・『史記司馬遷ちくま学芸文庫

無双OROCHIシリーズに登場する妖魔軍武将の出典まとめ③

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悪樓(あくる)

日本神話における悪神。

吉備国岡山県)の穴海に住んでいたと伝わる巨大な魚で、近づく船を丸飲みにするという。

日本書紀』景行紀二十七年に「惡神」「吉備穴濟神(きびのあなわたりのかみ)」、『古事記景行天皇条に「穴戸神(あなとのかみ)」として記述がある。

曰く、日本武尊(やまとたけるのみこと)が西国の熊襲(くまそ)討伐の帰りに悪樓に遭遇し、剣を振るって退治したという(また素戔嗚尊(すさのおのみこと)が悪樓と交戦したとする説もある)。

江戸時代の画家・浦川公佐の『金毘羅参詣名所圖会』にて「日本武尊悪魚を退治す」の図が描かれている。

 

 

馬絆蛇(ばはんだ)

中国の伝説上の怪物。

雲南地方に棲むとされる蛟龍(こうりゅう)の一種。

地理書『山海経(せんがいきょう)』中山経、晋の郭璞(かくはく)注に「永昌郡にいる鉤蛇は、長さ数丈(一丈約3m)で尾が分かれている。水中に棲んでおり、岸の上にいる人や牛馬を引き込んで貪り喰う。これを馬絆蛇と呼ぶ」との記述がある。

民俗学者南方熊楠は『十二支考』において、宋代の類書『埤雅(ひが)』を引用し「俗称・馬絆とあるは、馬を絆(つなぎ)留めて行かしめぬてふ義であろう」と述べている。 

 

 

睚眦(がいし)

中国の伝説上の生き物。

睚眥(がいさい)とも呼ばれる。

山犬の首に龍の身体を持ち、気性が激しく荒く、戦争や殺戮を好む。

「睚」は目尻、「眦」は目頭で、どちらの字も転じて「睨む」を意味する(司馬遷史記』范雎伝にある「睚眥之怨」とは、ちょっと睨まれた程度の怨みとの意)。

古くは中国古代の武器や軍旗の意匠として飾られ、明代には「竜生九子」と呼ばれる伝説上の龍が生み出した九匹の幻獣の一つにも数えられる。

 

 

攫猿(かくえん)

中国の伝説上の生き物。

東晋の奇譚『捜神記(そうじんき)』に攫猿、あるいは猳国(かこく)や馬化(ばか)の名で記述がある。

蜀の西南の山中に棲み、姿はサルに似て身長は七尺(約1.6m)、色は青白い。

通りかかる人間の女性を攫(さら)って犯し、子供を産ませてしまう。

神仙の説話集である東晋の『抱朴子(ほうぼくし)』では、八百年生きた獼猴(みこう、アカゲザル)が猨猴(えんこう)となり、さらに五百年生きて攫猿になるとされる。

明代の『本草綱目』にも記述がある。

日本では江戸時代の『和漢三才図会』に玃(やまこ)として説明があり、鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』では覚(さとり、かく)と呼ばれる人の心を読む妖怪として描かれている。 

 

 

瘧鬼(ぎゃくき)

中国で伝承される疫病を引き起こす鬼神。

近づいたり身体に触ると、瘧(ぎゃく、おこり。マラリア等の熱病)に感染させて人間を苦しめる。

東晋の奇譚『捜神記』によれば、古代五帝の一人である顓頊(せんぎょく)の子が瘧鬼に変じたという。

日本では平安時代の辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』に瘧鬼(えやみのおに)として記述されている。

源氏物語』若紫の巻では、光源氏が瘧を病んだため北山へ赴いて加持祈祷をした描写がある。

日本の古文献にしばしば登場するこの瘧病(おこりやまい、ぎゃくびょう)は、今日のマラリアに相当すると考えられる。

マラリア原虫という寄生虫が主に蚊を媒介して人体に侵入し、40度近い高熱や頭痛、吐き気等の症状をもたらす(悪性であれば意識障害や腎不全等の合併症を起こし、最悪の場合死に至る)。 

 

 

僵死(きょうし)

キョンシー

中国の死体妖怪の一種。

死後硬直した遺体(「僵」は硬直の意)を埋葬する前に室内に安置していると、夜になって突然動き出し人を驚かせるという伝承から生じた。

『述異記』や『子不語』をはじめ明・清代の怪奇小説に数多く登場する。

日本では1985年の香港映画『霊幻道士』によって飛躍的に知名度が上がり、手を前方に真っ直ぐ伸ばしてピョンピョンと飛び跳ねるお馴染みのスタイルが一般に周知された。

 


