『源太左衛門~真田六文戦記~』第六文銭(最終話):硝煙設楽ヶ原

 

 

 

天正三年五月二十一日、早朝―

 

 

 

朝靄(あさもや)の霧掛かむ設楽ヶ原(したらがはら)の草野に、源太は立つ。

 


ブヒヒィィン!!

 


騎馬の嘶(いなな)き。

手綱をグイと握り佇む様、精悍堂々たる武者振りよ。

精鋭武田が騎馬軍団は横列一帯に陣を成し、命運決す其の時を待つ。

 


霧の向こう側、幾重にも張り巡らされし馬防柵に織田鉄砲衆が待ち受ける。

 

 

 

 


「・・・すわ掛かれィチ」

 


静かに軍配を下ろしたるは、真田源太左衛門尉信綱。

 


天下分け目の大合戦が、始まろうとしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


~~~~~~~~~~~~

 


主戦派、慎重派どちらにも理があった。

 


軍議は、荒れた。

 


先年より徳川領侵攻を進める武田軍に届いた急報は織田信長三万大軍の襲来。

 


主戦派は、機と見る。

 


「織田徳川と会戦を決し、大打撃を与えむ!」

 


武田家再興のため徳川を潰す、その徳川の後ろ盾たる織田家とはいずれ必ず決戦を交えねばならぬ。

 


畿内を制する織田政権は、強い。

時が経てば経つ程に国力差は開いてゆくばかり。

・・・今、この時に信長と決戦に至れるとは、願ってもなき好機と見たのだ。

 

 

 

「勝算、確実なる哉、否や。」

 


慎重派。

 


宿老共とて機は機と見るが、慎重である。

 


「先代信玄公は合戦の前に勝利を決し、勝つべくして勝ちに臨まれた。

掲げる孫子の旗の如く、全ては事前の準備に依りて」

 


馬場美濃守は、警鐘を鳴らす。

 


「此度の戦略目標は、長篠城の包囲殲滅。信長襲来に踊らされ急遽会戦に臨むのでは、危のう御座る」

 

 

 

ざわざわがやがや、諸将みなそれぞれ一理ある。

 


「しかし機を逃しては、なりませぬ!」

「今より仔細熟慮を重ね準備すべし」

「一時撤退を、敵戦力は我が方の倍にて!」

「織田とて徳川への建前、奇襲で突くべし!」

 


軍議は荒れた。

 

 

 

 

 

 

 


源太左衛門は、慎重である。

(中長期戦略に織田との会戦は避けられぬ。しかし此度急遽というのでは、危険だ。)

・・・少なくとも、御屋形様(先代・武田信玄)の戦(や)り方ではない。

 

 

 

しかし当主・武田大膳大夫勝頼は、会戦の覚悟を決めた。

(この決断に至った勝頼の並々ならぬ苦悩と葛藤については、ここでは源太左衛門の一代記である為、省略する)

 

 

 

「・・・父上を超える。」

 

 

 

 

 

 

一堂、思い思いに胸の内ありその後も論争尽くされるが、最後の最後には総大将・勝頼の強固な意志を宿老どもが支えむと決した。

 


斯くなる上は死力を尽くさむ。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 


「兄上、これは如何なる」

 


武藤喜兵衛尉昌幸は、兄・源太左衛門より書状を受け取る。

(後の真田安房守昌幸である。)

 


「喜兵衛よ、此度の会戦、天下分け目の大合戦よ。

武田か織田か、勝った方が日ノ本の頂に昇り、負けた側は滅亡の危機に瀕す」

 


真剣な面持ちであるが、不満ありげな顔だよな喜兵衛よ。

言いたい事はわかっておる。が、大事なことだ。

 


「・・・お前は勝頼様の旗本衆。万一、もし万一武田が敗れる事あらば、何としても勝頼様を逃がして甲斐へお連れせィ。そして」

 


喜兵衛の険しい表情に、告げる。

 


「決して死ぬな。お前は何としても生き抜けィ。生きて、真田を頼む」

 


源太が喜兵衛に渡した書状には、真田家次代継承権の仔細が綴ってある。

源太は嫡流、なれど其の子・与右衛門らは今だ幼少。病弱でもある。

武田が危機に瀕して後、とても真田を背負っていけぬ。

三弟・喜兵衛尉昌幸に後事を託すと決めたのだ。いわば源太の遺書である。

 


「・・・らしくありませんな、兄上」

 


憎まれ口よな喜兵衛尉。

我とも兵部(次兄・昌輝)とも異なる、その怜悧なる頭脳と胸の内に秘めし熱情を以て真田を守り、この戦国乱世に、生き抜くが能う男と見込んだ。

 


受け取る喜兵衛は眉間に複雑なる感情の坩堝を覗かせるも、あえて言わず、代わりにフッと笑ってみせた。

