【メモ】山城国京洛の史跡寺社仏閣

永観堂
禅林寺(ぜんりんじ)
京都市左京区にある浄土宗西山禅林寺派総本山の寺院。
通称の永観堂(えいかんどう)の名で知られる。
紅葉の名所
京都に3箇所あった勧学院(学問研究所)の一つ。
洛陽六阿弥陀巡りの一つ。
★「みかえり阿弥陀
禅林寺本尊の阿弥陀如来立像
★山越阿弥陀図(国宝)(やまごしあみだず)
いままさに山を越えようとする図様に表わされるところから山越阿弥陀図と呼ばれている。

松尾大社(まつのおたいしゃ)
京都府京都市西京区嵐山宮町にある神社。
式内社名神大社
二十二社(上七社)の一社。
★酒神としての信仰
亀の井

梅宮大社(うめのみやたいしゃ)
四姓(源平藤橘)の1つの橘氏氏神
のち平安時代前期に橘嘉智子(檀林皇后)によって現在地に遷座したとされる。
★日本最古の酒造の神
祭神の名から酒造の神としても信仰されており、酒にまつわる多くの神事が現在も行われている。

妙覚寺
京都府京都市上京区
日蓮宗の本山
★狩野元信ら狩野派菩提寺
織田信忠本能寺の変の際に宿泊
織田信長が度々宿泊
美濃国戦国大名斎藤道三との関係が深く、父とされる松波庄五郎は妙覚寺で得度。
→道三の四男は十九世の日饒である。
日饒は織田信長正室帰蝶)にとっては義弟にあたり信長は二十数回に及ぶ京への滞在において妙覚寺を宿所としたケースは18回に及び、本能寺に滞在したのは3回に過ぎない。

妙顕寺(みょうけんじ)
京都府京都市上京区にある
日蓮宗大本山の寺院。塔頭が九院ある
日蓮の遺命を受け、京都布教中の日像が
後醍醐天皇より寺領を賜り、妙顕寺を建立した。
京都における法華宗の根本をなす寺院となった。
妙顕寺
羽柴(豊臣)秀吉の「二条第・妙顕寺城」
妙顕寺を移転させその跡地に建設された
周囲に堀を巡らし天守もあった。
聚楽第完成まで秀吉の政庁として使われ普段は前田玄以が在城した。
ヴァリニャーノは前日に豪華な「秀吉の旧屋敷」に泊った
・二条城の歴史
1.足利義輝二条御所武衛陣の御構え
2.足利義昭の二条城
3.織田信長誠仁親王の「二条新御所」(旧二条晴良邸)
4.羽柴(豊臣)秀吉の「二条第・妙顕寺城」
5.江戸時代の二条城

泉涌寺 (せんにゅうじ)
京都市東山区泉涌寺山内町(やまのうちちょう)にある
真言宗泉涌寺派総本山の寺院。
楊貴妃観音
唐の玄宗皇帝が楊貴妃を偲んで造らせたと伝える。

随心院(ずいしんいん、隨心院)
京都市山科区小野にある真言宗善通寺派大本山の寺院。
小野流の開祖として知られる仁海(にんがい)僧正が開山。
元は牛皮山曼荼羅寺塔頭
小野小町ゆかりの寺
★梅の名所
薄紅梅色を「はねずいろ」、「はねずの梅」
名勝:小野梅園
1973年(昭和48年)「はねず踊り」を創始
3月に菅笠に梅の造花を挿した少女たちが舞う

飛雲閣(国宝)
桃山様式の三層の楼閣
西本願寺、滴翠園

桂離宮
江戸時代の17世紀に皇族の八条宮の別邸として創設
京都市の西郊、桂川西岸の旧・下桂村に位置
★八条宮家の初代智仁親王正親町天皇の皇孫、後陽成天皇の弟)、
二代智忠親王の父子が造営
★ドイツの建築家ブルーノ・タウト
「日本建築の世界的奇跡」

修学院離宮(しゅがくいんりきゅう)
京都市左京区修学院の比叡山麓にある皇室関連施設。
17世紀中頃、後水尾上皇の指示で造営された。

・仙洞御所(せんとうごしょ)
京都御苑内で、京都御所の南東
太上天皇太上法皇上皇など退位した天皇の御所。
「院(いん)」
1627年(寛永4年)、京都新城(太閤御所)の跡地に後水尾上皇のために造営されたもの。
正式名称は「桜町殿」
初め小堀遠州によって築庭

小塩山(おしおやま)
京都市西方の西山山地
大原野神社「京春日」
大原野西嶺上陵:淳和天皇

●大悲閣
寺号:大悲閣千光寺(だいひかく せんこうじ)
豪商・角倉了以「水運の父」

●呑湖閣(どんこかく)
京都府指定有形文化財
大徳寺塔頭・芳春院(ほうしゅんいん)
京の四閣

飛雲閣(ひうんかく)
国宝
西本願寺・滴翠園内、滄浪池
京の三閣

法住寺(ほうじゅうじ)
京都市東山区天台宗
後白河天皇法住寺

●法金剛院(ほうこんごういん)
京都市右京区花園にある律宗の寺院。
天安寺→待賢門院が再興
★青女の滝(せいじょのたき)(附:五位山)
国の特別名勝
境内に現存する浄土式庭園の一隅にある
日本最古の人工の滝とされる。
★待賢門院(藤原璋子、鳥羽天皇后、崇徳院後白河院の生母)の発願により林賢と静意の作と伝わる。
待賢門院桜
★蓮(はす)、夏はハスの名所

醍醐寺
豊臣秀吉ゆかり
三宝
藤戸石

妙心寺(みょうしんじ)
京都市右京区花園にある臨済宗妙心寺派大本山
山号は正法山。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は花園天皇
開山(初代住職)は関山慧玄(無相大師)。
★日本にある臨済宗寺院約6,000か寺のうち、
約3,500か寺を妙心寺派で占める。
・法堂(重要文化財
明暦3年(1657年)再建。
狩野探幽筆『雲龍図』
法堂の天井に描かれた。完成するまでに8年もかかった。

寛永の三筆
近衛信尹のぶただ)(号は三藐院(さんみやくいん)),
本阿弥光悦
松花堂昭乗

高台寺蒔絵
絢爛たる桃山美術の傑作

表千家:不審庵
裏千家今日庵

・新熊野神社(いまくまのじんじゃ)
京都市東山区今熊野椥ノ森町にある神社。
後白河上皇の命により紀伊国熊野三山熊野権現を勧請
★「能楽発祥の地」
観阿弥世阿弥父子が室町幕府将軍足利義満の前で猿楽能(今熊野猿楽)を舞った。

●引接寺(いんじょうじ)
京都市上京区千本通廬山寺上る閻魔前町にある、高野山真言宗に属する寺院である。
引接とは、仏が衆生を浄土に往生させること。
ルイス・フロイスの『日本史』
織田信長上杉謙信に贈ったと伝えられ、京の名所と町衆の姿を描いた国宝《洛中洛外図屏風
★千本ゑんま堂(せんぼん えんまどう)と通称される。
春の念仏狂言で知られる。
★「ゑんま堂大念仏狂言
念仏の布教の為に催される民俗芸能。

●廬山寺(ろざんじ)
京都市上京区北之辺町にある天台宗系単立の寺院。
天台圓淨宗の本山。本尊は阿弥陀如来
寺号は詳しくは廬山天台講寺(ろざんてんだいこうじ)と称する。
紫式部の邸宅跡として知られる。
★桔梗(ききょう)の花で有名

・京都三大奇祭
玄武やすらい祭:今宮神社
太秦の牛祭:広隆寺
鞍馬の火祭:由岐神社

・終(しま)い天神
北野天満宮
毎月25日は天満宮の縁日で、
12月25日は「終い天神」

・終(しま)い弘法
12月21日に東寺

六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ、ろくどうちんこうじ)
京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。
山号は大椿山。本尊は薬師如来
通称「六道さん」。この付近が「六道の辻」であるとされる。
付近は、平安京の火葬地であった鳥部野(鳥辺野)の入口にあたり、現世と他界の境にあたると考えられ、「六道の辻」と呼ばれた。
小野篁が冥界に通ったと伝わる井戸で知られる。
★小野 篁(おの の たかむら)
平安時代初期の公卿・文人
その反骨精神から野狂とも称された。
小倉百人一首では参議篁(さんぎたかむら)。
★幽霊子育飴(ゆうれいこそだてあめ)
六道の辻
民間伝承として伝わる。
六堂珍皇寺の門前名物。
慶長4年(1599年)

・千代の古道 (ちよのふるみち)
古歌にも詠まれ平安時代から親しまれてきた道。
貴族たちが嵯峨へ遊行する折に通ったとされる道。
在原行平藤原定家らが歌に詠んだ。
梅宮大社から有栖川、山越(やまごえ)、広沢池(ひろさわのいけ)あたりの一帯に石の道標がある。

清水寺(きよみずでら)
京都府京都市東山区清水にある寺院。
山号音羽山
もとは法相宗に属したが、現在は独立して北法相宗大本山を名乗る。
西国三十三所第16番札所。
★本尊は十一面千手観世音菩薩
広隆寺鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史をもつ、京都では数少ない寺院の1つ。
世界遺産古都京都の文化財
伝・坂上田村麻呂建立

