『源太左衛門~真田六文戦記~』第四文銭:寒風三方ヶ原

 

 

 

 

 

 

 

山が動いた!

 


其の動かざること山の如し、幾十数年にわたり不動明王の如く日ノ本中央(フォッサマグナ地帯)に堂々鎮座せし武田大膳大夫信玄入道は、元亀三年九月、遂に、上洛の大兵を起こした!

すなわち全戦力を以って京都を征圧し、統治・君臨して天下を掌中に収めんと決起したのである。


その数、三万二千。

武田領国内最大の動員兵力、総力戦の構えである。

 


天下獲りの野望に燃える戦国最強・武田騎馬軍団の先鋒に、源太率いる真田一門が先駆けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


~~~~~~~~~~~~

 

 

 「三日で、陥とせィィッ!!」

 

軍配を掲げ指揮を執るは、大将・真田源太左衛門。


風格がある。


絶景の城攻め本陣に仁王立ち、堂々と指揮官の任を果たしていた。


もはや遮二無二騎馬武者を超え、智略駆使する軍師官も超え、ひとつの軍団を束ねる、大将の器である。

 

 

 

徳川方の支城・田峯城は四方を真田軍団に包囲され、怒涛の攻勢を受けていた。


さて攻め手より、大音声(だいおんじょう)の咆哮が響く。

 

「真田兵部丞ォォーーーッ!!敵将、討ち取ったりッ!!!」

 

 

真田の次弟、兵部丞昌輝は、武勇の将。


豪傑無双の槍働きにて、敵将を次々と討ち甚だ活躍しておる。

 

 

 


ブオォォオオオン・・・・

 

地鳴り。

 

重い轟音に大気が震えたかと思うと、城の内より火の手が上がった。

 

 

真田の三弟、武藤喜兵衛尉は、智略の将。
(後の安房守昌幸である。)

 

用意周到なる奇策を用いて、城方の兵糧庫を火攻めに陥とした。

 

 

 


長兄・源太左衛門は、本陣より軍配を振り下ろす。

 

「すわ、掛かれィィーーーッチ!!!」

 

機は熟したり。総攻めである。

 

 

 

 

 

・・・斯くの如く、徳川方の支城は次々と武田軍により陥落していた。

真田一門もまたひとつ、城を攻め落とし武勲を上げる。
 (通常一ヵ月はかかる城攻めだが、三日で攻め落とす!)

 

 

今川を滅ぼし、上杉を封じ、北条を軍門に下し。
周りを敵国に囲まれながらも並み居る強豪悉くを破り又抑えし此の妙は、信玄公の神懸かり的軍略の巧。

 

而して万全の体勢を整えし武田軍団は、遂に、天下獲りへの好機と見た。
一路京を目指してまずは三河遠江の徳川領へと雪崩れ込む。

 


連戦連勝、破竹の勢いで侵掠せしめ、まもなく徳川を破るだろう。
その先に待つ織田を潰せば、もはや京都は目前である。

 

 

 


源太は確信している。

(・・・神仙の域に達せし御屋形様の軍略、其の王道鎮護の大望成るは、今ぞィ!)

 

 

武田信玄の天下掌握は、まさに時間の問題であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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徳川家康は、若干二十九歳。
新進気鋭の弱輩者である。

 

父祖伝来の地を取り戻し、三河遠江を治む大名家と相成って数年。

 


此の度、最大の危機を迎えている。

 

 

 

 

 

 

家康はじめ徳川本軍は、本拠・浜松城に結集していた。
総勢八千。

 


・・・今まさに、この瞬間、お味方の血が流れ、城が焼かれている。

 


だが徳川軍八千に対し武田は三万、いざ会戦となれば壊滅の危機である。
領内各支城への救援には、大変な慎重さが求められた。

 

 

希望は、ある。


一蓮托生の同盟国・織田信長の大軍を待つのだ。


しかし・・・

 

 

「信長の援軍、一向に来んではないかァーーッ!!」
徳川四天王が一角・本多平八郎忠勝は、武勇の将。


「これ以上待てぬ!二俣城のお味方、いざ御助けに参ろうぞ!!」

鎧甲冑を身につけ、大槍を片手にて、今にも飛び出さんとの勢いはまさに三河武士の激情。

 


「・・・二俣城は確かに、浜松城の生命線。かの支城失わば高天神、掛川城との連絡路を断たれ、いよいよ窮地に陥るぞ」
徳川四天王が一角・榊原小平太康政は、智略の将。

 

「決して会戦は避けるべし!だが二俣城への救援に専心するならば、敵と当たらぬよう天龍川沿いを迂回する手はある。」

 

 

「よしっ!・・・これ以上お味方、見殺しにできぬッ!」

 

家康は一念発起した。

勇んで討ち出で、二俣城への救援に向かう。

 

 

 

 

・・・が、読まれていた。

 

 

 

 

武田軍先鋒隊は徳川方の予想遥かに上回る速度で進軍し、既に二俣城を越え天龍川まで至り、待ち伏せていた。

 

両軍は一言坂で激突!
望まぬ会戦と兵力負けに浮足立つ徳川勢、敵は『不死身の鬼美濃』と恐れらる老将・馬場信春である。

 

 

・・・惨敗であった。

 