「・・・勝ちましょうぞ」

 


「無論、勝ちに参らむ」

 

 

 

いざ、決戦に臨む。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 


合戦とあらば、必勝を期す。

 


馬場、山県はじめ各虎将ら、至急に軍議を重ね必勝の策略を練りに練らむ。

 


「・・・織田徳川は設楽ヶ原に布陣。これは会戦の構えと見るか、はたまた城への後詰(ごづめ)か牽制か」

 


「物資・材木の運搬量が多い。砦を築きて長期戦の構えにも見ゆるが」

「方々の斥候(スパイ)より織田方の将兵、並々ならぬ数の鉄砲を揃えむと聞く。その数少なくとも、七,八百丁」

 


尋常ではない。

 


「やはり織田方に野戦の準備は無い。

長篠城包囲の我らを遠巻きに二重包囲し、数多の砦から鉄砲で射掛ける包囲戦の構えかな。」

 

 

 

単純に計ればそうなるが、しかし、源太は腑に落ちぬ。

悠長に包囲を構える織田徳川に、奇襲で野戦を仕掛ければ利は我らにあるが、そう安直な構えで待つかよ・・・?

これは何か、仕掛けて来よう。

 


「・・・斯くの如く、我らが予想し野戦を仕掛けむと欲す所まで、織田徳川は読んでいよう」

百戦錬磨の老将・馬場美濃が断ず。

 


諸将も長年の戦場での経験から、ただ事でないと察しておる。

 


将・山県が大見得を切る。

「敵は我らに野戦を仕掛けさしむ。

・・・そして野戦に臨んだ我らを撃滅する必殺の策が、ある」

 

 

 

ゴ、ゴクリ。

諸将、固唾を呑む。

 

 

 

すなわち、

 

 

 

「・・・鉄砲か」

 


ボソリ呟くは三代目小山田出羽守。

宿老方も皆、頷いておる。

 

 

 

歴戦の武田騎馬隊が勇将どもは、更にその先へ軍略を深める。

 


「今一つ、砦を築くが如き大量の物資材木は、如何。」

 


「・・・砦に非ず、馬防柵よ。」

 


「設楽ヶ原に柵をこさえて、野戦装備の我らを足止め、数多の鉄砲で撃滅す策ッ!」

 

 

 

なるほど妙計なりヤン。

 

 

 

「ならば此度は、城攻めに候。」

名将・内藤修理が、言う。

 


「・・・?」

跡部尾張守は若衆の筆頭、疑問を呈す。

「数多の柵を想定すれど、城攻めの支度とは、大仰ではないかッ!?」

 


「・・・設楽ヶ原の、地勢に有り。」

応える原隼人正(はやとのかみ)は、合戦場の地図を広げる。

 


設楽ヶ原と申すれど、平野は続かず、随所に流れる川と丘陵地が織り成す複雑な地形。

「野戦場に巧妙な要塞をこしらえ候はば、これを破るに足るは、城攻め武装ッ」

 


僅かな情報から着実に明察し、思惑を計り意図を組み上げ、熟練・武田騎馬隊の諸将は織田方の計略を斯くも見破った。

 


御一同、軍議も佳境。

 


煙管(キセル)を吹かして、将・山県が洞察す。

「敵方は我らを逃がさず、着実に野戦へ引きずり出さねばならぬ。

・・・今夜あたり、背を突きに来るワイ」

 


バンッ!!

馬場美濃守、床机をブチ叩く。

 


「看破せりッ!!」

 

 

 

敵の思惑を逆手に取り、罠に飛び込むフリで騙すも対策は万全。

徹底的ゴリ押しにてブチ破らむ。

 


諸将、一斉に起立召し、総大将・大膳大夫勝頼を見やりて頭を垂れた。

 


勝頼が雄々しく号す。

 


「いざ、出陣ィッ!!!」

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~ ~~~~~

 


迅速なる対応よ。

 


至急決戦準備を整えた武田軍は、長篠城の包囲を解き、即座に設楽ヶ原へ進軍した。

 


騎馬の大部隊、闇夜に乗じて一斉に駆け抜ける。

 

 

 

 


「伝令~~!背後の鳶ヶ巣(とびがす)山砦、徳川軍の奇襲を受けており申す!!」

 

 

 

(・・・やはり来たかよ)

 


将・山県の読み通りである。

 

 

 

しかし既に、もぬけの殻。

 


敵方の計略、早くも一手崩れたり。

決戦前夜に兵を分散させた失策、本戦に響くは必定(ひつじょう)!

 

 

 

・・・この戦況、どこか似ておる。

 


源太は遥か昔、若き日に駆けた川中島の戦場を懐かしむ。

 

 

 

 


「キツツキ戦法、破れたり。」

 

 

 

いざ朝靄(あさもや)の霧晴れて、敵の眼前に奇襲を成さむ。

 

 

 

 

 

 

 