高山寺(こうざんじ、こうさんじ)
京都市右京区梅ヶ畑栂尾町(とがのおちょう)にある寺院。
栂尾は京都市街北西の山中に位置する。
高山寺山号を栂尾山と称し、宗派は真言宗系の単立である。

創建は奈良時代と伝えるが、実質的な開基(創立者)は、鎌倉時代明恵である。
世界遺産古都京都の文化財
境内が国指定史跡
鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)
国宝。
12世紀 - 13世紀(平安時代末期 - 鎌倉時代初期)の
幅のある年代に複数の作者によって、別個の作品として制作背景も異にして描かれた。
「日本最古の漫画」
甲・丙巻が東京国立博物館
乙・丁巻が京都国立博物館に寄託

西芳寺(さいほうじ)
京都市西京区松尾にある臨済宗の仏教寺院。
天龍寺の境外塔頭だったが、現在は離脱して単立寺院。
苔寺(こけでら)
庭園は約120種の苔に覆われ、苔寺(こけでら)の通称で知られる
山号を洪隠山と称する。本尊は阿弥陀如来、開山は行基と伝え、中興開山は夢窓疎石である。
世界遺産古都京都の文化財
庭園(特別名勝、史跡)

・地蔵院(じぞういん)
京都府京都市北区大将軍(たいしょうぐん)にある浄土宗の寺院。
境内にある「散り椿」で知られ、
★椿寺(つばきでら)の名で親しまれる。

仁和寺(にんなじ)
京都市右京区御室(おむろ)にある
真言宗御室派の総本山の寺院。
山号は大内山。本尊は阿弥陀如来
開基(創立者)は宇多天皇
世界遺産古都京都の文化財
皇室とゆかりの深い寺(門跡寺院)で、
出家後の宇多法皇が住んでいたことから、「御室御所」(おむろごしょ)と称された。
★御室桜
春の遅咲き
御室は桜の名所としても知られる。
寛永年間(1624年 - 1645年)の
御所(現・京都御所)建て替えに伴い、
御所の紫宸殿、清涼殿、常御殿などが
仁和寺に下賜され、境内に移築されている。
★紫宸殿(ししんでん、ししいでん)
金堂(国宝)

・背割堤(せわりてい)
京都府八幡市にある堤防である。
宇治川(淀川)と木津川の合流部に
全長1.4kmにわたって2つの河川を区切るように設置されている。
淀川三川(桂川宇治川、木津川)
桜並木

萬福寺まんぷくじ)
京都府宇治市にある黄檗宗大本山
黄檗山(おうばくさん)萬福寺
日本の近世以前の仏教各派の中では最も遅れて開宗した黄檗宗の中心寺院で、明出身の僧隠元を開山に請じて建てられた。
建物や仏像の様式、儀式作法から精進料理に至るまで中国風で、日本の一般的な仏教寺院とは異なった景観を有する。
黄檗宗(おうばくしゅう)
日本の三禅宗(他に臨済宗曹洞宗)のうち、江戸時代に始まった一宗派。
隠元隆琦(いんげん りゅうき)
明末清初の禅宗の僧。
中国からの渡来僧、日本黄檗宗の祖。
隠元豆の名称に名を残し、日本における煎茶道の開祖ともされる。
能書家としても知られ、木庵性瑫、即非如一とともに「黄檗の三筆」
普茶料理(ふちゃりょうり)
隠元禅師が中国から伝えた精進料理で、
「普茶」とは「普く(あまねく)大衆と茶を供にする」という意味

・御霊神社(ごりょうじんじゃ)
御霊信仰に基づきある人物の御霊・怨霊を鎮めるために創建されたもの、など
御霊信仰
人々を脅かすような天災や疫病の発生を、怨みを持って死んだり非業の死を遂げた人間の「怨霊」のしわざと見なして畏怖し、これを鎮めて「御霊」とすることにより祟りを免れ、平穏と繁栄を実現しようとする日本の信仰のこと
上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)
京都市上京区にある神社。
上御霊神社という社名は下御霊神社に対応するもので、正式名を「御靈神社」としている。
桓武天皇の時代、各地で疫病が流行していた。
これは御霊の祟りであるとして、延暦13年(794年)5月、早良親王崇道天皇)の御霊をこの地に祀ったのが始めだとされる。
応仁の乱発祥の地

●角倉 了以(すみのくら りょうい)
戦国時代から江戸時代初期にかけての京都の豪商。
山城(京都)の大堰川高瀬川を私財を投じて開削した。
長男に角倉素庵(すみのくら そあん)
儒学者・書家。本阿弥光悦に書を学ぶ。
俵屋宗達の協力を得て、古活字の嵯峨本(角倉本)を刊行した。
高瀬川(たかせがわ)
江戸時代初期(1611年)に角倉了以・素庵父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河。
都中心部三条から四条あたりにかけての高瀬川周辺には先斗町があり京都の歓楽街の一つとなっており、また桜の名所ともなっている。
名称はこの水運に用いる「高瀬舟」にちなんでいる。
慶長15年(1610年)、方広寺大仏殿の再建において、角倉了以・素庵父子は鴨川を利用して資材運搬を行った。
その後慶長19年(1614年)に、父子によって、京都・伏見間の恒久的な運河が開鑿された。これが高瀬川である。

槇村正直
第二代京都府知事

●河合神社
下鴨神社の摂社(本社に付属する社)。
境内の糺の森の中にある「瀬見の小川」の西側にあります。
女性守護としての信仰を集めるお社。
神武天皇の母、玉依姫命をお祀りし、
玉依姫命は玉の様に美しい事から美麗の神としての信仰も深い。
★美麗の祈願の鏡絵馬
糺の森(ただすのもり、糺ノ森とも表記)
京都市左京区賀茂御祖神社下鴨神社)の境内にある
社叢林(鎮守の森)である。
賀茂川と高野川の合流地点に発達した原生林。
下鴨神社全域が世界遺産

●鴨 長明(かも の ちょうめい、かも の ながあきら)
平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての日本の歌人・随筆家。
賀茂御祖神社下鴨神社)の神事を統率する禰宜(ねぎ)の鴨長継の次男。
方丈記
鴨長明による鎌倉時代の随筆。
日本中世文学の代表的な随筆とされ、『徒然草』、『枕草子』とならぶ「古典日本三大随筆」に数えられる。
河合社(ただすのやしろ)に御縁

●養源院(ようげんいん)
京都市東山区にある浄土真宗遣迎院派の寺院。
蓮華王院(三十三間堂)の東向かいに位置する。
養源院の寺名は浅井長政院号から採られた。もとは天台宗であった。
淀殿
父・浅井長政、祖父浅井久政らの二十一回忌の供養のために秀吉に願って創建された。
浅井氏の菩提寺である。
血天井
伏見城の戦いで鳥居元忠以下討死の板の間と伝わる。
同様の血天井は宝泉院・正伝寺・源光庵にもある。
俵屋宗達『白象図』
襖絵と杉戸絵、重要文化財
・庭園
小堀遠州の作庭
東山連峰の阿弥陀ヶ峰を遠景

西明寺(さいみょうじ)
京都市右京区にある真言宗大覚寺派の寺院。
山号槇尾山(まきのおさん)、本尊は釈迦如来
京都市街の北西、周山街道から清滝川を渡った対岸の山腹に位置する。
空海弘法大師)の高弟 智泉大徳が神護寺の別院として創建したと伝える。
★三尾(さんび)の名刹
 高山寺の栂尾(とがのお)
 神護寺の高尾
 西明寺の槇尾
周山街道沿いの高雄山神護寺、栂尾(とがのお)山高山寺とともに三尾(さんび)の名刹として知られる。

月輪寺(つきのわでら、がつりんじ)
京都市右京区嵯峨清滝月ノ輪町にある天台宗の寺院。
山号鎌倉山かまくらやま、けんそうざん)。本尊は阿弥陀如来
京都盆地の西にそびえる愛宕山(924m)の東方の深い山中に位置する山岳寺院である。
シャクナゲの名所としても知られる。
法然上人二十五霊跡第18番札所。
愛宕神社と関係の深い

●実相院(じっそういん)
京都市左京区岩倉にある仏教寺院。
宗派は単立、開山は静基(じょうき)。本尊は不動明王鎌倉時代作の木像)。
山号は岩倉山。
門跡寺院の1つである。
★岩倉門跡
岩倉実相院門跡とも呼ばれる。
かつては天台宗寺門派天台寺門宗)三門跡の一つであった。
幕末には岩倉具視も一時ここに住んでおり、当時の密談の記録などが残されている。
・門跡(もんせき、もんぜき)
皇族・公家が住職を務める特定の寺院、
あるいはその住職のことである。寺格の一つ。
・庭園
池泉回遊式庭園と枯山水の石庭の2つがある。
前者の池にはモリアオガエルが生息している。
新緑や紅葉の季節には見所となっており、特に部屋の黒い床に木々が反射する光景は「床緑」「床紅葉」と呼ばれ知られている。
磨かれた板の間に映る「床みどり」「床もみじ」

