徐晃伝 四十二『死中に活』

 

 

樊城(はんじょう)。

 

外周一帯は水没し、籠る魏軍に逃げ場は無い。

揚々と意気盛んなる関羽荊州軍がこれを幾重にも包囲し、糧道を断った。

 

魏兵は飢えと病に弱る。

守将・曹仁はそんな麾下の将兵を見やり、顔を歪める。

 

「・・・もはや軍の体(てい)を成しておらぬか。

あたら兵を損ねることは無い・・・ここは、自分の首一つで」

 

将命と引き換えに、麾下兵卒の無事を守らん。

降伏を決意しようと拳を握る所であった。

 

 

 

そこへ、

「おっと、曹仁殿。

それは些(いささ)か早計というものですよ」

 スラリと長身を翻し、参謀格の満寵が現れて曹仁を励ます。

 

「援軍は必ずやって来ます。

曹操殿は、この樊城を決して見捨てはしません。

諦めず、人事を尽くして時を待つのです」

 

満寵は腕をまくり、地べたに寝そべる兵をそっと起こして残り少ない糧食を口に運ばせ励ました。

 

援軍は必ず来る。

曹仁は弱気になっていた己を恥じ入り、静かに奮起した。

「そうだな・・・自分はそんな事すら見失いかけていたか。

感謝する、満寵殿」

 

「・・・さあ、曹仁殿。

死中に活、求めてみましょう」

 

 

苦境に屈する事なく今一度、希望に賭して踏みとどまる。

 

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 「・・・兵力の差は著しい。

今、討ち出でても勝機はあるまい」 

 

徐晃は諸将を前に、軍図を眺めて駒を置く。

 

一刻も早く援軍を差し向けねば樊城は危うい。

焦燥すべき事態が差し迫るも、一方でこちらは練度の低い寡兵である。

 

なまじ討ち出て強敵・関羽に破られれば後は無い。

 

極限的窮状。

この戦況で判断を下すには、将には、尋常ならざる智と精神が要される。

 

 

 

「・・・死中にこそ、活路を拓かん!」 

 

 

 

徐晃の将器が今、覚醒しようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

徐晃伝   四十二   終わり

 

  

徐晃伝 四十一『急造軍』

 

兵が足りない。

 

先に、水龍の顎(あぎと)に飲まれた于禁ら七軍は虎の子であった。

漢中・合肥の戦線も含め三方面、方々に作戦を強いられる魏軍にとって、荊州への動員兵力はもはや限界に達している。

 

 

単騎、宛城へ先駆けた徐晃はそこで将・趙儼(ちょうげん)より戦況を聞く。

 

切迫した窮状、されど、

「・・・樊城に留まる曹仁殿らを見捨てるわけに参らぬ。

これを関羽殿に破られれば、もはや許昌は目と鼻の先でござる!」

 

 

魏国、最大の危難。

曹操許昌から遷都を考える程に追い込まれていた。

 

 

 

関羽は強い。

 

 

 

徐晃は口元に手を当て、静かに目を瞑る。

 

(何としても、この逆境を乗り越えん・・・!

武の頂、達すべき時は今でござる。)

 

 

見開いた双眸には決意が宿る。

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

かろうじて、先発として動員された兵団がある。

投降した雑軍や、徴兵されて間もない若い新兵ばかりであった。

  

徐晃将軍!

我ら身命を賭して戦います。」

 

士官が拱手し、徐晃に傅(かしず)く。

 

「・・・よくぞ参られた。拙者に任されよ!

貴公らを良く率いて、必ずや戦局を打開しよう」 

 

将は徐晃

副将に趙儼(ちょうげん)。

この急造軍を率いて、荊州戦線の危難に臨む。

 

 

 

兵の大半はまだ若く、初陣を迎える青年達ばかりであった。

 

 

徐晃は幕下の諸将と共に兵舎へ降り、野営する士卒らを巡察して回る。

 

(兵の練度には望むべくもない。

如何にして関羽殿に抗するべきか・・・)

 

 

思案を巡らす徐晃の前に、進み出て声を上げた者がある。

 

「・・・父上!

お久しゅうございます」

 

 

子の徐蓋であった。

 

「なんと、蓋か!?

