『弁』 第二話

 

 

北方の大国・燕。

 

東に遼東・朝鮮、渤海を囲んで南は易水へ至る。

しかし国土の南方には秦に次ぐ強国・斉が鎮座し、虎視眈々とその領地を狙い奪っては抗争が絶えない。

ましてや西には三晋(※韓、魏、趙の三国)を敵に回し、その先に強豪国・秦の脅威が差し迫る。

 

燕の国主・文公は、この逼迫した状況に悩んでいた。

 

 

蘇秦は、そこに付け込んだ。

 

「お願いします、どうかお願い致します」

 

賄賂を渡して周到に高官に取り入り、ついには、朝議の場で文公に謁見する栄誉を授かる。

 

口先の魔術師。

その場しのぎの、天才。

 

縦横家蘇秦の本領が発揮されようとしていた。

 

 

 

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恭しく拱手し、遜(へりくだ)り立派な口上を述べる蘇秦

国土統治の徳を褒め讃え、文公の御機嫌を取った。

 

「過分な賛辞、恐れ入る。

しかしこうも見事に言葉巧みに褒められては、面映ゆいものよ」

 

文公は意気揚々だ。

 

 

「では先生、本題を。

我が国が取るべき施策を、御教授願いたい」

 

機を得たり。

 

すると一転、蘇秦は、けたたましく畳み掛けるよう声を高くした。

燕国の窮状を鋭く指摘し、満場への危機感を喚起せしむ。

 

深刻である。

 

それでいて嫌味は無い。

親身になって国難を嘆いた。

 

 

朝議の場は、完全に蘇秦の弁に呑まれている。

 

 

「秦の脅威は四海に轟き、今や天下はその暴勢にひれ伏さんという時!

だのに六雄は各々微々たる領地を奪い合い、いたずらに国力を疲弊させています。

これ六国に益なく、ただ秦に利、あり!」

 

尤(もっと)もである。

 

居並ぶ文武百官には大きく頷く者もある。

蘇秦はそれを横目に、さらに激しく畳み掛ける。

 

「文公の仁徳は燕国に厚く広がり、国土の団結は一致、軍はお強い!

座して蛮夷の国をのさばらせるが覇者の王道か、否!

自ずから天下に秩序を布くべきではござらぬか!」

 

悔しくも国を取り巻く窮状に、ただ押し黙るしかなかった諸官諸将の心底を、よくぞ高々と代弁してみせた。

 

満場が蘇秦に賛同した。

その熱烈な弁に心打たれた。

 

「だが御安心召されよ!

救国の秘策を、公にお授け致す」

 

 蘇秦は、ここに一世一代の奇策を披露する。

 

 

「燕が要となり、斉・韓・魏・趙・楚との大同盟を築くのです。

 

六国の全軍を一つに統べ、秦の脅威に対抗する。

称して、大合従軍!」

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 


荒唐無稽である。

 

五百年の戦乱が打ち続き、複雑な利害関係を有する六大国をまとめ上げるなどとても現実的ではない。

 

本来ならば、そうである。

 

しかし朝議の場は圧巻に呑まれた。

 

 

蘇秦の卓越した弁説が、この無謀な絵空事をあたかも秘儀・救国の大謀略だと諸人に思わせた。

 

 

 「なんと大胆なる構想か!驚いたぞ」

 

文武百官は息を呑む。

議場に疑問の余地を挟ませず、蘇秦はまくし立てた。

「六国の利害は一致しています。

燕国が要として同盟を提唱すれば、諸国は機を待っていたとばかりに食らい付きましょう」

 

だが、本当に可能か。

諸官にはまだ不安がある。

 

「手始めに、長年の敵国・趙に赴き、私が盟約の証を取り付けて参ります」

 

蘇秦は文公に跪(ひざまず)き、絶対の自信を伺わせた。

 

「しかし」

 

憂国のあまり老臣が口を挟む。

 