~~~~~~~~~~~~

 


朝靄(あさもや)の霧掛かむ戦場に、武田と織田徳川、両軍が向かい合う。

 

 

 

 


「・・・すわ掛かれィチ」

 


静かに軍配を下ろしたる前線の将は、真田源太左衛門。

 

 

 

ブゥゥウウウオオオ~~~~ン

 


ドンッドンッドドドドドド

 


法螺貝が響き、太鼓を打ち鳴らさむ。

 

 

 

ここに天下分け目の大合戦、

長篠・設楽ヶ原合戦が開幕した。

 

 

 

 

 

 

 


「騎馬、降りよィィーーーッ!!!」

 


大号令が掛かり、全員、下馬した!

 

 

 

武田騎馬隊は徒歩兵と化し、背から一斉に珍妙な盾をズラリと並べる。

緑一色に染まる陣容。

 


「モゥゥウウウ~~~!!!」

 


駆け出した!!

猛烈なる突撃である。

 

 

 

ドドドド地響きが鳴り、怒声が響く!

 

 

 

 


城柵の向こう側、織田鉄砲衆は想定より早い襲撃に浮き足立つが、さすがに指揮官は冷静である。

 


「十分に引き付けよォォーーーッイ!!!」

 


二,三百丁は並ぶか。

地の起伏に沿う巧妙な城柵はもはやお堀の如し、一面にズラリと火縄銃を構える。

 

 

 

 


霧の中から、大音声(だいおんじょう)と共に突撃せむ武田軍先鋒が現れた。

 

 

 

「引き付けたり、撃て撃てィィーーーッ!!!」

 


パーン!

パンパーン、ズドンパンズンパパパ!

 

 

 

一斉に火を噴くは、鉄砲衆!!

 

 

 

武田軍先鋒隊に鉛玉の雨が注ぐ。

 

 

 

しかし、効かぬ!

 

 

 

パンパーンと響く銃声、炸裂せむが、突撃は止まらない。

 

 

 

武田方が構える緑の盾だ。

 

 

 

玉を、弾いている。

 

 

 

 

 

 

これは竹把(たけたば)。

 


文字通り竹を十数本まとめて縄で束ねた此の盾は、軽く、しなる。

 


(二十数年前、最新兵器・鉄砲の伝来にイチ早く情報収集せし戦国大名こそ、武田信玄

領内の兵器開発アカデミアにて徹底研究せしめ、米倉丹後守なる研究者がこの最強効率の対鉄砲戦防具を開発した)

 

 

 

従来の木盾では防げぬ弾丸も、竹が相互に衝撃を分散して受け流し、跳弾せしむ。

 

 

 

この竹把を立て掛けズラリと並べし柵を竹把牛(うし)、其の土台を車輪で走らすを竹把牛車(ぎゅうしゃ)と呼んだ。

 

 

 

 

 

 

 


大軍勢が数十の小分けに固まり正面、側面、頭上を悉(ことごと)く竹把牛にて覆い尽くす。

 


緑牛の群れは鉄砲弾を物とも受けず、突き進む!!

 

 

 

・・・さながら武田騎馬隊ならぬ、武田牛軍団よ。

 

 

 

 

 

 

「ギュウ(牛)ゥゥウウウーーーッ!!!」

 

 

 

パパパーーン!!ズドン

集中砲火を受けるも、効かぬッ!!

 

 

 

「にじり寄せィィーーーッ!!!」

 


一気呵成に馬防柵の足元まで詰め寄る。

 

 

 

 


「一番槍ィィィチッィイ!!!」

 


勇猛果敢なるツワモノ高らかに叫び、竹面より飛び上がる。

剛力を以て馬防柵を薙ぎ倒し、敵兵の喉元に一撃ブチ込んだ!が、

 


パーン!

 


脳天を鉛玉にブチ抜かれ、犠牲者となる。

 


しかし無駄死にではない!