おお、驚いたぞ」

 

見違えるように凛々しく、精悍な若者に成長した我が子を前に徐晃は、万感胸に迫る思いを抱いた。

 

 

同じような年頃の若者らを背に率いて、堂々、鎧を輝かせる。

 

「今日まで些(いささ)かも鍛錬を欠かしてはおりませぬ。

初陣を父上の元で、お供させて頂けるは誉れ!

必ずや樊城のお味方を救い申さん!」

 

折しもの私信には長子として、いよいよ陣に加わる歳かと伝え聞いたものだが、よもや己の麾下に加わるとは。

 

徐晃は束の間、親子の情に心を絆(ほだ)した。

 

されど陣中、将として、私心とは別に徐晃は凛として士卒兵らを率いて臨む。

 

 「諸兄らは、兵!

仲間を救い、郷土の家族を守るのだ。

拙者の背に続き奮迅召されよ!」

 

軍規は厳しい。

しかし誰よりも廉直に、練兵にも軍議にも、忍んで己の鍛錬にも打ち込む徐晃の雄姿は範となった。

 

 

新兵らは志に燃えて意気込み、士気は高い。

 

 

急造軍ながら訓練は捗り、来たる決戦に備えて励む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

徐晃伝 四十一 終わり

 

 

 

 

 

徐晃伝 四十『宿命の戦場へ』

 

漢中から撤兵する魏軍の中に徐晃もいた。

 

雨が降りしきる。

兵の歩く道には泥が跳ね、足取りは重かった。

 

勝利を掲げて都への凱旋とはゆかず、戦略的な撤退である。

 

(・・・拙者の武、もっと高みへと届いていれば。

夏侯淵殿も、お味方も犠牲は少なく、勝ち戦となったのであろうか・・・)

 

徐晃は内省する。

 

(いや、傲慢でござる。

勝敗は兵家の常、拙者はただひたすらに武を磨き、頂きを目指すのみ)

 

 

徐晃はその双眸に決意を宿し、中原への帰路についた。

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~

 

鄴への途上、急報が入る。

 

荊州に君臨する蜀将・関羽が、大挙して魏領への侵攻を開始したのだ。

 

 

その北上の勢いは凄まじく、前線は敗走し樊城を守る曹仁は救援を求めた。

 

 

 

徐晃は行軍中に報せを聞いて、旧友の顔を思い浮かべる。

 

「・・・樊城には、満寵殿が」

 

 

 

本国からは于禁龐徳率いる七軍が即座に援軍を発したが、折しもの豪雨と川の氾濫、蜀軍の猛攻を前に予想だにせぬ大敗を喫した。

龐徳は戦死し、于禁は捕虜となる。

 

軍神・関羽の軍略が四海に轟いた。 

 

 

 

漢中を劉備に奪われ、江東では孫権が虎視眈々と在り、そして荊州から攻め寄せる関羽の脅威。

 

魏国、そして曹操の覇道は今、最大の危機を迎えている。

 

 

 

「・・・関羽殿、ついに時が来たのでござるな」

 

徐晃は、宿命の決戦が近い事を予見した。

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

荊州戦線の危難に対して徐晃は、判断を下した。

 

都への帰途を外れて進路を変え、僅かな供回りを連れて急遽、拠点・宛城へと駆け向かう。

 

「ソイヤッ!」 

 

大雨の中を馬の蹄の音が響き、泥を撥ね突き進む。

 

駆けながら徐晃は、自らの半生を省みた。

これまでひたすら磨き来た武を、その全霊を尽くす時は今と感じた。

 

武人として戦場を駆けること二十余年。

己が才幹を見出し厚く遇してくれた曹操の、乱世を終え泰平の世を目指すその大望を果たすため。

 

ここで魏軍は、関羽に敗れるわけにはいかない。

 

徐晃は己の武を以って、 この最大の窮地を挽回せんと決意した。

 

関羽殿。

過日の因縁、此度こそ決着を」

 

 

雷鳴が轟き豪雨が叩き付ける中を徐晃は、宿命の戦場へと向かい駆ける。

 

 

 

 

 

 

徐晃伝 四十 終わり

 

 

 

 