蘇秦は、大喝した。

 

「むしろ鶏口となろうと、牛後となる無かれッ!!※1」

(※1.例え小さな鶏といえ、その先駆となる事に価値がある。例え大きな牛といえ、その末尾に付くのでは価値が無い。)

 

六ヶ国合従軍の総帥となるか。

それとも蛮国・秦の配下に成り下がり、亡国を甘んじて受けるのか。

 

こういう意味である。

 

 

文公を始め、燕国の諸官諸将は悉(ことごと)く、蘇秦の弁舌に敬服した。

 

「しからば、頼む」

 

斯くして蘇秦は燕国の主・文公の信任を得、六ヶ国合従軍の提携という大役を仰せつかった。

 

恭しく拱手し、蘇秦は成功を確約して座を辞した。

 

 

 

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「はっ!はははっははっ!

やった!やったぞ」

 

街へ出て、蘇秦は躍った。 

 

「ははは、は、偉いことだ。

偉いことになった・・・!」

 

齢三十何年、一代にして未曾有の好機を掴み取った。

 

舌先三寸の魔術である。

 

 

「落ち着け、落ち着くのだ。

斯くなる上はやるのみ、やるのみぞ」

 

蘇秦は大きく息を吸い込み、吐き、興奮に躍る頭の中を整理した。

 

「勝算はある。

趙国は、趙に関しては確実に、燕との同盟を欲しておる。

まずは、まずはここから」

 

 

実の如く虚を語り、而して、虚を実と成す。

 

己が口先を頼みに乱世を駆ける、縦横家蘇秦の大志はここから始まる。

 

 

 

 

 

続く

 

 

 

 


姓は蘇、名は秦。
洛陽の人。


幼い頃より弁が立ち、年長の大人すら理路整然と論破する程であった。

 

「俺は口先の魔術師。その場しのぎの天才だ」

 

斯く自負する通り、弁舌に天賦の才があった。

 

しかし舌先三寸、その時々に都合良く如何にも尤(もっと)もである風に聞こえる言説は、後々になるといや待てよ、おかしいだろうと気付かれてしまい、それ故に大抵は長続きしなかった。

 

仕官もままならず定職に就かず、論説を奮って方々を練り歩き一様に初めこそ讃えられるが、所詮はその場しのぎ、結局は土地土地を追われて根付かない。

 

地元に帰ると、父母には呆れられ、兄嫁は煙たがり、妻は目も合わせない。


「このままでは行かぬ。俺は弁の才こそあるが、活かす術を知らぬ」

 

 

一念発起した蘇秦は、当時世間から隔絶して独自の弁論術『縦横(しょうおう)道』を追い求めていた仙人・鬼谷(きこく)先生の元を遥々訪ね、その門下に弟子入りをした。

 

 


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激動の戦国時代。

 

諸子百家と称される学問の多様な振興は、数多くの傑物を世に生み出した。

 

大家は弟子数千人をも擁し、諸国の政治に多大な影響力を持ち時代を動かす。

 

 

そんな中で、縦横家・鬼谷の教えはあまりに邪道だった。

 

仁義礼節を探求する儒家、神仙の修行を究める道家、厳正な法治主義を進める法家。

それぞれの思想における究極の理想を目指し、その手段として世に働きかける事はある。

 

けだし縦横家に、思想はない。

ただ己が弁舌の術のみを極めて乱世を手玉に取る、口先の道である。

 

蘇秦には天稟(てんぴん)の道であった。

 

 

「我が師・鬼谷先生こそ弁の魔神。
俺は師に学び必ずや縦横の道を究め、乱世に己が才覚を誇示して見せよう」

 

 

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熱心に励み、寝る間も惜しんだ。

蘇秦は眠気に襲われると、きっ、と意を決して鋭い錐(きり)を腿に刺す。

 