蚣蝮(こうふく)

中国の伝説上の生き物。

覇下(はか)とも呼ばれる。

明代の文人・楊慎の『升庵外集』によると、龍の子である九匹の霊獣「竜生九子」の一つ。

形状は龍に似て四つ足で歩き、尾は魚のようで水を好む。

水に関する由縁から、中国の伝統的な建築物においては雨樋や橋、水路の意匠として彫られる事が多い。

 


窮鬼(ぎゃくき)

または窮鬼(きゅうき)。

日本の民間伝承における貧乏神と同義。

曲亭馬琴らによる江戸時代の奇談集『兎園小説』によると、年中災い続きの家には窮鬼が棲み付いているとされ、窮鬼が出て行くとその家の運気は上昇した。

津村淙庵の随筆『譚海』、井原西鶴浮世草子『日本永代蔵』にも類似の挿話が見られる。

貧乏神は貧乏を福に転じる神として信仰され、東京都の太田神社や妙泉寺などこれを祀る寺社も存在する(妙泉寺にある貧乏神の石像はハドソンのゲームソフト『桃太郎電鉄』シリーズに登場するキャラクターをモチーフにしている)。

 

 

偽何歟(なんじゃか)

日本の妖怪。

為何歟(なんじやか)とも呼ばれる。

出典は江戸時代後期の妖怪絵巻物『化け物尽くし絵巻』で、他の図画に類例がない独自の妖怪の一つ。

人型の下半身だけが描かれており、獣のような尻尾を持つ。

それ以上何の情報も無く絵解きも困難で、全く謎の妖怪である。

民俗学者湯本豪一は「何が"なんじゃか"わからない」という言葉遊びによって造られたとする解釈を挙げており、正体不明という概念そのものを示す特異な妖怪と考えられる。

 

 

 

 

④へ続く

 


【参考文献】

・『古事記』倉野憲司、岩波文庫

・『日本書紀宇治谷孟講談社学術文庫

・『中国妖怪人物事典』実吉達郎講談社

・『捜神記』竹田晃、平凡社

・『山海経 中国古代の神話世界』高馬三良平凡社

・『十二支考』南方熊楠岩波文庫

・『鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集』鳥山石燕角川書店

・『決定版 日本妖怪大全』水木しげる講談社

・『マラリアについて』厚生労働省検疫所

・『中国怪奇小説集岡本綺堂、光文社

・『江戸の妖怪絵巻』湯本豪一、光文社

・『図説 地図とあらすじで読む 日本の妖怪伝説』志村有弘青春出版社

・『幻想世界の住人たち』多田克己、新紀元社

・『中国の歴史』陳舜臣講談社文庫

・『史記司馬遷ちくま学芸文庫

無双OROCHIシリーズに登場する妖魔軍武将の出典まとめ②

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鉄鼠(てっそ)

平安時代の僧・頼豪(らいごう)の怨念が化けたネズミの妖怪。

鉄鼠という名は、江戸時代の妖怪画集『画図百鬼夜行』にて鳥山石燕により命名された。

出典は『平家物語』で、白河天皇の皇子誕生を祈祷し見事成就させた僧・頼豪は、かねての約定通り寺院建立を願い出るが、対抗する比叡山延暦寺の妨害により却下されてしまう。

悲願を無下にされた頼豪の怨念は凄まじく、百日間の断食による呪詛の末、悪鬼のように恐ろしい風貌で死んだ(白河帝の皇子はわずか四歳で亡くなってしまった)。

太平記』によれば頼豪の怨念は、石の身体と鉄の牙を持つ八万四千匹のネズミとなって比叡山を駆け登り、経典や仏像を喰い荒らしたという。

江戸時代後期、曲亭馬琴の『頼豪阿闍梨恠鼠伝』の作中でも語られ、葛飾北斎が鉄鼠の浮世絵を描いている。

ネズミが人間に害を及ぼす民話は全国各地に見られ、特に多くの書物や経典を抱える寺院においては鼠害が深刻な問題だったので、鉄鼠のような怨霊・妖怪伝説の元になったのでないかと怪奇文学研究者の志村有弘は指摘している。

 

 

陰摩羅鬼(おんもらき)

