無双OROCHIシリーズに登場する妖魔軍武将の出典まとめ④
図1.巨大化した牛鬼。
図2.蛟の無双奥義。
「お、遠呂智様ッ…!?あぎゃっ」
猿猴(えんこう)
日本の中国四国地方に伝わる妖怪。
河童の一種で、身体は毛むくじゃら、川から長い手を伸ばして人間の尻子玉(肛門から生き胆)を抜く様子が江戸時代の妖怪絵巻『絵本集艸(えほんあつめくさ)』に描かれている。
土佐国(高知県)の猿猴伝説は特に有名で、『土佐近世妖怪資料』には江戸時代後期に生け捕りにされた記録がある。
また広島市を流れる「猿猴川」は猿猴が棲むという伝承から命名されており、毎年9月に猿猴川河童祭りが開催されている。
元々猿猴とはサル類の総称で、古くはテナガザルを指した(妖怪である猿猴も手が長いという特徴が共通している)。
水木しげる『日本妖怪大全』には「川猿」という妖怪が挙げられるが、このようにサルと河童を関連付ける伝承の一つとして猿猴伝説が語り継がれている。
化蛇(かだ)
中国の妖怪。
水中に棲む蛇の怪物。
地理書『山海経(せんがいきょう)』中山経によると、顔は人面で胴体は山犬、鳥の翼が生え長い蛇の身体と尾を持つ。
川を泳いだり空を飛んで姿を見せるが、化蛇が見られた土地では洪水が起きると伝わる。
刑天(けいてん)
古代中国神話の英雄。
『山海経』中山経によれば、伝説上の五帝の一人・黄帝と常羊山で戦い、神(天帝)の座を争った。
敗れて首を断たれるが、なおも胴体だけで斧と盾を振るい戦おうとしたという。
三皇の一人・炎帝神農氏の臣下であったとする説もある(宋代の羅泌『路史』や清代の馬国翰『玉函山房輯佚(しゅういつ)書』等より)。
詩人・陶淵明が『読山海経』でこの故事を題材に「刑天舞干戚 猛志固常在(刑天は干戚(かんい、盾と斧)を舞わし、猛き志は固より常に在り)」との句を詠み、敗れてもなお屈さない強靭な精神の象徴として讃えた(刑天の舞)。
朱厭(しゅえん)
中国の伝承上の怪物。
『山海経』西山経によると山間に棲息し姿は猿に似て、首は白くて脚は赤い。
東晋の郭璞(かくはく)の注に曰く、朱厭が現れるのは大きな戦争が起こる前兆だという。
畢方(ひっぽう)
中国の怪鳥。
『山海経』海外南経に曰く、見た目は鶴に似て嘴(くちばし)が白く、身体は藍色で赤い紋様があり、脚は一本しかない。
出現すると原因不明の大火事が起きると伝わる。
古くは五帝の一人・黄帝が泰山にて鬼神を集めた際、火の神の使いとして現れたという。
蛟龍(こうりゅう)が引く黄帝の戦車の傍らに侍っため火神の侍寵、火鴉とも称される。
彭侯(ほうこう)
中国に伝わる木の精霊。
東晋の奇譚『捜神記(そうじんき)』によると、樹齢千年を超えた木に憑り付くとされ、三国・呉の時代に敬叔という人物がクスノキを伐り倒した時に顔は人面、身体は犬のような彭侯が現れたという。
明代の『本草綱目』にも記述がある。
日本では江戸時代の類書『和漢三才図会』に木霊(こだま)の一種として紹介され、鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にも「状、黒狗の如し。尾なし。面、人に似たり」という姿で描かれている。
九嬰(きゅうえい)
中国の伝説上の怪物。
古書『淮南子(えなんじ)』本経訓に記述がある。
九つの頭を持つ蛇の怪物で、鳴き声は嬰児のよう。
凶水という川に棲み、水を噴いて洪水を起こし、火を吐いて大火事を招き人々を苦しめた。
古代五帝の堯の時代、弓の名手・羿(げい)により討伐された。
鑿歯(さくし)
中国の伝説上の怪物。
『山海経』海外南経によると、古代中国南方の湿原地帯・寿華に棲んでいた獣人で、長さ五,六尺の鑿(さく・のみ)のような大きく長い牙を有していた。
人を襲って害を成していたが、五帝の時代に堯の命を受けた羿(げい)によって討伐されたという。
また東晋の郭璞による『山海経』の注には、鑿歯人と呼ばれる伝説上の人種が存在し、歯が鑿のように長かったと述べられている。
古書『淮南子』における異国人種・海外三十六国にも鑿歯の記述がある。
蒲牢(ほろう)
中国の伝説上の怪物。
姿は龍に似て、吼える事を好む。
クジラを襲う時あるいは襲われる時に大きく吼えるとされ、そのため中国の伝統的建築における梵鐘や釣鐘には、クジラに見立てた撞木と共に蒲牢の首を象った装飾が用いられる(鐘が大きく鳴り響くのを手伝うとされる)。
明代の楊慎の『升庵外集』によると、龍が生み出したとされる九匹の幻獣「竜生九子」の一つ。
疫鬼(えきき)