「痛ッ!!・・・が、起きたぞ」


血が滴(したた)り、踵(かかと)まで流れる。

 

そこまでさせる蘇秦の根には、若き日より挫折を重ねて世に蔑まれ、ゆえに大成を渇望する強靭なバネがあった。

 

全霊を賭して縦横の術を習得し、弁を磨いて道を極める。

 

 

 

 

 

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仙人・鬼谷に師事する風変りな若者はそう居ない。

門下の塾生はせいぜい指で数える程しか集まらず、それも途中で去る者が多くいた。

 

中で、蘇秦と、そして張儀という若者は並みならぬ熱烈を以って修練に励み、門下筆頭の双璧となった。

 

張儀よ、貴公こそ天賦の弁才である。

良き強敵(とも)に恵まれて、果報であったぞ」

 

蘇秦は手を差し出した。

これを固く握り、張儀も返す。

 

蘇秦、おぬし程凄絶なる弁舌の鬼を他に知らぬ。

 得難き経験を積ませてもらった。

これよりは互いに乱世を駆け、敵する事もあろうが・・・」

 

縦横の道は、これより修羅に入る。

 

 

二人は背を向け合い、それぞれ大業を果たすべく山を降りた。

 

 

 

 

 ~~~~~~~~~~~~

 

世俗に戻った蘇秦は初め、周の顕王に見(まみ)えんと試みた。

 

もはや周室の権威は地に堕ち、一小国に過ぎぬ、しかし何といっても歴史ある周室である。

 

「王政復古の大令を成すは今!

野蛮なる諸侯に好き勝手、王を称され中華を荒らされ、周室の誇りは、憤怒はござらぬか!」

 

各所で雄弁を奮い、民の心を掴んだ。

皆が思っても言えない事を高々と叫んだ蘇秦の弁は痛快であった。

 

しかし由緒正しき周室の、古風な官僚どもは蘇秦の経歴を調べるとこれを怪しんで、王に近づけようとしなかった。

 

(・・・見込みは無い。

やはり名ばかり古く、格や形式に捉われて新しきを受け入れぬ国では未来がない。)

 

蘇秦は周を去った。

 

一路、目指すは西の方、強国・秦である。

 

 

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法家思想を奉じて新たな国家体制を築き、富国強兵を進める秦の威勢は甚だしい。

 

蘇秦もこれには見込みがあった。

 

「秦国は新たな思想・人材を広く天下から集め、もはや並びなき権勢を誇る。

我が縦横の術をもって天下の趨勢を説かば、容易に受け入れられようぞ」

 

果たして秦王・嬴駟(えいし)への謁見はすんなり実現し、蘇秦は堂々弁舌を奮って天下に覇を唱えるべしと説いた。

 

「それは、そうである」

 

だが王の反応は鈍い。

 

取り巻く側近どもも、不審の目で蘇秦を見やる様がまじまじとわかった。

 

(・・・何かおかしい。)

 

蘇秦は一先ずその場を辞して、しかるのち調べるに、先般秦国は新米の法官・商鞅の舌先三寸に国政を一新され、太子時代の嬴駟は特にそのため痛い目を見て、以来弁説の徒を警戒していると言う。

 

「・・・馬鹿なっ。

その商鞅が成した改革で、今日の強勢があろうものを」

 

失望は大きい。

今の権勢に甘んじて進歩を求めぬ驕慢たるや、 己が身命を賭すに値せず。

 

だが蘇秦は得るものがあった。

 

西方の蛮国と侮るなかれ、秦国の隅々へ行き届いた法の魔力と軍事大国たる威勢を間近に見て、なるほどこれは六国のいずれも及ばぬ脅威である。

 

「説くべきは秦でなく、秦に脅される諸侯であったか」

 

蘇秦は意を決し、遠路遥かなる北東・燕へ向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 続く

 

三國無双8で巡る中国の世界遺産!🇨🇳🐼🎍

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1.万里の長城

国境を守る防御壁いわゆる長城は、春秋戦国時代を通して各地に築かれました。