家康は討死の危機にまで晒されるも、本多平八の決死奮戦に助けられ、命辛々逃げ帰る。
・・・二度目はあるまい。

 

 

以降、徳川軍はいよいよ浜松城から身動きが取れなくなった。


味方の城が、次々と陥落していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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十二月初め。

 


武田軍侵攻から既に三ヶ月。

織田信長の援軍、総勢三千がようやく三河国へ参じ、浜松城へ入った。

 


失望は大きい。


「さ、三千ばかり・・・我らと合わせて一万一千、どうやって武田軍三万と戦うのか!?」

 


「徳川殿、相すまぬ。」

 

織田軍監、平手監物が頭を下げる。

 

畿内にて三好三兄弟、松永弾正らが謀反を起こし、さらに足利将軍家と浅井・朝倉連合軍、本願寺一向宗までもが一斉に織田家へ反旗を翻しおった。
各方面どれも抑えが不可欠、織田家も今、窮地なのだ・・・」

 

 


徳川の智将・榊原小平太は、さすがに事態の異様さを察している。
武田信玄の策略か・・・斯くも遠大なる信長公への包囲網は!この絶好なる時機に一斉の蜂起、明らかに皆々武田と呼応しているとしか思えぬ」

 

織田方の智将・滝川左近も、然り。
「信玄の上洛軍、規模から察して三河侵攻だけで終わらぬ。織田領へ攻め入り、京都を獲られば天下掌握ぞ。あくまで信玄めの狙いは、畿内織田軍との決戦!」

 


織田家老・佐久間右衛門は、家康に弁明する。

「我が主は必ず、徳川家の皆様を御助けいたす。
今暫しお待ち頂ければ、二万の軍勢を捻出して、武田と決戦せむ!」

 


しかし苦節数ヵ月間、味方を幾多も見殺しに耐え忍んだは、ただ織田の援軍を待てばこそである。


この期に及んで更に待てとは、徳川の将兵は、不満を叫ばずにいられなかった。

 

「織田の援軍が来たれば直ぐに、お味方を助けに参るのではないのか!」
「今この時にもお味方幾百人もの血が流れ、城が焼かれておる!」

 


信長の命令はあくまで、本隊到着まで徳川軍に浜松城を固守せしむ旨。
佐久間右衛門はつい慌てて、配慮不足の言をこぼす。

「いや待たれよ、今暫し。信長公二万の軍勢が来るまで、出撃は断じてならぬ!」

上からの物言いだ。

 

「馬鹿な!これ以上待てぬ!」

「織田方は他人事と思いて、徳川の臣民を見殺しにすると言うかッ!?」

 

良くない空気である。

 

「聞き捨てならぬ!我ら窮地にもかかわらず、徳川に義理立てし助けに参ったのだぞ。感謝されるならともかく、斯様な言われ様、無礼千万ではないか!」
「我らが助けてやらねば、武田に嬲り殺されるを待つだけだろうがッ!」


こういう高慢なる織田方の態度が、まずい。

 

「我らを踏み台にして!信長めッ非情の御仁!!」
「これまで散々織田家に報いた恩情を、この仇返しかよッ!」
「徳川はァーーー!!織田の家来ではないッ!!」
日頃の不満が爆発した。

 


「もはや聞き捨てならぬ!ここで一戦交えんかッ!!」

 


軍議は、一触即発の険悪さを呈す。

 

「やめんかッ!!仲間内で争ってどうする!
・・・織田家の皆様、臣下共の非礼、心よりお詫び申し上げる。」

誰よりも家康が内心ブチギレているが、大名(おとな)である。


「いえ家康殿。徳川方の心中察せず、御無礼仕った。
されど我らとて決死の援軍、どうか押してお頼み申す。」

 

「有り難う。
いざ信長公の来たるまで、共に武田を喰い止めましょうぞ!」


上役同士で一旦、表面合意したが、下々の溝は浅からぬ。

 

このような有り様で最強・武田軍団を迎え撃つなど、心許なきこと限りなし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~


十二月末。


武田軍団は徳川方の支城悉くを血祭りに上げ、遠江国全土を征服。

いよいよ三河本領へ攻め入り、家康の本拠・浜松城まで攻め寄せる。

 


信玄本陣―。


「お呼びに御座りまするか。」

この男、三代目・小山田出羽守は、甲斐武田家の家臣ではない。
いわば同盟国的位置付けの領主で、鋭利冷徹狡猾な智略優れる大将だが、武田信玄という強烈なカリスマ性に心服して小山田一族を率い馳せ参じ、武田軍団の一翼を担う。

 

「おぬしの一手で、織田・徳川は詰みとなる」

信玄は自ら、この小山田出羽守に必殺の軍略を授けた。

 


源太左衛門は、どうも、この小山田が好きではない。

眼が卑しい、と思った。


鋭利な智略には一目置くモノがあるが、強きに媚びて弱きを蔑む、狡猾な眼をしていた。

が、ともかく、小山田出羽守は心より信玄の軍略に敬服している。
その点で源太とは同志であった。

 

 

 

決戦が、迫っている。

 

 

 

 

「小山田くん、投石を始めィィイイイーーーッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 