 


柵の倒れた隙間より後続の兵らが次々と雪崩れ込み、鉄砲衆を斬り伏せる。

 

 

 

・・・崩れたり。

 

 

 

乱戦となれば鉄砲は撃てぬ(味方の同士討ちが不可避の為)、続々と武田兵に討ち取られる。

 

 

 

右翼左翼中央、至る所で柵が破られ、精強武田の槍働きに蹴散らさるるは、織田徳川。

 

 

 

 

 

 

 


「・・・一の柵、取ったり」

 


先駆けの将として竹把牛の一角を率いる源太左衛門は、丘陵の防柵を足蹴に倒し、勝鬨響く戦場を見渡す。

 

 

 

開戦一刻も経たずして、武田方が前線にて快勝を飾った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 

ズドドドドン!

パパパーン!パンパン

 

 

 

「さすがに・・・火力が違う!」

 

 

 

一段目の馬防柵を突破した武田軍主力は、さらに設楽ヶ原を攻め上がり、織田徳川第二の柵へ立ち向かう。

 

 

 

次第に霧が晴れて明らかになる戦場の全貌。

 

 

 

「御報告~~!!」

伝令兵が帷幕に駆け込む。

 


後方の武田軍本陣に堂々鎮座すは、

武田大膳大夫勝頼。

 


旗本衆を務む武藤喜兵衛尉も此処に居た。

(後の安房守昌幸である。)

 

 

 

軍机に地図を広げる。

 


「・・・連吾川を掘、茶臼山を本丸に見立てて丘陵に防柵を固め設楽ヶ原に出丸を築く様、野戦陣形の範疇を超えており申す!

さしずめ言うなれば“設楽ヶ原城”!」

 


想定を超える大規模陣営に、若干の動揺も走る。

 


一方で、

「城攻めの備えをしていて、良かった!さすがに宿老方々、よくぞ読まれたものよ」

跡部尾張守は感心す。

 

 

 

 


・・・楽観だろう。

想定を遥か凌駕する構え、さらに何を仕掛けてくるか、織田方の手の内はまだわからぬ。

 


喜兵衛は険しい表情で地形図を睨む。

 

 

 

 

 

 

前線は、膠着していた。

 


「こいつぁ柵なんぞに非ず、さながら二ノ丸城壁よ…!」

 


足元はバシャバシャと川が流れ、土居の斜面に築かれた防柵は見上げる程に、高く居並ぶ。

 


鉄砲玉が絶えず降り注ぎ、三,四百は構えていようか。

(一の柵より生き延びた兵も、合わさる様子。)

 

 

 

 


さすがに攻め難し第二の柵、城の二ノ丸とは言い得て妙よ。

 

 

 

「活路を拓くに、きっかけが要る…!」

 

 

 

前線の竹把牛車内、必死に耐える将兵らに、中軍の知将・土屋右衛門が応えた。

 

 

 

「こっちにも鉄砲はあるんだよ!」

 


川べりの竹把牛より、火縄銃がズラリと並ぶ。

 


「牛鉄砲、ッテーーーイ!!!」

 

 

 

ズドドドドン!!

 

 

 

さらに同時、右翼軍より怒声が響く。

「小山田くん、投石を始めィィーーーッ!!!」

 


強肩・小山田兵ら石ツブテを一斉投擲し、城攻め武装・投石車より大岩が放たれる。

 

 

 

グシャガシャ!!

 

 

 

織田鉄砲衆は眼下の獰猛なる緑牛らに集中せしところ、思わぬ遠距離から一斉射撃に晒される。

 


「あっ!」

 

 

 

一瞬の、隙が生じた。

 

 

 

「今ゾイ!駆け昇れィイイ!!!」

 

 

 

猛将・真田兵部丞(ひょうぶのじょう)昌輝、飛び出して土居の斜面を駆け昇る。

 


けたたましき怒声を上げながら、次々と兵らが続く!

腕ずくに馬防柵を薙ぎ倒し、槍を突き込んで守りを崩した。

 


いける。

 

 

 

「二の柵、崩せィ!!イケァアーーーッ!!!」

 


大乱戦よ、武田兵らは続々と城柵に雪崩れ込む。

 

 

 

 


パン!!