中国の古書『清尊録』に登場する怪鳥。

人間の死体から生じた気が化けたとされる妖怪で、真っ黒な鶴のような容貌で眼光は灯火のように赤く、声を発して人に話し掛ける。

鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』にもその姿が描かれている。

名称の由来は仏教において悟りを妨げる魔物である摩羅(魔羅)に「陰」と「鬼」の字を付け、鬼や魔物の意を強調したものと考えられる。

 

 

猩々(しょうじょう)

中国の伝説上の動物。

黄金の体毛に覆われ、二本足で歩く猿のような姿で描かれる。

古くは儒教の経典『礼記』に「人の言葉を理解する」生き物として記載がある。

明代の『本草綱目』では「交趾の熱国に住み、毛色は黄金。声は人間の子供か時に犬のように吼える。人の言葉を理解する。顔は人面で、酒を好む」とある。

日本にも伝来し様々な民間伝承でイメージが付託され(赤面で酒を好む特性が強調される等)、能の演目としても有名。

学術的にはオランウータンの和名として猩々の字が当てられた(チンパンジーは黒猩々、ゴリラは大猩々)。

 

 

夜刀神(やとのがみ)

常陸国風土記』に登場する蛇の妖怪、神獣。

外見は蛇の体で頭に角が生えており、その姿を見た者は一族諸共滅んでしまうと伝えられる。

継体天皇の時代、箭括氏(やはずのうじ)の麻多智(またち)が行方郡の西の谷・葦原を開墾し新田を作ると、夜刀神が多数の蛇を率いて襲って来た。

麻多智は甲冑を付けて武装し、見事に夜刀神を撃退すると山の入り口の堀にて「これより上は神の世界(山)、下は人間の世界(田)としたい。余が祭司として永久に汝(夜刀神)を祀るから、どうかもう人に祟りや恨みを成し給うな」と祈り神社を建てた。

以来、麻多智の子孫が代々社を守り夜刀神を祀ったという。

夜刀は「やつ」「やち」とも読むがこれは関東地方の方言「谷(やつ)」や「谷地(やち)」を意味し、麻多智が開墾する以前の野生状態の谷、すなわち夜刀神は自然を表象する土着神であり、麻多智に象徴される人間が葦の生い茂る渓谷の原野を切り拓いて新田を造営した、という起源譚と解釈できると民俗学者赤坂憲雄は述べている。

 

 

襟立衣(えりたてごろも)

鳥山石燕の妖怪画集『百器徒然袋』に登場する妖怪。

僧侶が着る襟立の衣が変じたもので、石燕の解説に「くらま山の僧正坊のゑり立衣なるべし」と記されている。

鞍馬山の僧正坊とは天狗を指しており、天狗が着用していた僧衣が妖怪に変じたものと考えられる。

 

 

修佗(しゅうだ)

中国神話に登場する蛇の怪物。

巴蛇(はだ)とも呼ばれる。

堯の時代、南方の洞庭湖に青い頭を持つ巨大な黒蛇(全長約1,800m)が棲んでおり、大きな津波を起こして漁民達を殺したので最後は討伐されたと伝わる。

地理書『山海経(せんがいきょう)』海内南経には「有黒蛇 青首 食象」とあり、曰く修蛇が大きなゾウを丸飲みにして3年かけて消化した挙句、骨を吐き出した(この骨は難病を治す薬になったという)。

 

 

野槌(のづち)

日本の民間伝承で語られる妖怪。

外見は蛇のようで、胴が太い割に体長は短い。

頭部には口があるものの目や鼻は無く、ちょうど柄のない槌(つち)のような形をしている。

江戸時代の類書『和漢三才図会』によると、深い山に棲みウサギやリスを食べ、時には人間を食べるともされた。

古事記』『日本書紀』に登場する草の女神・鹿屋野比売(かやのひめ)は別名・野椎神(のづちのかみ)とも呼ばれ、「のづち」の語自体は草や野の精霊を表すと解釈される(鹿屋野比売の夫である大山津見神(おおやまつみのかみ)が蛇体の神である事に関連が見て取れる)。

鳥山石燕も『今昔画図続百鬼』に野槌を描いており「草木の精をいふ」と解説している。

昭和中期に未確認生物(UMA)として知名度を高めたツチノコは本来野槌の別名の一つ(槌の子)であったが、マスメディア等で広く用いられた結果そちらの呼称で定着した。

 

 

酸与(さんよ)

中国の地理書『山海経』北山経に記されている怪鳥。

景山に棲み、頭は蛇のようで眼が六つ、翼が四つに脚が三本の異形で描かれる。

「酸与」と聞こえるという鳴き声から名が付けられた。

この鳥が現れるのは不吉の前兆であると言われている。

 

