徐晃伝 二十四『武人の生き様』
徐晃は、乱世に生まれた。
良き親に育てられ友にも恵まれた。
しかし戦乱を深める時代の潮流は自然、彼を武人として成長させた。
過酷な戦場を幾多も経験し、暗迷と葛藤の日々も乗り越えて、徐晃は真に仕えるべき主・曹操と出会う。
乱世統一の大望を支え、武の頂きへ至らん。
生来賢く、廉直な求道的精神を備える徐晃は己が行く道を武門と定め、その極みを見るべく生涯を駆ける。
そんな徐晃と生き様を同じくする男がいた。
関羽。
仕える主こそ違えど、互いに武人として歩む道は同じ。
その巨大な影がいつなんどきも徐晃の行く道を覆い陽の輝きを遮った。
「拙者はまだまだ未熟でござる…!」
徐晃が、長い戦乱を生き抜きその武を研ぎ澄まし将として数多の武勲をあげようと、決して驕らず己に厳しく在り続けたのは関羽の存在が大きかった。
己が生き様の鑑にして、高く大きくそびえ立つ壁。
武人として在るべき雄姿、その威を追い続けここまで来た。
かつては共に戦場を駆け、武を語らい、交誼を結んだ友でもある。
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徐晃。
大斧を持ち、白い頭巾と青い鎧に覆われた強堅な体躯からは、洗練された並々ならぬ武を感じさせる。
その姿を見て関羽が語り掛けた。
「おお・・・我が友よ、徐晃殿。
その清廉なる武、いささかも曇らず。
共に戦場を駆けた日々・・・あれから一体どれだけの月日が流れたものか」
「お久しゅうござる、関羽殿。
貴公こそ変わらぬ堂々たる武・・・いや、益々その頂きへと近づかれたか」
鉄と血の飛沫が舞う戦場に束の間、二人は互いの眼を見つめ、静寂の中で過日の友誼を懐かしんだ。
関羽が偃月刀を構える。
「義兄・劉玄徳の大志がため!
荊州は我らがもらい受ける。
邪魔立ていたすとあらば、徐晃殿とて容赦は出来ぬ!」
徐晃も大斧を構え、応えた。
「無論でござる!
関羽殿、いざ!」
二人の刃が激しく打ち合った。
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一騎討ちは苛烈を極め互いに譲らず、至極の武を奮い戦う。
偃月刀と大斧が打ち合うこと十数合。
まったくの互角、周囲の将兵は両雄の傑出した武の応酬に圧倒される。
「徐晃殿、見事!
よくぞここまで武を磨き抜かれたものよ・・・!」
「関羽殿、拙者はまだまだ未熟でござる。
されど貴公の刃を受けて、その魂の滾(たぎ)りしかと伝わり申す!」
武人は刃で語り合う。
徐晃と関羽は、刃を交える事で互いが駆け抜けてきた戦いの日々を知った。
己が仕える主君の大望に、その身命を賭す信念を知った。
武人として乗り越えるべき敵、その影を追いここまで達した執念を知った。
互いの生き様を体現する武。
乱世を生きる武人として、その刃に宿す魂魄の凄絶さを知った。
「「良き宿敵(とも)を得たり」」
徐晃伝 二十四 終わり
徐晃伝 二十三『軍神・関羽』
徐晃と満寵は騎首を並べて、樊城を出撃した。
しかし、江陵の北道を封鎖し曹・孫の合戦を睨んでいた関羽は樊城の動きを見逃さず、一軍を率いて進撃を開始した。
「・・・計画通り。
まずは陽動に乗ってくれたね」
満寵は活き活きと、その脳裏に描いた軍略を進める。
「うむ。
では李通殿、後は手筈通りに。
江陵はお任せいたす!」
「承知した!」
江陵の曹仁を救うべく、将・李通が大隊を率いて援軍に向かう。
彼らが味方と合流し、無事撤退する時間を稼ぐためには、関羽率いる劉備軍は今しばし足止めする必要があった。
徐晃と満寵の一軍は進路を変え、踵(きびす)を返す。
狙うは関羽の軍勢、その側面へと横槍を突いた。
両軍は漢津(かんしん)の地で激突。
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劉備軍は予想外の方角から攻撃を受けて、浮き足立つ。
「ひるむな!隊列を整えよ!」
軍営から急ぎ駆け出て、将・関羽が指揮を執る。
戦場に翻る「徐」の旗印。
整然と陣形を成す敵軍の様を見て、関羽は嬉々として武人の滾(たぎ)りを感じた。
「・・・久しいな徐晃殿!
