ぶりぶち公園

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ぶりぶち公園は、南西諸島海域に位置する日本最南端の有人島波照間島に残る国指定の史跡「下田原城(しもだばるグスク)」を公園として整備した場所である。

 

「ぶりぶち」とは城跡を意味する波照間の方言、また「はじまり」を意味するとも言われる。

下田原城は日本最南端の城跡であり、古くは下田原貝塚の遺構として先島文明の歴史を紐解く重要な史跡と言える。

 

 

 

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関西国際空港を離陸し、空路で約2時間半。

沖縄本島よりさらに約400km南西、距離的には台湾島にも程近い沖縄県石垣市八重山郡八重山諸島)へ向かった。

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初めに到着したのは石垣島

人口4万9,000人を擁する八重山諸島の政治経済・産業交通の中心地である。

 

空港から市街地へ移動し、この日は夜ご飯に島の特産品等を食べて早く寝た。 

(島マグロ、うみぶどう、石垣島地ビール石垣牛のお寿司。)

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翌朝、石垣島の離島ターミナルから波照間島行きの船に乗る。

 

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海路をおよそ1時間かけて、ついに波照間島に上陸した。

 

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波照間島の面積は12.73平方km、人口は約500人。

 

小さい島なので、レンタル自転車を利用して島全体のあちこちを散策する事が出来た。


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亜熱帯気候の風変わりな植物が生い茂り、広いサトウキビ畑が一面に広がる。


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所々でヤギが放し飼いにされていた。

 

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島の北側にはとても美しいニシ浜(ニシは「北」の意)があり、透明度の高い海水を泳ぐ多種多様な南国の魚たちを間近で観察できる。

(運が良いとウミガメにも会えるらしい。)

 

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遮るものがない広大な空は星座観測の名所でもあり、日本有数の南十字星が見られる貴重なスポットでもある。

 

 



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さて、島の北側、南国の木々が生い茂る小高い斜面を登ると、「史跡 下田原城跡」の木札を発見した。

 

さらに進んだ先に現れたのは、植物の侵食を欲しいままにする壮大な自然の砦。


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ぶりぶち公園である。


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ぶりぶち公園は、地元老人会の皆様の尽力で下田原城跡を整備した公園である。

(碑とベンチが一つある以外は、圧巻の密林っぷりに珊瑚性石灰岩の城壁が所々に露出した荒れ放題の有り様で、整備はいまいち進んでいない。)

 

下田原城(しもだばるグスク)はいつ築城されたのか、また誰が築城したのか、一切が不明である。

規模は東西150m、南北100mに及び、崖上に野積みの珊瑚性石灰岩で造られた城壁が形成され、8つの郭状遺構を囲んでいる。

また遠見台、石室、井戸などの遺構も随所に点在する。

 

城の北側には下田原貝塚と呼ばれる遺跡がある。

研究によると紀元前千八百年頃からの先島石器時代の遺跡で、多くの石器や土器などの破片が出土した。

これには台湾やインドネシアオセアニアメラネシア文化との関連が確認されており、いわゆる先島石器時代は南方系文化に属する系統であったと考えられている。

沖縄本島より遥か南西に位置する八重山諸島の歴史は、日本列島における時代区分が適用されない。波照間島には縄文時代弥生時代も無く、本土でいう平安時代頃までずっと石器時代であった。)

また出土したイノシシの骨や石器の材料となる石は西表島から持ち込まれたもので、他の離島との交流も盛んであった事が推測できる。

ゆるやかな形状の丸底の土器は「下田原式土器」と呼ばれる先島最古の土器。

これは宮古島八重山諸島における土器文化の原形とも目されている。

 

十二世紀末頃、農耕社会の発達および中国など海外文明との交易活性化を背景に、ついに八重山諸島にも支配者層が形成されていく。

西表島石垣島与那国島など近隣の島々でも群雄割拠の時代が到来し、様々なグスク(城)が建造された。

(十二世紀末~十五世紀頃を「グスク時代」と呼ぶ。)

下田原城もまた、この時期に建造されたのではないかと推測でき、また十五~六世紀の中国の青磁器片が出土している事から遅くともその時期には存在していたと目される。

 

十五世紀末、波照間島出身の英傑・オヤケアカハチ(遠弥計赤蜂)が石垣島で政権を打ち立て、その圧倒的カリスマ性で離島民衆の広範な支持を得て、八重山諸島の首領として君臨する。

当時は沖縄本島に樹立された琉球王国の官吏がしばしば八重山諸島へ重税の取り立てに現れ民衆の不満は募り、ついにアカハチを首領に琉球への叛旗を翻したのだ。

2~3年は独立を保ったアカハチ政権だが、ついに1500年2月、琉球王国3,000人の大兵が100の船団で海を越え鎮圧のため石垣島へ上陸。

いわゆる「オヤケアカハチの乱」と呼ばれる戦いで八重山軍は敗れ、アカハチは征伐された。

以降、八重山諸島琉球王国支配下に属する。

島民の独立を掲げ、強大な権力に立ち向かったアカハチの勇壮な生き様は今でも人気が高く、その出身地・波照間島では特に尊敬される歴史上の英雄である。

 

 

 

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こうして、ぶりぶち公園への聖地巡礼を果たした我々は、その日はまた船で石垣島に戻り、名産・石垣牛を食べた。


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(ちなみにオリオンビールは、沖縄で最もメジャーなビール。生ビールひとつ、と頼めばオリオンビールが出てくる。)

 

 

それから西表島のリゾートホテルに宿泊し、荘厳な大自然の魅力に触れて、得難い体験を味わう事が出来た。

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また、石垣島から程近い竹富島も訪れたが、ここでは水牛が名物。

権利が危ういであろうイラストが掲載された看板も発見している。

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最後に、絶品島マグロのお寿司と、沖縄名産の蒸留酒泡盛を飲んだ。

とても美味しかった。

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以上です。

読んで頂きありがとうございました。

 

 

 

【参考文献】

・『波照間島あれこれ - ぶりぶち公園一帯のはなし』HONDA,So 

・『石垣・竹富・西表島実業之日本社

・『八重山歴史読本』中田龍介、南山舎

・『オヤケアカハチ』伊波南哲