 

螭首(ちしょう)

螭(ち)または螭吻(ちふん)は、中国の伝説上の霊獣。

竜の一種とされ、古くは『六韜』の中に龍や羆と並んで螭の記述がある(明代に成立した「竜生九子」という、竜が生み出した九匹の神獣の一つにも数えられる)。

この螭の頭部を象った石碑などの装飾を螭首(ちしょう、ちしゅ)と呼ぶ(春秋戦国時代の遺跡から「螭首文方鏡」と呼ばれる螭の頭部をモチーフにした装飾の施された青銅鏡が出土している)。

また中国の伝統的建築物における排水口の装飾などによく用いられ、日本における鯱(しゃちほこ)の原型の一つになったとする見解もある。

 

 

檮杌(とうこつ)

中国神話に登場する怪物。

虎のような身体に長い尻尾、顔は人面で、猪のように長い牙を持つ。

『春秋左氏伝』によると、舜の時代に中原の四方へ追放された四柱の悪神「四凶」(渾沌(こんとん)、窮奇(きゅうき)、饕餮(とうてつ)、檮杌)の一つである。

戦乱を好み悪知恵が働き、尊大かつ頑固な性格で暴れ回るので手が付けられない。

戦さになれば死ぬまで争い続け、常に天下を乱そうと邪心を抱く。

日本では江戸時代中期の寺島良安による『和漢三才図会』に図画が残されている。

 

 

饕餮(とうてつ)

中国神話の怪物。

『春秋左氏伝』に引く「四凶」の一つ。

牛や羊のような身体に大きく曲がった角と虎の牙、顔は人面を有す(眼はわきの下にある)。

「饕」は財産を貪る、「餮」は食物を貪るの意。

人をも喰らう伝説上の猛獣であるが、一方で長江流域で崇拝された神にその起源を見出す説もあり、何でも食べる=魔を食べると転じていわゆる魔除けの意味を持つようになった(炎帝神農氏の子孫で兵主神たる蚩尤(しゆう)にも関連付けられる)。

殷周時代の青銅器にはこの神獣をあしらった饕餮文(とうてつもん)と呼ばれる模様が装飾に用いられている。

 

 

窮奇(きゅうき)

中国神話の怪物、『春秋左氏伝』に引く「四凶」の一つ。

漢代の書物『神異経』によると、翼の生えた虎の姿で、人間を頭から喰らう。

善人に害を成す怪物として描かれるが、一方で悪を喰い滅ぼす神獣としての描写も伝わっている。

地理書『山海経』の海内北経には有翼の人喰い虎と説明されるが、西山経・巻四ではハリネズミの毛に覆われた牛とする矛盾した記述が存在する。

古書『淮南子』においては「広莫風(こうばくふう)を吹き起こす」とあり、風神の一種とも見做される。

江戸時代の鳥山石燕画図百鬼夜行』では、日本の妖怪である鎌鼬かまいたち)について、「窮奇」という漢字の訓を「かまいたち」と読ませている。

 

 

渾沌(こんとん )

中国神話の怪物、『春秋左氏伝』に引く「四凶」の一つ。

大きな犬の姿で六本の腕と六枚の翼を有し、文字通り混沌(カオス)を司る。

悪逆を好んで善を忌み嫌う。

道家の経典『荘子』や漢代の『神異経』、地理書『山海経』、明代の奇譚『封神演義』等に広く見られる。

無双OROCHIシリーズでは元々妖魔軍のモブ武将の一人であったが、『無双OROCHI2 Ultimate』で固有ビジュアルを持つプレイアブル・キャラクターとして参戦を果たした(それまでのシナリオで登場したモブ「渾沌」のポジションは「魍魎(もうりょう)」という名のモブ武将に置き換えられた)。

「戦場を混沌で染め上げてやろう・・・」

 

 

 

③へ続く

 

 

 【参考文献】

・『古事記』倉野憲司、岩波文庫

・『日本書紀宇治谷孟講談社学術文庫

・『鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集』鳥山石燕角川書店

・『十二支考』南方熊楠岩波文庫

・『決定版 日本妖怪大全』水木しげる講談社

・『妖怪事典』村上健司、毎日新聞社

・『北斎妖怪百景』京極夏彦国書刊行会

・『図説 地図とあらすじで読む 日本の妖怪伝説』志村有弘青春出版社

・『境界の発生』赤坂憲雄 、講談社学術文庫

・『幻想世界の住人たち』多田克己、新紀元社

・『中国の歴史』陳舜臣講談社文庫

・『史記司馬遷ちくま学芸文庫

・『山海経 中国古代の神話世界』高馬三良平凡社

無双OROCHIシリーズに登場する妖魔軍武将の出典まとめ①

 