ここで一戦交えるというか・・・しからば過日の宿命、今日こそ果たさん!」
その雄姿を戦場に捉えて、徐晃は大斧を固く握りしめた。
「・・・満寵殿、しばし指揮はお預けいたす」
「任せてくれ。
徐晃殿、武運を祈る!」
「いざ!徐公明、参る!」
徐晃伝 二十三 終わり
徐晃伝 二十二『赤壁の雪辱』
赤壁に大火が昇る。
夜空は赤く燃え盛り、曹操軍の大船団は紅蓮の炎に沈んだ。
徐晃は、河北出身の騎馬隊をよく率いた事から本大戦では水軍に加わらず、荊州の要衝・樊城(はんじょう)の防衛を担っていた。
赤壁決戦での曹操軍の大敗、そして辛くも生還した曹操の無事を聞いて徐晃は目を伏せ、拳を固く握り締める。
「こたびの大敗、痛恨でござる・・・!
されど拙者は、曹操殿の大志を支え、己が武の研鑽に励むのみ!」
敗戦に揺れるこの後の局面こそ、徐晃の武の髄が問われる時だった。
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荊州は、兵家必争の地と称される中華の要(かなめ)。
戦略上の要地である。
先立ってこの地を征した曹操だが、赤壁の大敗によって態勢が崩れる。
天下は今、荊州の帰趨(きすう)を巡る争乱の局面を迎えていた。
孫呉は余勢を駆ってこれを奪うべく、長江を渡って一気呵成に攻め寄せる。
最前線は江陵(こうりょう)、守将の曹仁はこの地を死守すべく奮戦するが、赤壁の大敗から向こう救援も望めず劣勢に追いやられる。
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前線の曹仁を救うべく駆け付けたいが、迂闊に動けない理由があった。
関羽である。
曹・孫が江陵で龍虎相食む死闘を繰り広げる中、劉備軍はその隙をついて荊州占領を画策していた。
この展開を見通していた軍師・諸葛亮の策謀である。
荊州中~南部の大半を既に占領した劉備軍は、今や軍神と称される名将・関羽を前線に差し向け、虎視眈々と江陵をその射程に据えていた。
慎重に、しかし危急を要して軍略を練る徐晃のもとに、援軍を率いた満寵が駆け付ける。
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今が退き時だろう。江陵は放棄する」
樊城で軍議に付く諸将の顔を見渡して、満寵は作戦を説明した。
孫呉が多大な犠牲を払って攻めた荊州を劉備軍が横取りする形になれば、彼らの同盟に楔(くさび)を打ち込む事が出来るだろう・・・これが荀彧殿の策だ」
軍師・荀彧が最期に残したこの一手は、後に三国の世を大きく動かす事になる。
しかしその実現には今一歩、多大な困難が伴った。
徐晃が言う。
「曹仁殿を救援して無事に撤退しつつ、孫呉の軍勢を破って江陵から退け、さらには関羽殿の軍を誘い込んで城を取らせる・・・
孫劉同盟への楔(くさび)とは大胆な策謀ながら、これを成す仔細は至難至極・・・!
実地では、緻密な計算を要し申す」
地図を隅々まで見渡しいくつも駒を配しながら、徐晃は眉間にしわを寄せる。
その手の先、『樊城』の文字の上に新しく青い駒を置きながら満寵は、いつもの屈託のない笑顔を徐晃に向けた。
「そのために私が来たんだ、徐晃殿。
さあ、私の智と徐晃殿の武、力を合わせて赤壁の雪辱を果たそう!」
「・・・心強い!」
徐晃も笑みを返した。
二人は諸将の中心となって軍略を練り、入念な想定と準備で万全の態勢を整えた。
将に徐晃、軍師に満寵が付いた一軍は樊城を出撃し、 江陵の曹仁を救うべく駆ける。
その動きを注視していた軍神・関羽が、軍を率いて動き出す。
徐晃伝 二十二 終わり
徐晃伝 二十一『覇道と王道』
この地に居た劉備は再び依る辺(べ)を失い、更には曹操軍の追撃を受けてひたすら逃げる他なかった。
新たに軍師・諸葛亮の力を得たものの、仁の人・劉備は己を慕って付いてくる民を見捨てる事が出来ず、南へ逃げる足は遅々として進まない。
曹操の騎馬軍は精強無比で、ついに劉備軍は追いつかれてしまう。
軍は離散し、劉備自身も馬車を失い這って逃げ出す有り様の中、報せが届いた。
「劉備殿、奥方様が・・・!」
劉備の家族は、逃げ遅れた。
曹操の大軍の中に取り残されてもはや安否もわからない。
劉備は顔を歪めて拳を握るが、家族より民を。
仁者として、私情を捨てあくまで民の護衛を兵に命じた。
忠臣・趙雲は、そんな劉備の悲愴な覚悟と仁を貫く生き様に、命を捨てる決意をした。
単騎、踵(きびす)を返して槍を掲げ、趙雲は敵陣の真っ只中に飛び込む。
己の命に代えてでも劉備の子・阿斗を、次代に仁の志を継ぐ者を救い出すために。
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劉備の志は危険すぎる。
曹操の覇道に真っ向から対し、仁と称して乱世を深める火種は今、断っておかねばならなかった。
「劉備の子・阿斗を取り逃がしました・・・!
