『源太左衛門~真田六文戦記~』第二文銭:潮風薩埵峠




真田一族には先祖代々、二極の性質が兄と弟に相分かつ。


すなわち武勇の血と、智略の血である。


源太の父・一徳斎は智略の将、その弟・源之助頼幸の叔父御は、武勇の将。

源太の弟達にしても、次兄・兵部丞昌輝は武勇の将、三弟・安房守昌幸は智略の将。

後の世に名高き甥子共、兄・伊豆守信之は武勇の将、弟・左衛門佐信繁は智略の将。



・・・では、源太は如何。



真田の長兄・源太左衛門尉信綱は、一騎当千の豪胆なる武勇と、鋭利冷徹なる智略とを併せ持つ。


すなわち、智勇兼備の名将。





次代の真田一門を統べる、大名の器であった。








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「先駆け大将はァーーーッ!!!

真田左衛門、真田ノ兵部、この両名ッ!!」


馬場民部信房の、野太き獣の如き咆哮が呻る。


「「応ッッ!!!」」


軍議、終わり。





此度の大抜擢は、真田一門の武勇が精鋭武田軍団でも際立って顕著なる様を人口に膾炙せしめた。

真田兄弟は此度、駿河国の大大名・今川家との大戦において、栄えある武田軍先鋒に任じられたのだ。



「兄者、愈々先駆けとは、武門冥利に尽き申す!」


「カッカ兵部め、はしゃいでおるわ」


斯く言う源太も、熱き血潮の滾る心地を感じた。


初陣より父・一徳斎に従い、幾多の戦場を駆け早十年。

一線を退いた父に代わり、ついに己が一軍を率いる将として、戦場に立つ身と相成った。


しかも此度は、先駆け大将。



若々しき初陣の頃のそれとはまた違う、猛々しくも重厚なる高揚感であった。






躑躅ヶ崎館の廊下を歩くと、書生風出で立ちの若者が、傅いている。


「兄上、大兄上。此度の抜擢、御目出度う存じまする。」


喜兵衛である。


源太、兵部らの弟、三男坊の喜兵衛めは、今は御屋形様の近習衆として側仕え致す。


後の安房守昌幸である。





今は齢十九ばかりのこの青年は、源太とは歳の十も離れた愛き弟御。

いつの間にやら凛々しく成長し、久々の再会であった。


「喜兵衛よ、先の義信様御自刃の沙汰、家中の動揺甚だしかろう。」


昨年、信玄公の嫡男・武田太郎義信が謀反の罪を問われ、切腹に追い込まれる大変事が起きた。

躑躅ヶ崎の事務方連中は、この喜兵衛も含め、御家騒動の対応に如何程追われた事であろう。


「御屋形様は、落ち着いておられまする。」


斯く言う喜兵衛も落ち着いている。

若年にして大したものよ、肝が据わっておるワイ。


兵部は感情を隠せない。わなわなと打ち震えている。

「親が子を弑し奉る等、在ってはならぬ事よ。何故以て御屋形様は、斯くも惨き業を…」


喜兵衛は至極、落ち着いている。

「御嫡男といえど御家の為、致し方ありますまい。武田の領国拡大の好機は逃せませ…」



「「ッベブチゥ!!」」



源太は懇親の膂力を以て、弟二人の顔面を全力でブチ殴った。


「兵部、御屋形様とて断腸の決意よ。子を愛さぬ親がどこにおる。誰よりもお辛きは、御屋形様よ」


「喜兵衛、利に聡き故に義理人情を軽んずは、すなわち人を軽んずる驕り。甚だ傲慢よ」


「兄者、相すまぬ」

「失礼をば、仕り申した」



兵部は、激情を抑える理性を持たば、万人が其の騎下に命惜しまぬ勇将となろう。


喜兵衛は、驕らず人心の機微をも熟慮能わば、万人を教え導く稀代の智将となろう。



いずれは斯くも大器なる二将の上に立ち、束ね、従え、真田一族を背負って立つ武門の棟梁たるは、この源太左衛門をおいて他にない。











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今川治部大輔義元は、稀代の英傑であった。

駿河国を要に東海道五大国に君臨し、一代にして最大版図を現出した大大名である。


武田信玄も、この今川大公との敵対は避けた。



すなわち相模の北条も巻き込み、互いの子供らを嫁・婿に出し合い、雁字搦めの血縁を結びて堅牢なる平和協定を締結したのだ。



ーー甲相駿三ヶ国大同盟。



此の外交戦略を極限的至高にまで昇華せしめた智慧の結集、戦国史上に刻む最高傑作的大同盟は、複雑怪奇に入り組んだ政務軍略諸事悉くを緻密に縫い合わせ、その奇跡的絶妙なるバランスを以て見事三大国間の武力衝突を徹底的に抑制せしめた。


(武田の軍師・山本菅助某、北条の幻庵宗哲、今川の太原崇孚雪斎、戦国三大軍師と讃えられし彼等が苛烈なる頭脳戦を繰り広げ、幾多もの困難・障壁を討ち破りてこの歴史的大同盟は、実現した。)