中華統一を達成した秦の始皇帝はこれらを一つに繋ぎ合わせ「万里の長城」として再構築します。

北方遊牧民への積極攻勢に出た漢の武帝による修復延長などを経て、しかし後漢末には政情不安から放棄され、各所は荒涼としています。

 

 

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2.泰山

三皇五帝時代より歴代の帝王が封禅(天子即位)の儀を執り行ったとされる中華随一の名峰・泰山。

華北平原を見降ろす壮大な絶景は「五岳独尊」と称され、中国史上最も重要な自然遺産かつ文化遺産として無二の顕著な価値を有します。

秦の始皇帝前漢武帝後漢光武帝らもこの泰山で封禅を行いました。

 

 

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3.黟山(いざん)

険峻な黟山の峰々と雲海が織り成す独特の景観は、まさに仙境の趣き深く後世には多くの水墨画漢詩の題材となりました。

断崖絶壁の怪石、雄大な雲海、天然温泉、岩間に生える奇松は特に「四絶」と讃えられます。

伝説上の黄帝が不老不死の霊薬で神仙となった伝承から後世「黄山」と称されました。

 

 

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4.九寨溝

岷山山脈より流れ込む石灰岩成分の沈殿により、極度に透明度の高い湖水が青や黄色、緑色の貌を覗かせる九寨溝

鮮やかな紅葉が美しく映え、神秘的な景観を生み出しています。

五花海を臨むY字状の谷を中心に雄大な瀑布が形成されて、数多くの湖沼が棚田状に広く連なっています。

 

 

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5.黄龍

玉翠山の深い森に覆われた渓谷、黄龍溝。

3億年前まで海の底だった為に珊瑚の堆積で石灰岩層が形成され、長い時間をかけて雨水の浸食、石灰華の沈殿によりカルスト地形が生まれました。

エメラルドグリーンの美しい湖水と黄金色の石灰棚が織り成す幻想的光景は、伝説上の神獣・黄龍の鱗に例えられます。

 

 

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6.武陵源

高さ200mを超える巨大な岩の柱が3000本以上立ち並ぶ奇跡の絶景、武陵源

多量の二酸化珪素を含む珪岩が数億年の歳月の間に地殻変動による隆起、風雨の浸食を受けて今日の雄大で荘厳な景観を生み出しました。

漢代に設置された荊州武陵郡の山奥深くは、三国時代には今だ一般に周知されていない秘境です。

 

 

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7.廬山

司馬遷の『史記』にも讃えられた風光明媚なる廬山の景観は、「匡廬奇秀甲天下」(廬山の奇秀は天下一)と称され、古代より多くの著名文化人が題材として詩歌芸術を生み出して参りました。

東に望む鄱陽湖は中国最大の淡水湖で、魚類の宝庫。

多様な渡り鳥の生息地としても貴重な生態系を育んでいます。

 

 

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8.武夷山・九曲渓

南北約550kmに及び、中国大陸東南部の最高峰・黄崗山を主峰に戴く秀麗無比なる武夷山脈。

赤く切り立った崖や柱のような峰々が36も連なり、その山間を分ける渓谷に全長7kmの川が幾度も曲がりくねって沿う壮大な景観は、"九曲渓"の名で知られる山水の名勝です。

 

 

 

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9.青城山と都江堰

古代の灌漑施設・都江堰。

青城山から流れる川の氾濫に苦しむ民を救うため、戦国時代に秦の李冰(りひょう)が建設しました。