単騎の豪傑が赤子を抱えて、逃走しています!」
曹操軍の各隊に伝令が行き渡る。
趙雲は見事に阿斗を救い出し、劉備のもとへ帰るべく駆けていた。
将・夏候惇は厳命する。
「劉備の子を逃がしてはならぬ!
孟徳の天下のため、奴も、奴の志を継ぐ者も今日ここで討つのだ!」
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各方面に斥候(せっこう)を放ち戦況の把握を徹底していた徐晃は、いち早く趙雲に追いついた。
配下の騎馬兵が馬上の趙雲に斬り掛かるが、赤子を抱いていながら見事な身のこなしで追撃をことごとく躱(かわ)し、最低限度の動作で的確に兵を討ち倒して逃げ駆ける。
「なんと俊鋭な武よ・・・!
曹操殿の大志のため、拙者の武を極めんがため!
今日ここで討たせて頂く!」
徐晃は一隊で逸ることなく、友軍との連携も忘れていない。
後続の騎兵に気を取られていた趙雲は伏勢の矢の雨をしのぎ切れず、落馬して、かろうじて赤子を守り抱き、今度は俊足で逃げ駆けた。
徐晃は、麾下精鋭の騎馬武者に長い鎖の付いた鉄球を武装させ、自らも駆って趙雲を討つべく猛追を開始した。
「ソイヤッ!」
眼前の城壁伝(づた)いに逃げ駆ける趙雲に、次々と鉄球が襲い掛かる。
馬上で手綱を握りながらに鎖をブンブンと振り回し、徐晃は趙雲の進路を見極めて渾身の一投を放った。
鉄球は直撃の軌道を描くが、趙雲はその超人的体躯と瞬発力で咄嗟に上体を反らして躱(かわ)す。
しかし急停止で崩したバランスを取り戻すため、やむを得ず目と鼻の先を掠(かす)めた鎖に手を伸ばした。
「捉(とら)え申した!」
普通ならこれで制御を失い無防備に中空に投げ出されるところだが、趙雲の体幹は強堅だった。
引き寄せられる瞬間、横目に城壁を足で蹴って、かえって鎖の振るいを遠心力に用いてバランスを取り戻し、徐晃隊の騎馬兵への反撃に移る。
騎馬隊の列伍に乱れが生じ、この隙に趙雲は鎖を手放してストンと城壁の上へ降り立ち、徐晃隊の追撃を振り切って逃走した。
兵に動揺が走る。
「なんて奴だ、あれが趙雲・・・!」
将・徐晃は、毅然として隊の指揮を執る。
「深追い無用、陣形を再編いたす!