~~~~~~~~~~~~

 

「城攻めの兵は、およそ三百人ッ!石を投げております」

 


(・・・・!?)

 

 


ブルブルブルッ・・・!!
城の中枢にて金色の鎧兜を身に座すは、徳川家康
本能的に不気味さを感じ、身震いをした。

 

三万から成る攻城軍である。
ふつう先鋒五千とか、一万数千とか、そういうものでないか。

 


・・・たった三百人というのは、古今例がない。

 

 

表情の窺い知れぬ信玄公の不気味なる影が、家康の脳裏を掠める。

 


「お、おのれィ舐め腐りおって!!ワシの手勢で蹴散らしてくれんッ!」
激昂するは本多平八

 

「待て待てーーィ明らかな罠である!挑発に乗るでない!」
冷静なるは榊原小平太。

 

 


・・・籠城戦と決めている。

 

敵方三万二千に対し、お味方は一万弱。
野戦を挑んでは万に一つも勝ち目がない。

 

武田軍三万の猛攻撃を、この浜松城にて出来得る限りに喰い止めるのだ。
いずれ来たる織田本軍二万と合流できれば、勝機がある。

 

 

 

 

が、攻め手はたったの三百人。

 

(どういうつもりなのだ・・・!?)

 

 

 

 


そこへ伝令が駆け込んだ。


「ご注進~~!!

武田本軍、浜松を通過ッ!

我らが城を素通りして、既に京都方面へ進軍しているとの由ッ!」

 

「なにぃッ!?」

 

「「ざわざわがやがや・・・」」

軍議の場は、大いに騒めく。

 

家康の額に、冷や汗が流れた。

 

 


「素通りなど有り得ぬ、誤報ではないか?」

 

しかし続々と駆け付ける伝令兵は、皆揃って同じ報せ。

 

あるいは武田方の情報操作、罠か・・・

 

 

 


「ぐぅ~~~!シャラクサイ!!こうなれば、討ち出て真相を確かめる他あるまい!」
本多平八が机をブチ叩いて立ち上がる。


「落ち着けーーーィ!!踊らされ、逸って討ち出ては敵の思うツボよ!」
榊原小平太は、冷静である。

 

 

 

 


・・・ドクッ ドクッ(鼓動の音)

軍議の場は、極限的緊迫感に包まれる。

 

 

 

(・・・・・)

家康も平常心を保つべく、目を瞑り、必死に熟慮した。

 

 

 

が、蒼ざめた表情で冷や汗を垂らすは、織田方の滝川左近である。

「・・・家康殿、我が主君の窮地に御座る。直ちに出撃を!」

 


(・・・・?)