 

 

 

真田兵部の右頬に、鎧の破片と血飛沫が舞った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 


「兵部ッ!!!」

 


源太が叫ぶが、真田の次兄・兵部昌輝は、何のこれしき。

 


「グゥウ何の、肩をカスめただけよ、兄者ッ!!」

 

 

 

ほっ、源太は安堵すが、戦況は予断を許さぬ。

 

 

 

 


柵の破られるや、鉄砲隊は手際良く退却してゆく。

 


・・・学んでおるワイ。

さすがに賢なる哉、織田徳川連合軍。

 

 

 

入れ替わりに立ちはだかる槍衾(やりぶすま)は徳川勢、白兵戦にて待ち構える。

 

 

 

今度は一方的とはいかぬ、丘の上で両軍凄絶に斬り結び、混戦と化す。

 

 

 

 


鉄と血の飛沫舞うこの有り様こそ戦場よ。

 

 

 

 


グワヌシャア!!

 


精強武田兵が次々ブチ倒される一円がある。

 


あの猛将、ドデカイ鹿角の鎧兜は、剛勇東国一・本多平八郎忠勝かッ!

 


二ノ丸城柵ともなれば、こんな大物も繰り出でて来よう。

 

 

 

 


前線に突出せし真田兵部に、本多平八が襲い掛かる。

 


「シャラクサイ!!!」

 


兵部とて豪傑、槍を奮いて撃ち返す。

 


が、右肩の銃傷を庇って明らかに、押されておる。

 

 

 

「いかんッ!」

 


源太が駆け出すも、兵部との間にワラワラ立ち塞がるは本多隊の将兵ども。

 

 

 

「押し通るッ!!」

 

 

 

真田源太左衛門。

 


稀代の名将なれど、無双の大武辺者でもあり。

 


ずっしり肩に担ぐは、三尺三寸の大陣太刀・青江貞次。(国宝)

 

 

 

徳川兵の固まりに突っ込み、鞘ごとブチ叩いて雑兵をケ散らしたッ!!

(身の丈程巨大な日本刀、片手で振り回す様ダイゴロン刀の如し。)

 


ギラリ抜刀し、一閃!

 


骨ごと叩き断ち、兵五名をひと撫ぎに斬り伏せる。

 


敵陣一気に斬り込んで、弟・兵部を救うべく駆けつける源太は本多の鹿兜に渾身で、斬り掛かる。

 


「エイヤッ!!」

 


不意を突かれるも咄嗟に翻す本多平八、槍と太刀とが撃ち合った。

 

 

 

 


ガギィィィン!!!

 

 

 

 


・・・なんつぅ豪力なりヤン、腕が痺れたッ!!

 


源太は仰け反るが、しかし、あちらも痺れて後退りおる。

 

 

 

 


「・・・良き敵と見たり。

蜻蛉切(とんぼきり)よ、唸れィ!!!」

 


「いざヤッ!!!」

 

 

 

源太左衛門と本多忠勝、白熱互角に斬り結び、撃ち合うこと十合。

 

 

 

「さすがに手強いッ…!」

 


双方全力の一騎討ちは、凄絶ッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方で戦況は、武田に勢いづく。

 


真田、原、内藤ら中央主力の突撃を機に、馬場美濃の右翼、将・山県ら左翼、両軍も攻め上がる。

 


二ノ丸城柵、破れたり。

 


武田の大軍は圧倒的に、丘へ続々と雪崩れ込んだ。

 

 

 

 

 

 

本多平八も、一軍の将。

 

 

 

「・・・潮時よ、退けィ!退けィィーーーイ!!」

戦況をわきまえ、引き際も鮮やかなり。

 

 

 

 


「深追い無用ォォーーーッイ!!」

 


源太左衛門も、一軍の将。

 

 

 

勝負は預け、今は軍容を整えるべし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


時刻は、昼に近づく。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 


いよいよ残すは本丸のみ。

 


霧は完全に晴れた。

眼前に、茶臼山の織田本陣を臨む。

 


「二の柵で思いの外、時を浪したワイ」

「日が中天に昇(午後にな)れば、後方の徳川別働隊が迫り、我ら挟み撃ちに陥ろう。」

 


そう長時間は掛けられぬ、このまま一気に敵本陣を突き崩し、城攻めを完遂せむ。

 


「本丸の防備は、最大抵抗となろうよ。各々方、御覚悟召されィ」

 


いよいよ、総攻めである。

 

 

 

 


茶臼山の斜面に沿い、防柵がズラリと並ぶ。

なるほど一筋縄ではいかぬ。

が、決戦である。

 

 

 

武田軍全軍奮い立ちて、総攻めを掛ける。

 


「いざ、攻め寄せィィーーーッ!!!」

 


山合いの足元までにじり寄るが鉄砲衆、射掛けては来ぬ。

最大限引き付けるまで待っておるというか・・・

 


