『源太左衛門〜真田六文戦記〜』第三文銭:疾風三増峠

 

 

 

 

「シ・ン・ゲ・ン・ボウズがァァアアアーーーッ!!!」

 

ブチギレている。

 

 

怒髪衝冠極まりて、書状をビリビリにブチ破りながら、凄まじき形相にて叫んだ。

 

この容貌魁偉なる大殿は、北条左京大夫氏康。

関東八大国に君臨する覇者・北条一族を束ねる大大名である。

 

 

情に厚き熱血漢にして、智慧迸る老獪なる戦略眼をも併せ持つこの御仁は、『相模の獅子』の異名に相応しき確かな実力者だ。 

 

 

 

「・・・駿府城は陥落ッ!!

今川殿、姫様は国を落ち延び・・・」

 

 

 

わなわなと、握り拳を震わせる。

 

 

北条一族・鋼の結束を尊ぶ、家族主義者の氏康である。

 


愛娘を嫁に送り出した駿河の大名・今川治部大輔氏真は、婿殿にあたる義理の息子。

可愛い孫たちも共に居る。家族なのだ。

 


此の度、武田信玄は同盟を破棄して駿河国を侵掠、瞬く間に首府を攻め落し今川一門を追放した。

旧今川領を併呑して東海道まで領土拡大した武田軍団は、日の出の勢いを得ている。

 

氏康は、この武田の不義理にブチギレていた。

 

 

 


小田原城の大広間に集う北条一門の重臣達も、皆同様怒りにムチ震え、ブチギレておる。

 

「姫様よ、お労しやっ・・・!!」(すすり泣く爺ィの声)


「グーーーッおのれィ武田め、あな許すまじッ!!」


「成敗せしめん!武田を討ち果たさんと欲すゥゥーーッ!!」

 


「「ざわざわがやがや・・・」」

 

 


不義理のみならず。

軍事的地政学的にも東海方面への武田領拡大は、関東に君臨せし北条政権の重大な脅威である。

 


氏康は激情家であると同時に、冷徹なる政略家の相貌も覗かせた。

「・・・叔父上、武田を討つ策略、お聞かせ願いたし。」

 

右席に座す一門の長老、北条幻庵に尋ねる。

(武田の山本菅助某、今川の太原雪斎亡き今、戦国三大軍師最後の生き残りである。)


幻庵はしばし目を瞑り黙り込んだ後、指を三本立てて掲げた。

 

 


「・・・三手である。

武田を討つ策、三手にて成れり。」

 

 


(・・・・・・)

 

 


御一門衆、重臣達の悉くシンと静まり返り、傾聴している。

 

 

 

 


「第一手。今川残党を丁重に保護し、旧臣どもを糾合致す。」


氏康は頷いている。


「うむ。此れにて我らの武田討伐に、確たる正当性が得られる。」


大義名分である。

 

 

 


「第二手。三河徳川家康を焚き付けん。」


御一同、俄かに騒めいた。


「と、と、徳川は此度の駿河戦役において、武田のお仲間では!?」

 


徳川次郎三郎家康は、若干二十六歳。新進気鋭の弱輩者である。

今川の家臣であったが、主家弱体化の混乱に乗じて先年、独立を果たした。


今回、今川領西半分の割譲という餌に食い付いて、駿河侵攻で武田軍に協力して戦う。

が、平然と約束を破られ取り分は極少、骨折り損のくたびれ儲けと相成った。


かといって立場の弱い徳川では、武田に文句の一つも恐れて言えない。

 

「・・・確かに徳川が味方になれば、武田を挟撃せしむが能う。」


「次郎三郎の坊(ボン)め、激情の三河武士ども、頗(すこぶ)る不満も溜まっておろう。

・・・其処を揺するか。」

 

成程、妙手なりヤン。

 


御一同感心している。

 

 

 


「そして第三手。
・・・越後の上杉謙信と和すのよ。」

 

 


「「な、なにィィイイイーーーッ!!?!?」」

 

 

 

御一同、驚天動地の有り様である。


なんとも衝撃的な策略、発想のコペルニクス的転回であった。


広間は大いに騒めいた。

 

 

「「ざわざわがやがや・・・」」

 

 

――北条と上杉は、犬猿の仲である。


抑(そもそ)も、室町時代の昔より関東一帯は管領・上杉家が治めていた。

其れを戦国乱世の実力主義にて、下剋上により簒奪(さんだつ)したのが北条一族である。

国を追われた上杉家は越後に逃れ、当地にて見出した天才武将・長尾景虎なる男児家督を譲り、一族の命運を託した。

上杉景虎(謙信)である。

 


すなわち、謙信のアイデンティティとは逆賊・北条一族から関東を取り戻す事にある。

 


翻って北条一族は、悪主・上杉を討ち民百姓を保護する英雄として、その領国支配正当性の為、上杉家再興は容認できぬ。

 

 

成り立ちからして、水と油。

決して相容れぬ存在なのだ。


両国の対立は激しく、今日に至るまで実に十年以上も戦争状態が続いていた。

 

 

「ま、ま、まさか有り得ぬ!上杉とは父祖代々因縁の、仇敵ですぞッーー!?」


「だ、だが確かに上杉と武田の敵対も激しい。武田討伐は、上杉にとっても悲願たろうが、いやしかし余りに・・・」


「我らが武田に攻め入る間に、上杉に背後を衝かれる恐れがなくなれば、其れには・・」


「し、しかしあの謙信公が、我らの味方となります哉・・・!?」

 

皆各々にいろんな事を言いまくっている。

 

 

 

 


(・・・・・・)

 


氏康がスッと手をかざす。


御一門衆、重臣達の悉くシンと静まり返った。

 

 

「・・・確かに、謙信は呑むまい。

が、家臣どもは違う。」


幻庵は続ける。


「謙信の“義”には政略皆無、好き勝手に戦を広げおる。

おかげで越後は四方八方敵国だらけ、領内国衆の反乱も頻発し、実のところ国政は這々の体よ。


この外交的窮地において、上杉政権にとり我ら北条家との和睦は願っても無き助け舟。

其の上、強敵・武田も討てるとなれば、此れ程の好条件。もはや拒む謂れ無しッ!


如何に謙信が渋ろうと、政務司る重臣一同が危急存亡の策なりと推せば、流石の御仁も折れざるを得ぬ。」

 

 

御一同、息を呑んだ。

 

 

「・・・既に手の者を遣わし、水面下にて上杉家臣団との交渉を進めておる。

見るに同盟締結の流れ、利害の一致甚だれば、重臣共の総意にまず間違いなくッ」

 

 

 


大御所・氏康は腕を組み、神妙なる面持ちで目を瞑っていた。


カッーーー!!