あちらの方角には夏候惇殿の隊がおり申す」
役割はここまでであった。
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その助けもあって趙雲は、阿斗を抱いて無事劉備のもとへ帰還した。
長坂橋を落とした劉備軍は長江を渡り、関羽率いる大軍と合流する。
諸将の活躍でこの危機的状況を切り抜け、曹操軍から逃げ切ったのだ。
これらは全て諸葛亮の筋書きである。
曹操はこの顛末を聞いて感嘆し、同時に、劉備という並みならぬ脅威との宿命を知る。
「天下に英雄足り得るは、わしとおぬしよ」
過日の言葉が脳裏をよぎった。
徐晃伝 二十一 終わり
徐晃伝 二十『南へ』
袁家残党を掃討すべく、曹操軍は中原を超えて砂漠の国々へ乗り込む。
徐晃は良く兵を率いて、時に計略を用いて敵を降し、時に苛烈な武を奮って敵を討ち、次々と武功を上げた。
数万の大軍を擁す賊徒・黒山衆、勇猛な騎馬民族・烏桓(うがん)の国を攻めて従え、ついには地の果てに袁家の血筋を根絶やしにした。
この間、五年もの歳月が流れた。
「武の頂きへは、今だ届かぬ・・・」
黄砂に覆われた戦場で、徐晃はその大斧に敵兵の血を浴び、まだ至らぬ遥かな高みへ思いを馳せた。
「だが、しかと見える。
拙者が目指す武の極み、曹操殿が統べる乱世の先にござろう」
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曹操に敵する勢力はもはや少ない。
いずれも地方の小豪族に過ぎない。
そして依る辺(べ)を持たぬ流浪の、劉備。
曹操の天下統一は時間の問題だった。
南へ。
徐晃は長駆し、号して八十万南征軍の中に天下平定の魁(さきがけ)と疾る。
徐晃伝 二十 終わり
徐晃伝 十九『戦わずして勝つ』
袁紹が死んだ。
袁家は、官渡の敗戦から再起しその存亡を賭けて団結すべきところを、あろうことか袁譚(えんたん)と袁尚(えんしょう)の兄弟が後継を巡って骨肉の争いを始め、曹操軍の侵攻を許した。
曹操は自ら馬を駆り、袁家の拠点・邯鄲(かんたん)を破り、余勢を駆って首府・鄴(ぎょう)を包囲する。
徐晃もこの軍の先陣にあって、良く兵を率い将の務めを果たしていた。
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袁尚配下の将・韓範(かんはん)が降伏した。
「我が城・易陽(えきよう)を曹操殿に献上致します。
以後、忠誠を誓います」
曹操がこれを受け入れると、続いて周辺の武将が次々と曹操軍に投降の意を見せた。
曹操は戦わずして袁家の領土を次々と手中に収めていく。
しかし、徹底抗戦を指揮していた邯鄲の将・沮鵠(しょこく)を捕らえると、沮鵠は一転して曹操に命乞いをした。
「曹操殿に忠誠を誓います。
どうか、どうかお許しくだされ!」
邯鄲包囲戦は苛烈な城攻めとなったため、曹操軍にも相当の被害が出ていた。
曹操は人物を見る眼があったから、沮鵠のような志のない凡夫を配下に加えるには値しないと断じた。
「将の風上にも置けぬ。斬れぃ!」
沮鵠は処刑された。
曹操のこの苛烈な在り方が、先の降将・韓範の動揺を誘う。
「降伏したのは間違いだったのか・・・?
このままでは私も、曹操殿に斬られてしまう!」
疑心暗鬼になった韓範は降伏を撤回し、再び武備を固めて曹操軍に反抗した。
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徐晃は一軍を率いて易陽城に迫る。
が、城の攻撃は命じなかった。
「敵を斬るだけが武ではござらぬ。
武の頂きへと至らんがため・・・これも戦でござる!」
徐晃は単身で易陽に乗り込み、城主・韓範との対談に臨んだ。
「韓範殿、貴公が恐れを抱いた気持ちはわかり申す。
されど幸い、戦端はまだ開かれてはござらぬ。
このまま易陽で曹操殿に歯向かうのは無謀でござるぞ」
「し、しかし私は再び曹操殿に叛(そむ)いてしまったのだ。
今度こそ許されまい。
どうせ死ぬのなら、せめて戦って一縷の希望に託した方が・・・」
徐晃は落ち着いた口振りで、韓範を説得する。
「曹操殿は乱世を統べる御方。
逆らう者みな斬り伏せては天下平定は遠のくばかり、それがわからぬ御方ではござらぬ。
拙者が一命を賭して曹操殿を説得いたす。
韓範殿、どうか拙者を信じて今一度武備を解いて頂きたい!」
誠を尽くした徐晃の説得に、韓範の心は揺れた。
この一本気で廉直な御仁に打算があるとも思えぬ。
韓範は無明の暗闇に差し込む一筋の光の如き徐晃の誠実さに、己の運命を託す他なかった。
「合いわかった、徐晃殿を信じよう。
どうかよろしくお頼みする・・・!」
韓範は再び降伏した。
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「・・・一体どういう事だ、徐晃よ。
易陽の韓範は、攻め滅ぼせと命じたはず」
「恐れながら申し奉る。
いま韓範殿を滅ぼせば、先に降伏した袁家の将もこぞって反旗を翻しましょう。
逆に韓範殿をお許しになれば、諸将はことごとく曹操殿に心服いたす。
兵法にも城を攻めるは下策、心を攻めるは上策とあり申す。
戦わずして勝つ事こそ、天下平定の大志のため」
敵将への怒りに苛(さいな)まれた曹操は並ならぬ貌で聞いていたが、やがてフッ、と笑みを浮かべて言った。
「・・・見事だ、徐晃よ!