 


「も、もし報告が真実で、武田本軍が織田領へ向かっておれば、信長公の危機で御座るッ!」

 


(・・・はっ!)

 


「こちらへ向かう織田軍は二万、武田軍三万二千に急襲されては太刀打ち出来ぬッ!
直ちに救援せねば、信長公が危うい!」

 

織田方の将兵は気が気でない。

 

「今討ち出れば、追いつける!本軍と武田を挟み撃ちに出来るぞッ」

 


動揺が拡がっていく。

 

「しかし報せは、罠かもしれぬ!
城を出た途端に我らが包囲されるぞッ」

 

「だがまこと成らば、如何。
徳川殿はたった三百の石投げ如き恐れて、信長公を見殺しにするおつもりか!?」

 

 

 


家康は悟る。

 


(・・・これが狙いかァーーッ!)

 

 


先の北条との三増峠合戦でも、城攻めと見せ掛けて本軍を釘付けにし、その隙に神速で相模原方面軍を討ち破った信玄の策、必殺の王手飛車取りである。

 

今回も徳川方を浜松に釘付け、その隙に本命・織田信長を撃滅する策か!?
これが成れば、徳川は戦わずして敗れる。

 

しかし慌てて城を出て、武田が待ち伏せていたとなれば、飛んで火に入る夏の虫。

が、我らが討ち出れぬと読まれておれば、今頃信玄はとっくに三河を去りて・・・

 

 

(・・・もはや城に籠っても、城を討ち出ても、勝てぬ)

 

 


軍議は荒れていた、


「徳川殿ォーーッ!!信長公の、危機に御座るッ!!」

 

「落ち着かれよ!武田の罠に相違なし!籠城を貫く他なし!」

 

「では我ら織田兵だけでも討ち出でる!」

 

「この期に及んで兵を分散はできぬッ!」

 

 


ダンッ!!!


家康が、床机を立つ。

 


凄まじき形相である。

(・・・籠城では十分負ける。だが出撃なら五分で負けるも、五分で勝機が・・・)


危急存亡の焦燥と、若さも、あった。

覚悟を決める。

 

「いざ、討って出るッ!!!」

 

 

決断であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 


「すわ、掛かれィィーーーッチ!!!」

 

徳川・織田連合軍一万一千は、浜松城を出撃!

 

 

 

 

「退けィーーーッチ!!」

小山田投石隊の三百人は、石を投げながら逃亡していく。

 

 


自ら騎馬を駆ける家康は、
(やはり罠か・・・!?)
と、歯軋りをした。

 

敵は見通しの悪い林道へ逃げ込み、もはや、この先に敵が待つか、既に遠方へ去った後か、まるでわからぬ。

 

 


が、決断したのだ。


もはや賭けるのみである。

 

 

 

 

 


徳川軍は林道の坂を抜け、平野へ飛び出た。

 

 

見渡す限り広大なる、大草原。

 

三方ヶ原という。

 

 

 

この一面の野原に、十二月の、真冬の寒風が吹き抜ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドォォォオオオーーーーーーン

 

 

 

 

 

ドンドンドンドンドンドン・・・!!

 


武田信玄の本陣より、総攻めの陣太鼓が鳴り響いた。

 

 

 

 

 


ザザザザザザーーーッ

 

 


草ムラから続々と、伏兵どもが立ち上がる。


指物が一斉に翻り、鎧兜が鳴り騎馬が嘶(いなな)き、槍が聳(そび)えて平野を埋め尽くした。


武田軍三万二千、総攻めである。

 

 

 


「蹂躙せよィィーーーッ!!!」

 

「「ゾゾゾォォオオオオイイイ!!!!」


地上激震の大音声が響き、大気が震えた。

 

 

 

 

 

戦国最強・武田騎馬軍団の全戦力が、怒涛の勢いで、火に飛び込んだ虫ケラの如き徳川軍に襲い掛かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・が、徳川家康という男。