この恩恵で蜀の地は肥沃な大穀倉地帯へと変貌を遂げ、首府・成都の繁栄を導きます。

後世、諸葛亮も都江堰の整備を内政の重要課題と位置付け、管理政策を徹底しました。

 

 

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10.四川ジャイアントパンダ保護区群

約800万年前に登場したジャイアントパンダの祖先は、中国大陸固有の種として広く生息し独自の進化を遂げました。

古くは前漢の史家・司馬相如の『尚林賦』に竹を食べる白黒の熊として、宮廷の庭で飼われていた記述が伺えます。

豊かな竹林が広がる四川地方には、多くの野生パンダが生息していました。

 

 

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11.中国南方カルスト

雲南石林、桂林をはじめ中国南方に拡がるカルスト地形の絶景の数々。

かつて海底だった一帯に海洋生物の化石が数億年に渡って堆積し続け、石灰質の地層を形成しました。

風雨に溶解しやすい石灰岩は長い歳月をかけて浸食を受け、尖塔状の石林(タワーカルスト)と呼ばれる独特の景観を生み出しています。

 

 

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12.五台山

東西南北中央、五つの峰々から成る仏教の聖地・五台山。

中国への仏教伝来は後漢期と目され、孫策と争った群雄・笮融(さくゆう)による揚州での布教は中国仏教発展の礎を築きました。

後世、北魏の時代から栄え300以上もの寺院を擁した五台山ですが、三国時代にはまだ小さな寺が一つ佇むだけの様子です。

 

 

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13.丹霞山

赤みがかった地層が幾重にも分かれ、林立する断崖絶壁を美しく彩る丹霞山の奇景。

川の流れに運ばれた鉄分やマンガンを含む赤い礫岩が、長い歳月をかけ堆積し湿潤な多雨に削られて独特の景観を形成しました。

丹(あか)い霞のように美しいこの模様は、中国南部の亜熱帯性気候が生み出した天然の芸術です。

 

 

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14.嵩山(「天地の中央」にある登封の史跡群)

後漢の都・洛陽を見下ろす霊峰・嵩山は、古代より中華思想における天地の中心として崇拝されてきました。

秦、漢の時代に建てられた霊廟や闕(けつ)をはじめ、伝説上の周公旦が天文を測ったとされる観星台、仏教寺院や儒教道教の書院など歴史的建造物が山険の中腹・登封の地に残っています。

 

 

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15.シルクロード長安〜天山回廊の交易路網)

長安を起点として中華文明と西域諸国を繋ぎ、果ては地中海世界ローマ帝国にまで至る遠大な東西交易路・シルクロード

前漢武帝による西域進出は、天山山脈を経てトルキスタンへ通じる回廊の道を切り拓きました。

三国時代にも西域に依る羌族・氐族が中原の諸侯と交わり、影響を及ぼしています。

 

 

 

 

 

【参考文献】

・『万里の長城』長城小站編著、馮暁佳訳

・『史記司馬遷

・『尚林賦』司馬相如

・『くわしく学ぶ世界遺産300』世界遺産検定事務局著、NPO法人世界遺産アカデミー監修

・『地球の歩き方 成都 九寨溝 麗江 四川 雲南 貴州の自然と民族』地球の歩き方編集室編集

・『中国の歴史』陳舜臣 


ツイ。

140字のツイートに描き出す、広大無辺の大世界がある。


このツイの道に、天下第一の大成を果たさんと志す一人の文人がいた。

 


己の師と頼むべきアカウントを物色するに、ついに、当今ツイにおいては並ぶ者なき人傑にあたる。


師に付き、学び、ふぁぼRTなどして、また己のツイの研鑽に励むこと5年の歳月を費やし、いよいよ師をも凌駕する頂きを見出した。