と見開き、低く重く威厳溢れた声色で呻る。

 


「流石は叔父上ッ!!

天下随一の知恵袋よォーッ!!」

 

御一同、意気揚々と拳を掲げ、猛き高揚に打ち震え、大広間は熱気に包まれた。

 

 

一手、今川。

二手、徳川。

三手、上杉。

要(かなめ)として、此れを束ねるは、北条である。


「斯くして四ヶ国大同盟の多方面同時侵攻を以て、武田ッ!滅ぼすべし!!」

 

 

「「ウオオオオォォォーーーッ!!!」」

 

 

 


氏康は、拳を固く握り締めた。

 


「いざ、シンゲンボウズめ懲らしめてくれむ。」

 

 

 

 

 

 


~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

 

 

 


「・・・・・・・」

 

 


「・・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「・・・斯々然々、以上の策をば諸将抜かりなく完遂せよ。


而して、武田の勝利は決す。」

 

 

 

 「「応ッ・・・!!」」

 

軍議、終わり。

 

 

 

 

 

 

 

 

源太左衛門は、甲斐・躑躅ヶ崎(つつじがさき)館の廊下を歩いてる。

 

(・・・神懸かり的先見の明。全てを見通しておられる)


冷や汗をばかき、ムチ震えている。


(神や仏より畏ろしきは、御屋形様の軍略よ。ナンマンダブ、ナンマンダブ)

 

 

 

 


緊急招集された今回の軍議は、最重要機密事項の為に武田家中でも極一部、重臣級の武将のみ呼び出された。


源太も末席ながら、山県昌景の副将として参内している。

 

 

 


「兄者ァーーッ!!軍議は、如何に!?」


弟・兵部は呼ばれなかったので、館の外で待っていた様子。

 

 

源太は兵部に近寄り、耳打ちをした。


「・・・北条と一戦交えん。」


「なんとっ、こちらから仕掛けるのですか!?」


武田の駿河侵攻は、理不尽至極。

いずれ北条が黙ってはおらぬ事、皆、承知の上である。

 


が、今だ北条側に何ら動きなし。

水面下での四ヶ国同盟成立など、今だ全く噂にも立たぬ程の頃合いである。

 

 

武田・北条間の大合戦が目前に迫るとは、世間は知る由もない。

 

 

其れ程の諜報戦の極限的迅速さにて、武田信玄は万事情報を確保の上、北条征伐を即決したのだ。

(・・・あるいは、初めから読んでいたのか?)

 

 

まさに其の疾(はや)きこと風の如し、神速の対応は電光石火の奇襲となる。

 

 

 

 

 


源太左衛門は、郊外に待機した真田騎馬軍団の将兵を前に、大演説を奮う。


「我らは先手を打ち、敵の予想遥か上をゆく神速にて、一挙に攻め掛からんッ!!

敵方の備えが整う前に、北条方総本拠・小田原を攻め落とす軍略ぞィッ!!!」

 

「「ウオオオオシッ!!」」


士気は滾る。

源太左衛門率いる精鋭・真田軍団は、猛々しき血潮に漲っている。

 

 

「武田の軍旗に、真田六文銭ありと知らしめよィイイーーーッ!!!」

 

「「ウオオオオォォーーーーシッ!!」」

 

 

 

「ブォォオオ~~~~ン!!」(法螺貝の音)

 

 

 

出陣である。

 

 

 

 


馬の嘶(いなな)き蹄の音、鎧兜と武具の騒々しき重なりを伴い、騎馬軍団は出立す。


其の篝火(かがりび)の轟々と燃え盛るが如き激昂の士気をよそ目に、源太は、兵部に耳打ちをした。

 


「・・・兵部、此の檄(げき)は表向きよ。

御屋形様の深謀遠慮、我ら謀略の歯車と成らん。」

 


「・・・・ッ!」

 


冷徹なる兄の表情に、兵部は、ゴクリと唾をのんだ。

 


冷や汗が流れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 


「うわははッ!まさに鎧袖一触ッ!!

無人の野を行くが如きにてッ!!」

 

 

 

武田軍総勢二万の大軍は、一挙怒涛に北条領・相模国へと侵攻。


奇襲となった。

 

 

 


想定外の迅速さに、北条軍は今だ大合戦の備えが整っていない。


武田軍団は滝山城はじめ北条方支城を次々と陥落せしめ、

ついには北条一族の本拠地・小田原まで攻め上がり、城を囲むに至った。

 

 

(・・・強過ぎるのではないか、我らは)

 

源太左衛門は感嘆している。

全て事前の軍議にて、御屋形様が予見した通りに事が運んでいる・・・。

 

将兵の士気は、最高潮に昂っていた。

 

 

 

 


が、御屋形様の目論見によれば、此度の戦役はここからが正念場だ。

 

「・・・これが、小田原城。」

 

源太の眼前に、荘厳と鎮座す巨大城塞。

天下の堅城と名高きこの小田原城は、戦国史上最強クラスの防禦力を誇る。


かつて軍神・上杉弾正少弼謙信が関東諸侯連合十万という史上空前の大軍を率いて攻め掛かったが、

北条氏康はこの鉄壁の小田原城に立て籠もって防衛戦を徹底し、ついには、撃退した。

 


攻城戦は不利である。


武田は遠征軍、モタモタしておれば周辺諸国からも攻め寄せられ、奇襲の勢いが死ぬ。

 

 

何としても北条方を城から出撃せしめ、野戦を挑む必要があった。

 

 

 


「三国一の、臆病者めらッーーーィチ!!!」


「武士らしく、戦わんかいィィイイイーーーッ!!!」


「「アホォォオオオーーーッ!!!」」

 

 

武田方は罵詈雑言の限りを尽くし、城の四方八方より北条方を激烈に挑発し始めた。

 

 

「城から出て来んかぃ、腰抜けェェーーーーィ!!!」

 

が、誰も城から出て来ない。

 

 

 

 


「・・・信玄坊主め、先手を打った神速の奇襲、怒涛の進軍、此処に至るまでの采配は流石ッ!見事であったわ。


しかし我ら北条一族が誇る天下の堅城・小田原は、 如何な精兵にも大軍にも、落とせるものではないッ!