徐晃伝 三十九『陽安関の戦い』


 


山険に鎮座する巨大な関門。

 

石造りに積み上げられた城壁は高く聳(そび)え立ち、何者をも寄せ付けぬ堅牢な要害を成している。


正面、巨大な鉄の門は固く閉ざされ、『陽安関』の文字が堂々と大地を見下ろしていた。

 

 

壁上にズラリと蜀軍の弓兵が構え、眼下に多勢居並ぶ魏軍に狙いを定める。

 

攻め手の魏軍、大将・曹真は合図の旗を上げて大喝した。

「いざ!陽安関を攻め落とすのだ!」

 

地鳴りが響き喚声が沸き、魏兵は盾を構えて一斉に突撃する。

 

「敵を寄せ付けるな!放てーぃ!」

関門を守る蜀将・高翔は高々と合図し、魏軍の頭上から矢と石飛礫の雨を浴びせた。

 

鉄と血の飛沫が舞う。

砂混じりの乾いた風が吹き荒れる戦場で、魏兵は次々と城壁へ押し寄せた。

盾を重ねて互いを守り、骸を踏み越えて壁を登る。

 

後方には巨大な投石機が蠢(うごめ)き、城壁を砕き敵を散らせた。

 

やがて関の高さまで届く井蘭(せいらん)車が掛かり、梯子(はしご)を伝って魏兵が続々と壁上の蜀兵に襲い掛かる。

 

 

漢中の要衝・陽安関を巡る魏蜀の攻防は、熾烈を極めていた。

 

 

 