つぶやけば忽ち人を魅了し、感化し、思わずふぁぼらせRTたらしめる。

鎧袖一触。

もはや人界に比する者なく、ツイの道を究めたと見えた。

 


しかし師は、言う。


「ふぁぼRTは、ものの数ではないよ。
真にツイを究めし者の道に比べれば、我々のやる事など児戯に等しい


位人臣を極めた自尊心に、児戯に等しいという言葉は正直こたえた。

なんぞツイの究めし者の道あるやと、師が「神仙の頂きに達せしアカウントは、これにあり」と教えたまさに隠居老人・仙人ともいうべき質素朴訥なアカウントに凸り奉り、教えを乞う。


己がバズりしツイ等あらかた見せると、老人は「なるほどね。一通りは、出来るようだね。」

穏やかな微笑を含んで言った。


「だが所詮はツイのツイ。
爾(なんじ)、いまだツイの無においてツイに至るを知らずと見える」

甚だ自負あれば、些かムッとして聞いていたが「なれば、ご教授願いたし」と遜(へりくだ)るに、老人はその場でわずか1語ばかりのツイを紡ぎ出し、TLに投下してみせた。

 


しばらく。

 


2ふぁぼが付く。
RTはされない。

 

 

 

「これだよ。」

 


老人は言った。

 

 

これだ。

何の変哲もない、一見意味もないただ1言のツイにもかかわらず、この圧巻は、何だ。

驚愕に打ち震え、慄然(りつぜん)とした。


己が築いてきた砂上の楼閣は脆くも音を立て崩れ去った。

 


今にして始めて、ツイの道。

その深淵を覗き得た心地であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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九年の間、この老人の許に留まった。

その間いかなる修業を積んだものやら誰にも判らぬ。

 


とかく九年経って、TLに戻りしその風格の変貌ぶりにみな驚いた。

以前の、如何にも大衆に好まれる精悍な柔和さと痛快な毒々しさを調和した面魂はどこぞに影を潜め、何の表情も無い。
木偶のごとく愚者ごとき質素朴訥な体(てい)に変わっている。


久しぶりに旧き師のアカウントを訪ねた時、しかし、師はこの風格を一見すると感嘆して叫んだ。

「これでこそ初めて、ツイの道を究めし者よ!」
よもや我らの如き、足元に及ぶものではない、と。

 

満場拍手喝采のTLは、天下随一となって戻ってきたその達人を讃えて迎え、いよいよ眼前に示されるであろう至極のツイへの期待に湧き返った。

 

ところが達人は、一向だにその要望に応えようとしない。

 

いやそれどころか一言のツイすら発しようとしない。

 

 

その訳を訊ねた一人に答えて、達人は懶(ものう)げに返した。

「至為は為す無く、至言は言を去り、ツイに至るはツイに無し」

 

 

 

「なるほどね。」

 

物分かりのいいTLの人々はすぐに合点した。

 

ツイをせざるツイの達人は、フォロワーの誇りとなった。

 

 

達人がツイをしなければしないほど、その神仙たるやの評判はいよいよ喧伝された。

 

 

 

そして、ついには、達人はその後ただ一度のツイをすることもなく、その生涯を終えたという。

 

 

 

 

 

 

 

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晩年に、一つの逸話がある。

 

ある日老いたる達人が知人の許に招かれて行ったところ。

iPhoneの画面に映るアイコンには、何やら見憶えがある。

だが何としてもその名前も、用途も、思い出せずにいた。

 

老人は知人に訊ねた。

「このアプリは、何というのですか?」

 

知人は初め、老人が冗談を言っているのかと思って笑った。

しかし、至極真面目に問い続ける老人の様に、これが本気の事だと知って、

「ああ、何たることか。