・・・が、其の今川家に先年、激震が奔る。


桶狭間にて、義元大公、御討死ッッ!!!」


今川家の命運は、此処に尽きたと言って良い。









(・・・海を獲らねば、武田は滅ぶ)



信玄は直ちに理解した。


武田家は、未曾有の窮地に陥ったのである。







すなわちーー

超大国に膨張していた今川家は、その自重を支える偉大な柱を突如として失い、今まさにガラガラと崩れ落ち、高転びせむとしていた。

危急存亡にて担ぎ上げられし若輩の当主・今川治部氏真には、これを受け継ぐ才覚など無い。


武田領に隣接する此の広範な領土が、他国の大名に奪われるのは時間の問題であった。

ここを敵対勢力に奪われれば、すなわち武田は南方領土を全面に塞がれ、さらに東には北条一族が虎視眈々と、北には軍神上杉謙信が睨みをきかせている。


最悪の場合、武田は三方面から敵軍に包囲され、多方面同時侵攻を受け滅亡の危機に瀕するのだ。





・・・もはや武田が生き残る道は、唯一つ。


「我らが今川を滅ぼし、駿河を攻め獲らむッッ!!」



信玄は、亡き今川大公の娘を妻に持つ嫡男・太郎義信の誅殺はじめ、家中の親今川派を悉く粛清せしめ、丁重に弔い遺族を安んじ、武田家中の団結一丸と成って今川家を滅ぼすべく、不退転の決意を示す。



(・・・太郎よ、忠節の猛虎らよ・・・決して無駄にはせぬ。)



斯くして武田家の存亡を賭け、一大遠征軍が今川領へと雪崩れ込んだ。


その先駆け大将が、源太左衛門である。










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峠に差し掛かる。


薩埵(さった)峠という。


荒ぶる波が打ち付ける海岸に、この急峻な峰々はせせり立つ。


晴天の青空、遠大なる海洋。

遥か遠目には霊峰・富士の山も眺められた。



(・・・・・絶景なりヤン)



潮風が心地よい。



源太左衛門は山国信州の生まれ、此の方歴戦山々を駆け大河を渡り野々を巡るが、大海を見ゆは初めてであった。



声にもならぬ感無量。



・・・が、今は合戦である。



峠を挟み、眼下には未だ大勢なる今川軍団一万五千が布陣していた。



此度は、野戦ではない。


両軍は山間の峡谷を挟みて、要衝・薩埵峠の隘路に少数精鋭を繰り出し戦術を駆使する、山岳戦の様相を呈しておる。


まず敵方の先鋒を討ち、峠を奪い、これを要塞として守りを固む。

奪還に来たる敵方を迎え討ち、山の利を活かして逆落とし、一網打尽に討つ算段である。


一番槍、源太左衛門らの先駆け勢い如何に、この合戦の趨勢は掛かっているとも過言ではない。





源太は馬首をば揃え、下士官に突撃を知らしむる法螺貝を用意させると、

「すわ、掛かれィィイイイーーーーッ!!!」

怒号を以て全軍を押し出さんと構えた。


(・・・・・)


が、まだ叫んではいない。

静寂のままだ。


今まさに掛からんと躍り出た源太の肩を、総司令・馬場民部の手が止めていた。



「・・・調略である」



その時、敵方今川の遠大なる軍容の其処彼処で、一斉に騒乱がどよめいた。

立ち処に兵馬は乱れ、戦線は四散し、方々で旗指・帷幕は倒れた。


総崩れである。


「一体、何が」

兵達は状況が呑み込めぬ。



馬場民部は、得も言われぬ、悲嘆とも憎悪とも憐憫ともわからぬ、ただ遠き眼にて、崩れゆく今川の軍容を見下ろしていた。



(東海の覇者たる今川が、今や斯くの如し・・・無常よ)



此度の大戦、戦う前から結果は決していた。


義元大公を喪い動揺する今川家臣団に対し、武田方の密かなる調略の手は主たる重臣級はじめ有力国衆に至るまで隈なく及んでいた。


代々今川家に忠節を尽くしてきた筈の武将ども、のべ二十一名もの大将がその麾下一万数千の軍勢諸共に悉く主家を裏切り、武田へ寝返ったのだ。






・・・源太らの出番はなかった。



「己が身の可愛さ故に主を裏切り、これが武士のやることかよッ、このザマかよッ!!」

兵部は激情に駆られている。



が、源太はブチ殴りはしなかった。



源太には理がわかる。しかし、情もわかるのだ。



父を継ぎ、真田一門の棟梁と成りつつある源太は、もはや遮二無二若武者ではない。


真田の家を背負っている。



理も、情も、わからねばならぬ。

その上で、我らは如何に生きるか、如何に死ぬか。



(・・・いずれ御屋形様亡き後、武田はどうなるであろうか。・・・其の時、真田は)








源太左衛門が去った峠の道に、潮の風が吹き荒ぶ。






第二文銭「潮風薩埵峠」、了



~続く~




※この物語はフィクションです。


※一部、設定が史実の通説と異なる場合があります。ご了承ください。



【参考文献】

甲陽軍鑑』、『真田家譜』、『仙台真田代々記』、『信綱寺殿御事蹟稿』、『高白斎記』、『越後野志』、『上越市史』、『松平記』