大報恩寺(だいほうおんじ)
京都市上京区にある真言宗智山派の寺院。
山号は瑞応山(ずいおうざん)。千本釈迦堂と通称される。
本尊は釈迦如来坐像(重要文化財)。
鎌倉時代初期、藤原秀衡の孫・義空上人が建立。
★本堂 - 国宝
安貞元年(1227年)の上棟。
洛中(大体京都市街地)では現存最古の木造建築。
・おかめの物語
大根焚き(だいこだき)
京都で冬季に行われる歳時記、年中行事のことである。
寺院などで大根を煮たものを参拝者に振る舞い、仏前に供える行事である。
法恩寺・・・12月の風物詩である大根焚きで知られる。
いろんな寺院などでやっている。

渉成園(しょうせいえん)
京都府京都市下京区にある
浄土真宗真宗大谷派の本山・真宗本廟東本願寺)の飛地境内地。
国の名勝
東本願寺の東方約150メートルに位置し、ほぼ200メートル四方の正方形をなす。
中国六朝時代の詩人陶淵明の「園日渉而成趣」の詞にちなむ。
枳殻邸(きこくてい)
周囲に枳殻(カラタチ・柑橘系の木)が植えてあったことから。
承応2年(1653年)、石川丈山によって書院式の回遊庭園として作庭。
★石川 丈山(いしかわ じょうざん)
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、文人
知人・林羅山の勧めによって藤原惺窩に師事し、儒学を学んだ。

●金地院(こんちいん)
京都府京都市左京区にある臨済宗南禅寺派の寺院。
南禅寺塔頭の1つ。
★以心崇伝
江戸幕府の法律外交を担った僧、
「黒衣の宰相」以心崇伝(金地院崇伝)が住したことで知られる。
小堀遠州「鶴亀の庭」
小堀遠州作の「鶴亀の庭」 が国の特別名勝に指定されている。
徳川幕府
家康の遺言による3つの東照宮のうちの一つがあり幕府による増改築が度々される。
京都三名席の茶室がある。

南禅寺(なんぜんじ)
京都市左京区にある臨済宗南禅寺派大本山の寺院。
京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺のなかで最も高い格式をもつ
徳川幕府の庇護によるところ。
水路閣の上を琵琶湖疏水が流れる
南禅寺境内にある琵琶湖疏水の水道橋(水路閣
明治維新後に建設された
★以心崇伝
江戸時代になって慶長10年(1605年)
南禅寺の復興
崇伝は徳川家康の側近として外交や寺社政策に携わり、「黒衣の宰相」と呼ばれた政治家でもあった。
臨済宗
禅宗臨済宗曹洞宗日本達磨宗黄檗宗普化宗)の1つ。

三千院(さんぜんいん)
京都市左京区大原にある天台宗の寺院。
三千院門跡とも称する。山号は魚山(ぎょざん)。本尊は薬師如来
かつては貴人や仏教修行者の隠棲の地として知られた大原の里にある。
天台宗三門跡
青蓮院、妙法院とともに天台宗の三門跡寺院の1つに数えられる。
阿弥陀三尊像(国宝)
「木造阿弥陀如来及両脇侍坐像」
往生極楽院の本尊。
大和坐りの両脇侍(きょうじ・わきじ)が珍しい。
阿弥陀如来観音菩薩勢至菩薩の三尊(阿弥陀三尊(あみださんぞん))が
西方極楽浄土から故人を迎えに来る(来迎)形式の像。
両脇侍が跪座する点が特色である。

能楽(のうがく)
日本の伝統芸能であり、式三番(翁)を含む能と狂言とを包含する総称である。
重要無形文化財に指定され、ユネスコ無形文化遺産に登録されている。
能楽の担い手
シテ方」「ワキ方」「囃子方」「狂言方」の4種
ワキ方」「囃子方」「狂言方」は「三役」
囃子方
→「笛方」「小鼓方」「大鼓方」「太鼓方」の4種類の技能集団
・シテ(為手、仕手)方
シテ…能の主人公。
多くの場合、シテが演じるのは神や亡霊、天狗、鬼など超自然的な存在であるが、生身の人間を演じることもある。
シテを演じるための訓練を専門的に積んでいる能楽師シテ方と呼ぶ。
シテ方が演じるのはシテの他、ツレ、トモである。
能楽の流派
能楽の流派は大和猿楽四座の系統の流派と、それ以外の日本各地の土着の能に分けられる。
大和猿楽四座とは観世座、宝生座、金春座、金剛座であるが、更に江戸期に金剛座から分かれた喜多流の五つを併せて四座一流と呼ぶ。
観世,宝生,金春,金剛,喜多の5流
金剛流(こんごうりゅう)
日本の伝統芸能である能楽のうち、能のシテ方の流派の一つである。
シテ方五流の宗家の中で唯一京都在住であり、金剛能楽堂を所有している。

上方舞(かみがたまい)
江戸時代中期(1800年頃)から末期にかけて、上方(関西)で全盛期を迎えた日本舞踊の一種。
元来上方で単に「舞」と呼ばれ、歴史が古く、白拍子の舞(平安末期から鎌倉期の歌舞)や猿楽(室町期大成した伝統芸能)などにもルーツがある。
上方舞四流派
山村流、楳茂都(うめもと)流、井上流、吉村流を特に「上方四流」と呼ぶ。
また井上流、篠塚流は京都で生まれた流派で「京舞」とも呼ぶ。
・山村流…大阪の花街など。
・楳茂都(うめもと)流…幕末、大坂天満老松町。
・吉村流…幕末に京都の御所に出仕した狂言師が始めた御殿舞を源流とし、
 明治初期に吉村ふじが大阪南地の花街宗右衛門町にて創始。
・井上流
寛政年間(1789年~1801年)、
近衛家の風流舞を習った井上サト(初世井上八千代)が創流。
舞妓による流派。
明治期、篠塚流に代わり井上流が繁栄した。

追儺(ついな)
晦日(旧暦12月30日)に行われる宮中における年中行事。
鬼(疫鬼や疫神)を払う儀式、
または民間で節分などに行われる鬼を払う行事。
★鬼やらい
熟語としての「追儺」や「鬼やらい」は宮中儀式を離れて、鬼を追い払う節分の行事全般の呼称として幅広く一般で用いられるようになり、節分の豆まきを称する熟語としても使用されるようになった。
★方相氏(ほうそうし)
古代中国の伝承に登場する鬼神。
追儺式(ついなしき・・・鬼やらい)の時に先陣を務める異形の神。
吉田神社
「節分の鬼」の伝承の元となったと言われる。
古代史家の三宅和朗氏はこの変化について「平安初期における触穢信仰の高まりが、葬送儀礼にも深く関わっていた方相氏に対する忌避感を強め、穢れとして追われる側に変化させたのではないか」と言う説を提唱している。

●夏越の祓(なごしのはらえ)
上賀茂神社
ならの小川
罪穢れを託した人形を流す

祇園祭
神幸祭(しんこうさい)・還幸祭(神輿渡御(とぎよ))
こちらが本来の神社の中心行事。
大神輿3基に召した神々が各氏子町を通って渡る神事。
7月10日に鴨川で神輿洗いの神事の行われた後、八坂神社の舞殿に神輿三基は安置される。
7月15日の宵宮祭で神輿に御霊が移され、7月17日に神幸祭が行われて(山鉾巡行で浄められた)四条寺町にある御旅所(おたびしょ・神社の祭礼(神幸祭)において神(一般には神体を乗せた神輿)が巡行の途中で休憩または宿泊する場所)に還幸祭の行われる7月24日まで神輿が滞在する。
★四条寺町の御旅所
神幸祭から還幸祭の間、神輿が滞在する八坂神社御旅所。

●五山送り火(ござんのおくりび)
毎年8月16日
葵祭祇園祭時代祭とともに京都四大行事の一つ。
「大文字」(京都市左京区浄土寺・東山如意ヶ嶽(大文字山)。)
「松ケ崎妙法」(京都市左京区松ヶ崎・西山及び東山。)
「船形万灯籠」(京都市北区西賀茂・船山。)
「左大文字」(京都市北区大北山・大文字山。)
★「鳥居形松明」(京都市右京区嵯峨鳥居本曼荼羅山。)
嵯峨鳥居本にある鳥居形(曼荼羅山)
鳥居型は愛宕山への参道にある鳥居が由来となっています。

地蔵盆(じぞうぼん)
8月24日前後、地域によりけり
地蔵のある町内の人々がこの日にかけて
地蔵の像を洗い清めて新しい前垂れを着せ、化粧をするなどして飾り付けて、
地蔵の前に集って灯籠を立てたり供え物をしたりして祀る。
子供のためのお祭りという感が強くなった。
★数珠まわし
大きな長い数珠を、子供たちが輪になって繰り送るおつとめ。

時代祭(じだいまつり)
平安神宮例大祭(10月22日)に附属する年中行事である。
神宮創建と平安遷都を祝して明治時代より始められた京都三大祭りの一つ。
・行列の順路
正午に京都御所(建礼門前行在所)を出発。
丸太町通から烏丸通に入り南下、 御池通河原町通 と京都の中心部を練り歩き、最後は三条通から神宮通に入って平安神宮に至る。
三条大橋を渡る。