ぐわはははっ、ガーーッハハハハッ!!!!」


城内の広間では、長男・北条氏政がお茶漬けを食べながら高笑いしている。

食べながら喋るから、口から米粒を飛ばし散らして・・・


父・氏康の表情は、此れは、何とも苦々しい表情で愚息を見て、呆れている。


 (・・・城攻めなんぞ、してる暇はないゾイ。信玄坊主め、何を考えておる・・・)

 

 

 

 

 

 

「関東武士の、名折れィィーーーッ!!!」


「武田が怖いんかッ、意気地なしめァァアアアーーッ!!!」


その後三日三晩、武田方は罵詈讒謗、嘲罵侮辱の極まれり、北条方を挑発し続けた。

 

 

 


・・・全て、無視されてしまった。

 

ついに北条方は、挑発に乗らぬ。


もはやこれ以上、本国を危険に晒すわけにはいかぬ。

そうなると決断は、早かった。

 


三日間、城攻めの本陣に堂々鎮座していた武田信玄は、四日目の朝、号令した。

 

 

「撤退せよィィーーーーーーッイチ!!!」

 

 

 

 


こうして武田軍総勢二万は、小田原城の包囲を解いて、撤退した。

 

 

 

 

 

 


~~~~~~~~~~~~

 

 

 


その頃、一方。

 


北条一族・鋼の結束は、方面軍司令官の同族経営にも表れている。


氏康の三男・陸奥守氏照は甲州街道守備軍を、四男・安房守氏邦は秩父方面守備軍を率いていた。


これが今、小田原城の北西・三増(みませ)峠の山麓に軍勢を集結させている。


武田方速攻の進軍により連絡線を断たれた両方面軍は、小田原城への参陣が間に合っていない。


が、これが逆に今、活きていた。

 

 


「・・・奇襲である。」


三男・氏照は、小田原方面へ何度も斥候(せっこう)を送り、慎重に武田方の動きを探っていた。


・・・甲斐本国へ逃げ帰る武田軍は、この三増峠の山道を越える算段が高い。

 

 

「兄者、千載一遇の好機ですぞ。」


四男・氏邦も、勝機を見出し武者震いしている。

 

 

勝手知ったる相模原の山々ならば、我ら兄弟が庭の如し。

対して武田方は敵国ど真ん中、不慣れな山道の退却である。

 

 

「・・・信玄の首すら、狙えるのではないか。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 


小田原攻略を諦めて撤退する武田軍は、甲斐本国へ向かっていた。


退却ルートには南西、険峻なる箱根山麓越えのルートもあったが、より起伏の少ない北西、相模原越えのルートを選んだ。

 

 

 


やがて、峠に差し掛かる。

 

 

 

 

 

 

 「・・・この峠は何と申す」


「はっ!三増峠に御座りまする!」

 

 

 

 


武田信玄は用心深く、影武者を何人も用いる。

退却軍は縦に伸びきって山道を行くが、カモフラージュされた軍列は本陣の所在を巧妙に隠していた。

 

 

 


今、三増峠の山道には北条軍総勢一万が密かに伏兵を布いている。


木々の間、岩陰、林の中、峠の高所・・・其処彼処(そこかしこ)に潜み、一声も発せず、武田軍を奇襲すべく待ち伏せていた。

東軍は三男・氏照、西軍は四男・氏邦、挟み討ちにて一網打尽とする策略である。

 

何も知らぬ武田軍の兵列が、彼らの眼前を行軍していく。


極限的緊張感。四男・氏邦など、手汗で槍がすべる程である。

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・」

 

 

 

 


突然、武田方全軍が一斉に行軍を停止した。

 

 

 

(・・・・・!?)

 

 

 


静寂。

 

 

 


と、次の瞬間!


武田兵は突如、荷駄や貨物を捨て去り、重り甲冑も脱ぎ捨て、一目散に逃亡を始めた。

士卒悉(ことごと)く、全力疾走で峠を逃げ駆けていく。

 

 

北条方は意表を突かれ、一瞬、思考停止した。

 

 

(奇襲、察せられたかッ…!? 武田信玄、流石に智略鋭敏ッ・・・!!)


が、好機である。


この山間の狭隘で荷駄を捨て逃げ去る様見るに、敵に備えはない。

 

 

 「逃がすなァアアーーー!!!すわ掛かれィ、追い討ちェェエエエーーーッイ!!!」

 

四男・氏邦が怒号を発した。


方々より伏兵が現れ、高所より北条軍の逆落とし、怒涛の勢いで武田の兵列に襲い掛かる。

 

突然の大奇襲に、武田方は対応し切れていない。

逃げる背中を次々と斬られ、応戦する者も勢いに押され、続々討ち取られておる。

 

 

 


 (・・・早過ぎるのではないかッ!?)


四男・氏邦の奇襲を見て、反対側の伏兵を陣取る三男・氏照のコメカミに、一縷の汗が流れた。

 

智将・陸奥守氏照の脳裏には、トドメの一手が描かれている。


すなわち、小田原城から長男・氏政の北条本軍が出撃する手筈である。

既に援軍要請の使者を送った上での、伏兵であった。

奇襲の上、三方より挟み、徹底撃滅の策である。

 

が、わずかに早い。

今暫し待たねば、本隊の到着前に戦端を開いては・・・


「氏照様ッ、我らもッ!!!」


(・・・否。流石に信玄、奇襲を悟りて逃げ足も速い。

兄者の本隊到着を待っては間に合わぬ、逃げられるではないかッ!

奇襲は成功、最大の好機に違いなし。此処で、討つッ)

 


ここまで思考、一瞬である。

 

 

 


「すわ、掛かれィィーーーッチ!!!」

 

 


三男・氏照の号令が響き渡る。


西側に続き、東側からも北条の伏兵が急襲を仕掛けた。

 

 

 

 


武田方は奇襲と挟撃をもろに喰らい、士卒の動揺極まれり。

逃げ駆けるも次々討ち取られ、兵列は瓦解し将も討たれた。

 

「うわははッ!討て討てーーーィッ!!北条が武威、召され候エェッ!!」

 

 


こうなればもはや、一方的である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 


 「ピュゥゥゥウウウ~~~~~ッ!!!!!」

 
三増峠の遥か後方、武田信玄の本陣から放たれし鏑矢(かぶらや)が空を裂いた。

 

 

 


(・・・・・!?)

 

 

 

合図である。

 

 

 
三増峠よりも更に高所、志田峠の峰沿いにズラリと、突如大軍が現れた。

 

真っ赤の鎧兜に統一した武田軍最強の精鋭部隊、山県昌景の赤備えである。


副将には源太左衛門、真田一門の六文銭旗も勇ましく翻る。

 

 


 「今ぞッ!!駆け落とせィィイイイーーーッ!!!」

 
別動隊大将・山県の、野太き獣の如き咆哮が轟く。

 

 

 


「「ハイヤァアアアアーーーッ!!!」」

 
ドドドドドドドドド・・・!!!!

 

 

 

 

 


けたたましき地鳴りが響き、山が震えた。

 

 


騎馬にて逆落とす大軍の先陣を駆ける、源太左衛門。

 
(御屋形様の軍略、神仙の域なり。全ての事象が、予見通りに進んでいく…)

 
冷静に分析している。

 
(我らはただ謀略の歯車、棋盤の駒として動けば良い。・・・しかし)

 

 

「・・・しかし、この高揚感は、滾る熱き血潮は、何だァァーーーッ!!!」

 


源太左衛門は叫んだ。

 

 

最近、少し頭でっかちになっていた。

 
御屋形様の尋常ならざる策略の応酬に感銘し、畏敬し、萎縮する余り、

かえって武門の激情を抑え、策を識(し)るべく冷徹たらんと努めていた。

 
・・・思えば単に、今川との戦で出番が無かった不満、悔しさと反発で、意固地になっていただけだろう。

 
このところ何だか頭にモヤモヤとしていた鬱屈が、一挙に、吹き飛んだッ!!

 

 

精鋭武田騎馬軍団の一翼として、戦場に在る。

 

 

己が身は、今、峠を吹き抜ける疾風となるッ!!

 

 

・・・今ここに、生きておる。

 

 

 

 


「すわ、掛かれィィーーーーッチ!!!」

 

熱き血潮、脈打つ鼓動が心地良い。

 

 

 

 

 

 

「「ハイヤァアアアアーーーッ!!!」」

 

ドドドドドドドドド・・・!!!!

 

 

 


真っ赤な雪崩の如く人馬一体鉄血の塊が、一斉に押し寄せて来る。

 


「あ、あ、あ・・・あ、赤備え・・・ッ!!」

 
「地獄の渡し賃、真田の六文銭じゃ・・・ヒィッ!!!」

 

 

北条方の兵達は、一瞬にして驚愕と恐怖の混乱に陥った。

 

周りを見渡すと、つい今し方まで散々蹴散らしていたはずの武田兵が、いつの間にやら消え去っている。

追い討ちに夢中で気付かなかったが、これは、遠巻きに敵軍に包囲されつつあるのか・・・?

 


「深入りし過ぎているッ・・・!!」

 

三男・氏照は、事態の深刻さを即座に察した。

 

 


手遅れである。

 

 


「「ハイヤァアアアアーーーッ!!!」」

 
鉄塊の奔流が如き騎馬軍団が、袋のネズミとなった北条軍を蹂躙した。

 

 

 

 

 