源太は、備えを号す。

 


「竹把牛ッ!!」

 


「モゥゥウウウーーーッ!!!」

 

 

 

 


二度に及ぶ突撃で竹把にも損耗や有り、耐久力は最後の限界となろう。

 

 

 

 


源太は、周囲を見回す。

 


武田軍が押し寄せる本丸、

正面には山、左右も遠巻きに小高い丘に囲まれておる。

林が居並び、見通しは効かぬ。

背後から今も続々と味方の大軍が押し寄せている。

 


(・・・死地、なり。)

 


伏兵を突かせるには格好の様、城攻め故に押し寄せたるが裏目に出るわ。

 


が、有り得ぬ。

鉄砲戦では乱戦が出来ない。

 


精強武田の全軍が集結する場へ伏勢を出しても、鉄砲が封じ不利を被るは敵方。

 


二の柵までに敵方も消耗し鉄砲の残りはせいぜい四,五数百、分散もさせられぬ。

 


正面にズラリ、本丸城柵より撃ち下ろす。

 


これを総力で落とす!其れのみ集中すれば良い。

 


・・・だがこの悪寒は、何だ!?

 


(武人の感性が、殺気を感じておるのか?)

 


注意深く周囲に目を配る源太。

 

 

 

 


前線の将・原隼人、内藤修理らも、源太と同じ直感を得る。

 


「・・・左右の林にも警戒せィ」

 


「陣を崩すなッ!!慎重に、にじれィ」

 

 

 

 

 

 

 


と、

(パサッ!)

 


金ピカの、光か?

山間の林から遠目に、旗印の上がるが見えた。

 


(ゾクゥ!何の合図かッ!?)

 


総攻めの喧騒の最中、味方は誰も気づいておらぬ。

 

 

 

次の瞬間、山合いの柵、丘陵の林、上下左右ありとあらゆる狭間から一斉に、鉄(クロガネ)の銃口がギラリと並んだ。

 


想像を絶する物量。

 


源太は一瞬、思考が追いつかぬ。

 

 

 

 


本能であった。

 

 

 

「伏せェェーーーッイ!!」

 

 

 

凄まじき爆裂の大轟音、設楽ヶ原より数里先まで響き渡った。

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 

・・・何も見えない、黒い灰煙の中にいる。

 


無音、何も聞こえぬ。

 


地べたに倒れているのか?

眼が開かない、視界が霞んで、

 


グゥウウ身体のあちこち、燃えるように熱いワイ。

 


鉄と血の焼ける如きと火薬の臭いが、強烈に漂う。

 

 

 

 


・・・キィィィイイイン

 


耳鳴りが頭に響いて、立ち上がろうとするが、フラつく。

 


やがて硝煙薄まる中で、周りの将兵ども悉(ことごと)く倒れているのを見た。

 


お味方、壊滅している。

 

 

 

(一体何がッ)

 


何十何百の兵ら具足の砕け、背には無数の穴から煙が上がっておる。

 

 

 

想定遥かに凌駕する集中砲火の破壊力に竹把はものの役にも立たぬ、縄が焼き千切れて竹が割れ四散している。

 

 

 

ちらほら立ち上がる味方も見えるが、みな満身創痍の有り様。

 

 

 

胴に無数の穴を空け、弟・兵部が倒れていた。

 

 

 

「・・・兵部ッ」

 

 

 

源太は近寄り、膝から崩れ落ちてしまう。

 

 

 

眼を開きかけ、まだ息がある。

 

 

 

 

 

 

 


「・・・次弾装填、よろしいィィーーーッ!!!」

 


まだ朧げな耳に遠く敵方の声が聞こえた。

 

 

 

 


いかんッ!

 

 

 

 


咄嗟に源太左衛門は、弟・兵部の身体に覆い被さったのだ。

 

 

 

「ッティィーーーッ!!!」

 

 

 

二千数百丁から成る銃弾の一斉砲火が、瀕死の武田精兵皆殺さむとトドメに襲う。

 

 

 

 

 

 