 


~~~~~~~~~~~~


城壁の上で、激しい戦闘が繰り広げられる。

剣と盾が舞い、血が飛び交う。

 

蜀将・高翔は自ら大槍を奮って、魏兵の一群を薙ぎ払った。

地上遥かに高く城壁から投げ出され、落下する兵達の骸が重なる。

 


攻めあぐねる味方を眺めやり、魏将・曹真はさらに戦力を投入した。

「怯むな!押し返すのだ!」

 

城門を破るため衝車が引き出され、陽安関の正面に攻め寄せる。


「油を落とし、火をかけよ!」

蜀将・高翔は防衛戦の要諦をわきまえた戦術で魏軍をよく防いだ。

 

 

しかし曹真は攻め手を緩めず、さらに苛烈に攻め立てる。

日が中天を越え、蜀兵にも疲労の色が見え始めた。

 

「よし。頃合いであろう!」

 

曹真が合図を送ると、ジャーンジャーンと銅鑼の音が響き、陽安関に掛かる山の頂きから喚声が上がる。

 

翻(ひるがえ)る魏の旗。


大将旗は『徐』。


「徐公明、推参!
いざ!敵の要衝を攻め落とすのだ!」


隠密に関の頭上を取る山合いへと迫っていた徐晃隊は、一挙に鬨を上げると、漢中攻防の歴戦を共に駆け抜けた勇兵らを率いて呵成に山上から攻め降りた。


思わぬ方角から新手に襲われ、蜀軍に動揺が走る。

 

将たる者、戦場のこの一瞬の気の転換を見逃さない。

「皆よく耐えた!今こそ好機、攻め寄せぃ!」

 

曹真は全戦力を投入し、正面から関を攻める魏軍は息を吹き返したように雪崩れ込んだ。

 

蜀軍は崩れる。

 

さらに頭上から攻め寄せる精鋭騎馬隊・徐晃の猛攻に、もはや成す術はなかった。

 

「敵将、覚悟召されよ!」

駿馬を駆って迫る徐晃に、蜀将・高翔は一太刀受けるが、これは一廉(ひとかど)の将であった。

 

「犬死にはせぬ。

生きて、汚名を雪(そそ)がん・・・!」

蛮勇に走らず兵を取りまとめ、関を放棄して撤退を決意する。

 

崩れながらも軍の体(てい)のまま退き際をわきまえる蜀軍に、徐晃は深追いをしなかった。

 

 

斯くして曹真は陽安関を攻め破り、魏軍は大勝を飾る。

 

 

徐晃殿、よくぞ駆け付けてくれた。

おかげで難関を落とす事が出来たぞ」

 

労う曹真に、徐晃は恭しく拱手して述べる。

「曹真殿、意気盛んなる敵を正面からよくぞ釘付けて頂き申した。

それゆえに、拙者が奇襲の機を得たのでござる。

こたびの勝利は、曹真殿の采配の巧」

 

徐晃は己の功は誇らず、謙虚に大将を立てて礼を尽くした。

 

 

宗族の曹真は良将である。

徐晃の手柄をよく讃え、その連携を重んじて見事蜀軍を討ち破った。

 

魏軍第一の武功であった。

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

しかし戦線は膠着する。

 

魏王・曹操自ら大兵を率いて臨む漢中だが、対する蜀軍は強かった。

 

歴戦の虎将・趙雲が大いに魏兵を破り、夏侯淵を討った老将・黄忠も用兵に隙がない。

 

劉備は、山間の要地を固く守ってあえて戦おうとはしなかった。

 

無理に攻めては魏軍の被害が増すばかり。

 

 

「・・・鶏肋(けいろく)」

 

 

曹操はここに進退極まり、ついに漢中を放棄して撤退する事を決した。

 

徐晃が重ねた戦術的勝利も虚しく、

(・・・無念だが、もはや退く他に手はござるまい)

 

 

足掛け四年にも及ぶ漢中攻防は、こうして幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 徐晃伝  三十九  終わり

 

 

 

 

徐晃伝 三十八『急転直下』

 

 

馬鳴閣の街道へ進出した蜀将・陳式は、軍師法正の戦略眼に感嘆した。

 

「主戦場より遥か北西、この馬鳴閣は漢中と中原を結ぶ喉元にあたる。

・・・山険の攻防にばかり目を取られていたが、これは妙手よ」

 

 

敵と戦って討ち破るだけでなく、軍を迂回させ敵を包囲する。

 

軍略とは斯様なものと心得るばかりであった。

 

 

「街道の守りをしかと固めよ!

我らの布陣が、中央の友軍を助ける力となるぞ!」

 

南の定軍山へと続く街道に万全の防備を固め、陳式は将として任を果たしていた。

 

陣の北側、裏手には漢中の険峻な峰々が連なっている。

 

ふと山側へ振り向いた陳式は、突如、そこに広がる光景に目を疑った。

 

 

山上を覆う魏軍の旗印。

 

急襲である。

騎馬が嘶(いなな)き、弓矢が一斉に放たれた。

 

 