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遠呂智(おろち)

日本神話における伝説上の怪物で、八つの頭と八本の尾、鬼灯のように真っ赤な眼を有する巨大な蛇。

本来は山神または水神とする説もある。

古事記』では八俣遠呂智やまたのおろち)、『日本書紀』では八岐大蛇(同訓)と表記される。

出雲国の肥河上流にて毎年人里に現れ、生贄の若い娘を食べていた。

その年は櫛名田比売(くしなだひめ)の順番で、老父母は涙を流し嘆いていたが、そこへちょうど高天原(たかあまはら)を追放された素戔嗚尊(すさのおのみこと)が降り立ち、事情を知るや櫛名田を妻に迎える事を条件に、遠呂智討伐を請け負った。

素戔嗚は、非常にアルコール度数が強いとされる八塩折之酒(やしおりのさけ)を用意し、遠呂智がこれを飲み酔って寝てしまったところを十握剣(とつかのつるぎ)で斬り伏せた。

この時、遠呂智の尾から草薙剣(くさなぎのつるぎ)すなわち神剣・天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ、三種の神器の一つ)が現れたという。

このように記紀神話では素戔嗚に討伐される怪物として描かれるが、一方で自然界の猛威を象徴する神として遠呂智を祀る民間信仰も存在する。

日本神話研究家の戸部民夫は、出雲地方における洪水の象徴として水を支配する竜神・遠呂智があり、櫛名田比売奇稲田姫)は民の稲田を象徴する、という解釈を挙げている。

無双OROCHIシリーズにおける遠呂智は人型だが、蛇のような眼と鱗状の鎧に大蛇モチーフのデザインが反映されている。

 


百々目鬼(どどめき)

江戸時代の妖怪画家・鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』に登場する妖怪。

両腕にびっしりと百もの眼を持つ女性の姿で描かれ、これは「盗癖のある女性の腕に、盗んだ銭(中央に空いた穴が眼を彷彿とさせる)の念が浮かび上がった」ものと解説されている。

石燕が出典にあげている『函関外史』という書物の実在は確認できず、また同時代の書や画本にも登場しない事から石燕による創作妖怪でないかと考えられている。

一方で「百目鬼」「百目貫」等と書いてどどめき、どうめきと読む地名が日本各地に点在しており、特に栃木県宇都宮市塙田(はなわだ)に残る地名には昔百匹の鬼を従える首領がいたとする伝説(長岡の百穴の百目鬼)や、平安時代藤原秀郷が討伐したとされる百の目を持つ鬼(兎田の百目鬼)が由来として伝わっており、石燕がこれらの民話をモデルにした可能性も指摘される。

昭和中期には妖怪漫画家の水木しげるが「百目」という全身に無数の眼を持つ妖怪を生み出しており、これらのイメージと複合されて現在の百々目鬼像が形成されている。

 

 

牛鬼(ぎゅうき)

主に西日本の民間伝承において語られる、牛の頭に鬼の胴体を持つ妖怪。

毒気を吐いて疾病を撒き、人を喰い殺す非常に危険な妖怪とされる。

平安時代の『枕草子』に「おそろしきもの」として名があがり、鎌倉時代の『吾妻鏡』では寺を襲撃して僧侶を多数殺傷した記述が見られ、『太平記』においては源頼光と対決した様子が描かれている。

鳥山石燕の『画図百鬼夜行』をはじめ江戸時代の妖怪絵巻にも数多く描かれ、それらは牛の頭に蜘蛛の胴体を持つ描写が多い。

愛媛県宇和島地方における牛鬼伝説が特に有名であり、現代でも牛鬼の面を飾った山車を引いて練り歩く祭事が執り行われている(うわじま牛鬼祭り)。

香川県徳島県、福岡県にも牛鬼の遺物と伝わるミイラや骨、角が各寺に保存されている。

 

 

(みずち)