___ツイの道を究めたる達人が、ツイの何たるか忘れたと?

ああ、ツイを、忘れ果てたと!」

 

 

 

 

 

徐晃伝 四十四『兵法の極意』

 

 

 

魏軍が動いた。

 

大将は、徐晃

 

 

水没し、関羽の大軍に囲まれた樊城へ向かう。

 

先鋒は副将・趙儼(ちょうげん)。

増援を率いて駆け付けた徐商、呂建の両将が左右に展開する。

 

 

 

陽陵坡(ようりょうは)の要衝まで進み出ると、ついに魏蜀は戦線に対峙した。

 

 

眼前に立ち塞がる第一の障壁、蜀軍の拠点・偃城である。

 

 

 

「・・・では、徐晃将軍の策の通りに」

 

副将・趙儼、一気に城を攻め落とすかと思えばそうでは無い。

 

工兵を展開し、城の外周を回るように塹壕を掘り始めた。

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

「掘れぃ!掘り進めよ!」

 

包囲に窮する味方を救わんと駆け付けるところ、悠長に陣を伸ばす暇など無い。

 

しかし、魏軍はひたすら坑道を掘る。

 

 

 

 

この一手に偃城の蜀軍はむしろ恐怖した。

 

「攻め寄せるならば抗戦は出来る。

だが、兵站を断たれれば孤立してしまう!」

 

 

先般、関羽が一部陣形を再編した為、前線の偃城への兵站線は細く伸びていた。

 

趙儼(ちょうげん)は丁度その補給線を断つように塹壕を掘り進める。

 

 

このまま戦線から孤立すれば、勝ち目は無い。

城壁を高く、食い止める間に本軍からの救援を頼みとしていた蜀軍には、この状況を覆す手は知れなかった。

 

 

 

事前に徹底して敵陣と地形を精査した徐晃の采配が光る。

 

関羽殿は強敵。

来たる決戦まで、少しでも兵力は温存せねば。

戦わずして勝つ事こそ、兵法の極意でござる」

 

 

 

偃城の守備隊は不利を悟ると、潔く、軍営を焼き払い撤退した。

この状況で打てる手としては最善である。

さすがに関羽の麾下であった。

 

 

 

こうして魏軍は堂々、無血に開いた偃城を取る。

 

 

魏将・趙儼は感嘆した。

「一滴の血も流さずして、初戦に勝利を飾るとは。

やはり徐晃将軍は、稀代の名将」

 

 

斯くて今一歩、関羽に迫る。

 

 

 

 

 

 

徐晃伝 四十四 終わり

 

 

徐晃伝 四十三『反撃の狼煙』

 

 

情報伝達は戦の要。 

 

軍議を重ねて、徐晃は諸将に語る。

 

「何よりも肝要は、籠城する味方と連絡を密にする事でござる。

何としても樊城の曹仁殿と通信すべく、活路を拓かねば!」 

 

兵らを休ませるうちも徐晃は、休まず頭を働かせた。

「この道は通れぬ。ここは敵が厚い・・・」

 

軍営の篝火(かがりび)は夜通し明るく、幕僚らが智恵を振り絞る。

方々に隈なく斥候を放って情報収集を徹底した。

 



敵軍の陣形、周囲の地形・地質をつぶさに調査する内ついに、活路を見出す。

 

「数里先の村より地元の民が用いる井戸道がござる。

ここから地下道を掘り進め、以って樊城に伝令を遣わせん!」

 

結集した工兵達は昼夜突貫して作業を進めた。

その間にも将兵は規律正しく鍛錬に励み、練度を上げて決戦に備える。

 

―本国。

中央では兵站部が必死に戦力を掻き集め、徐晃の援軍に少しでも兵を加えようと画策していた。

司馬懿賈詡ら謀官は外交戦略を駆使して孫呉との連携を模索した。

 

 

全ては、樊城における決戦のため。

 

 

堂々立ちはだかる最大最強の敵・関羽

 

徐晃が、これに挑む。

 

 

 

 

 

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ボコッ!!

 

土塀の足下がへこみ、穴が空いた。

 

樊城の内側である。

衰弱した兵らはその奇妙な光景に驚き、何事あるかと続々集まる。

 