●走井餅(はしりいもち)
歌川広重安藤広重)作「東海道五十三次」の大津宿にも描かれている走井餅。
石清水八幡宮の門前名物
刀の荒身を模した独特の形は、
平安時代に名を馳せた刀鍛冶・三條小鍛冶宗近が走井で名剣を鍛えたという故事にちなみ、剣難を逃れ、開運出世の縁起を担いだものと伝えられています。
京の都と近江を分かつ逢坂山。
その逢坂越えの大津追分には、清らかな水が勢いよく湧き出す井戸があり、古来より「走井(はしりい)」と呼ばれてきました。
枯れることのない清浄な泉として平安時代から名高く、大宮人たちが歌に詠んでいます。
その名を冠した大津追分「走り井餅」が東海道大名物となります。
逢坂の関は京の都の玄関口。清浄な水の湧く走井が旅人のオアシスとなり、
人々は走井の甘露でついた「走り井餅」で旅の疲れを癒し、都へ入る装いを整えたといいます。
そばに建つ「走井茶屋」で休憩をとる旅人たちの風景は、東海道五十三次の浮世絵や東海道名所図会に克明に描かれています。
明治43年(1910年)6代井口市郎右衛門の四男嘉四郎によって、名水で名高い石清水のふもとへ引き継がれました。

●松風
本願寺ゆかりの銘菓
元亀元年(西暦1570年)に始まり、
11年間続いた織田信長石山本願寺(現在の大阪城の地)
の合戦のさなか、当家(亀屋陸奥)三代目大塚治右衛門春近が創製した品が
兵糧の代わりとなった。
司馬遼太郎氏の小説「燃えよ剣」「関ヶ原」にも登場する。
西本願寺御用菓子。
小麦粉、砂糖、麦芽飴そして白味噌を混ぜ合せて自然発酵させて出来上がった生地を 直径約45.5cmの一文字鍋に流し込み、表面にケシの実を振りかけて焼き上げて大きな丸状の 松風が出来上がります。

●十三詣りあるいは十三参り(じゅうさんまいり)
旧暦の3月13日前後 (新暦の3月13日から5月13日)に、男女とも数え年13歳でおこなう祝いである。
子供の多福・開運を祈り、小学校を卒業して中学校に入学する春に寺社に詣でる形式が一般的。
★虚空蔵法輪寺
特に京都嵯峨の虚空蔵法輪寺における虚空蔵菩薩への「十三参り」は有名である。
渡月橋を渡り終わるまでは周囲の誘いにも動じず後ろを振り向かないで貫き通す習俗がある。
渡月橋(とげつきょう)
京都府京都市桂川大堰川)に架かる橋。
観光地としての嵐山を象徴する建造物
836年(承和3年)に僧である道昌が架橋したのが始まり。

もとは橋の南にある法輪寺に因んで「法輪寺橋」と称されていた。
鎌倉時代亀山上皇が橋の上空を移動していく月を眺めて「くまなき月の渡るに似る」と感想を述べ「渡月橋」と命名された。
1606年(慶長11年)に角倉了以によって保津川の開削工事とともに現在の位置に架け替えられ現代にまで残る渡月橋の原型となった。

相国寺(しょうこくじ)
京都市上京区にある臨済宗相国寺派大本山の寺院。
山号は萬年山(まんねんざん)。
足利将軍家伏見宮家および桂宮家ゆかりの禅寺。
京都五山の第二位に列せられている。
鹿苑寺金閣寺)、慈照寺銀閣寺)は、相国寺の山外塔頭(さんがいたっちゅう)である。
創建年 永徳2年(1382年)
開山 夢窓疎石
開基 足利義満
応仁元年(1467年)
相国寺応仁の乱の細川方の陣地となったあおりで焼失(相国寺の戦い)。
天文20年(1551年)にも細川晴元三好長慶の争いに巻き込まれて焼失(相国寺の戦い)、ここまでで都合4回焼失している。
義満によって応永6年(1399年)に建てられた七重大塔
史上最も高かった日本様式の仏塔である。
足利義満
左大臣唐名を相国、から
★千 宗旦(せん の そうたん)
千利休の(義理の)孫。
千家3代。宗旦流(三千家)の祖。
★宗旦狐(そうたんぎつね)
京都市上京区相国寺に伝わる化け狐。
「宗旦」の名の通り、千家茶道の基礎を固めた
人物・千宗旦に化けてしばしば茶席に現れたといわれる。

京都五山(きょうとござん)
臨済宗の寺院の寺格で、別格とされる南禅寺とともに定められた京都にある五つの禅宗の寺院。
天龍寺 - 第一位※
相国寺 - 第二位※
建仁寺 - 第三位
東福寺 - 第四位
万寿寺 - 第五位

●帷子辻(かたびらがつじ)
京都市北西部にあったとされる場所。
現在の「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」
嵐電嵐山本線北野線の乗換駅)近と言われる
★檀林皇后
平安時代初期、嵯峨天皇の皇后であった橘嘉智子(たちばなの かちこ)(786年 - 850年)は仏教の信仰が厚く、檀林寺を建立したことから「檀林皇后」と呼ばれた。
美貌
諸行無常に帰依し、遺言により鳥葬の様相を呈す。
皇后の遺体が置かれた場所が、以後「帷子辻」と呼ばれた場所である
一説には皇后の経帷子(死装束)に因んだ名とされる

六波羅蜜寺 (ろくはらみつじ)
京都府京都市東山区にある真言宗智山派の寺院。
山号は補陀洛山。本尊は十一面観世音菩薩(十一面観音)。
創建者は空也上人。西国三十三所第17番札所。
空也上人
口称念仏の祖、民間における浄土教の先駆者と評価される。
踊り念仏で知られる市聖(いちのひじり)
「木造空也上人立像」重要文化財
六波羅蜜寺所蔵
6体の阿弥陀仏の小像を針金で繋ぎ、
開いた口元から吐き出すように取り付けられている。
この6体の阿弥陀像は「南無阿弥陀仏」の6字を象徴し、
念仏を唱えるさまを視覚的に表現している。
仏教の教義「六波羅蜜」という語に由来する
この地を古来「六原」と称したことに由来するとも考えられている。
★平家との繋がり
境内の隣に六波羅殿と呼ばれる館が建築
重要文化財「木造僧形坐像」(伝・平清盛像)
境内に平氏の邸宅跡を示す石碑がある。
のち、鎌倉幕府によって六波羅探題が置かれた。

祇王寺(ぎおうじ)
京都市右京区の奥嵯峨にある真言宗大覚寺派の仏教寺院。
寺自体は尼寺である。山号は高松山。院号は往生院。本尊は大日如来
平清盛の寵愛を受け、のちに捨てられて出家した白拍子祇王に由来する。
祇王、妓王(ぎおう)
母の刀自、妹の妓女とともに、京都で有名な白拍子となり、
平清盛に寵愛された。

●治承三年の政変(じしょうさんねんのせいへん)
治承3年(1179年)11月、平清盛が軍勢を率いて京都を制圧、後白河院政を停止した事件。
住み慣れた法住寺殿から洛南の鳥羽殿に連行されて幽閉の身となった。

●藤森神社(ふじのもりじんじゃ)
京都府京都市伏見区深草に鎮座する神社。
★紫陽花(あじさい)の名所
6月から7月にかけて紫陽花苑が公開され、
3,500株にもおよぶ紫陽花が見もの。
駆馬や菖蒲→尚武・勝負の連想、武神が多く祀られている
★馬と武運の神社として信仰を集めた。
競馬関係者・ファンの信仰を集めており、
競走馬の絵馬が多数奉納されている。
★駈馬(かけうま)神事
疾走する馬の上に乗って曲技を披露する

●梨木神社(なしのきじんじゃ)
京都府京都市上京区にある神社。
明治維新に大きく貢献した三條實萬(さねつむ)
三條實美(さねとみ)父子を祭神とする。
★萩(はぎ)の名所
また境内には約500株のハギが植えられており、
別名萩の宮とも呼ばれており、9月中旬から下旬には萩祭りがおこなわれる。

大田神社(おおたじんじゃ)
京都府京都市北区上賀茂本山にある神社。
式内社で、現在は賀茂別雷神社上賀茂神社)の境外摂社(第三摂社)。
古くは「恩多社(おんたしゃ)」とも。
カキツバタ約25,000株が自生
国の天然記念物
大田ノ沢は平安時代からの名所とされ、
尾形光琳の『燕子花(かきつばた)図』のモチーフ
になったとの言い伝えもある。

●琵琶湖疎水(びわこ そすい)
琵琶湖の湖水を西隣の京都市へ流すため、
明治時代に作られた水路(疏水)である。
国の史跡に指定されている。
第1疏水(1885年(明治18年)に着工、1890年に完成)
と第2疏水(1912年に完成)を総称したもの工業用動力としても使われて京都の近代化に貢献した。
京都市は幕末の禁門の変で市中の多くが焼け、明治維新東京奠都に伴い人口が減少し、産業も衰退した。
このため、第3代京都府知事の北垣国道が灌漑、上水道、水運、水車の動力を目的とした琵琶湖疏水を計画した。
そして主任技術者として、工部大学校を卒業したばかりの田邉朔郎を任じ、設計監督にあたらせた。
★田邊朔郎(たなべ さくろう)
1861年12月2日(文久元年11月1日) - 1944年(昭和19年)9月5日)
日本の土木技術者・工学者。
琵琶湖疏水や日本初の水力発電所の建設、関門海底トンネルの提言を行うなど、日本の近代土木工学の礎を築いた
卒業論文琵琶湖疏水工事の計画」
弱冠21歳で大工事である琵琶湖疏水の担当となる。