~~~~~~~~~~~~

 


刻は少し、さかのぼる。


小田原城である。

 

 

武田軍が城攻めを諦め、オメオメと逃げ帰っていく様を城内から眺めて、長男・氏政は満足げな表情を浮かべていた。

 
「ガーッハハハッ!!小田原城は、天下無敵の城塞。この城が落ちるなんて事は、天下が落ちでもせぬ限り、有り得んことよッ!!ぐわははは!!」

 

こんな性格だがしかし、さすがに次代の北条一族を背負う大名の器である。

 
逃げる武田の背を討つべく、直ちに追撃軍の準備を指示していた。

 
しかもそれでいて、武田方の退却が罠である危険も看過している。

老獪な信玄坊主であれば、城方を誘い出すべく偽りの撤退など演じて、逃げる背を追いに出たところを待ち伏せ野戦に持ち込む策、大いに警戒すべしと心得ていた。

 
氏政はいつでも攻め掛かれるよう自ら具足を着込んで待機中だが、

一方で慎重なる出撃を致すべく、斥候を放って情報収集に余念がない。

 
さて、あとは出陣前の景気付けにと、お茶漬けを食べ始めていた。

 

  

そこに間が悪くにも父・氏康が怒鳴り込んできた。

 
「氏政ァァーーーッ!!!出立、直ちに致せィ!!」

 
ブフゥッ!!!

 
驚いた氏政はつい、吹き出して、口から米粒を飛ばし散らした。

 

 

「茶漬けなんぞ食っとる場合か、馬鹿者ォォーーーッ!!!」

 
ブチギレている。

 
「し、し、しかし父上!武田の撤退は策やも知れませぬ。

勇んで討ち出たところを、待ち伏せられれば窮地に御座るッ!!」

 
最もである。

 

が、氏康の視野は遥かに広い。

 


「無いッ!!それよりも、氏照と氏邦が危うい。

してやられたわッ、信玄坊主に、王手飛車取りを掛けられたのだッ!!」

 
氏政ならびに広間の諸将には、何の事やらついていけない。

 
ちょうど其処へ、三男・氏照からの援軍要請を伝える使者が、小田原城へ到着した。

 
「退却する武田軍は、相模原・三増峠を縦断の見込み。

氏照、氏邦両軍は此れを挟み討つ故、小田原本軍におかれましては、追討の援軍を願いたく!」

 

 

ざわざわがやがや・・・・

 


広間はざわめいた。

「武田方がもう相模原までッ!?・・・速すぎるのではないか」

 


長男・氏政はさすがに事態を察した。冷や汗をば、かいている。

 

 

王手飛車取り、言い得て妙なり。

 
武田は北条の本拠・小田原まで攻めて王手を掛け、撤退する。罠を恐れて小田原(王将)は釘付けとなっている。

 
その隙に神速の行軍で畳み掛け、飛車(氏照・氏邦)の両将を、討つ策略である。

 

 

小田原からの追撃を対策しての撤退では、此れ程の速さでは行軍できぬ。

本軍が慎重で動けぬこと、完全に読まれている。

 

氏政は、茶漬けの椀を放り投げた。

 
バリーン!