やがて広がった大穴から、土汚れた兵が現れた。

「て、敵かっ!?それとも」

 

 

魏兵。

伝令兵だった。

 

徐晃将軍の命により、樊城の救援にまかり越した!」

 

この報せを聞いた兵達の安堵と歓喜とはどれほどの事であっただろう。

 

すぐに曹仁、満寵も駆け付け伝令兵を労った。

 「ああ・・・良かった!

徐晃殿、君が援軍に来てくれるとは!

頼もしい限りだ」

 

満寵は胸を撫で下ろす。

その心からの安堵には、旧き友への絶対の信頼が伺えた。

 

 

 坑道の開通は早、徐晃にも報が届く。

曹仁殿、満寵殿はご無事か!

よくぞ、よくぞここまで持ち堪えられた・・・!」

 

 

 

以来、城内と城外、両軍は密かに連絡を重ね、来たる反攻の機を伺った。

 

 

 

徐晃が率いる宛城の陣には少しずつ、だが着実に中央より増援が駆け付け、いよいよ軍勢の体が整いつつある。

 

 

 

 

 

そこへ、急報が入る。

 

 

 

関羽が陣形を変えた。

 

 

 

「・・・不可解でござる」

 

軍図に重ねた駒を動かして徐晃は、刮目する。

 

この局面で兵を一部退げるとは腑に落ちぬ。

 

まさか、

「・・・兵糧が足りぬのではないか」

 

これまでの関羽の戦術からは考え得ぬ用兵。

先般、投降した多くの魏軍敗残兵を養うに糧食が尽きつつあるか。

 

 

 

徐晃は軍机を立ち、諸将を召集する。

 

「反撃の時は、今でござる!」

 

 

狼煙が上がる。

銅鑼や太鼓が鳴り響き、宛城から軍勢が発した。

 

 

 

 

決戦の時が、間近に迫る。

 

 

 

 

 

 

 

 徐晃伝 四十三 終わり

 

 

徐晃伝 四十二『死中に活』

 

 

樊城(はんじょう)。

 

外周一帯は水没し、籠る魏軍に逃げ場は無い。

揚々と意気盛んなる関羽荊州軍がこれを幾重にも包囲し、糧道を断った。

 

魏兵は飢えと病に弱る。

守将・曹仁はそんな麾下の将兵を見やり、顔を歪める。

 

「・・・もはや軍の体(てい)を成しておらぬか。

あたら兵を損ねることは無い・・・ここは、自分の首一つで」

 

将命と引き換えに、麾下兵卒の無事を守らん。

降伏を決意しようと拳を握る所であった。

 

 

 

そこへ、

「おっと、曹仁殿。

それは些(いささ)か早計というものですよ」

 スラリと長身を翻し、参謀格の満寵が現れて曹仁を励ます。

 

「援軍は必ずやって来ます。

曹操殿は、この樊城を決して見捨てはしません。

諦めず、人事を尽くして時を待つのです」

 

満寵は腕をまくり、地べたに寝そべる兵をそっと起こして残り少ない糧食を口に運ばせ励ました。

 

援軍は必ず来る。

曹仁は弱気になっていた己を恥じ入り、静かに奮起した。

「そうだな・・・自分はそんな事すら見失いかけていたか。

感謝する、満寵殿」

 

「・・・さあ、曹仁殿。

死中に活、求めてみましょう」

 

 

苦境に屈する事なく今一度、希望に賭して踏みとどまる。

 

 

 

 

 

 

 

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 「・・・兵力の差は著しい。

今、討ち出でても勝機はあるまい」 

 

徐晃は諸将を前に、軍図を眺めて駒を置く。

 

一刻も早く援軍を差し向けねば樊城は危うい。

焦燥すべき事態が差し迫るも、一方でこちらは練度の低い寡兵である。

 

なまじ討ち出て強敵・関羽に破られれば後は無い。

 

極限的窮状。

この戦況で判断を下すには、将には、尋常ならざる智と精神が要される。

 

 

 

「・・・死中にこそ、活路を拓かん!」 

 

 

 

徐晃の将器が今、覚醒しようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

徐晃伝   四十二   終わり