・初代島津 源蔵(しまづ げんぞう)
天保10年5月15日(1839年6月25日) - 明治27年(1894年)12月8日)
幕末から明治時代にかけての商人、実業家、発明家。
島津製作所の創業者である。
1877年(明治10年) 第一回内国勧業博覧会に出品。
気球の有人飛行に成功。

●京都三珍鳥居
蚕の社(かいこのやしろ)
木嶋坐天照御魂神社(このしま にます あまてる みたま じんじゃ)
通称は「木嶋神社(このしまじんじゃ)」、蚕ノ社
境内社・蚕養神社(こがいじんじゃ)に由来。
秦氏が招来した養蚕・機織・染色技術に因むと推測される。
★三柱鳥居(みはしらとりい、三ツ鳥居/三面鳥居/三角鳥居)
三角形に組み合わせ、三方から拝むことができる。
厳島神社(いつくしまじんじゃ)
京都市上京区京都御苑の南側にある。
唐破風鳥居(からはふとりい)
2本の柱の上に載せられている島木と笠木が弓のような曲線を描いた
日本の伝統的建築様式の“唐破風”。
・伴氏社(ともうじしゃ)
北野天満宮内の末社
★蓮社(れんざ)石鳥居
神社の名前が書かれた額を掲げる額束(がくづか)が
島木を貫通して笠木に至っている
2本の柱の台座の部分に蓮の花弁が刻まれている

地主神社(じしゅじんじゃ)
神社や寺院が建立される際に、
その土地の地主神を祀るために建立された神社。
神社の境内に末社として建てられている場合や、寺院に隣接して立地している場合がある。
清水寺隣接の地主神社
京都府京都市東山区にある神社。清水寺に隣接する。
全国に数ある地主神社の中でも特に著名。
清水の舞台を出て直ぐ左手にある神社
江戸時代までは清水寺の鎮守社で地主権現社といった明治に入り神仏分離令により清水寺から独立して社名を地主権現社から地主神社へと改めた。
★縁結びの神さまとして若い女性やカップルに人気のスポットである。
境内の「恋占いの石
科学的な年代測定で縄文時代のものであることが判明
境内は「地主桜」と呼ばれる桜の名所
歴史的経緯から清水寺の一部という形で
世界遺産古都京都の文化財」に登録された。

須賀神社・交通神社(すがじんじゃ・こうつうじんじゃ)
京都市左京区聖護院円頓美町1にある神社。
創建 須賀神社:康治元年(1142年)
交通神社:1964年(昭和39年)
交通安全の神として崇敬厚く

東福寺(とうふくじ)
京都市東山区にある臨済宗東福寺派大本山
山号は慧日山(えにちさん)。
京都五山の第四位の禅寺として中世、近世を通じて栄えた。
★紅葉の名所
通天橋
★三門(国宝)
禅宗寺院の中で日本最古の三門。
応永32年(1425年)に4代足利義持が再建。
中央の大きな門と左右の小さな門との3門を連ねて1門としたもの
仏教寺院に用いられた結果、寺院の仏殿前の門を、形式に関わらず三門と呼ぶ。
山門とも呼ぶが、これは、寺院がもっぱら山林にあり山号を持つからという。

知恩院(ちおんいん)
京都府京都市東山区にある浄土宗総本山の寺院。
★浄土宗総本山
山号華頂山(かちょうざん)。
開基(創立者)は法然(浄土宗の開祖)。
・三門(国宝)
木造としては日本最大といわれる
・鶯張りの廊下
歩くと鶯の鳴き声に似た音がする。(他、二条城も有名)
・大杓子(しゃくし)
大坂夏の陣三好清海入道が兵士に飯を振舞った際に用いられたものとも、得物に暴れまわったものともいわれる杓子

●百萬遍知恩寺(ひゃくまんべんちおんじ)
京都市左京区田中にある浄土宗七大本山の寺院。
念仏を称えながら大念珠を繰る「百萬遍大念珠繰り」が有名。
★毎月15日の手づくり市でにぎわう

三室戸寺(みむろとじ)
京都府宇治市にある寺院。山号は明星山。
本尊は千手観世音菩薩
西国三十三所第10番札所。本山修験宗の別格本山。
紫陽花やツツジの名所
・三室戸(みむろど)駅

●青蓮院(しょうれんいん)
京都市東山区粟田口(あわたぐち)にある天台宗の寺院。
天台宗三門跡。
青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)とも称する。
山号はなし。開山は伝教大師最澄
本尊は熾盛光如来(しじょうこうにょらい)である。
・霧島の庭 - 小堀遠州
★青不動
絹本著色不動明王童子
「青不動」と通称される平安時代後期の仏画
園城寺三井寺)の黄不動、高野山明王院の赤不動とともに三不動といわれている。
クスノキ
門前の大クスノキ親鸞聖人の手植えと伝わる)
京都市天然記念物

天台宗三門跡
三千院、青蓮院、妙法院

妙法院(みょうほういん)
京都市東山区妙法院前側町にある天台宗の寺院。
山号を南叡山と称する。本尊は普賢菩薩、開山は最澄と伝わる。
皇族・貴族の子弟が歴代住持となる別格の寺院「門跡」
後白河法皇ゆかりの寺院
近世には方広寺や蓮華王院(三十三間堂)を管理下に置いた。
三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)
京都府京都市東山区三十三間堂廻町にある仏堂。
建物の正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)。
同じ京都市東山区にある天台宗妙法院の境外仏堂であり、同院が所有・管理している。
元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂。
豊臣秀吉方広寺ともゆかり

龍安寺(りょうあんじ)
京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の境外塔頭寺院
妙心寺との関係は深い。
山号は大雲山と号し、石庭で知られる。
本尊は釈迦如来、開基(創建者)は細川勝元、開山(初代住職)は義天玄承である。
古都京都の文化財」として世界遺産に登録。
★石庭
として知られる枯山水の方丈庭園で有名
★虎の子渡し
・七五三の庭
織田弾正忠信定が運んだ石。(信長の祖父、信秀の父)

●重森 三玲(しげもり みれい)
1896年8月20日 - 1975年3月12日
昭和期の日本の作庭家・日本庭園史の研究家。
東福寺方丈、光明院、松尾大社などの庭園を手掛けた。

・「光明院」(こうみょういん)
東福寺塔頭(たっちゅう)
国宝の“三門”や六波羅門から徒歩2~3分の場所にあります。
重森三玲作庭による枯山水庭園“波心庭”“雲嶺庭”があります。

●坪庭
京町家の中ほどに設けられ、樹木などを配し、風通しや光を採り入れるための小さな庭。

●山越阿弥陀図(国宝)(やまごしあみだず)
永観堂
禅林寺(ぜんりんじ)
京都市左京区にある浄土宗西山禅林寺派総本山の寺院。
「みかえり阿弥陀

両界曼荼羅
密教
曼荼羅
主尊を中心に諸仏諸尊の集会(しゅうえ)する楼閣を模式的に示した図像

広隆寺(こうりゅうじ)
京都市右京区太秦にある真言宗系単立の寺院。
山号を蜂岡山と称する。
蜂岡寺(はちおかでら)、秦公寺(はたのきみでら)、
太秦寺などの別称があり、地名を冠して太秦広隆寺とも呼ばれる。
秦氏
渡来人系の氏族である秦氏の氏寺であり、平安京遷都以前から存在した京都最古の寺院である。
弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつ はん かしゆい ぞう)
国宝彫刻の部第一号
聖徳太子信仰
聖徳太子建立七大寺
太秦太子堂
・大酒神社が近隣にある。
神仏分離政策に伴って、広隆寺境内から現社地へ遷座したものである。
牛祭(うしまつり)、太秦牛祭
太子道
太秦広隆寺への参詣道として利用されていた道。(→ 旧二条通

●野々村 仁清(ののむら にんせい)
江戸時代前期の陶工である。通称清右衛門(せいえもん)。
★京焼色絵陶器を完成させた陶工と言われている。
仁清の号は、仁和寺の「仁」と清右衛門の「清」の字を一字取り門跡より拝領したと伝えられている。
★御室に窯
御室焼
野々村清右衛門(仁清)と御室焼
→他、京焼・清水焼、色絵陶器の世界。

●俵屋 宗達(たわらや そうたつ)
風神雷神図(建仁寺蔵)
通称は野々村宗達
尾形光琳と並び称せられる近世初期の大画家
おそらく親交のあった角倉素庵や烏丸光広と同年代

京友禅(きょうゆうぜん)
京都の伝統工芸品の1つで
古来の染色技法を扇絵師の宮崎友禅斎が大成したもの。
型友禅
手描き友禅

小倉百人一首おぐら-ひゃく にんいっしゅ)
藤原定家(ふじわら の さだいえ/ていか)
鎌倉時代初期に、藤原定家が京都・小倉山の山荘で選んだとされる。
2つの勅撰和歌集新古今和歌集』『新勅撰和歌集』を撰進した。

頂法寺(ちょうほうじ)
★六角堂
京都市中京区にある天台宗系単立の寺院。山号紫雲山
本尊の如意輪観世音菩薩(如意輪観音)は秘仏西国三十三所第18番札所。
華道家元、池坊(いけのぼう)の発祥の地
いけばなの根源。