日本神話における水に関係する伝説上の龍、水神。

最古の出典は『日本書紀』巻十一・仁徳天皇紀の六十七年(西暦379年)に中つ国の河の神として大虬(古訓はミツチ)が描かれている。

万葉集』巻十六・境部王の一首にも蛟龍(みずち)の記述がある。

民俗学者南方熊楠は『十二支考』において「わが邦でも水辺に住んで人に怖れらるる蛇を水の主というほどの意でミヅチと呼んだらしい」と書いており、また河の神としての伝承が変遷し河童伝説の祖となった可能性も指摘している。

訓の"みずち"に対し、中国の伝説上の龍の一種である「蛟龍(こうりゅう)」の漢字が当てられている(※蚊(か)ではない)。

無双OROCHIシリーズでは何故か肥満体の人型キャラクターとしてファンに愛されている。

 

 

黄泉軍(よもついくさ)

日本神話における死者の国・黄泉(よみ)に棲む鬼たち。

伊邪那美命(いざなみのみこと)が約定を違えた伊邪那岐命(いざなぎのみこと)に怒り、彼を捕らえるため遣わした黄泉国の軍勢。

 

 

隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)

伊予国愛媛県)松山に伝わる化け狸。

刑部狸(ぎょうぶだぬき)。

四国はたぬきに関する伝説が多く、特に江戸時代後期、田辺南龍の講談『松山騒動八百八狸物語』にて古い歴史を持つ八百八匹の化け狸の総帥として描かれ名が広まった。

刑部とは官名で、松山城のお殿様から授かった称号とされる。

1994年のスタジオジブリ作品『平成狸合戦ぽんぽこ』にも登場する。

 

 

飛頭蛮(ひとうばん)

中国の妖怪。

通常時は普通の人間だが、夜になると首だけが胴から離れて空中を飛び回る。

類書『三才図会』によれば大闍婆国(だいしゃばこく、ジャワ)に頭を飛ばす者がおり、また漢の武帝の頃には南方の蛮人に体をばらばらに出来る者がいたとされる。

東晋の小説集『捜神記』によれば呉の将軍・朱桓の家で働く下女に、夜になると頭部だけ飛び回る者がいたという。

日本においては類似の妖怪としてろくろ首が挙げられ、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』ではろくろ首の漢字表記として飛頭蛮の名が用いられている。

 

 

猪豚蛇(ちょとんだ)

中国の妖怪。

脚が四本あり、全身を毛で覆われた蛇のような化け物。

鳴き声は豚に似ていて毒牙を有し、噛まれると死に至る。

宋の時代に武将・成俊が退治したと伝わる。

 

 

煙々羅(えんえんら)

鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に登場する煙の妖怪。

立ち昇る煙の中に不気味な顔面が浮かび上がる様子で描かれている。

日本文学研究者の近藤瑞木によると『徒然草』十九段、「六月の頃あやしき家にゆふがほの白く見えて、蚊遣火ふすぶるもあはれなり」の文を踏まえているとされ、煙の妖怪という例も他に見えない事から石燕による創作妖怪の一つと考えられる。

 

 

隠形鬼(おんぎょうき)

藤原千方(ふじわらのちかた)の四鬼の一人。

太平記』第一六巻・「日本朝敵事」によると、平安時代の豪族・藤原千方は四人の鬼を従えていた(金鬼、風鬼、水鬼、隠形鬼)。

このうち隠形鬼は、気配を消して敵に奇襲をかけるのが得意だった。

藤原千方は四鬼と共に朝廷への叛乱を起こすが、紀朝雄(きのともお)の軍に鎮圧されてしまう。

また四鬼は平安時代の将・坂上田村麻呂の伝説にも登場する。

 

 

水鬼(すいき)

藤原千方の四鬼の一人。

あらゆる場所において洪水を起こす力があり、敵を溺れさせる。

 

 

金鬼(きんき)

藤原千方の四鬼。

どんな武器でも弾き返してしまう堅い体を持つ。

 

 

風鬼(ふうき)

藤原千方の四鬼。

強風を巻き起こして敵を吹き飛ばす。

 

 

亡者火(もじゃび)

青森県津軽地方に伝わる、死者の魂が生家に帰還すると言われる怪火(鬼火・人魂のような正体不明の火球)現象の一種。

「モジャ」「モンジャ」、「亡霊火(もうれいび)」「モレビ」とも呼ばれる。

特に海で遭難して亡くなった(遺体が供養されていない)死者の霊魂が還って来るとの伝承がある。

人に憑き害を成す事もあり、地元では最も恐れられる心霊現象の一つ。

 

 

以津真天(いつまで)

鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に登場する怪鳥。

出典は『太平記』巻十二・「広有射怪鳥事」で、建武元年秋、疫病が流行して死者が多く出ると都に人面を持つ怪鳥が現れ「いつまでも、いつまでも」と鳴いたので人々は恐怖した。

依頼を受けた弓の名手・隠岐次郎左衛門広有がこれを射抜いて退治した。

太平記』における記述は以上で、石燕はこのエピソードをもとに怪鳥を以津真天と命名し、妖怪図画として残したと考えられる。

 

 

狻猊(しゅんげい)

中国の伝説上の生き物。 

中華最古の類書『爾雅(じが)』に、虎豹を喰らう猛獣として記述がある。

後に注釈を施した晋の郭璞(かくはく)は、狻猊を獅子と同一視した。

一方で、明代には龍が生み出したとする九種の幻獣「竜生九子」の一つに数えられ、獅子によく似た煙や火を好む生物とされた。

 

 

燭陰(しょくいん)

中国の神獣。

地理書『山海経(せんがいきょう)』巻十七・「海外北経」に記載がある。

曰く北海の鍾山の麓に住み、顔は人面、胴体は赤い蛇のようで長さは千里にも及ぶ。

鳥山石燕の妖怪絵巻『今昔百鬼拾遺』に上記を出典として紹介されている。

 

 

仙狸(せんり)

中国における猫の妖怪。

長い歳月を経て老いた山猫が、神通力を身に付けて人間に化けるとされる。

日本の妖怪である猫又は、仙狸を起源とする説もある。

ちなみに猫又は古くは鎌倉時代の『明月記』『古今著聞集』等に記述が見られ、江戸時代の鳥山石燕による『画図百鬼夜行』では普通の猫が徐々に猫又に変化してゆく過程が描かれている。

 

 

獨足鬼(どくそくき)

中国における山の神。

独足鬼、または独脚鬼(どっきゃくき)とも言われ文字通り一本足の化け物として描かれる。

古代中国史研究者の桐本東太によると、中国南部の少数民族の伝承にある精霊「山魈(さんしょう)」に由来する鬼神とされる。

 

 

 

 

②へ続く

 

 

 【参考文献】

・『古事記』倉野憲司、岩波文庫

・『日本書紀宇治谷孟講談社学術文庫

・『日本神話』戸部民夫、新紀元社

・『十二支考』南方熊楠岩波文庫

・『鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集』鳥山石燕角川書店

・『決定版 日本妖怪大全』水木しげる講談社

・『妖怪事典』村上健司、毎日新聞社

・『日本の謎と不思議大全』人文社

・『日本怪談集 幽霊篇』今野円輔、中央公論新社

・『中国古代の民俗と文化』桐本東太、刀水書房

ぶりぶち公園

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ぶりぶち公園は、南西諸島海域に位置する日本最南端の有人島波照間島に残る国指定の史跡「下田原城(しもだばるグスク)」を公園として整備した場所である。

 

「ぶりぶち」とは城跡を意味する波照間の方言、また「はじまり」を意味するとも言われる。

下田原城は日本最南端の城跡であり、古くは下田原貝塚の遺構として先島文明の歴史を紐解く重要な史跡と言える。

 

 

 

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関西国際空港を離陸し、空路で約2時間半。

沖縄本島よりさらに約400km南西、距離的には台湾島にも程近い沖縄県石垣市八重山郡八重山諸島)へ向かった。

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初めに到着したのは石垣島

人口4万9,000人を擁する八重山諸島の政治経済・産業交通の中心地である。

 

空港から市街地へ移動し、この日は夜ご飯に島の特産品等を食べて早く寝た。 

(島マグロ、うみぶどう、石垣島地ビール石垣牛のお寿司。)

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翌朝、石垣島の離島ターミナルから波照間島行きの船に乗る。

 

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海路をおよそ1時間かけて、ついに波照間島に上陸した。

 

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波照間島の面積は12.73平方km、人口は約500人。

 

小さい島なので、レンタル自転車を利用して島全体のあちこちを散策する事が出来た。


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亜熱帯気候の風変わりな植物が生い茂り、広いサトウキビ畑が一面に広がる。


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所々でヤギが放し飼いにされていた。

 

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島の北側にはとても美しいニシ浜(ニシは「北」の意)があり、透明度の高い海水を泳ぐ多種多様な南国の魚たちを間近で観察できる。

(運が良いとウミガメにも会えるらしい。)

 