 
割れる。

 

 

「全軍、出陣じゃァァーーーッ!!!目指すは、三増峠ッ!!」

 
長男・氏政の大号令にて、北条本軍総勢二万、直ちに小田原城を出立した。

 

 

・・・老齢の父・氏康は、脚が悪い。

もう昔のように自ら陣頭に立ち、軍を指揮できる歳ではない。

 


いつも茶漬けを食い散らかして、間抜けておると思っていた愚息・氏政だが、いざ大合戦と此処に至り、総大将の貫禄を垣間見た気がする。

 


小田原城を出陣する北条軍の威容を眺む父・氏康の表情は、これは、どこか次代を頼もしく思う、そんな表情であった。

 

 

 

 

 


~~~~~~~~~~~~

 

 

小田原を出立した北条本軍総勢二万は、全速行軍で三増峠へ駆ける。

 

 

北条一族・鋼の結束は、家族主義。

第四代当主・氏政も、先祖代々の信念をしかと受け継いでいる。

 


愛き弟たち三男・氏照、四男・氏邦の窮地に、長男・氏政は捨て身の思いで騎馬を走らせた。

 
やがて相模原を臨み、三増峠の方々に響く戦のザワめき、立ち昇る砂埃を見た。

 
(氏照、氏邦ッ…!どうか、無事でいてくれよっ)

 

 

 

峠に着いたのは夕刻である。

 
武田軍は、もういない。

大勝利を飾りて迅速なる撤収、既に本国へ撤退していた。

 
山道の其処ら中に、北条兵の死屍累々の有様である。

 

 

・・・惨敗であった。

 

 

「兄者・・・兄者、すまぬッ!グヌッ、ウゥッ・・・」

 


敗軍の将、三男・氏照と四男・氏邦は、ボロボロの出で立ち。

具足は乱れ身は傷だらけだが、生きておる。

 


長男・氏政は二人の肩をぐいっと掴み、男泣きに泣いた。

 


「よくぞッ・・・よくぞ生きておった!果報ぞ。果報ぞッ・・・!!」

 


三兄弟、肩を寄せ合い、涙している。

 

 

北条一族・鋼の結束は、家族主義。

次代を担う若き兄弟達にとって、この敗戦は、得難き教訓として活かされるであろう。

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

後日談。

 

 

 

 

 

武田全軍は無事、甲府へ撤退した。

 


此度の大勝利は、武田信玄の軍略極まれりと方々驚嘆せしむが、しかし、それで終わりではない。

 


信玄公の深謀遠慮、真の神算鬼謀が炸裂したのは、戦後である。

 

 

 

 

すなわち、北条・上杉同盟の破綻。

 

 

信玄公の狙いは初めからこれであった。

武田の小田原侵攻に対し、上杉方が救援を出さなかったのだ。

北条・上杉同盟の約束にある「片方が武田に攻められし時、片方は援軍を出す」これを、上杉謙信は守らなかった。

否、守れなかったのである。

(武田軍の小田原侵攻・撤退の迅速さ、越中戦線の膠着状況、北条家への不信感、謙信自身のエゴイズム、足利将軍家の圧力・・・多様な理由に依る。)

 


もともと犬猿の仲たる北条と上杉、約束反故により双方は険悪至極。瞬く間に相互不信へと陥り、同盟は破綻した。

 


斯くして再び窮地に陥った北条家は、上杉対策の為やむを得ず方針転換、再び武田と和睦する。

上杉も然り、武田との和睦を決す。

 


結果、武田の一人勝ちである。

 

 

 

 

 

源太左衛門は、筆を置いた。

 
日ノ本地図の真ん中に、デカデカと、武田の二文字が君臨す。

・・・全てが御屋形様の予見通りである。

 


源太には、智略政略の巧妙がわかる。

が、それだけに終始する性質(タチ)ではない。

 


あの逆落としにて感じた爽快感、胸の高鳴り。

戦場を駆け、武威を奮いて昂ぶる怒涛の最中に身を置く。

 


(あの高揚感、戦こそ華よ。戦国乱世よ・・・。)

 

 

源太の心から、迷いが消えた。

我が行く道は此れにありと、しっかと見定めたのだ。

 

 

 

 

疾風の如く三増峠を駆け抜けて、今此処に、新生・源太左衛門の将器が覚醒した。

 

 

 

 

 

 


第三文銭「疾風三増峠」、了

 

 

 

~続く~

 

 

 

 


※この物語はフィクションです。

 


※一部、設定が史実の通説と異なる場合があります。ご了承ください。

 

 

 

【参考文献】

甲陽軍鑑』、『真田家譜』、『仙台真田代々記』、『信綱寺殿御事蹟稿』、『高白斎記』、『越後野志』、『上越市史』、『松平記』、『北条五代記

 

 

『源太左衛門~真田六文戦記~』第二文銭:潮風薩埵峠




真田一族には先祖代々、二極の性質が兄と弟に相分かつ。


すなわち武勇の血と、智略の血である。


源太の父・一徳斎は智略の将、その弟・源之助頼幸の叔父御は、武勇の将。

源太の弟達にしても、次兄・兵部丞昌輝は武勇の将、三弟・安房守昌幸は智略の将。

後の世に名高き甥子共、兄・伊豆守信之は武勇の将、弟・左衛門佐信繁は智略の将。



・・・では、源太は如何。



真田の長兄・源太左衛門尉信綱は、一騎当千の豪胆なる武勇と、鋭利冷徹なる智略とを併せ持つ。


すなわち、智勇兼備の名将。





次代の真田一門を統べる、大名の器であった。








~~~~~~~~~~~〜


「先駆け大将はァーーーッ!!!