●坂田 藤十郎(さかた とうじゅうろう)
歌舞伎役者の名跡。屋号は山城屋。
初代は上方歌舞伎創始者の一人で、和事の芸を確立した役者。
上方歌舞伎(かみがたかぶき)
主に江戸時代の大坂と京都を中心に発展した
歌舞伎の型・技法・演出・演技法・演目・劇壇などの総称。
江戸の江戸歌舞伎に対比する。

・市川 團十郞(いちかわ だんじゅうろう、新字体団十郎
歌舞伎役者の名跡。屋号は成田屋
歌舞伎の市川流の家元
その長い歴史と数々の事績から、
市川團十郎は歌舞伎役者の名跡のなかでも最も権威のある名とみなされている。
江戸歌舞伎

正月事始め(しょうがつごとはじめ)
正月を迎える準備を始めること。
かつては旧暦12月13日、現在は新暦12月13日に行われる。
京都祇園では、芸妓や舞妓が芸事の師匠宅やお茶屋を訪れ、あいさつをする習わしが続いている。
鏡餅を届ける。

上七軒(かみひちけん)
京都市上京区真盛町から社家長屋町に位置する花街
北野天満宮の門前
・『北野をどり』
上七軒歌舞練場で春に実施。

円山公園(まるやまこうえん)
京都府京都市東山区にある公園。国の名勝に指定されている。
園域は八坂神社、知恩院に隣接する。
圓山公園とも表記される。
祇園枝垂桜」に代表される桜の名所である。
明治維新までは八坂神社(当時は祇園感神院)や慈円山安養寺、長楽寺、雙林寺(双林寺)の境内の一部であった。

・屏風祭
祇園祭の主に宵山の時期に行われる行事で、山鉾町にある旧家・老舗がそれぞれの所蔵する美術品・調度品などを飾り、
公開します。
屏風の他に、着物や武具類などを飾るところもあります。

・みたらし祭(御手洗祭)
足つけ神事
下鴨神社
土用の丑の前後4日間

●駈馬(かけうま)神事
疾走する馬の上に乗って曲技を披露する
★藤森神社

流鏑馬(やぶさめ)神事
下鴨神社葵祭

安楽寺(あんらくじ)
京都市左京区にある浄土宗の単立寺院。
以前は浄土宗西山禅林寺派に属していたが単立寺院となった。
鎌倉時代のはじめ、浄土宗の開祖法然の弟子である住蓮房(以下住蓮という)と安楽房(以下安楽という)が、専修念仏の道場として結んだ草庵にはじまる。
★中風まじない鹿ケ谷カボチャ供養
を、毎年7月25日に厳修する。
7月に中風除けを祈願するカボチャ供養で有名である。
『通称松虫鈴虫寺』(まつむしすずむしでら)ともいわれる。

・城南宮(じょうなんぐう)
京都市伏見区にある神社。
白河天皇が鳥羽離宮(城南離宮)を造営してからはその一部となり、離宮の鎮守社として代々の天皇上皇行幸がしばしばあった。
鳥羽街道(とばかいどう)
京都の羅城門跡(京都市南区)から鳥羽を通り淀(京都市伏見区)へと至る街道である。
淀からは大坂へと通じる道が続いており、京街道大坂街道とも呼ばれた。

平安京
桓武天皇
長岡京平安京
・四神相応の地
『山川道澤(さんせんどうたく)』
北玄武…船岡山
東青龍…鴨川
南朱雀…巨椋池
西白虎…山陰道
昭和50年ごろから村井康彦らにより広められ現在ではこれが定説になった感

船岡山
京都府京都市北区
平安京・北の玄武
清少納言枕草子』「丘は舟岡」
建勲神社

小塩山(おしおやま)
京都府京都市西京区
当山の東のふもとには勝持寺(花の寺)、大原野神社
山頂は淳和天皇の遺灰を散骨した場所とされ、大原野西嶺上陵(淳和天皇陵)がある。
大原野西嶺上陵(おおはらののにしのみねのえのみささぎ)
大原野神社(おおはらのじんじゃ)
二十二社(中七社)
奈良の春日社(現在の春日大社)から勧請を受けたもので、「京春日(きょうかすが)」の別称がある。
春日大社、京都の吉田神社と並んで、「藤原氏氏神三社」のひとつ
京都盆地の西縁、西山山地の一峰にあたる小塩山の麓に広がる大原野の地に鎮座する。

千本通
京都市の主要な南北の通りの一つ。
二条以南は、かつて平安京朱雀大路のあった場所を通る。
船岡山西麓の葬送地への道に千本の卒塔婆を建て供養したのを通り名とした

『日蔵夢記』で、日蔵が地獄へおちた醍醐天皇と出会い「自分を地獄の責め苦から救い出すために千本の卒塔婆を立ててほしい」と、訴えられたので卒塔婆千本立てたことに由来する。
日蔵(にちぞう、905年?-967年?)は、平安中期の修験者。真言密教の僧。
如意輪寺を開基した。

銀閣
八代足利義政
慈照寺

金閣
三代足利義満
鹿苑寺

●銅閣
大雲院(だいうんいん)
京都市東山区祇園町南側594 – 1
浄土宗系単立寺院。山号は龍池山。本尊は阿弥陀如来
通称:銅閣寺または銅閣
天正15年(1587年)、正親町天皇の勅命を受けるという形で、貞安(じょうあん)を開山として、織田信長の子信忠の菩提を弔うために、信忠が討たれた二条御所跡(烏丸御池)に創建したのが初めで、大雲院という寺院名は、信忠の法名からつけられた。
しかし同年中に都市政策(京都改造)を理由として、豊臣秀吉の命にて四条寺町南(四条河原町下京区)に移るように指示され、天正18年頃に四条に移ったと言われる。
後陽成天皇により勅願所ともなった。
境内墓地には石川五右衛門の墓
その後、度々、火災で焼失し、明治初期に再建
繁華街となったことで、1972年(昭和47年)に、髙島屋京都店増床に伴い、東山区大倉喜八郎旧邸を買得して再移転した。
祇園
1928年(昭和3年)に建築された3階建ての建物
大倉財閥の設立者である大倉喜八郎が別邸とし建てた別邸「真葛荘」の一部
屋根は銅板葺きであるが、これは大倉が金閣銀閣に次ぐ銅閣
祇園祭の鉾を模したもので、設計は伊東忠太

石清水八幡宮
京都府八幡市
旧称・男山八幡宮
二十二社(上七社)
伊勢神宮三重県伊勢市)とともに二所宗廟の1つ。
三大八幡宮宇佐神宮大分県宇佐市)・筥崎宮福岡市東区)または鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)、石清水八幡宮
本殿を含む建造物10棟が国宝
八幡神(やはたのかみ、はちまんしん)
清和源氏桓武平氏など全国の武家から武運の神(武神)「弓矢八幡」として崇敬を集めた。
誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇(譽田天皇(ほむたのすめらみこと)第15代天皇)と同一とされる。
早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)と称される。
・男山
鳩ヶ峰
標高143メートル
平安時代前期に八幡宮総本社の宇佐神宮大分県宇佐市)から勧請された。
貞観2年(860年)清和天皇が創建
貞観元年(859年)に南都大安寺の僧行教(空海の弟子)が豊前国宇佐神宮にて受けた「われ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との神託
京都の裏鬼門(南西)を守護する神社の代表格
鬼門(北東)の延暦寺とともに重要視された。
源義家が当社で元服
明治維新神仏分離において仏式は排除された。
仏式で行われていた放生会もまたその際に「石清水祭」と名を変えたが、
現在も同祭は大祭として葵祭・春日祭とともに日本三大勅祭の1つに数えられる。

●御霊神社(ごりょうじんじゃ)
京都府福知山市にある神社。
祭神
宇賀御霊大神(ウガノミタマノオオカミ)(稲荷社)
明智光秀

松尾大社(まつのおたいしゃ/まつおたいしゃ)
京都市西京区嵐山宮町
★酒神としての信仰
神社。
式内社名神大社)で、二十二社(上七社)の一社。
京都盆地西部、四条通の西端に鎮座する。
平安京遷都後は東の賀茂神社賀茂別雷神社賀茂御祖神社)と
ともに「東の厳神、西の猛霊」と並び称され、西の王城鎮護社に位置づけられた
中世以降は酒の神としても信仰され、現在においても醸造家からの信仰の篤い神社である。
神使を亀とする

●今宮神社(いまみやじんじゃ)
京都市北区紫野にある神社
別名「玉の輿(たまのこし)神社」
祭神
大己貴命(おおなむちのみこと)
事代主命(ことしろぬしのみこと)
奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)
平安遷都後にはしばしば疫病や災厄が起こり、神泉苑上御霊神社下御霊神社、八坂神社などで疫病を鎮めるための御霊会(ごりょうえ)が営まれた。
西陣
西陣の八百屋に生まれた「お玉」が徳川3代将軍家光の側室となる。
五代将軍綱吉の生母・桂昌院として従一位となった。
★「玉の輿」ということわざの由来になったとの説がある。
桂昌院は京都の寺社の復興に力を注いだが、今宮社に対する崇敬と西陣に対する愛郷の念が非常に強かった
やすらい祭の復興
織姫社