 


~~~~~~~~~~~~

 


ケタタましき轟音、尋常ではない。

 


間を空けて数回、遠く決戦場から響いた砲火音。

 


武田本陣に動揺が走る。

 


みな床几から立ち上がり遥か茶臼山の方角を臨む。

平素冷静なる喜兵衛もさすがに、隠せない。

 

 

 

 

 

 

総大将・勝頼は、落ち着いている。

しかしその眼に生気はなく、決定的な戦況を悟っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、織田本陣。

 


眼下の惨状を見下ろす弾正忠信長の面持ちは、どんな表情だよこれは、全く読み取れぬ。

 


軍師参謀は、明智日向守光秀。

しゃしゃり出て満足気に語る。

 


「上様はこの設楽ヶ原にて、見事再現成され申した。チェリノーラの合戦にござる!」(※1)

 


(※1.チェリノーラの戦い  1503年

第二次イタリア戦役においてスペイン王国のゴンサロ・フェルナンデス将軍は、①大規模な野戦築城と②射撃兵器の集中砲火を組み合わせ、フランス軍を徹底殲滅した。いずれも当時の日ノ本に例のない、革新戦術である。)

 


南蛮の伴天連(パードレ)らを軍事顧問に迎えし織田家参謀部では、これが野戦史の常識を一挙に塗り替えたと十分に認識していた。

 

 

 

 


「・・・後は、手筈通りに」

 


ヌッと現れた羽柴筑前守秀吉は、人心制御術の天才。

 


此度、鉄砲殲滅戦法と設楽ヶ原城普請を立案計画せし明智に対し、武田方の心理的要因を巧みに操り死地へ誘い込んだ立役者は羽柴である。

 


傑出したこの両将軍こそ織田家の要(かなめ)、天下一統の覇業を担う強敵である。

 


武田は、この二将に敗れたと言って良い。

 

 

 

 


斯くして武田は、壊滅した。

 


これより追撃戦に入る。

 

 

 

 

 

 

 


~~~~~~~~~~~~

 


決定的に、壊滅している。

 


死屍累々の有り様に、もはや戦闘集団としての機能はない。

 

 

 

 


源太左衛門は、生きていた。

 

 

 

血がドボドボと焼け流れ、背の弾痕は腰肩まで貫通するも強靭な身体は、まだ動く。

 


弟・兵部の盾となったのだ。

 


しかし兵部は、助からなかった。

 


「・・・兄者、お家のことを」

 


「案ずるなよ。喜兵衛が守ってくれるさ」

 

 

 

(貴殿の兄でおれて、果報であったゾイ。先に、逝けィ)

 


涙を拭う。

弟の最期を看取り、立ち上がる。

 


瀕死の重傷を負いながら、将として最期の責務を果たさんと踏ん張る。

 

 

「殿ォ!!」

 


軽傷の兵らが駆け寄りて、源太の肩を支えた。

 

「合いすまぬ、」 

 

十数人の敗残兵が源太を囲み、 陣を布く。

 

「・・・来るか」

 

 

 ドドドドドドドドド!!!

 

武田主力軍を壊滅させた織田徳川軍、死屍累々の前線を見るや、一気に進軍を開始した。

源太は、死に花を咲かさんと大陣太刀・青江貞次を構える。

 

もう目が霞んで、よく見えぬ。

 

 

 

「・・・・・・・。」

 

 

なんだ?

左右遥かに林の中を怒涛に駆け抜ける軍勢はある、だが源太がいるこの硝煙漂う主戦場には、織田徳川兵は、誰も来ない。

 

(・・・まさか)

 

源太は察した。

 

もはや大勢は決し主戦場の武田兵は死屍累々。

捨て置いてしまえ。

 

普通雑兵は敗残兵の追い首を狙うが、これを見ると彼奴ら、厳に禁じられている。

 

織田信長の狙いは一つ、武田勝頼の首のみ。

信長は、この戦で武田を滅ぼすつもりだ。

 

 

 源太は背を振り返り、声にもならぬ叫びを発した。

 

(・・・喜兵衛ッ!!)

 


今すぐ退けィィ!!!

 

 

