無双OROCHIシリーズに登場する妖魔軍武将の出典まとめ②
鉄鼠(てっそ)
平安時代の僧・頼豪(らいごう)の怨念が化けたネズミの妖怪。
鉄鼠という名は、江戸時代の妖怪画集『画図百鬼夜行』にて鳥山石燕により命名された。
出典は『平家物語』で、白河天皇の皇子誕生を祈祷し見事成就させた僧・頼豪は、かねての約定通り寺院建立を願い出るが、対抗する比叡山延暦寺の妨害により却下されてしまう。
悲願を無下にされた頼豪の怨念は凄まじく、百日間の断食による呪詛の末、悪鬼のように恐ろしい風貌で死んだ(白河帝の皇子はわずか四歳で亡くなってしまった)。
『太平記』によれば頼豪の怨念は、石の身体と鉄の牙を持つ八万四千匹のネズミとなって比叡山を駆け登り、経典や仏像を喰い荒らしたという。
江戸時代後期、曲亭馬琴の『頼豪阿闍梨恠鼠伝』の作中でも語られ、葛飾北斎が鉄鼠の浮世絵を描いている。
ネズミが人間に害を及ぼす民話は全国各地に見られ、特に多くの書物や経典を抱える寺院においては鼠害が深刻な問題だったので、鉄鼠のような怨霊・妖怪伝説の元になったのでないかと怪奇文学研究者の志村有弘は指摘している。
陰摩羅鬼(おんもらき)
中国の古書『清尊録』に登場する怪鳥。
人間の死体から生じた気が化けたとされる妖怪で、真っ黒な鶴のような容貌で眼光は灯火のように赤く、声を発して人に話し掛ける。
鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』にもその姿が描かれている。
名称の由来は仏教において悟りを妨げる魔物である摩羅(魔羅)に「陰」と「鬼」の字を付け、鬼や魔物の意を強調したものと考えられる。
猩々(しょうじょう)
中国の伝説上の動物。
黄金の体毛に覆われ、二本足で歩く猿のような姿で描かれる。
古くは儒教の経典『礼記』に「人の言葉を理解する」生き物として記載がある。
明代の『本草綱目』では「交趾の熱国に住み、毛色は黄金。声は人間の子供か時に犬のように吼える。人の言葉を理解する。顔は人面で、酒を好む」とある。
日本にも伝来し様々な民間伝承でイメージが付託され(赤面で酒を好む特性が強調される等)、能の演目としても有名。
学術的にはオランウータンの和名として猩々の字が当てられた(チンパンジーは黒猩々、ゴリラは大猩々)。
夜刀神(やとのがみ)
外見は蛇の体で頭に角が生えており、その姿を見た者は一族諸共滅んでしまうと伝えられる。
継体天皇の時代、箭括氏(やはずのうじ)の麻多智(またち)が行方郡の西の谷・葦原を開墾し新田を作ると、夜刀神が多数の蛇を率いて襲って来た。
麻多智は甲冑を付けて武装し、見事に夜刀神を撃退すると山の入り口の堀にて「これより上は神の世界(山)、下は人間の世界(田)としたい。余が祭司として永久に汝(夜刀神)を祀るから、どうかもう人に祟りや恨みを成し給うな」と祈り神社を建てた。
以来、麻多智の子孫が代々社を守り夜刀神を祀ったという。
夜刀は「やつ」「やち」とも読むがこれは関東地方の方言「谷(やつ)」や「谷地(やち)」を意味し、麻多智が開墾する以前の野生状態の谷、すなわち夜刀神は自然を表象する土着神であり、麻多智に象徴される人間が葦の生い茂る渓谷の原野を切り拓いて新田を造営した、という起源譚と解釈できると民俗学者の赤坂憲雄は述べている。
襟立衣(えりたてごろも)
鳥山石燕の妖怪画集『百器徒然袋』に登場する妖怪。
僧侶が着る襟立の衣が変じたもので、石燕の解説に「くらま山の僧正坊のゑり立衣なるべし」と記されている。
鞍馬山の僧正坊とは天狗を指しており、天狗が着用していた僧衣が妖怪に変じたものと考えられる。
修佗(しゅうだ)
中国神話に登場する蛇の怪物。
巴蛇(はだ)とも呼ばれる。
堯の時代、南方の洞庭湖に青い頭を持つ巨大な黒蛇(全長約1,800m)が棲んでおり、大きな津波を起こして漁民達を殺したので最後は討伐されたと伝わる。
地理書『山海経(せんがいきょう)』海内南経には「有黒蛇 青首 食象」とあり、曰く修蛇が大きなゾウを丸飲みにして3年かけて消化した挙句、骨を吐き出した(この骨は難病を治す薬になったという)。
野槌(のづち)
日本の民間伝承で語られる妖怪。
外見は蛇のようで、胴が太い割に体長は短い。
頭部には口があるものの目や鼻は無く、ちょうど柄のない槌(つち)のような形をしている。
江戸時代の類書『和漢三才図会』によると、深い山に棲みウサギやリスを食べ、時には人間を食べるともされた。