中国に伝わる疫病を引き起こすとされる鬼神。
行疫神(ぎょうえきしん)、疫病神とも。
『捜神記』によると、古代中国の五帝の一人・顓頊(せんぎょく)の子供の三人が疫鬼に変じたとされる。
史書『後漢書』礼儀志には疫鬼を祓う儀式が執り行われたという記録がある。
日本では神道の祝詞(のりと)である『儺祭詞(なのまつりのことば)』で「穢悪伎疫鬼」と訓まれ、平安・鎌倉期の『春日権現験記絵巻』や『融通念仏縁起絵巻』といった書物にその姿が描かれている。
妖怪研究家の村上健司によると、医療の普及していなかった古代において、疫病は目に見えない悪鬼怨霊の類によってもたらされると信じられていた。
平安時代に中国から疫鬼の概念が伝わると、一般における病魔への畏怖と結び付いて、疫病神という民間信仰が定着したと考えられている。
相柳(そうりゅう)
中国神話における怪物。
九つの人間の頭を持つ大蛇の姿で描かれる。
三皇五帝としばしば争った悪神・共行の臣下として登場する。
山界の事物を喰らい尽くし、身体から毒を出して大地を汚染し、通った跡は谷や川に変貌してしまったという。
『山海経』海外北経によると、夏王朝の創始者である英雄・禹(う)に討伐された。
日本では江戸時代の作と推測される(著者不明の)妖怪絵巻『怪奇鳥獣図巻』に描かれている(名を「そうよく」と誤読されている)。
刀労鬼(とうろうき)
中国の妖怪。
刀努鬼とも呼ばれる。
東晋の奇譚『捜神記』によると、揚州臨川の山中に棲んでおり風雨がひどい時に現れる。
唸り声のような音を立てて人間に毒気を吹き掛け、それを浴びると患部が腫れ上がり苦しむ。
雌雄があり、雄の毒の方が回りが早く、手当が遅れると死に至る場合もあるという。
雍和(ようわ)
中国の伝説上の怪物。
『山海経』中山経によると、山中に棲む猿に似た姿で、黄金の体毛に赤い眼、赤い嘴(くちばし)を持つ。
凶兆とされており、雍和が現れた国は大恐慌に見舞われるという。
魔計奴鬼(まけぬき)
日本の妖怪。
出典は、幕末から明治にかけての戯作文学者・仮名垣魯文による『百鬼弥行』(2006年『和漢百魅缶』莱莉垣桜文 附註より)。
数多くの戯作や滑稽本を書いた魯文は『百鬼弥行』において、当時の世情や諷刺から言葉遊びで「○○鬼」という名の創作妖怪をいくつか生み出したとされる。
魔計奴鬼とは「負けぬ」から連想した負けず嫌いの妖怪、といった所であろうか。
銹著等(さびちら)
詳細不明。※調査中
鱗舐(りんしょう)
詳細不明。※調査中
蜈蚣姥(ごしょうろう)
詳細不明。
蜈蚣はムカデと読む。
姥は老女の意。
妖怪ムカデババアくらいの意味か。
蝟怪(いかい)
詳細不明。
蝟とは、ハリネズミのこと(蝟毛)。
怪には化け物というニュアンスを表す場合がある。
ハリネズミのような妖怪か。
魍魎(もうりょう)
妖怪の総称、または水に関する怪、水神。
中国においては罔両とも書き『史記』や『春秋左氏伝』によると自然界、特に水の物の怪を意味する。
明代の『本草綱目』には死体の脳や肝と喰らう化け物と記される。
ちなみに魑魅(ちみ)は山の怪であり、対を成す意味で組み合わせ「山・川のあらゆる妖怪」の総称として「魑魅魍魎」という語が用いられた(一見とても書き難い漢字熟語のように思えるが、部首は全て鬼(きにょう)であり、离未罔両と理解すれば割と書ける)。
日本では水神を意味する「みずは」と訓じられ、死体を喰らう特性から妖怪・火車とも同一視される。
鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』にも描かれ、そちらは『淮南子』に準拠して「状、三歳の幼児。色、赤黒し。目赤く、耳長し。好んで亡者の肝を喰う」と説明されている。
無双OROCHIシリーズでは当初「渾沌」という名のモブ妖魔武将が存在したが、『無双OROCHI2 Ultimate』から同名でプレイアブル・キャラクター化したため元々のポジションに位置するモブ武将には新たに「魍魎」の名が与えられた。
⑤へ続く
【参考文献】
・ 『妖怪事典』村上健司、 毎日新聞社
・『捜神記』竹田晃、平凡社
・『中国の神話伝説』袁珂、鈴木博、青土社
・『怪奇鳥獣図巻:大陸からやってきた異形の鬼神たち』伊藤清司、磯部祥子、翻刻工作舎
・『江戸の妖怪絵巻』湯本豪一、光文社
・『図説 地図とあらすじで読む 日本の妖怪伝説』志村有弘、青春出版社
・『幻想世界の住人たち』多田克己、新紀元社
・『和漢百魅缶』氷厘亭氷泉、COTTON-CANDY