妖怪『空亡』について


空亡(くうぼう、または、そらなき)は、巨大な赤い球状の物体が禍々しい闇の黒雲に包まれた様子で描かれる妖怪である。

百鬼夜行の最後に現れ、全ての妖怪を駆逐する回避不能の災厄。

近年、妖怪関連の創作作品等によく登場し、その圧倒的妖魔力で最強妖怪の候補にも挙げられる。

 

しかし空亡は、従来の日本妖怪の伝承には存在しなかった。

空亡が誕生したのはごく最近の事であり、とても新しい妖怪と言える。

では、この最強クラスの大妖怪がどうして忽然と妖怪史上に出現したのだろうか。

 

鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』、大徳寺真珠庵所蔵の『百鬼夜行絵巻』など多くの百鬼夜行図において、数多の魑魅魍魎が練り歩いた最後に登場するのは、朝日である。

百期の闇夜に横行するは、佞人の闇主に媚びて時めくが如し。

太陽昇りて万物を照せば、君子の時を得、明君の代にあへるが如し。

『今昔図画続百鬼』より

百鬼"夜"行の最後には、黒雲を割き地を明るく照らす赤い太陽が出現して"朝"を迎え、妖怪たちが退散するのだ。

 

2002年、角川書店から『陰陽妖怪絵巻』というカードゲームが発売された。

海洋堂の造形による妖怪フィギュアと『陰陽妖怪絵札』トランプのセット商品。)

大徳寺真珠庵所蔵『百鬼夜行絵巻』を元にした、妖怪たちのイラストと解説文が書かれたトランプである。

このカードゲームにおいて、ジョーカーの札に当てられたのが「百鬼夜行の最後に登場する太陽」だった。

監修・執筆者の荒俣宏は、この朝日を「空亡(くうぼう、六十干支において算命される天中殺の時間帯)」の時間に現れるもの、という設定を付与し、またカード名も「空亡」と名付けられた。

空からころがり落ちてくる火の玉のような太陽は、まさに闇を破る万能の力といえる。

太陽は、夜の闇を切り裂いて夜明けをもたらすとき、空亡という「一日の暦の切れ目」をついて、夜の中に割りこんでいく。

この空亡の隙間は、どんな妖怪にも塞ぐことができない。

『陰陽妖怪絵札』より

百鬼夜行の最後に登場する太陽」と「空亡」は、この時点で関連付けられたものと考えられる。

ここでは、あくまで朝日が「空亡」の時間に昇る、との設定を加えたまでであり、この現象あるいは太陽自体が妖怪であるという認識は成されていなかった。

(一方で他のカードではカード名=妖怪の名前だったため、このジョーカーが「空亡」という妖怪である、との誤解は大いに生じ得るものであっただろう。)

 

2006年、カプコンより発売されたPlayStation2用ゲームソフト『大神』。

古代日本風の独特な世界観に、神話時代の神々や古い妖怪たちが数多く登場するアクションアドベンチャーゲームである。

本作のラスボス級敵キャラクターとして、「常闇ノ皇(とこやみのすめらぎ)」が登場した。

形状は黒い球体、赤い幾何学的紋様が描かれた禍々しい異質な存在感を醸し出す。

(最終形態との戦闘時BGMのタイトルが「太陽は昇る」。)

後に発売された設定画集『大神絵草子 絆 -大神設定画集-』において、「常闇ノ皇」が初期案では「空亡」というネーミングであった事が記載されている。

百鬼夜行絵巻の最後に登場してすべての妖怪を踏み潰す最強の存在

『大神絵草子 絆 -大神設定画集-』より

上記のような設定と、またモデルは「実在の妖怪である」との記述が見られる事、「百鬼夜行の最後に登場する太陽」と「空亡」を関連付けるこの構想は、明確に前述の『陰陽妖怪絵札』が出典と思われる。

誤解、あるいは解釈の拡大によって生じた「百鬼夜行の最後に登場する最強の妖怪・空亡」というイメージは、この時点から一般に流布したものと考えられる。

 

以降、インターネット上の掲示板「ふたばちゃんねる」や「アンサイクロペディア」等で様々な設定が付与され、妖怪・空亡のイメージは定着していった。

やがて2014年のソーシャルゲーム「妖怪百姫たん!」に空亡という名の妖怪が登場し、2018年にはアニメ「妖怪ウォッチ シャドウサイド」でも重要な敵キャラクターとして妖怪・空亡が描かれ、創作作品における確固たる地位を築くに至っている。

 

以上のような経緯で、創作設定の拡大解釈または誤解を発端に、元々存在しなかったはずがあたかも古来より伝えられる由緒正しき妖怪であるかのように変化した結果、妖怪史上に突如出現した最強の存在が空亡である。

 

果たして、空亡とは架空の、捏造された、偽の成り立ちを持つ妖怪ならざる存在なのか?

古典的な日本の民間信仰における妖怪の成り立ちとは明らかに異なる空亡の扱いは、難しい。

一方で、似たような命題に関する以下のような議論がある。

 

妖怪・ぬらりひょんは、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』はじめ江戸時代の妖怪絵巻に数多く見られる古典妖怪であり、一般に「妖怪の総大将」とするイメージが定着している。

しかし元々ぬらりひょんにそのような特徴は無く、1929年に藤沢衛彦の『妖怪画談全集 日本篇』において

まだ宵の口の燈影にぬらりひよんと訪問する怪物の親玉

『妖怪画談全集 日本篇』より

 とする脚注が記載され、この「親玉」の記載が拡大解釈され後年「妖怪の総大将」という設定が創作されていったと妖怪研究家の村上健司や多田克己は指摘している。

やがて佐藤有文の『日本妖怪図鑑』や、水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』等の作品で「総大将」ぬらりひょんのイメージが一般に定着した。

近年では椎橋寛の『ぬらりひょんの孫』における堂々たる総大将っぷりも印象的である。

 

このような経緯について、国文学者の志村有弘は「伝承が本来の意味から隔たり人為的に歪曲されつつある」と否定的に評したが、一方で小説家・妖怪研究家の京極夏彦は「妖怪を生きた文化として捉えれば、時代に合わせて変化することは構わない」と肯定的に評している。

 

現代の都市伝説の類においても、トイレの花子さん口裂け女といった民間伝承に端を発する創作妖怪は数多く誕生しており、確かに一種の妖怪として独自の地位を築いている。

空亡は、エンターテイメント作品を発端にして歴史ある百鬼夜行図に新たな解釈を加え、インターネット上の掲示板等での伝聞を通じてそのイメージが形成されていった。

現代社会を象徴する文化的背景によって誕生したという点においても、妖怪史が迎える新たな局面として特筆すべき徴候が見受けられる。

 

突如出現した最強妖怪・空亡。

この不可思議で興味深い現象・存在もまた、古来より人々の信仰と創造が伝えて来た妖怪たちと同じように、現代の人々が生み出した正統な"妖怪"と言えるのではないだろうか。

 

 

 

 

【参考文献】

・『鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集』角川書店

・『陰陽妖怪絵巻』荒俣宏角川書店

・『大神絵草子 絆 -大神設定画集-』カプコン

・『妖怪画談全集 日本篇 上』藤沢衛彦、中央美術社

・『日本妖怪大全』水木しげる講談社 

・『百鬼夜行解体新書』村上健司、コーエー

・『対談集 妖怪大談義』京極夏彦角川書店

・『水木しげるvs.京極夏彦ゲゲゲの鬼太郎解体新書』講談社