真田左衛門、真田ノ兵部、この両名ッ!!」


馬場民部信房の、野太き獣の如き咆哮が呻る。


「「応ッッ!!!」」


軍議、終わり。





此度の大抜擢は、真田一門の武勇が精鋭武田軍団でも際立って顕著なる様を人口に膾炙せしめた。

真田兄弟は此度、駿河国の大大名・今川家との大戦において、栄えある武田軍先鋒に任じられたのだ。



「兄者、愈々先駆けとは、武門冥利に尽き申す!」


「カッカ兵部め、はしゃいでおるわ」


斯く言う源太も、熱き血潮の滾る心地を感じた。


初陣より父・一徳斎に従い、幾多の戦場を駆け早十年。

一線を退いた父に代わり、ついに己が一軍を率いる将として、戦場に立つ身と相成った。


しかも此度は、先駆け大将。



若々しき初陣の頃のそれとはまた違う、猛々しくも重厚なる高揚感であった。






躑躅ヶ崎館の廊下を歩くと、書生風出で立ちの若者が、傅いている。


「兄上、大兄上。此度の抜擢、御目出度う存じまする。」


喜兵衛である。


源太、兵部らの弟、三男坊の喜兵衛めは、今は御屋形様の近習衆として側仕え致す。


後の安房守昌幸である。





今は齢十九ばかりのこの青年は、源太とは歳の十も離れた愛き弟御。

いつの間にやら凛々しく成長し、久々の再会であった。


「喜兵衛よ、先の義信様御自刃の沙汰、家中の動揺甚だしかろう。」


昨年、信玄公の嫡男・武田太郎義信が謀反の罪を問われ、切腹に追い込まれる大変事が起きた。

躑躅ヶ崎の事務方連中は、この喜兵衛も含め、御家騒動の対応に如何程追われた事であろう。


「御屋形様は、落ち着いておられまする。」


斯く言う喜兵衛も落ち着いている。

若年にして大したものよ、肝が据わっておるワイ。


兵部は感情を隠せない。わなわなと打ち震えている。

「親が子を弑し奉る等、在ってはならぬ事よ。何故以て御屋形様は、斯くも惨き業を…」


喜兵衛は至極、落ち着いている。

「御嫡男といえど御家の為、致し方ありますまい。武田の領国拡大の好機は逃せませ…」



「「ッベブチゥ!!」」



源太は懇親の膂力を以て、弟二人の顔面を全力でブチ殴った。


「兵部、御屋形様とて断腸の決意よ。子を愛さぬ親がどこにおる。誰よりもお辛きは、御屋形様よ」


「喜兵衛、利に聡き故に義理人情を軽んずは、すなわち人を軽んずる驕り。甚だ傲慢よ」


「兄者、相すまぬ」

「失礼をば、仕り申した」



兵部は、激情を抑える理性を持たば、万人が其の騎下に命惜しまぬ勇将となろう。


喜兵衛は、驕らず人心の機微をも熟慮能わば、万人を教え導く稀代の智将となろう。



いずれは斯くも大器なる二将の上に立ち、束ね、従え、真田一族を背負って立つ武門の棟梁たるは、この源太左衛門をおいて他にない。











~~~~~~~~~~~〜


今川治部大輔義元は、稀代の英傑であった。

駿河国を要に東海道五大国に君臨し、一代にして最大版図を現出した大大名である。


武田信玄も、この今川大公との敵対は避けた。



すなわち相模の北条も巻き込み、互いの子供らを嫁・婿に出し合い、雁字搦めの血縁を結びて堅牢なる平和協定を締結したのだ。



ーー甲相駿三ヶ国大同盟。



此の外交戦略を極限的至高にまで昇華せしめた智慧の結集、戦国史上に刻む最高傑作的大同盟は、複雑怪奇に入り組んだ政務軍略諸事悉くを緻密に縫い合わせ、その奇跡的絶妙なるバランスを以て見事三大国間の武力衝突を徹底的に抑制せしめた。


(武田の軍師・山本菅助某、北条の幻庵宗哲、今川の太原崇孚雪斎、戦国三大軍師と讃えられし彼等が苛烈なる頭脳戦を繰り広げ、幾多もの困難・障壁を討ち破りてこの歴史的大同盟は、実現した。)









・・・が、其の今川家に先年、激震が奔る。


桶狭間にて、義元大公、御討死ッッ!!!」


今川家の命運は、此処に尽きたと言って良い。









(・・・海を獲らねば、武田は滅ぶ)



信玄は直ちに理解した。


武田家は、未曾有の窮地に陥ったのである。







すなわちーー

超大国に膨張していた今川家は、その自重を支える偉大な柱を突如として失い、今まさにガラガラと崩れ落ち、高転びせむとしていた。

危急存亡にて担ぎ上げられし若輩の当主・今川治部氏真には、これを受け継ぐ才覚など無い。


武田領に隣接する此の広範な領土が、他国の大名に奪われるのは時間の問題であった。

ここを敵対勢力に奪われれば、すなわち武田は南方領土を全面に塞がれ、さらに東には北条一族が虎視眈々と、北には軍神上杉謙信が睨みをきかせている。


最悪の場合、武田は三方面から敵軍に包囲され、多方面同時侵攻を受け滅亡の危機に瀕するのだ。





・・・もはや武田が生き残る道は、唯一つ。


「我らが今川を滅ぼし、駿河を攻め獲らむッッ!!」



信玄は、亡き今川大公の娘を妻に持つ嫡男・太郎義信の誅殺はじめ、家中の親今川派を悉く粛清せしめ、丁重に弔い遺族を安んじ、武田家中の団結一丸と成って今川家を滅ぼすべく、不退転の決意を示す。



(・・・太郎よ、忠節の猛虎らよ・・・決して無駄にはせぬ。)



斯くして武田家の存亡を賭け、一大遠征軍が今川領へと雪崩れ込んだ。


その先駆け大将が、源太左衛門である。










~~~~~~~~~~~〜


峠に差し掛かる。


薩埵(さった)峠という。


荒ぶる波が打ち付ける海岸に、この急峻な峰々はせせり立つ。


晴天の青空、遠大なる海洋。

遥か遠目には霊峰・富士の山も眺められた。



(・・・・・絶景なりヤン)



潮風が心地よい。



源太左衛門は山国信州の生まれ、此の方歴戦山々を駆け大河を渡り野々を巡るが、大海を見ゆは初めてであった。



声にもならぬ感無量。



・・・が、今は合戦である。



峠を挟み、眼下には未だ大勢なる今川軍団一万五千が布陣していた。



此度は、野戦ではない。


両軍は山間の峡谷を挟みて、要衝・薩埵峠の隘路に少数精鋭を繰り出し戦術を駆使する、山岳戦の様相を呈しておる。


まず敵方の先鋒を討ち、峠を奪い、これを要塞として守りを固む。

奪還に来たる敵方を迎え討ち、山の利を活かして逆落とし、一網打尽に討つ算段である。


一番槍、源太左衛門らの先駆け勢い如何に、この合戦の趨勢は掛かっているとも過言ではない。





源太は馬首をば揃え、下士官に突撃を知らしむる法螺貝を用意させると、

「すわ、掛かれィィイイイーーーーッ!!!」

怒号を以て全軍を押し出さんと構えた。


(・・・・・)