「いかん!後ろだ!」

 

陳式は咄嗟に盾に隠れるが、味方は突然矢の雨に晒され、わけもわからず次々と倒れる。

 

魏軍騎馬隊の先陣に輝く白い頭巾と蒼い鎧。

精悍な将が堂々、雄叫びを上げた。

 

「徐公明、推参!

いざ攻め掛かれっ!

敵を悉(ことごと)く討ち果たすのだ!」

 

鬨の声が山合いに響き渡り、轟音を上げて一挙に、目下の陣へ大軍が雪崩れ込んだ。

 

その勢いは猛々しく苛烈、魏軍は殺到し次々と蜀兵を討ち取った。

 

蜀軍は壊走し、逃げ惑う果てに谷底へ転落する者も多々あり、惨たらしい有り様であった。

 

陳式は命からがら戦場を離脱し、斯くして馬鳴閣の要衝は徐晃率いる魏軍が奪取した。

 

 

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勝ち鬨が山険に響き渡る。

 

魏軍にとって、久々の快勝であった。

 

魏王・曹操はこの戦果を大いに賞賛し、将・徐晃に仮節の大権を授与して功に報いた。

 

 膠着していた漢中の戦況はここに急展開を迎える。

 

「我が軍が北を抑え、東には張郃殿。

 中央の本軍と連携すれば、蜀軍の優勢を覆す事が出来よう」

 

徐晃の一手が戦略を大きく動かした。

 

陣営は慌ただしく動き回り、軍議を武官らと重ねながら徐晃は、次なる戦いに備えて意気込む。

 

 

 

 

そこへ突然、伝令の兵が駆け込んで来て、叫んだ。

 

 

夏侯淵将軍、討ち死に!」

 

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

士卒皆、茫然とした。

 

卒爾たる総大将の戦死に驚愕と、焦燥と不安とが一挙に押し寄せる。

 

人望の厚い将であった。

伝令の兵は涙すら浮かべている。

 

 

徐晃は一瞬、言葉を失った。

 

 

 

しかし一軍の将である。

 

静かに呼吸を落ち着かせ、拱手し、言った。

 

夏侯淵殿・・・多くを学ばせて頂き申した。

まこと、世話になり申した」

 

 

上に立つ者の動揺は即座に下士官へ伝播し、増幅する。

 

将たる者の務めとはいつ如何なる状況にあっても冷静であり、悠然と構え、扇の要たる事である。

 

 

徐晃の堂々たる態度は士卒の動揺を鎮め、勇気を与えた。

 

「皆、奮い立つのだ!

この徐公明が共に在り申す!」

 

 

急転直下の戦況に、しかし徐晃率いる魏軍はかえって奮起する。

 

 

曹洪ら宗家の将、そして夏侯淵の薫陶甚だなる張郃郭淮、子の夏侯覇

遺された諸将も徐晃と同じく志を熱く滾らせる。

 

士卒一体、亡き夏侯淵の弔いに昂ぶり、山は震えた。

 

 

魏王・曹操は、この局面に自ら総大将として漢中へ進軍する事を決し、ここに宿命の敵・劉備との決戦に臨むのである。

 

 

 

 

徐晃伝 三十八 終わり

 

 

徐晃伝 三十七『反攻の糸口』

 

徐晃

一軍の将である。

 

漢中の険しい峰々を眺めやり、歯痒い思いを抱いていた。

 

(攻めの手が今一つ、掴め申さぬ・・・)

 

蜀の劉備との山岳戦は長期に及んでいた。

軍師・法正は執拗に魏軍の弱点を炙り出す巧みな采配で、徐々に、戦局の帰趨を掌握してゆく。


徐晃は自軍の陣地を堅牢に守備するが、今一つ攻めの手に掛かれずにいた。


兵法としては、誤りでない。
攻め難き所を無理に攻めるのは徐晃の戦(や)り方ではない。


守りを固め友軍と連携し、慎重に機を待ち、得るや呵成に攻める戦が徐晃の持ち味であった。

 

 (・・・されどこのままでは、劣勢に回るばかり)

 

徐晃は床几に軍図を拡げ、起死回生の糸口を懸命に模索していた。

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

魏軍も奮戦している。

総大将・夏侯淵は良く戦局を俯瞰し、全軍の統率に抜かりない。

流麗華美を重んじる張郃、この歴戦の勇将も前線に矛を奮い、巴郡攻略の武功は第一であった。

 

しかし劣勢。

これはひとえに、蜀軍の勢い盛んな故である。

 

「高祖ゆかりの地を制し、漢室の復権を奉らん!」

劉備は自ら馬を駆って大兵を起こし、蜀軍の士気は天を覆うばかりに揚々と高い。

 

知勇兼備の名将に成長した張飛

曹魏への怨嗟に燃える錦・馬超

 

将士有能で士気高く、蜀軍は山岳戦の要諦を抑えた戦術で魏軍を翻弄した。

 

強敵である。

 

 