南禅寺(なんぜんじ)
京都市左京区にある臨済宗南禅寺派大本山の寺院。
京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺のなかで最も高い格式をもつ
水路閣の上を琵琶湖疏水が流れる
南禅寺境内にある琵琶湖疏水の水道橋(水路閣
明治維新後に建設された
★以心崇伝
江戸時代になって慶長10年(1605年)
南禅寺の復興
崇伝は徳川家康の側近として外交や寺社政策に携わり、「黒衣の宰相」と呼ばれた政治家でもあった。
臨済宗
禅宗臨済宗曹洞宗日本達磨宗黄檗宗普化宗)の1つ。

妙覚寺(みょうかくじ)
京都府京都市上京区にある、日蓮宗の本山(由緒寺院)。
美濃国戦国大名斎藤道三との関係が深く、父とされる松波庄五郎は妙覚寺で得度しており(のち還俗)、
また道三の四男は十九世の日饒である。
日饒は織田信長にとっては義弟にあたり、
★信長は二十数回に及ぶ京への滞在において妙覚寺を宿所としたケースは18回に及び、本能寺に滞在したのは3回に過ぎない。
1582年(天正10年)の本能寺の変の際、織田信長の嫡男織田信忠妙覚寺を宿舎としていた。
・狩野元信ら狩野派菩提寺

●【塔頭】たっちゅう
1.禅宗で、高僧の塔(とう)がある所。
2.本寺の境内(けいだい)にある小寺。わきでら。

華厳寺(けごんじ)
京都府京都市西京区にある臨済宗の寺院。
鈴虫を四季を通して飼育しているため、
★通称「鈴虫寺(すずむしでら)」と呼ばれている。
わらじをはき、願い事を一つだけ叶えるという「幸福地蔵」
僧侶による参拝者への茶菓のもてなしと鈴虫説法

泉涌寺 (せんにゅうじ)
京都市東山区泉涌寺山内町(やまのうちちょう)にある真言宗泉涌寺派総本山の寺院。
東山三十六峰の一峰である月輪山の山麓に広がる寺域内には、鎌倉時代後堀河天皇四条天皇、江戸時代の後水尾天皇以降幕末の孝明天皇に至る歴代天皇・皇族の陵墓があり、皇室の菩提寺として御寺(みてら)と呼ばれている。
月輪陵(つきのわのみささぎ)
楊貴妃観音
重要文化財
楊貴妃の風貌をモデルに作られた観音菩薩坐像という伝承があり、楊貴妃観音堂に安置される

随心院(ずいしんいん、隨心院)
京都市山科区小野にある真言宗善通寺派大本山の寺院。
小野流の開祖として知られる仁海(にんがい)僧正が開山。
小野小町ゆかりの寺としても知られる。
3月最終日曜日:はねず踊り
薄紅梅色を「はねずいろ」

大報恩寺
本堂(国宝)
京都市街地で現存最古の木造建築

西本願寺(にしほんがんじ)
京都市下京区にある仏教寺院。
浄土真宗本願寺派の本山である。
山号龍谷山(りゅうこくざん)。
飛雲閣(国宝)
滴翠園(てきすいえん)内、
滄浪池(そうろうち)と名付けられた池に面して建つ、3階建の庭間建築である。
金閣鹿苑寺)、銀閣慈照寺)と並んで「京の三閣」と呼ばれることがある。

●犬矢来(いぬやらい)
京都の町屋などにある軒下の防護柵のようなものを指します
家の外壁や腰を犬などが傷つけるのを防ぐために立てたものが始まりとされる。
京都のお茶屋で「(屋内のお客様のお話が聞こえるため)雨宿りご遠慮下さい」の意味で設置されたものとも言われる。
家屋を泥はねなどから守る

桂離宮(かつらりきゅう)
京都市西京区桂にある皇室関連施設。
江戸時代の17世紀に皇族の八条宮の別邸として創設された建築群と庭園からなる。
桂離宮京都市の西郊、桂川西岸の旧・下桂村に位置する。
ここは桂川とかつての山陰道丹波街道)が交わる、交通の要衝であった。
★八条宮家初代の智仁親王(1579年 - 1629年)によって基礎が築かれた。
ブルーノ・タウト
ドイツの建築家。
桂離宮をして「日本建築の世界的奇跡」

●法金剛院(ほうこんごういん)
京都市右京区花園にある律宗の寺院。
古くから名勝の地として知られる双ヶ丘の東麓にある。
付近には妙心寺仁和寺などの著名寺院や史跡も多い。
★待賢門院(1101年 - 1145年)
大治5年(1130年)に再興された。
待賢門院は藤原氏の出身で、鳥羽天皇中宮であり、崇徳天皇後白河天皇の母である。
★青女(せいじょ)の滝
日本最古の人工滝とされている。
境内に現存する浄土式庭園の一隅にある青女の瀧
国の特別名勝に指定されている。

醍醐寺(だいごじ)
京都市伏見区醍醐東大路町にある真言宗醍醐派総本山の寺院。
山号を醍醐山(深雪山とも)と称し、本尊は薬師如来
京都市街の南東に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内を持ち、国宝や重要文化財を含む約15万点の宝を所蔵する。
豊臣秀吉による「醍醐の花見」(1598・慶長3年)が
行われた地としても知られている。
古都京都の文化財として世界遺産に登録されている。
三宝院庭園
三宝院(さんぼういん)醍醐寺塔頭
国の特別史跡および特別名勝に指定された。
三宝院庭園は、この醍醐の花見に際して、豊臣秀吉自らが基本設計を行ったものである。
義演は秀吉の基本設計をもとにさらに構想を発展させ、また当時一流の庭師を作庭に参画させた。
★藤戸石
正面に据えられている「藤戸石」は、
元々は管領家細川氏の邸宅にあったもので、秀吉が聚楽第から運ばせたものである。

妙心寺(みょうしんじ)
京都市右京区花園にある臨済宗妙心寺派大本山
山号は正法山。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は花園天皇
創建年 暦応5年/康永元年(1342年)
日本にある臨済宗寺院約6,000か寺のうち、約3,500か寺を妙心寺派で占める。
近世に再建された三門、仏殿、法堂(はっとう)などの中心伽藍の周囲には多くの塔頭が建ち並び、
一大寺院群を形成している。
★法堂(重要文化財)はっとう
明暦3年(1657年)再建。
入母屋造、一重裳階付き。
天井には完成するまでに8年もかかった狩野探幽筆の雲龍図が描かれている。

●狩野 探幽(かのう たんゆう
慶長7年1月14日(1602年3月7日)
 - 延宝2年10月7日(1674年11月4日))
江戸時代初期の狩野派の絵師。
狩野孝信の子。法号は探幽斎、諱は守信。
狩野孝信(狩野永徳の次男)の長男として京都で生まれる。
母は、佐々成政の娘。
慶長17年(1612年)、駿府徳川家康に謁見し、元和3年(1617年)、江戸幕府の御用絵師となり、元和7年(1621年)には江戸城鍛冶橋門外に屋敷を得て、本拠を江戸に移した。
江戸城、二条城、名古屋城などの公儀の絵画制作に携わり、大徳寺妙心寺などの有力寺院の障壁画も制作した。
雲龍
妙心寺法堂 天井鏡板

●本阿弥 光悦(ほんあみ こうえつ、
永禄元年(1558年) - 寛永14年2月3日(1637年2月27日))
江戸時代初期の書家、陶芸家、蒔絵師、芸術家、茶人。
通称は次郎三郎。
寛永の三筆(本阿弥光悦近衛信尹松花堂昭乗
書は寛永の三筆の一人と称され、
その書流は光悦流の祖と仰がれる。
刀剣の鑑定、研磨、浄拭(ぬぐい)を家業とする京都の本阿弥光二の二男二女のうち長男として生まれる。
光悦は刀剣関係の家業に従ったことと思われるが、手紙の中に刀剣に触れたものは殆どみられない。
京ではむしろ「寛永の三筆」の一人に位置づけられる書家として、また、陶芸、漆芸、出版、茶の湯などにも携わったマルチアーティストとしてその名を残す。
洛北鷹峯に芸術村(光悦村)を築いた。
琳派(りんぱ)
俵屋宗達尾形光琳とともに、琳派創始者として、光悦が後世の日本文化に与えた影響は大きい。

●角倉 素庵(すみのくら そあん)
元亀2年6月5日(1571年6月27日)
 - 寛永9年6月22日(1632年8月7日))
江戸時代初期の土木事業家、儒学者、書家、貿易商。
角倉了以(りょうい)の子。

高台寺、髙臺寺(こうだいじ)
京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。
山号は鷲峰山(じゅぶさん)、
寺号は詳しくは高台寿聖禅寺と称する。
豊臣秀吉正室である北政所高台院)が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院であり、寺号は北政所の落飾(仏門に入る)後の院号である高台院にちなむ。
釈迦如来を本尊とする禅宗寺院であるとともに、秀吉と北政所を祀る霊廟としての性格をもった寺院である。
★蒔絵
霊屋(おたまや)の堂内装飾には桃山様式の蒔絵が用いられ、これを「高台寺蒔絵」と呼ぶ。
他に北政所所持と伝えられる蒔絵調度類を多数蔵することから「蒔絵の寺」の通称がある。
蒔絵(まきえ)は、漆器の表面に漆で絵や文様、文字などを描き、それが乾かないうちに金や銀などの金属粉を「蒔く」ことで器面に定着させる技法。