 

これは、大器の萌芽であった。

 

 


「怯むなァァーーーッ!!!押し返せィィイイイ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


~~~~~~~~~~~~~~

 

武田軍は徹底撃滅突攻陣形『魚鱗の陣🐟』にて、徳川軍にブチ当たる。

 


この絶望的状況に戦意喪失し、総崩れとなって逃げ出せば、それこそ皆殺しとなったであろう。


それを翻って熱烈に奮い立ち、反撃に決起したる家康と三河武士の魂魄。

 

 


魚鱗の一片を成す源太左衛門の胸にも、熱き滾りを感じさせた。

 


「・・・徳川家、見事ッ!

逃散せず迎え撃つ様、あな潔し!!」

 

賛辞を贈る。


「この上は堂々、正面より討ち破り、武門の誉れと葬らんッ!!」

 

武田魚鱗陣は方々へ突撃し、徳川は鶴翼の陣にて迎え撃つ。


其処彼処で勇ましき武士(もののふ)らが矛を撃ち合い、雑兵どもは槍を突き立て、騎馬が入り乱れ弓矢鉄砲飛び交い、血と鉄の飛沫(しぶき)が撒き散らむ。

 

 


大激戦である。

 

 

 

源太左衛門は、一軍の将。


騎馬より戦場を見渡している。

 

率いる真田軍団は左翼中段、前線の様子が俯瞰して眺めらる。

 

「・・・綻(ほころ)びや、有り。」


前線の徳川軍は非常に善戦しておるが、一角、押されている。

 

「鶴翼の右羽根、じき折れましょうぞ」


三弟・喜兵衛も察している。
(後の安房守昌幸である。)

 

織田方の隊だ。

 


決死奮戦の徳川勢に対し、明らかに士気が違う。
命惜しさに、浮足立っておる。

 


前線の将・馬場美濃守も即座に察す。
一気呵成に、これを突き崩した。

 

 

 

 

 

 

 


~~~~~~~~~~~~~~

 


開戦より二刻(およそ一時間)も経たず、織田勢が敗れると徳川軍全体が一気に崩れた。

 

元々三倍の兵力差、ここまで、よう持ち堪えたと言っていい。

 


「勝ったり」

 

武田方も察し、布陣を変える。
追撃、殲滅戦に移ろうという頃合いだ。

 

 

 

 

 

 


徳川方も、もはや此れまで、敗戦を悟った。

 

(・・・悔いなしッ!)


家康は腹を括った。

 

 


が、家臣らが近寄ってくる。

 


「殿ォ!もはや此れまで!どうか、お逃げくだされ!」

 

満身創痍、血にまみれ泥にまみれ、傷だらけの部下達が、己一人に逃げろと言う。

 

「馬鹿なッ!覚悟決めたり。共に武門の誉れと成らん!」

 

 


榊原小平太は平素冷静たる様に似合わず、戦塵にまみれ、激昂す。
「殿さえ生きておれば、徳川家再興は能う!この雪辱、死ぬ者達の志、無駄に成さるなッ!」

 

返り血まみれの本多平八は、豪快に笑う。
「地獄の道連れに、一人でも多く屠って来るワイ!・・・どうかその隙に、殿は生きて、お逃げを」

 


阿鼻叫喚の戦場にて、忠節厚き家臣ら一同、己が命を顧みず、生きよと背を押して居る。

 

「・・・お前たち」

 

 

 

一刻を争う。
「・・・御無礼。剥ぎ取れィ!!」

 

家康の金色に光る鎧兜を強引に剥ぎ取り、部下が身代わりと名乗る。

「我こそはァーーー!徳川・家康!!」

 


駿馬をこさえ、皆々背を押した。
「早よう、お逃げを!」

 

 

家康の目に、激情がこみ上げる。


「ハイヤァーーーッ!!!」

 

朋輩らを背に、逃げ駆けた。

 

 