 ~~~~~~~~~~~~

 

夏侯淵将軍、申し訳ありません。

このような不覚を取ろうとは・・・」

 

大敗を喫し平伏する将・張郃を前に、しかし大将・夏侯淵は責める素振りを見せない。

 

「勝敗は兵家の常だ、そう気に病むな!

 ・・・敵が一枚上手だったって事よ」

 

 

徐晃は進言した。

 「敵には侮れぬ勢いがあり申す。

斯くなる上は、曹操殿に増援をお頼みする他ござるまい」

 

漢中魏軍の劣勢を重く見た曹操は、曹洪曹休ら宗族に大軍を率いさせ、援軍として送り込んだ。

 

 

 ~~~~~~~~~~~~

 

曹洪殿、お久しゅうござる。

牙断(がだん)を賜わった過日の御恩、片時も忘れた事はござらぬ!

今の拙者があるのも、曹洪殿の御贔屓のおかげ」

 

 「徐晃殿。

やはり貴公は、わしや孟徳が見込んだ通りの男であったわ。

斯様に昔の些事にまで 、恩を感じてくれているとはな」

 

曹洪徐晃の才幹を見抜き、何かと世話を焼いてくれた好漢であった。

 

 「長き戦役、随分としばらく家に帰っていまい。

出立の前に挨拶に伺ったが、御子息の徐蓋殿は、立派な若武者に成長していたぞ」

 

「おお、我が子が・・・」

 

徐晃はもう何年も息子達の姿を見ていない。

乱世を戦う武人として止む無き事であるが、心は揺らいだ。

 

「ゆえに、我らが来たのだ。

これより先は反撃よ!

共にこの漢中から蜀軍を撃退し、堂々、都へ凱旋しようではないか」

 

曹洪は、徐晃の肩をがっしと掴み励ました。

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

援軍の駒を大きく加えて、軍図を拡げる。

 

徐晃は方々に斥候を放ち、戦場の情報収集に余念がない。

敵の布陣の変化も敏感に察知していた。

 

(ここは攻め難い・・・ここは守らねば・・・) 

 

陣営の篝火が揺らめき、夜を徹して徐晃は軍図を睨み、軍略を練る。

 

やがて、

 

 「・・・これは」

 

一点の綻(ほころ)びを見出した。

 

馬鳴閣。

 

主戦場の定軍山より北西へ昇る街道に、蜀将・陳式が兵を進めている。

 

「この地形、この布陣。

・・・攻めの一手が見え申した!」

 

曹洪らの援軍が敵味方の陣形に変化をもたらし、徐晃はついに戦局を揺さぶる反攻の糸口を見出した。

 

決するや迅速。

すぐに軍を指揮して再編を成し、主軍・夏侯淵との連携を執って、配下の将士に檄を飛ばした。

 

「活路は見え申した!

逼迫した戦況を覆すは今。

いざ、逆落としにて敵陣を討ち破らん!」

 

鬨の声が上がる。

士気は高い。

 

年季の入った愛用の大斧・牙断を担ぎ上げ、騎馬を翻し、徐晃は軍の先陣を駆ける。

 

 

 

 

徐晃伝 三十七 終わり

 

 

三好三大天 第四話『仙熊丸』

 

「では、若様。

書面に押を頂きたく」

 

仁徳の士・長逸(ながやす)は、丁重に礼を以って座を下がり、一人の少年に筆を差し出した。

 

仙熊丸。

齢十一のこの少年は、幼年に似つかわず落ち着いた表情で堂々と居直る。

静かに筆を執ると、すらすらと書面に花押を描いた。

 

「これで良いか、長逸」

 

「ありがたきしあわせ。

これにて民の暮らしも変わりましょう」

 

長逸は三好一族気鋭の若武者であるが、宗主の血筋ではない。

 

宗家の男は皆、戦で死んだ。

遺児・仙熊丸だけが三好の嫡流を汲む最後の生き残りである。

 

「長逸。

こたびは大義であった。

おぬしが言う仁の世を、わしも見てみたい」

 

長逸は三好再建の功随一の実力者だが、決して家督を我が物にしようなど思わなかった。

 

仁を重んじ嫡流の義理を立て、幼年の仙熊丸を若殿に奉じ忠節を尽くす。

 

こういう誠実さが、長逸の魅力であった。

 

 「若様・・・ありがたき御言葉!

この長逸、微力ながら若様をお支えし、ひいては世に仁の志を示してご覧に入れましょう」

 

「頼もしいぞ、長逸!」 

 

仁義だけで幼子を立てるのではない。 

長逸はこの仙熊丸という男児の力量に、並みならぬ大器を見出していた。

 

幼年ながらに聡明で、威風堂々たる凛々しき居住まい。

三好の受難の中を生き抜いた逞しさは、よく物事の筋を見極め人の意見を容れ、かつ己を崩さぬ強さを育んだ。

 

この若殿はいずれ立派な武家の棟梁となるだろう。

 

仙熊丸。

 

長逸が器を見出し、三好再興の旗印に立てたこの少年こそ後の戦国初代天下人・三好筑前守長慶(ながよし)その人である。

 

 

 

 

 

三好三大天 第四話 終わり