『古事記』『日本書紀』に登場する草の女神・鹿屋野比売(かやのひめ)は別名・野椎神(のづちのかみ)とも呼ばれ、「のづち」の語自体は草や野の精霊を表すと解釈される(鹿屋野比売の夫である大山津見神(おおやまつみのかみ)が蛇体の神である事に関連が見て取れる)。
鳥山石燕も『今昔画図続百鬼』に野槌を描いており「草木の精をいふ」と解説している。
昭和中期に未確認生物(UMA)として知名度を高めたツチノコは本来野槌の別名の一つ(槌の子)であったが、マスメディア等で広く用いられた結果そちらの呼称で定着した。
酸与(さんよ)
中国の地理書『山海経』北山経に記されている怪鳥。
景山に棲み、頭は蛇のようで眼が六つ、翼が四つに脚が三本の異形で描かれる。
「酸与」と聞こえるという鳴き声から名が付けられた。
この鳥が現れるのは不吉の前兆であると言われている。
螭首(ちしょう)
螭(ち)または螭吻(ちふん)は、中国の伝説上の霊獣。
竜の一種とされ、古くは『六韜』の中に龍や羆と並んで螭の記述がある(明代に成立した「竜生九子」という、竜が生み出した九匹の神獣の一つにも数えられる)。
この螭の頭部を象った石碑などの装飾を螭首(ちしょう、ちしゅ)と呼ぶ(春秋戦国時代の遺跡から「螭首文方鏡」と呼ばれる螭の頭部をモチーフにした装飾の施された青銅鏡が出土している)。
また中国の伝統的建築物における排水口の装飾などによく用いられ、日本における鯱(しゃちほこ)の原型の一つになったとする見解もある。
檮杌(とうこつ)
中国神話に登場する怪物。
虎のような身体に長い尻尾、顔は人面で、猪のように長い牙を持つ。
『春秋左氏伝』によると、舜の時代に中原の四方へ追放された四柱の悪神「四凶」(渾沌(こんとん)、窮奇(きゅうき)、饕餮(とうてつ)、檮杌)の一つである。
戦乱を好み悪知恵が働き、尊大かつ頑固な性格で暴れ回るので手が付けられない。
戦さになれば死ぬまで争い続け、常に天下を乱そうと邪心を抱く。
日本では江戸時代中期の寺島良安による『和漢三才図会』に図画が残されている。
饕餮(とうてつ)
中国神話の怪物。
『春秋左氏伝』に引く「四凶」の一つ。
牛や羊のような身体に大きく曲がった角と虎の牙、顔は人面を有す(眼はわきの下にある)。
「饕」は財産を貪る、「餮」は食物を貪るの意。
人をも喰らう伝説上の猛獣であるが、一方で長江流域で崇拝された神にその起源を見出す説もあり、何でも食べる=魔を食べると転じていわゆる魔除けの意味を持つようになった(炎帝神農氏の子孫で兵主神たる蚩尤(しゆう)にも関連付けられる)。
殷周時代の青銅器にはこの神獣をあしらった饕餮文(とうてつもん)と呼ばれる模様が装飾に用いられている。
窮奇(きゅうき)
中国神話の怪物、『春秋左氏伝』に引く「四凶」の一つ。
漢代の書物『神異経』によると、翼の生えた虎の姿で、人間を頭から喰らう。
善人に害を成す怪物として描かれるが、一方で悪を喰い滅ぼす神獣としての描写も伝わっている。
地理書『山海経』の海内北経には有翼の人喰い虎と説明されるが、西山経・巻四ではハリネズミの毛に覆われた牛とする矛盾した記述が存在する。
古書『淮南子』においては「広莫風(こうばくふう)を吹き起こす」とあり、風神の一種とも見做される。
江戸時代の鳥山石燕『画図百鬼夜行』では、日本の妖怪である鎌鼬(かまいたち)について、「窮奇」という漢字の訓を「かまいたち」と読ませている。
渾沌(こんとん )
中国神話の怪物、『春秋左氏伝』に引く「四凶」の一つ。
大きな犬の姿で六本の腕と六枚の翼を有し、文字通り混沌(カオス)を司る。
悪逆を好んで善を忌み嫌う。
道家の経典『荘子』や漢代の『神異経』、地理書『山海経』、明代の奇譚『封神演義』等に広く見られる。
無双OROCHIシリーズでは元々妖魔軍のモブ武将の一人であったが、『無双OROCHI2 Ultimate』で固有ビジュアルを持つプレイアブル・キャラクターとして参戦を果たした(それまでのシナリオで登場したモブ「渾沌」のポジションは「魍魎(もうりょう)」という名のモブ武将に置き換えられた)。
「戦場を混沌で染め上げてやろう・・・」
③へ続く
【参考文献】
・『妖怪事典』村上健司、毎日新聞社
・『図説 地図とあらすじで読む 日本の妖怪伝説』志村有弘、青春出版社
・『幻想世界の住人たち』多田克己、新紀元社