 


~~~~~~~~~~~~

 


「原隼人正様、御討ち死にィィ~~~!!」

 


「内藤修理殿、土屋右衛門殿、お討ち死に召されィィーーーッ!!!」

 


続々と届く急報に、武田本陣は混乱を極める。

 


「将・山県昌景様、お討ち死ニィッ!!」

 


信じられぬ、武田騎馬軍譜代の将ら次々と戦死の報、膝から崩れ落ちる者もあり、方々絶望が色濃く降る。

 

 

 

「真田源太左衛門・兵部丞殿、御両名、お討ち死召されィィーーーッ!!」

 

 

 

喜兵衛は、茫然と立ち尽くす。

 


心臓がスーーッと失し、

 


「・・・ぅ、ぅぐう!!」

 


感情だ、押し殺すも止め処なく湧き溢れて留まらぬ、喜兵衛は天を仰いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何も聞こえず、何も見えず、長い時間が経ったように感じる。

 

 

 

兄らの声が、頭に響いた。

 

 

 

(・・・武田を支え、真田を守れィ)

 


(喜兵衛よ・・・真田を、頼む)

 

 

 

 


涙を拭い頰を両手でブチ叩き、向き直って叫んだ。

 

 

 

「御屋形様ァ!! 

 ・・・直ちに撤退を」

 

 

 が、勝頼は是としない。

「我が愚昧ゆえ、この惨敗を招いたのだ。

父上がお遺しになった勇将兵らを捨てて逃げられぬ。

・・・幸い、親戚衆はいち早く逃げた。誰ぞ武田を継いでくれよう。

我は最期まで、敗将の責務を果たさん」

 

喜兵衛はブチギレた。

 

「否やッ!!

勝頼様が、生き残らずして武田は!

先に逝った将士らの死を無駄になさるおつもりか。

生きて甲斐へ戻るのです。

勝頼様が、武田の御屋形なのですぞ!」

 

平素冷静なる喜兵衛の激昂に、勝頼は怯むが、しかし迷いは消えぬ。

 

 

 

そこへ硝煙に黒ずむ一介の騎馬武者が駆け込んだ。

 


馬場美濃守信春である。

 


「退けィ!退かんかイッ、四郎坊(ボン)ッ!!」

 


駆け崩れる老将・馬場美濃、

幼少の時分より見守りし四郎勝頼を叱責す。

 


「・・・ジィよ、我に御屋形の資格なし。これ程の敗戦を招き、武田の猛虎らを…」

 


ズンと駆け寄る馬場美濃が、勝頼をブチ殴る。

 


「馬鹿者ンァアアアーーッ!!!」

 


たまらず旗本衆、馬場美濃を抑えむと駆け込むが、勝頼が制した。

 


「・・・父上を超えると言ったな。

先代信玄公もワヌシくらいの歳の頃、惨敗を喫し将兵を死なせた」

 


上田原の戦いである。

常勝不敗の武田信玄も、若き頃には失策のため父の如く慕う板垣駿河守、甘利備前守両将はじめ数多の将兵を死なせたものよ。

 


「耐え難き重責よ、戦国大名とはな。それを背負い、乗り越え、人智を超えて、貴殿の父君は御屋形と成られた」

 

 

 勝頼の死に場所は、ここではない。

 


「父を超えんと欲するならば、貴殿の戦場は其の後背にあり」

 

馬場美濃は軍配を掲げ、勝頼の背の向こうを差した。

 

 

「・・・ジィ、御遺訓しかと心得た。

武田の御屋形として、泥水を啜っても生き残り、必ずや御家を再興せん!」

 

 武田大膳大夫勝頼。

 

無二の忠臣に今生の別れを告げて、今、武田の御屋形として戦場を後にした。

 

 

(・・・退却戦は至難苛烈。

兄上、必ずや勝頼様を甲斐へ導きまする)

 

振り返り、遠く設楽ヶ原を見やって、喜兵衛は勝頼の傍らにあった。

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 


源太左衛門は最期の力を振り絞り、馬の背に座る。

 

 軽傷の兵のうち、健脚の者は皆逃がした。

 

「生きて、信濃へ帰るのだぞ」

 

 

最期まで付き従うは、北沢と白川の両家臣。

「おお、殿、武田本陣が、御屋形様が退いてゆかれます!」

 

硝煙の晴れた丘陵から彼方を見やって、大勢の決した戦場を俯瞰する。

両臣は源太の眼となった。

 

「・・・殿軍は馬場殿か、織田徳川を防いで通さぬ有り様。

其の凄絶なる死に様、見事でござる」

 

 

 

 おお、勝頼様は、これで無事に戦場より退かれよう。

 

「・・・喜兵衛よ、武田を・・・真田を、頼む」

 

 

 

真田源太左衛門尉信綱、逝去。

享年三十九であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


六文銭「硝煙設楽ヶ原」、了

 

 

 

 

 

 

『源太左衛門~真田六文戦記~』

~完~

 

 

 

 

 

 

※この物語はフィクションです。

※一部、設定が史実の通説と異なる場 合があります。ご了承ください。

 


【参考文献】

甲陽軍鑑』、『真田家譜』、『仙台真田代々記』、『信綱寺殿御事蹟稿』、『高白斎記』、『甲斐国志』、『当代記』、『伊能文書』、『越後野志』、『上杉家文書』、『上越市史』、『松平記』、『三河風土記』、『北条五代記』、『信長公記