尾形光琳
万治元年(1658年) - 享保元年6月2日(1716年7月20日))
江戸時代の画家、工芸家
江戸時代中期を代表する画家のひとりである。
主に京都の富裕な町衆を顧客とし、王朝時代の古典を学びつつ、明快で装飾的な作品を残した。
実弟尾形乾山の作った陶器に光琳が絵付けをするなど、その制作活動は多岐にわたっている。

琳派(りんぱ)
桃山時代後期に興り近代まで活躍した、
同傾向の表現手法を用いる造形芸術上の流派、または美術家・工芸家らやその作品を指す名称である。
本阿弥光悦俵屋宗達が創始し、尾形光琳・乾山兄弟によって発展、酒井抱一・鈴木其一が江戸に定着させた。

●尾形 乾山(おがた けんざん、
 寛文3年(1663年) - 寛保3年6月2日(1743年7月22日)
江戸時代の陶工、絵師。
6歳年上の兄は尾形光琳である。
遊び人で派手好きで遺産を放蕩に費やした兄・光琳と対照的に、乾山は莫大な遺産が手に入っても、内省的で書物を愛し隠遁を好み、霊海・逃禅などと号して地味な生活を送った。
江戸時代前期の陶工・野々村仁清から本格的に陶芸を学んだようだ。

五条大橋
京都府京都市を流れる一級河川鴨川に架設された橋。
古くから、洛中から鴨川東岸への、
特に清水寺参詣のための便として架橋されていた。
★扇塚(五条大橋西詰)
橋の西北側には、かつてこの地にあった御影堂扇にちなんだ「扇塚」がある。

冷泉家(れいぜいけ)
藤原北家御子左家(二条家)の流れを汲む公家。
家格は羽林家。代々近衛中将に任官された。
家名は冷泉小路に由来する。
歌道の宗匠家の内の一つで冷泉流歌道を伝承している。
藤原定家の子である御子左家
6代・為家の子・冷泉為相(ためすけ)から始まる。
★和歌の家
家名は平安京の冷泉小路に由来する。家業は歌道・蹴鞠。

表千家(おもてせんけ)
茶道流派の一つ。
千利休を祖とする千家の家督を継いだ千家流茶道の本家であり、宗家は京都市上京区小川通寺之内通上るにある。
不審菴(ふしんあん)
表千家を象徴する茶室
「不審花開今日春」の禅語に由来
不審にして花開く今日の春(ふしんにしてはなひらくこんにちのはる)」と読む。
 「不審とは、はっきりしないこと、よく分からないこと。
なぜ春になって花が咲くのか。
自然は一切のはかりごとなく無為自然に運行されている。
本家の表千家に対して分家の裏千家の名は、今日庵が表通りの不審菴の裏にあることに由来する。

裏千家(うらせんけ)
茶道流派の一つ。
表千家宗家と隣接している。
茶室・今日庵(こんにちあん)は裏千家の代名詞でもある。
3代宗旦四男の仙叟宗室が受け継いで独立し、裏千家となった。
また次男の千宗守が養子先から出戻ってきて別に一家を起こし武者小路千家となった。
こうして表・裏・武者小路の三千家が成立した。

観阿弥
正慶2年/元弘3年(1333年)
 - 至徳元年/元中元年5月19日(1384年6月8日))
日本の南北朝時代から室町時代にかけての申楽師。
息子の世阿弥とともに、いわゆる能を大成した人物である。
1375年(永和元年 1374年説もあり)に京都新熊野神社観阿弥が息子の世阿弥とともに演じた猿楽能を足利義満が見物、以降、将軍はじめ有力武家、公家らの愛顧を得、観阿弥が率いる観世一座は幕府のお抱え的存在とみなされるようになる。

●新熊野神社(いまくまのじんじゃ)
京都市東山区今熊野椥ノ森町にある神社。
社格は村社。
熊野神社・熊野若王子神社を併せて「京都三熊野」と呼ばれている。
永暦元年(1160年)、後白河上皇の命により院の御所である法住寺殿の鎮守社として紀伊国熊野三山熊野権現を勧請し、熊野三山の新宮・別宮として平清盛によって創建された。
永和元年(1375年)にこの地で観阿弥世阿弥父子が室町幕府将軍足利義満の前で猿楽能(今熊野猿楽)を舞った
ことから「能楽発祥の地」とされている。

平野神社(ひらのじんじゃ)
京都府京都市北区平野宮本町にある神社。
式内社名神大社)で、二十二社(上七社)の一社。
社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
神紋は「桜」
京都市北部、平安京大内裏(平安宮)から北方の平野の地に鎮座する神社である。
平安京遷都頃まで創建が遡るとされる神社
古代には皇太子守護の性格を持ち、平安時代には例祭「平野祭」において皇太子自らにより奉幣が行われた。
現在の本殿は4殿2棟からなり、いずれも「平野造」とも称される独特の形式の造りで、国の重要文化財に指定されている。
境内は桜の名所として知られ、夜桜の様子は「平野の夜桜」と称されることで知られる。
★桜
境内に広がる桜苑は花山天皇が寛和元年(985年)に手植えして以来の桜の名所とされ、江戸時代には「平野の夜桜」として知られた。
現在も春には桜祭が行われる。

●京都祇園祭(ぎおんまつり)
京都市東山区の八坂神社(祇園社)の祭礼で、明治までは祇園御霊会(ぎおんごりょうえ、御霊会)と呼ばれた。
貞観年間(9世紀)より続く京都の夏の風物詩である。
山鉾巡行
草創期から現代に至るまで、祇園社の神輿渡御を中心とするが、これに現在見られるような山鉾が伴うようになった
時期は明確には分からない。
鉾車
室町時代中期には洛中洛外図に見られるような、今日につながる山鉾巡行が成立したものと見られる
長刀鉾なぎなたほこ)
祇園祭先祭の鉾。
巡行の順番が決まっている「くじ取らず」で、山鉾の中で唯一、生稚児を乗せ巡行の先頭に立つ。
2020年現在も女人禁制を取っている
(一部の山鉾では女性が乗ることが許されている)。
鉾頭に、謡曲「小鍛冶」で知られる平安時代名工・三条小鍛冶宗近の作の長刀を立てたことから「長刀鉾」の名があるという
長刀鉾の注連縄切り
域の境界を示す縄
八坂神社の正面の四条通における麩屋町(ふやちょう)に張られる
・北観音山 (きたかんのんやま)
祇園祭後祭の山鉾。
楊流観音と韋駄天像を祀っている。
くじ取らず
北観音山と南観音山は舞台の後ろから
柳の大枝を垂らして巡行します。
この柳の枝は巡行後に厄除けのお守りとして町内に授与されます。
あとの祭り”の先頭を行く山で,「上り観音山」(のぼりかんのんやま)とも呼ばれる。
町に残る古文書に,文和2年(1353)創建であることが記されておる

時代祭
平安神宮例大祭(10月22日)に附属する年中行事である。
神宮創建と平安遷都を祝して明治時代より始められた京都三大祭りの一つ。
「白川女(しらかわめ)」
「大原女(おはらめ)」
「桂女(かつらめ)」
「白川女」は独立して列が構成され、神幸列(しんこうれつ)のすぐ後ろを歩きます。また時代祭当日の行在所では、
神前に花を献上する役目もずっと続けています。
白川女は京都市北東部、白川砂の産地として有名な北白川付近の女性たちで、比叡山のすそ野、白川に広がるお花畑の花を「花いらんかえー」と売り歩き、その行商は平安時代から続いてきたといわれています。

●建礼門(けんれいもん)
平安京内裏の外郭門の1つ、または京都御所の門の1つ。
京都御所南面正門は建礼門である。
現在も天皇皇后及び外国元首級のみが通ることのできる、最も格式の高い門とされ、御所一般参観時にも開門される
ことはないが、間近で見学することはできる。
平徳子(たいら の とくし/のりこ)
安徳天皇の生母となったため院号宣下により「建礼門院」を称した

●京都三大奇祭
・「玄武やすらい祭」今宮神社 ― 4月 第二日曜日 ―
京都市北区の紫野にある今宮神社にて開催される、
京都の春を代表する「やすらい祭り」は、地域に根ざした民族行事として知られています。
・「太秦の牛祭」広隆寺 ― 10月 ―
・「鞍馬の火祭」由岐神社 ― 10月22日―

●由岐神社(ゆきじんじゃ)
京都市左京区鞍馬本町にある神社である。
鞍馬寺の鎮守社である。通称靫明神(ゆきみょうじん)。

明智藪(あけちやぶ)
山崎の戦いで敗れた明智光秀が絶命したとされる場所
京都市伏見区小栗栖(おぐるす、おぐりす)
中世にも近郊の勝地として親しまれたらしく、洛北七野の一つとして萩の名所でもあった。
なお洛東にも栗栖野の地名がみられ(伏見区小栗栖)、よく両者は混同されるが北区のそれのほうがより著名
明智藪 (堤防)
京都府福知山市に所在する明智光秀が築いたとされる堤防のこと。
人工的に植林された竹から構成される堤防である。

明智風呂
妙心寺 仏殿・浴室「明智風呂」
臨済宗妙心寺派大本山妙心寺は、
46の塔頭をもつ京都最大の禅宗寺院。
浴室(よくしつ・重要文化財)
明智光秀の叔父である塔頭・大嶺院の密宗和尚が、光秀の菩提を弔うために創建されたといわれ、通称「明智風呂」と呼ばれる。