が、まだ叫んではいない。

静寂のままだ。


今まさに掛からんと躍り出た源太の肩を、総司令・馬場民部の手が止めていた。



「・・・調略である」



その時、敵方今川の遠大なる軍容の其処彼処で、一斉に騒乱がどよめいた。

立ち処に兵馬は乱れ、戦線は四散し、方々で旗指・帷幕は倒れた。


総崩れである。


「一体、何が」

兵達は状況が呑み込めぬ。



馬場民部は、得も言われぬ、悲嘆とも憎悪とも憐憫ともわからぬ、ただ遠き眼にて、崩れゆく今川の軍容を見下ろしていた。



(東海の覇者たる今川が、今や斯くの如し・・・無常よ)



此度の大戦、戦う前から結果は決していた。


義元大公を喪い動揺する今川家臣団に対し、武田方の密かなる調略の手は主たる重臣級はじめ有力国衆に至るまで隈なく及んでいた。


代々今川家に忠節を尽くしてきた筈の武将ども、のべ二十一名もの大将がその麾下一万数千の軍勢諸共に悉く主家を裏切り、武田へ寝返ったのだ。






・・・源太らの出番はなかった。



「己が身の可愛さ故に主を裏切り、これが武士のやることかよッ、このザマかよッ!!」

兵部は激情に駆られている。



が、源太はブチ殴りはしなかった。



源太には理がわかる。しかし、情もわかるのだ。



父を継ぎ、真田一門の棟梁と成りつつある源太は、もはや遮二無二若武者ではない。


真田の家を背負っている。



理も、情も、わからねばならぬ。

その上で、我らは如何に生きるか、如何に死ぬか。



(・・・いずれ御屋形様亡き後、武田はどうなるであろうか。・・・其の時、真田は)








源太左衛門が去った峠の道に、潮の風が吹き荒ぶ。






第二文銭「潮風薩埵峠」、了



~続く~




※この物語はフィクションです。


※一部、設定が史実の通説と異なる場合があります。ご了承ください。



【参考文献】

甲陽軍鑑』、『真田家譜』、『仙台真田代々記』、『信綱寺殿御事蹟稿』、『高白斎記』、『越後野志』、『上越市史』、『松平記』

『源太左衛門〜真田六文戦記〜』第一文銭:秋風川中島



落ち着いている。


息が、である。





未明、源太左衛門は登山をしていた。


すなわち、夜陰に乗じて上杉本陣を奇襲すべく、裏手より妻女山を駆け登っていた。


馬には轡を噛ませ、蹄は布で覆い、鎧兜は脱ぎ捨て篝火も焚かず、武田軍別動隊一万二千は密かに上杉軍本陣が座す霊峰・妻女山の山頂へと向かっている。


将は気鋭の重臣・山県三郎兵衛昌景、馬場民部少輔信房、この両名。

源太左衛門は父・真田一徳斎幸隆に従い、此度、初陣と相成ったのだ。


(源太、覚悟は良いか。)


父が馬上より無言にて、身振り手振りにて源太左衛門に覚悟を促した。


(応よ。)


初陣だが、怒髪冠を衝くが如きこの若武者の胆力は、今潮の満ちるが如く、揚々である。


山頂まで登り身体は火照っている。外気は朝靄が湿りて、冷たい。

このまま静まれば汗も冷えて、寒さに震える事にもなろうが、今まさに、大合戦が始まる。

燃え滾る如く我が身は、露も汗をも戦の熱が蒸発せしむ。

我此れより、鬼と化して侵掠せむん!



上杉本陣の白き帷幕は、僅かな木々を隔てて目と鼻の先にある。


(・・・静か過ぎるのではないか。)


源太左衛門が思うと同時か、将山県の怒号が響いた。


「すわ、掛かれィィイイイーーーッ!!!」


武田軍一万二千、疾風迅雷の如く一斉に上杉本陣に斬り込んだ。



(・・・!!!)



もぬけの殻である。



「図られたわ」


帷幕の人影は、全て藁のカカシだった。





「・・・御屋形様が危ない」




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


早朝の八幡原には濃い霧が立ち込め、一寸先の見通しも効かぬ有り様であった。


甲斐の虎と名高き大大名、武田大膳大夫晴信が率いる武田軍本隊八千は、八幡原に陣を布く。


軍師・山本菅助某の献策により、軍を二手に分けて別動隊が妻女山上の上杉本陣を奇襲、追われ逃げて山を降りた上杉軍を、麓の八幡原にて待ち伏せる本隊が迎え討ち、挟撃せしむ軍略である。



が、外れた。



戦国大名の采配には、二通りある。

その二極のバランスが、将の戦色を決定づけた。


すなわち一つは理(ロジック)であり、一つは勘(センス)である。


上杉弾正少弼政虎という男は、完全なる後者の将であった。



「今宵、出来せり。」


武田方が理詰めにて打ち立てた必殺の策略を、上杉弾正は勘にて看破した。


上杉軍は夜半、突如思い立って密かに妻女山を駆け降り、鞭声粛々夜河を渡りて、早朝には八幡原に全軍を集結していたのだ。


武田方の行動を探り、密偵を放って観測し、方々の情報を精査して合議、作戦立案してから行動を起こしたのでは、とても間に合ってはいない。


勘(センス)の御仁なのだ。



しかもこの勘に、運も味方した。


政虎がそこまで予見していたかは定かではない。

が、結果としてこの日、川中島一帯を覆った濃霧は上杉軍の隠密行動を武田方から完全に隠蔽せしめた。



上杉軍一万三千、武田本隊八千、平野の合戦では甚だ並々ならぬ戦力差である。


更には兵の士気が違う。


山を落ち延び逃げて来た敵を悠々と迎え討つはずの武田方は、上杉方の神懸かり的奇襲返しにて、霧が晴れると同時に意気盛んなる敵全軍を眼前に見た。

兵は、浮き足立った。



白装束に身を包む上杉弾正は、騎上にて抜刀せしむ。


「蹂躙せよィィイイイーーーッ!!!」


けたたましき地鳴りが響く。



上杉全軍が疾風迅雷の如く、武田本陣に突撃した。





〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


さて、源太左衛門。


「決死行にて山を駆け降り、御屋形様をばお救い申さねば!」


弟・兵部丞昌輝が興奮気味に語るより先に、源太左衛門と父・一徳斎は、既に下山の進路確保を見極めていた。



山県、馬場の両将も


「刀、返せィィイイイーーーーッ!!!」


迅速である。



徒歩兵を捨て置き、騎馬隊のみ先行して、直ちに妻女山を駆け降りた。





(さしずめまるで、鵯(ひよどり)越えの逆落としよ)


笑っている。



源太左衛門は、落ち着いている。

この武勇豪胆なる若武者は、その怒涛が如き熱情と、沈着なる冷静さとを併せ持っている。



次代の真田一門を背負って立つ、大名の器であった。






〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


落ち着いている。



「山本菅助某、討ち死にィーーーッ!!!」



眉一つ動かぬ。



「弟君、武田典厩信繁殿、御討ち死に召されィーーーッチ!!!」



能面のように、表情が微動だにせぬ。





武田大膳大夫晴信。


この男に、情というものはないのか?


