飲んだことある日本酒の銘柄とその由来について①

 

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上善如水(じょうぜんみずのごとし)

新潟県南魚沼郡湯沢町、白瀧酒造。

出典は中国春秋時代思想書老子』の一節、「上善は水の如し。水はよく万物を利して争わず、衆人の恵む所に処る」。

人間の理想的な生き方は、水のように様々な形に変化する柔軟性を持ち、他と争わず、自然に流れるように生きること。

道家老荘思想の根本的な教義である。

その名を冠するにふさわしく、水のようにすっきりとした口当たりで、酒に慣れない人でも間違いなく飲みやすい。

それでいて純米酒(米、米麴、水のみで醸造された酒)の香り高い風味が、洗練された繊細さで透き通るように感じられる。

万人にお勧め出来る至高の一献。

 

 

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獺祭 (だっさい)

山口県岩国市、旭酒造。

獺はカワウソ。

江戸時代の妖怪絵師・鳥山石燕の『画図百鬼夜行』にも描かれるように、獺は古来より狐や狸と同様に人を化かすと考えられていた。

蔵元である旭酒造の地名・獺越(おそごえ)は、古い獺が人を化かして越して来たという伝承を由来とする。

また儒学の経典『礼記』を出典とする「獺祭魚」という言葉は、捕らえた魚を川岸に並べるという獺の習性から、これを先祖へ供物を捧げる祭儀と見なした事を言う。

転じて、詩や文を作る時に多くの書物を広げて調べる様子を指す。

(明治時代の俳人正岡子規は自らを「獺祭書屋主人」と号している。)

旭酒造は、従来の日本酒醸造に欠かせない杜氏(とうじ、職人集団)を廃し、経験と勘に依っていた醸造工程を徹底的に分析して厳密な数値化とデータ管理を実施。

酒蔵での最新空調設備による温度湿度の調整、発酵状態の計測と適正な品質管理で季節を問わず一年中、高品質な日本酒の安定生産を可能として業界に革新をもたらした。

獺祭は、日本酒分類上の最高峰とも言える純米大吟醸酒(米と米麴と水のみで作る純米酒、かつ米を精米歩合50%以下まで磨き上げた大吟醸酒)のみを醸造するというこだわりで生産され、芳醇な風味と甘露な飲み口、爽やかな香りで非常にわかりやすく最高に美味い。

幻の酒造りでなく、機械化による徹底的な品質管理と安定生産。

その絶大な人気から、ともすれば価格も高騰しがちな局面において「お願いです。高く買わないで下さい」との意見広告を出すなど、多くの人々に美味しい酒と楽しい時を届けようという蔵元の信念は一貫している。

 

 

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鍋島(なべしま)

佐賀県鹿島市、富久千代酒造。

大正時代の創業で年間四百石程度の小規模な蔵元だが、地元佐賀の良質な水と米を活かした丁寧な酒造り、たゆまぬ努力による商品開発で非常に完成度の高い日本酒を醸造している。

2011年、世界的酒類品評会IWC(インターナショナルワインチャレンジ)日本酒部門において最優秀賞を受賞し一世を風靡した。

名前の由来は肥前国佐賀藩主、鍋島一族より。

藩祖は戦国武将、鍋島加賀守直茂で、"肥前の熊"と呼ばれた大名・龍造寺山城守隆信の参謀として頭角を現した。

主・隆信が豪胆で決断力に優れた武勇の人であれば、直茂は知略と判断力に長けた才智の人である。

沖田畷の戦いで"鬼島津"中務少輔家久により隆信が討ち取られると、その遺児を奉じて御家再興のため尽力。

太閤豊臣秀吉と通じて九州征伐を誘致し、大友家・立花飛騨守宗茂らと共についに仇敵島津家を打倒した。

才気煥発に過ぎた直茂は秀吉の厚い信任を得て、主である龍造寺家の実権を手中に収め半ば独立大名の様相を呈した(直茂自身はあくまで龍造寺家臣下の忠義を全うするが、御家は実質大名化した)。