お主の言、まこと武の真髄を言い得ておるわ。
わしが愚かであった。韓範は許す!」
敵を討たずして敵を制す徐晃の武が見事であれば、それを認めた曹操もまた大器であった。
こうして韓範は無事に曹操軍へ降り、それを知った袁家の諸将も「一度叛(そむ)いた韓範ですら許されたのだ」と安堵し、こぞって曹操に投降した。
彼らの兵数を借りて首府・鄴は陥落し、曹操は袁家勢力圏の大半を手中に収めた。
徐晃伝 十九 終わり
徐晃伝 十八『JOCO'Sキッチン』
満寵はある日、徐晃の邸宅に招かれた。
「よくぞ参られた満寵殿。
今宵は、日頃の感謝を込めて晩餐を作らせて頂き申す」
「徐晃殿が作るのかい?」
思わぬ申し出に満寵は呆気にとられたが、やがて好奇の眼差しで厨房に立つ徐晃の後ろ姿を眺めた。
居間の卓に座して待つと、何とも美味しそうな匂いが漂ってくる。
山河の様々な幸が用いられ、次々と卓に上がった。
「さあ、召されよ満寵殿。
日頃の感謝の気持ちでござる」
豪勢に盛り付けられた料理の数々は、しかし奢侈に走らず、新鮮な素材本来の味を活かした逸品ばかりである。
「これは驚いたな・・・まさか徐晃殿が、料理の道も極めていたとはね」
あまりにも美味しい料理に舌鼓を打ち、満寵はトントン箸を進める。
「まだまだ修業中の身でござるゆえ、満寵殿の御口に適い恐縮でござる」
厨房では燃え盛る竈(かまど)の火を巧みに用いて、徐晃が肉を焼いている。
平服の背に輝く「徐」の字が眩しい。
「若い頃、白波の軍にいた折に各地を転戦いたし申した。
味気ない兵糧ばかりでは士気が上がらぬゆえ、山河の幸を様々に用いて工夫を凝らした山賊料理を学び、今に至るまで己が在り方に研ぎ澄まして参った」
中原の山や河は食材の宝庫である。
カリッと香ばしく焼かれた皮を崩すと、湯気がゆらめき白身魚の温かな身がほんのりと塩の味付けで、虹色に光る。
風味豊かな油で炒めたタケノコ、山菜、薄切りの豚肉に魚醤のたれがよく絡む。
旨味成分の凝縮した蒸し鶏に包丁を入れるとブワッと蒸気が吹いて、卓は芳醇な香りに包まれる。
彩豊かな椒が織り成す「酸・苦・甘・辛・鹹(かん)」味の五行循環が口の中に広がって、満寵は腹いっぱいに食べ満足して言った。
「徐晃殿、食の頂きが見えたよ」
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「満寵殿、過分なお言葉恐れ入る。
だが拙者はまだまだ未熟。
食も武も、もっと学び、高みを目指さねば!」
どこまでも廉直な徐晃の在り方に、満寵は思わず笑みを浮かべた。
「ははっ、君は本当に変わらないね。それにしても、素晴らしい晩餐だったよ」
大満足して帰途についた満寵だが、その後足しげく徐晃の家に通うようになった。
よほど料理が美味しかったのだろう。
徐晃の邸宅には、いつもドタバタと走り回る子供がいた。
「阿蓋(あがい・蓋は名、阿は坊やの意)、満寵殿に御挨拶するのだ」
「こんにちは!」
今はまだ幼いこの少年は徐晃の子、後に名を徐蓋(じょがい)という。
親の知己たる満寵を師と仰ぎ、その薫陶を受けて学び策謀の髄を授かる事となるのだが、それはまたずっと先の話である。
徐晃伝 十八 終わり