否。


まこと情深い。


恩情の御仁である。





しかし、大将なのだ。


この極限的危機的戦況、ひとたび大将が狼狽えれば、忽ち動揺は下士官に伝播し、軍は瓦解する。


一分の隙をも見せてはならぬ。



激動の戦国乱世を生き抜くこの男の戦歴は、順風満帆ではない。

若き頃、憤怒に呑まれ感情を制動できなんだばかりに、上田原大合戦では父のように慕う板垣駿河守、甘利備前守、両将を喪った。


砥石攻めには逸る気持ちに隙が出た。心の乱れを衝かれ、軍容は崩れ、多くの将兵を死なせたのだ。

(源太の父・一徳斎がこの砥石城を策略を以て陥とせなくんば、今の武田家はない。)



齢四十、戦、戦の生涯を戦い抜き、幾度もの修羅場、死線を潜りて、信濃・甲斐を治める大大名となった。


寵愛せし同志、軍師・菅助の死にも動じぬ。

最愛の肉親、弟・典厩の死にも眉一つ動かさぬ。


今、堂々と本陣に君臨し、不動明王の如く鎮座し、軍容を保つのみ。

これを今しばし耐えれば、妻女山から逆落としを駆ける別動隊が上杉の背後を衝き、想定通りの挟み討ちと相成る。



この極限においてこそ、動かざること山の如し。


並々ならぬ強靭なる精神力、凄まじき重圧を双肩に負いて、なお冷静沈着で居る等、とても常人に成せる業ではない。


人を超え、神懸からねばならぬ。



武田信玄という稀代の英傑が今、覚醒している。






〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「ハイヤァーーッ!!」


駆け降りた。



ひたすらに駆け降り、八幡原へ向かう。


源太左衛門の視界には、霧が晴れ、両軍激闘を繰り広げる八幡原の全容が、次々と背に駆け抜ゆく木々の合間から見えてきた。


さすがに精強武田騎馬隊は、この無茶ゴリ押しなる急斜面の駆け降りにおいても、驚くほどに落伍者が出ぬ。


甲州武人は人馬一体、今暫しにて麓に辿り着こうという刻である。



(この高揚感、戦こそ華よ、戦国乱世よ)



源太左衛門には不思議と、不安は微塵もなかった。

御屋形様が討たれれば、武田は、真田は、其の様な事は思いもしなかった。


史上に刻む大合戦に、身を投じている。

今、此処に、駆けておる。


戦場を行くこの意気盛んなる若武者の、清々しき程の高揚感が、戦国乱世を駆け昇る真田家栄達の写し鑑にも思える。





〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


武田本陣が、まさに突き崩されんとしていた。


上杉の猛攻の凄まじさ、龍とも軍神とも讃えられる謙信公の軍略、此れに極まれり。


信玄公は依然本陣を一歩も退かぬ、堂々、鎮座している。

将兵の限界はとうに突破していた。

総大将という扇の要が踏み止まるが故に、この鶴翼は辛うじて羽根を拡げている。


しかしもはや、折れかかっていた。

敵方の意気天を衝かんとの最中である。



と、その時、上杉軍後方に怒声が轟いた。



「真田源太左衛門、此れに在りッ!!!」



ついに妻女山から駆け降り八幡原へ達した別動隊が、背後から急襲を仕掛けたのだ。



一番槍は、源太が突いた。


馬場、山県両将は此れに続く。




挟み討ちとなった上杉兵の、其の一瞬の動揺を、この男は見逃さぬ。


此処に至るまで微動だにせなんだ総大将・武田大膳大夫晴信は、まさにこの瞬間を待っていた。


「押し返せィィイイイーーーーッ!!!」


山の如く仁王立ちて、風林火山孫子兵法の一節)を刻む軍配を返して、咆哮せしむ。



忽ち劣勢と優勢が入れ替わった。





戦には流れがある。勢いがある。


名将は、その一瞬の機微をば見逃さぬ。





「退けィィイイイーーーーッチ!!!」


上杉弾正少弼政虎は、つい今し方まで武田方を蹂躙し、頗る勝勢、まさに本陣を突き崩さんとするにもかかわらず、この一瞬に転じた戦の流れを即座に察し、この圧倒的勝勢に寸分の未練もなく、何の執着もなく、撤退を即決した。


古今稀に見ぬ、鮮やかなる引き際であった。




挟撃の成る余勢を駆り、武田方の猛追が上杉方を襲うかと相思われたその時、


「深追い無用ォォウウウチッーーーーーッイチ!!!」


大号令が響き渡った。






〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



「敗勢の上杉方、なぜ追わぬのですか、兄者!逃げる背をば蹴散らして、死した者達の仇討ちを、今こそ・・・ッゥブチ!!」



源太左衛門は、逸る弟の顔面を全力でブチ殴り奉った。



「兵部よ、青二才なり」


冷徹にそうは言う、しかし摩利支天の如く仁王立つ源太左衛門の瞳の奥には、轟轟と怒りの焔が燃えている。

敵方上杉への怒りに、ムチ震えているのだ。



「決死の殿軍はまさに死兵。身命投げ打ち退路を死守す敵に当たるは、此れ愚策なりと孫子兵法も論じておろう。

これ以上の犠牲は、不要よ」


弟・昌輝は、己が短慮を恥じて、神妙に座した。


「然して、上杉を退け、川中島は我らの領土と相成った。・・・御屋形様は、落ち着いておられる」


「兄者、相すまぬ。」


「良い、兵部よ。此れが武田の戦。真田が為、よく学べぃ」




父・一徳斎の表情は、此れは、息子達の成長を頼もしく思った事であろう。





源太左衛門の在わす戦場には、秋の風が吹き抜けた。








第一文銭「秋風川中島」了


〜続く〜



※この物語はフィクションです。

※一部、設定が史実の通説と異なる場合があります。ご了承ください。


【参考文献】

甲陽軍鑑』、『真田家譜』、『仙台真田代々記』、 信綱寺殿御事蹟稿』