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遮るものがない広大な空は星座観測の名所でもあり、日本有数の南十字星が見られる貴重なスポットでもある。

 

 



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さて、島の北側、南国の木々が生い茂る小高い斜面を登ると、「史跡 下田原城跡」の木札を発見した。

 

さらに進んだ先に現れたのは、植物の侵食を欲しいままにする壮大な自然の砦。


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ぶりぶち公園である。


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ぶりぶち公園は、地元老人会の皆様の尽力で下田原城跡を整備した公園である。

(碑とベンチが一つある以外は、圧巻の密林っぷりに珊瑚性石灰岩の城壁が所々に露出した荒れ放題の有り様で、整備はいまいち進んでいない。)

 

下田原城(しもだばるグスク)はいつ築城されたのか、また誰が築城したのか、一切が不明である。

規模は東西150m、南北100mに及び、崖上に野積みの珊瑚性石灰岩で造られた城壁が形成され、8つの郭状遺構を囲んでいる。

また遠見台、石室、井戸などの遺構も随所に点在する。

 

城の北側には下田原貝塚と呼ばれる遺跡がある。

研究によると紀元前千八百年頃からの先島石器時代の遺跡で、多くの石器や土器などの破片が出土した。

これには台湾やインドネシアオセアニアメラネシア文化との関連が確認されており、いわゆる先島石器時代は南方系文化に属する系統であったと考えられている。

沖縄本島より遥か南西に位置する八重山諸島の歴史は、日本列島における時代区分が適用されない。波照間島には縄文時代弥生時代も無く、本土でいう平安時代頃までずっと石器時代であった。)

また出土したイノシシの骨や石器の材料となる石は西表島から持ち込まれたもので、他の離島との交流も盛んであった事が推測できる。

ゆるやかな形状の丸底の土器は「下田原式土器」と呼ばれる先島最古の土器。

これは宮古島八重山諸島における土器文化の原形とも目されている。

 

十二世紀末頃、農耕社会の発達および中国など海外文明との交易活性化を背景に、ついに八重山諸島にも支配者層が形成されていく。

西表島石垣島与那国島など近隣の島々でも群雄割拠の時代が到来し、様々なグスク(城)が建造された。

(十二世紀末~十五世紀頃を「グスク時代」と呼ぶ。)

下田原城もまた、この時期に建造されたのではないかと推測でき、また十五~六世紀の中国の青磁器片が出土している事から遅くともその時期には存在していたと目される。

 

十五世紀末、波照間島出身の英傑・オヤケアカハチ(遠弥計赤蜂)が石垣島で政権を打ち立て、その圧倒的カリスマ性で離島民衆の広範な支持を得て、八重山諸島の首領として君臨する。

当時は沖縄本島に樹立された琉球王国の官吏がしばしば八重山諸島へ重税の取り立てに現れ民衆の不満は募り、ついにアカハチを首領に琉球への叛旗を翻したのだ。

2~3年は独立を保ったアカハチ政権だが、ついに1500年2月、琉球王国3,000人の大兵が100の船団で海を越え鎮圧のため石垣島へ上陸。

いわゆる「オヤケアカハチの乱」と呼ばれる戦いで八重山軍は敗れ、アカハチは征伐された。

以降、八重山諸島琉球王国支配下に属する。

島民の独立を掲げ、強大な権力に立ち向かったアカハチの勇壮な生き様は今でも人気が高く、その出身地・波照間島では特に尊敬される歴史上の英雄である。

 

 

 

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こうして、ぶりぶち公園への聖地巡礼を果たした我々は、その日はまた船で石垣島に戻り、名産・石垣牛を食べた。


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(ちなみにオリオンビールは、沖縄で最もメジャーなビール。生ビールひとつ、と頼めばオリオンビールが出てくる。)

 

 

それから西表島のリゾートホテルに宿泊し、荘厳な大自然の魅力に触れて、得難い体験を味わう事が出来た。

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また、石垣島から程近い竹富島も訪れたが、ここでは水牛が名物。

権利が危ういであろうイラストが掲載された看板も発見している。

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最後に、絶品島マグロのお寿司と、沖縄名産の蒸留酒泡盛を飲んだ。

とても美味しかった。

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以上です。

読んで頂きありがとうございました。

 

 

 

【参考文献】

・『波照間島あれこれ - ぶりぶち公園一帯のはなし』HONDA,So 

・『石垣・竹富・西表島実業之日本社

・『八重山歴史読本』中田龍介、南山舎

・『オヤケアカハチ』伊波南哲