必ず、生きて、浜松城に帰還せむ。
凄絶な覚悟であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


~~~~~~~~~~~~~~

 

「徳川・家康、此れに在りィィーーーッ!!」


「家康公、我が陣に居わす!決死、御守り通さん!!」


 「我こそはァーーッ!徳川・家康ッ!!!」

 

 

徳川軍、総崩れである。

 

なれど戦陣の方々(ほうぼう)から、家康此れに在りと轟声が響く。
逃散せず、皆、踏み留まる。

 


精強武田の各隊は、次々と徳川の残兵に襲い掛かった。

 


「エイヤァーーッ!」

金色の鎧を砕き、兜首を刎ね上げる。

徳川家康、討ち取ったり!!」

赤備え山県隊の兵が叫び、首を掲げた。


「首実検!」

すぐさま駆け寄った将・山県は、金色の兜に無惨な生首を凝視し、見極める。
「・・・家康ではない!」

 


「・・・我こそは家康~~!!ブフゥッ!」

何本も槍に貫かれ、血吐いて倒れるまで叫びしこの初老の将は、夏目次郎左衛門。


武田方は次々と徳川軍を蹴散らし攻め落とすが、揃いも揃って皆、踏み止まる。その上、

「此処にも、家康はおらぬッ」

 

 

 

 


源太左衛門は、感嘆した。


「・・・何と凄絶なる忠義の士ども!
斯くも主君の御為と、命投げ捨てし武士の散り様ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 


~~~~~~~~~~~~

 

 

ブリブリブリィッ!!!


脱糞である。

 


騎馬にて一人駆ける家康は涙を流し、鼻水は垂れ、ヨダレも構わず、必死の形相にて全力逃避行。
汗でビショ濡れ、小便も漏らし、体中の穴という穴から、汁という汁を撒き散らしておる。

 


それでも、生きて、帰らねばならぬ。

 

 

家康は、この日を生涯忘れぬだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 


家康が逃げるなら、この坂道と見た。

源太左衛門は林道を駆ける。

 

 

其の真田軍団の眼前に、徳川敗残兵の一団が立ち塞がった。

 


「押し通ゥゥーーーる!!!」

 

真田兵部は大槍を掲げ、騎馬を向けたがこれを、源太が制した。

 

 


「・・・慎重、期すべし」

 

血泥にまみれ、刀傷数多具足は乱れ、満身創痍の彼奴らである。
が、魂魄に纏う尋常ならざる闘志は不屈。

 


気魄が違う。死兵と化しておる。

(・・・背後に家康が居るな)

 


数で押し伏せ遮二無二破れば、破れぬ事はないだろう。
が、此れ程の敵と当たれば、こちらも並ならぬ犠牲は必至。

 


「・・・死兵これ迫るべからず。兵法にも下策に御座る」
三弟・喜兵衛は智略鋭敏、事態を察しておる。
(後の安房守昌幸である。)

 

 

 

 

ジリ・・・ジリ・・・

 

 

(・・・ゴクリ)


向かい合う両軍、極限的緊迫感が奔る。

 

 

 


「・・・・・ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(・・・退き時よ)

 

 

 


源太が決断すると同時か、三方ヶ原に鏑矢(かぶらや)が響いた。

 

 

ピュウウウゥゥ~~~~~~!!!!

 

 

 


終戦である。

 

 

信玄も同じ判断を下した。

此度の上洛、あくまで本命は京都征圧。織田信長との決戦である。
これ以上の無駄死に不要、兵力温存の時と見た。

 


家康の首、討てれば最善ではあった。
が、しかし想定遥かに超えていたるは、彼奴らの勇姿よ。

 


源太は、慎重に兵を退く。

賞賛の眼差しを贈り、踵を返した。

 


(あな見事なる忠節、気魄ッ!!

・・・・三河武士の意地を見たゾイ。)

 

 

 

戦国最強・武田騎馬隊が完封せし、三方ヶ原の殉烈の屍士。
其の鎮魂に、真冬の寒風が吹き荒ぶ。

 

 

 

 

 

 

 


第四文銭「寒風三方ヶ原」、了

 

 

~続く~

 

 

 

 


※この物語はフィクションです。
※一部、設定が史実の通説と異なる場合があります。ご了承ください。

 

 


【参考文献】

甲陽軍鑑』、『真田家譜』、『仙台真田代々記』、『信綱寺殿御事蹟稿』、『高白斎記』、『甲斐国志』、『当代記』、『伊能文書』、『越後野志』、『上杉家文書』、『上越市史』、『松平記』、『三河風土記』、『北条五代記』、『信長公記