その後は文禄・慶長の役で活躍、関ケ原では当初西国に属するも東軍の勝利を予見し、見事な立ち回りで徳川内府家康の信任を得ておよそ三十六万石の本領を安堵されている。

直茂は主家龍造寺氏を立てて自らが藩主となる事は無かったが、子孫は主家から禅譲を受け肥前佐賀藩を引き継いだ(この時の龍造寺家・鍋島家の確執は御家騒動へ発展し、妖怪・化け猫の伝承と結び付いて後世の創作「鍋島化け猫騒動」が生まれた)。

以後、およそ三百年に渡って鍋島家は佐賀の地を治め、善政を布いて産業を発展させ、特に幕末維新期には日本有数の技術大藩となっている(明治維新を主導した藩はいわゆる薩長土肥と呼ばれ、薩摩藩長州藩土佐藩、そして肥前国佐賀藩である)。

 

 

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七本鎗(しちほんやり)

滋賀県長浜市、冨田酒造。

琵琶湖最北端、賤ヶ岳にほど近い旧北国街道沿いの土地にある創業四百七十年の歴史を持つ酒蔵。

名前の由来は「賤ヶ岳の七本槍」より。

本能寺の変後の織田家中における覇権を賭けて柴田修理亮勝家と羽柴筑前守秀吉が争った賤ヶ岳の戦いで、特に勇猛果敢な活躍をした七人の若武者を称してこのように呼び讃える。

・加藤主計頭清正(肥後熊本藩初代藩主)

・福島左衛門大夫正則(安芸広島藩初代藩主)

・片桐東市正且元(大和竜田藩初代藩主)

・加藤左馬助嘉明(伊予松山藩初代藩主)

・脇坂中務少輔安治(伊予大洲藩初代藩主)

・平野遠江守長泰(江戸幕府旗本)

・糟屋内膳正武則(播磨加古川城主)

以上の七名であり、いずれも秀吉の子飼い・直参衆から武働きで出世し、豊臣政権を支えて大名化した。

 

 

 

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No.6(ナンバーシックス)

秋田県秋田市、新政酒造。

日本酒の醸造には、原料の米に含まれる糖分を分解しアルコールを生成する微生物・酵母菌の働きが欠かせない。

酵母の種類と質で日本酒の風味や香りは大きく異なる。

1906年、明治政府はより良質で近代的な醸造技術の進歩発展のため日本醸造協会を設立。

協会は全国各地から有用な酵母菌を収集し、研究所での分析と全国新酒鑑評会における評価など多角的な視野から最も優れた酵母菌を採取して純粋培養し、これを協会◯号酵母として全国の酒蔵に頒布提供した。

1〜5号酵母の頒布後、従来型の短期高温粗白米の醸造技法に変わって長期低温高精白米による新技法の時代が到来し、これに最適と判明した新型酵母が頒布された。

協会6号酵母である。

その確固たる優秀さから協会は全国の酒蔵への採用を指導、長期低温発酵による吟醸酒造りの原型を形成し、近代醸造史に刻む功績となった。

この6号酵母が発見された蔵こそ、秋田県秋田市の新政酒造である。

協会酵母はその後も代を重ねて研究が続くが、6号酵母は安定して優秀な性質を保ち、現代でも用いられる最古の酵母菌の一つ。

No.6は、新政酒造が6号酵母の歴史と伝統を重んじその特色を最大限に活かす酒造りで、高級感溢れる微発泡感、米の洗練された香りと、苺か桃にも似たフルーティな風味を有する高品質な生酒の味わいを今日に伝えている。

 

 

②へ続く

 

 

 

【参考URL】

上善如水|白瀧酒造 株式会社

獺祭の蔵元|旭酒造株式会社 / Dassai Official Web Site.Asahishuzo CO.,LTD.

佐賀の酒 鍋島|富久千代酒造

七本鎗の酒造り|冨田酒造有限会社

No.6 ナンバーシックス|新政酒造株式会社オフィシャルサイト